第174話 虹色の水晶が訴えるものとは
「グラートさま。あの虹色の貝殻もお出ししなくてよろしいのですか」
預言石の話が一段落した頃にビビアナが言った。
「そうだな。あの貝殻の存在をすっかり忘れていた」
テオフィロ殿から貝殻だと断定されて、あの虹色の水晶に価値を見出せなくなっていた。
「貝殻とは、なんじゃ?」
「プルチアの遺跡で、預言石と同じように虹色の水晶を見つけたのです。ですが、どうやらそれは貝殻だったようで、シモン様にお見せする必要はないと思っていたのです」
虹色の水晶をバッグから取り出して、テーブルにそっと置く。
ことりとテーブルに並ばれた水晶は、七色の光を放っている。
「これが、その貝殻とやらか」
シモン殿が水晶をひょいとつかみ、また食い入るように見はじめた。
シモン殿は興味をしめさないと思っていたが、水晶を真剣に観察して、
「これは、貝殻なんかじゃないぞ」
ぼやくように言った。
「貝殻ではない……?」
「そうじゃ。これのどこが貝殻なんじゃ。こんな貝は見たことないわい」
虹色の水晶は球体で、真ん中に穴が開いている。
ヴァレダ・アレシアでは見かけない貝だが、プルチアの独特な生態系を考慮すれば、このような貝が棲息しているのだと断定してもおかしくはないものだが……。
「プルチアの遺跡にあったものなのだろう? それならば、預言士が遺したものであろう。きっと価値のあるものじゃ」
「遺跡の地下には水が入り込んでいました。あの水は雨水が入り込んだものか、もしくは海水です。海から水が入り込んだのであれば、貝殻が混じってしまったと考えてもおかしくないと思います」
シモン殿が水晶を置いて腕組みする。
「きみがそう主張するのであれば、海の魚が遺跡の地下に入り込んでなければならん。魚は遺跡の地下におったのか?」
シモン殿のたたみかけるような問いに思わずたじろいでしまう。
「いえ。暗闇の中であったので、地底湖に魚がいたかどうか調べることができませんでした」
「水の中を調べられなかったとしても、水のまわりに魚の死骸や骨などが見つかってもよいじゃろう。外から入り込んだ水であるのなら、水かさは日によって変わるのじゃからな」
シモン殿はやはり優秀な学者だ。俺たちの考えの矛盾をすぐに言い当ててしまった。
ビビアナも驚いて言葉をうしなっている。
「シモン様のおっしゃる通りです」
「そうじゃろう? きみたちが言う通り、これがプルチアの貝殻である可能性は捨てきれないし、プルチアの遺跡の全貌も解明されたわけではない。
しかし、屈強なガーディアンたちが守る遺跡の中で発見したものを貝殻だと見くびってしまうのは、いかがなものか。こういう一見して価値のなさそうなものが、考古学では重大な意味をもったりしているものだ。しっかりと調べ上げるまで、ものの価値を安易に決めつけてはいかん」
シモン殿の言葉は至言だ。結論をいそいではいけない。
「それでは、この貝殻のような物質はなんだと思われますか」
「うーむ。そうじゃな。預言士がつけていた飾りに見えるが、飾りにしては大きすぎるのう。かと言って預言石の類とも違うし……。はて。なんじゃろうか」
シモン殿でも貝殻の正体はわからないか。
「この貝殻は、どのあたりに落ちていたのじゃ?」
「預言石のそばにありました。あと、巨大な魔法陣のそばにもありました」
「巨大な魔法陣とな?」
「暗かったので詳細はわかりませんが、遺跡の奥に円形の巨大な石だたみが敷かれていたのです。何かの儀式を行っていたような跡に見えました」
そういえば、遺跡の地下で壁画を何度も見かけた。
「遺跡の地下には壁画がいくつもありました。それらの壁画はどれも絵柄が異なっていましたが、何か重要なメッセージのように思えました」
「そういえば、壁画がたくさんありましたねっ」
ビビアナも壁画を思い出してくれたようだ。
「どんな壁画があったんでしたっけ」
「どうだったかな。くわしくは覚えていないが、魔物たちと戦っている絵や、日常の景色をあらわしているものが多かったような気がするな。他の壁画もあったと思うが」
「そうでしたねぇ。あんまり重要じゃないと思ってたから、そこまでは――」
「んもうっ、うらやましいのう!」
シモン殿が突然、さけんだっ。
「なんじゃなんじゃっ、壁画って! わしも見たいわい!」
「シモン殿にお見せしたいのはやまやまですが、屈強なガーディアンたちが守る場所ですぞ。それなのに――」
