第176話 立ちはだかるのはヴァールの呪いと亡霊たち
人影を水たまりに溶かしたような存在だった。
影たちは暗くなった視界の中で、ゆらゆらとうごめいている。
「なっ、なんですかっ、この人たちは」
ビビアナが恐怖で身体をふるわせる。
「人ならざる存在だが、かすかに人の気配を感じる。レイスやゾンビたちと同じ存在なのか?」
影たちは神殿で立ち並ぶ石像のように、俺たちの前を立ちはだかっている。
襲いかかってこないが、協力者にはとても見えない――中央の影が動いた!
「くるぞ!」
中央の影がゆっくりと前進してきたかと思えば、一瞬で間合いに詰めてきただと!?
影の細い腕が鞭のようにしなり、俺の顔を目がけてふり下ろされる。
「くっ」
細腕とは思えない力の強さだ。
鋼鉄の重たい大剣や棒をふり下ろされたような、強烈な衝撃がヴァールアクスから伝わってくる。
影は休まずに攻撃を続けてくる。
「グラートさま!」
レイスたちに似ているが、彼らよりもはるかに重たい攻撃をくり出してくるっ。
「気をつけろっ。この者たちは見かけによらず怪力だぞ!」
影の攻撃が止まった隙をついて、ヴァールアクスを水平に倒す。
「はっ!」
斧を高速で斬り払うが……どうした。
ヴァールアクスがやけに重く感じる。
俺の攻撃で影を吹き飛ばしたが、斬ることはできなかったようだ。
「うわ!」
「きゃあ!」
影たちがビビアナや兵たちにも襲いかかっている。
影たちの容赦ない攻撃に彼らが早くも圧倒されている!
「させるか!」
ヴァールアクスをふり上げて、影を後ろから殴り倒す。
やはり、斧がやけに重い。もしや、ヴァールの呪いが悪さをしてい――
「ぐっ!」
俺の背中に槌で殴られたような衝撃が走った。
他の影が俺を背後から襲ってきたのかっ。
「お前たちは土へ還れ!」
影を左足で蹴飛ばし、ひるんだ隙に重たい刃で押しつぶす。
影たちは六体ほどいたが、なんとか撃退することができた。
「お前たち、だいじょうぶか」
黒い雨に打たれながら、ヴァールアクスを地面に下ろす。
刃先が黒い水たまりに浸っていた。
「は、はいっ。なんとか……」
ビビアナと兵たちはすでに負傷していた。
ある者は肩当てを吹き飛ばされ、別の者は槍をへし折られている。
「さっきの人たちは、なんなのでしょうか……」
「わからない。が、ヴァールの魔力が今でも悪さをしていると見て間違いないだろう」
あの者たちは、ヴァールに操られているのだ。
もしくは、ヴァールの驕れる魔力があのような乱暴者たちを生み出しているのか。
「わたしたちで、この先に行けるのでしょうか」
「プルチアのガーディアンを超える悪魔たちだ。この先に進むのはむずかしいかもしれない」
ビビアナと兵たちを死地へ飛び込ませるわけにはいかない。
「命の危険を感じる者はヴァレンツァへ引き返すのだ! 引くのも勇気だっ」
ヴァールアクスを持ちなおして、黒い雨が降る戦場跡を歩く。
ビビアナと兵たちは、決死の表情で俺についてきた。
「やつらはまた姿をあらわす。一瞬たりとも油断するな!」
「はい!」
しとしとと降る雨の向こうで、黒い影たちが音も立てずに姿をあらわしていた。
「きゃっ!」
「また来るぞ!」
黒い影たちが何も発さずに攻撃してくる。
ヴァールよ。死してなお、お前は俺に牙を剥くかっ。
「お前たちなどにやられはせん!」
影たちをヴァールアクスで吹き飛ばす。
斬れなくても問題ないっ。重量にものを言わせて敵をなぎ倒す!
「グラートさま。なんだか、今日は調子が悪いのですか」
ビビアナは俺の異変に気づいたか。
「すまない。ヴァールアクスが言うことを聞いてくれないようだ」
「そんな……」
「この斧はヴァールの力が込められている。ヴァールの呪いに影響されているのかもしれない」
影たちはかまわずに攻撃をしかけてくる。
並はずれた攻撃力で圧倒されれば、俺たちの全滅は必至だ。
「それなら、わたしたちにまかせてくださいっ」
ビビアナが、決然と言った。
「わたしだって、この日のためにずっと修行してきたんです!」
ビビアナが弦を引きながら後ろに跳躍した。
兵たちに影たちの攻撃を防がせて、
「はなれてください!」
ビビアナが矢じりを影たちに向ける。
俺たちが散開した直後に、彼女は矢を放った。
矢は黒い雨の間をすり抜けるように飛来する。
戦場の真ん中で油断していた影の胸をつらぬいた。
「おお!」
「すげっ」
くるしい表情を浮かべていた兵たちから歓声が上がる。
ビビアナが続けて矢を放って、二体の影を射抜いた。
「そこだっ。一気にたたみかけろ!」
俺の指示に兵たちが奮起する。
ロングスピアを低くかまえて、息の合った突撃で残りの影たちを串刺しにした。
「みなさん、強いです!」
いいチームワークだ。
ビビアナもラヴァルーサで戦っていた頃からかなり成長したかっ。
「ご苦労だった。皆、けがはないか」
「はい!」
「やつらからしつこく攻撃されましたが、鎧を着てるので平気ですっ」
俺は、この者たちを見くびっていた。
この強者たちならば、安心して背中をまかせられる。
「アルビオネから侵入してきた者たちは、この奥にいる。かならず捕まえるぞ!」
ゾンフ平原は元々、平たんな野原がひろがる穏やかな場所だ。
温暖な気候で農地が向こうの山までひろがり、農村もたくさんあったはずだ。
昼間なのに夜のように暗い場所に、廃墟となった農村が姿を見せている。
「ここは……」
「かつて農村があった場所だ。ヴァールの侵攻によって無残に破壊され、復旧もできずに放置されている」
「そう、なんですね」
倒壊した家屋の中に、子どものおもちゃと思わしき球やぬいぐるみが転がっている。
無限に降りしきる黒い雨に打たれ、元のおだやかな色をうしなってしまったか。
がたっ、と近くの瓦礫がくずれる音がした。
倒れた木の柱や穴の開いた壁の隙間から、黒い影がにゅっと空へと伸びはじめる。
「こんなところにも……!」
「ヴァールはこんなところでも、俺たちを攻撃したくて仕方ないらしい」
この者たちは、ここで亡くなった者たちの霊魂なのか?
「ここはもともと、戦いと関係ない人たちが暮らす村だったのに……ゆるせない!」
ビビアナが弓に魔力を込めた。
風の力を吸収した弓は矢に強い力をあたえ、影たちの胸をまっすぐに貫いていく。
影たちは何も言わずにあらわれ、何も言わずに消えている。
この者たちは、プルチアのガーディアン以上に感情をもたない者たちなのだ。
浮かばれない魂を、ヴァールの強い影響力によって使役され続ける悲しい者たちなのだ。
「これで、全員倒しましたか!?」
「ああ。みごとだ、ビビアナ」
こんな戦いは続けられない。
アルビオネの侵入者たちを早く探し出さなければ。
黒い影と戦いながら、農村の廃墟を越えていく。
行けども行けども宵闇ばかりがひろがるが、足に疲れを感じはじめた頃に魔物のような陰影を発見した。
魔物たちは隊列を組んでいるようだ。
彼らも黒い影たちに取り囲まれ、悲鳴を上げながら戦っているようだが。
「グラートさまっ。あれ!」
「ああ。ついに見つけたぞっ」
やつらもヴァールが支配する者たちに攻撃されているのか?
「こいつら、何度倒しても沸いてくるぞ!」
「こんなのきりがねぇぜ!」
アルビオネの者たちは巨獣を操っているが、絶え間なく襲いかかってくる影たちに押されているようだ。
俺の足もとにグランドホーンのような巨獣が転がっている。暗くてよく見えないが、影たちの餌食になったのだな。
「お前たちはアルビオネから侵入してきた者か!」
暗闇の中で声を張り上げると、アルビオネの者たちからどよめきが起こった。
「な、何者だ!?」
「俺はサルン領主グラートだ。お前たちの主であったヴァールを屠った者だ!」
雨でぬかるんだ地面を蹴った。
大量の雨を吸ったように重くなったヴァールアクスを両手で斬り払った。
「うわぁ!」
アルビオネの者と影たちをまとめて吹き飛ばす。
致命傷はあたえられないが、捕縛が第一目標なのだからむしろ都合がよいかもしれない。
「みなさんっ、わたしたちもグラートさまに続きましょう!」
「おうっ!」
ビビアナと兵たちが果敢に加勢してくれる。
「アルビオネの何名かは捕らえるのだ! 生け捕りにしてヴァレンツァで尋問するっ」
この呪われた地には長くいられない。
足を動かすと、右足のつま先に固いものがぶつかった。
大きな石が転がっていたのか?
目を落とすと、七色の光が差していた。
「これは……」
敵が攻撃してこないことを確認して、さっと左腕を伸ばした。
俺の手につかまれていたのは、貝殻のような、虹色の水晶だった。