「そんなことは言われなくともわかっとるわい! だから、うらやましいんじゃろうがっ」
この方は心の底から考古学や超文明がお好きなのだな。
「壁画なんて、古代人が遺した至高の文献ではないか! 壁画を解析すれば、預言士たちがどのような暮らしをしていたのか、大きな手掛かりになるんじゃ」
「そう、ですね。シモン殿のおっしゃる通りです」
「ああ、やっぱり、わし自ら遺跡に行かねばならんのう」
シモン殿は高齢。プルチアの遺跡に案内することはできないだろう。
「壁画では、グラートさまもさすがに持って帰ってこられませんものね」
ビビアナも言葉を添えるように言った。
「そうだな。屈強なガーディアンたちがいなければ、壁をくり抜くことができるかもしれないが」
「絵柄だけでも描き残したかったですね……」
次からは筆記用具を携行していこう。
「ないものねだりをしても仕方あるまい。きみたちが命を賭して持ち帰ってくれた遺物を、わしが責任をもって調べさせてもらおう。で、この貝のような水晶もわしがあずかってしまってよいのか?」
「はい。その品も、わたしたちにとっては無用の長物です。預言士と超文明の研究に役立ててください」
「ふーむ。きみは本当に無欲じゃのう。あんな遠くまで行って持ち帰ってきたというのに、どこの馬の骨との知れん老いぼれにあっさりわたしてしまうのだからな」
「どこの馬の骨とは、またご冗談を。シモン殿は宮廷の要人でしょう? わたしなどでは比べることすらはばかれます」
「ふ。都を何度も救い、陛下からも寵愛されているというのに、ずいぶんと謙虚なのじゃな。まあよい。きみが超文明の遺物をわたしてくれるのは、わしらにとって都合がよいのじゃ。遠慮なくあずからせていただこう」
プルチアの調査の成果は、こんなものか。
「夢幻の聖域に依頼していた調査は、どのような状況か知っていますか?」
「ああ。やつらは定期的に報告を入れてくれてるが、調査は大して進んでないようじゃわい。遺跡をいくつか当たってるみたいじゃが、どれも見当違いじゃったと聞いておる」
オリヴィエラ殿に依頼していた調査は、それほど進んでいないか。
「そうですか。残念です」
「そう肩を落とす必要はあるまい。きみのように預言石をすぐに探し当てる方が稀なのじゃ。この国には復興時代の遺跡がたくさんある。それらの調査も、一応むだにはならん。気長にやっていくのじゃ」
シモン殿は意外と融通が利く方のようだ。
「そうですね」
「考古学の活動はむずかしい。きみが思っているほど簡単には進まんのだ。だから、もっと長い年月をかけ――」
背後の扉から、こんこんとノックされる音が聞こえた。
うやうやしく礼をしたのは、召使いの女性だ。
「どうした。まだ昼の時間ではないだろう」
「はい。宮殿からグラート様に使いの方がお見えですので、ご連絡に上がりました」
宮殿からの使いということは、ベルトランド殿が遣わした者か。
「わかった。すぐ使者に会おう。その者はどこにいる?」
「ありがとうございます。お使いの方は一階の客室に案内しております」
召使いに従って一階へと降りる。
ロビーのそばの客室にいたのは、革の胸当てをつけた若い兵だった。
「お前か。俺の使者というのは」
「はっ。宮廷から、ドラス……いえ、グラート様へ指示を受けておりますっ」
この男はシモン殿の巨大な屋敷に圧倒されているな。
「俺の呼び方など気にしなくていい。宮廷はなんと言っているのだ」
「はっ。し、至急、宮殿にお戻りくださいと」
ベルトランド殿や陛下の身の回りで緊急の用が発生したのか?
「宮殿に戻るのはかまわないが、何があったのだ」
「は。それが、ヴァレンツァの近郊で、魔物たちが暴れまわっているとのことで」
魔物たち――アルビオネか!
「わかった。すぐ宮殿に戻る!」
「おっ、おねがいします!」
国境のそばでくすぶっていたアルビオネの者たちが、ついに動いたか。
ビビアナと召使いの女性は、状況の理解が遅れているようだ。
「グラートさま。そんなに、強い魔物なのですか」
「ヴァレンツァとサルンのそばで暴れる魔物は、十中八九アルビオネの者たちだ。やつらがついに動き出したのだ!」
「ええっ! そ、そうだったんですねっ」
預言士と超文明の調査は、シモン殿に進めてもらうしかない。
「急報ゆえ、グラートとビビアナは至急、宮殿に戻るとシモン殿へ伝えてくれ」
「は、はいっ。わかりました!」
「ビビアナ、急ぐぞ!」
「はい!」
俺はビビアナの返事を待たずに部屋を飛び出した。




