第155話 預言士の手がかりを求め、変わり者の侍従長の屋敷へ
侍従は国王や騎士につき従い、身の回りの世話をする者たちだ。
陛下やジェズアルド殿など、上位の騎士たちには複数人の侍従が仕えている。
侍従は騎士ではないが、陛下の側近であれば位は俺より上だ。
宮殿のそばにある騎士の別宅で寝泊まりし、ベルトランド殿から指定された日の昼下がりにビビアナを連れてシモン殿の屋敷を尋ねることにした。
「ヴァレンツァって……とても大きな街なんですねぇ」
厩から馬を引いているときに、ビビアナがぽつりと言った。
「そうだな。街もきれいだし、今日も活気に満ちあふれている」
「そうですねぇ」
ビビアナの表情は、あまり冴えない。
「ヴァレンツァは、あまり気に入らないか?」
「い、いえっ。そんな、ことは」
「無理しなくていい。アゴスティと街並みも人の数も違うのだ。初めての訪問ならば、とまどうのが普通だ」
そう声をかけると、ビビアナの顔から力が少し抜けたようだった。
「ここに来て……アゴスティって田舎なんだなぁって、思いました」
「それは仕方ないさ。ヴァレンツァはヴァレダ・アレシアの首都であるし、陛下のお膝元だ。国内のどの都市よりも栄えていなければいけないのだ」
「そうなのですね」
「首都は王国の顔だからな。サルンはヴァレンツァに近いが、アゴスティよりも栄えていないだろう」
「いいえ! そんなことはないですっ」
ビビアナが左手でかぶりをふった。
「気遣いはしなくていい。サルンはアルビオネの脅威と隣り合わせの土地だ。ゆえに人が定住しにくい場所なのだ。アゴスティもヴァレンツァから遠く、気候もかなり異なる。人が移住しにくいのは止むを得ないだろう」
「そう、ですね」
「だが、地方都市にはヴァレンツァにない良さがある。自分の故郷や生まれを恥じることはないのだ」
アゴスティは決して豊かではなかったが、アゴスティの住民たちはあの土地を愛していた。
ゆったりと流れる空気も、疲れた身体と心をそっと癒してくれた。
「アゴスティは良い都市だ。きみが恥じることはない」
「はい。ありがとうございますっ」
馬に乗り込み、ベルトランド殿に書いてもらった地図をたよりに、シモン殿の屋敷へ向かう。
「お相手様のお屋敷は、ここから近いんですかっ」
「侍従長のシモンチェリ殿だ。おそらく、すぐに着くだろう」
ヴァレンツァの中心地からはなれ、郊外の森へと入る。
馬車も通れるほどの広い道を駆けると、シモン殿の屋敷がすぐに見えてきた。
騎士の別宅とくらべても遜色がないような、石造りの大きな邸宅だ。
鉄柵の門と、その奥に広がる庭。過去の偉人を模したと思われる彫刻が目を引く。
黒い屋根が特徴的な邸宅は木々と調和して、巨大ながら芸術的な佇まいを感じさせていた。
ワシの装飾がほどこされた柵門のそばに呼び鈴が置かれている。
鈴を鳴らすと、門の奥に建てられていた小屋から召使いらしき女があらわれた。
「ご機嫌うるわしゅうございます。本日は、どのようなご用件でしょうか」
「俺はサルン領主のグラートという。考古学について、侍従長のシモンチェリ様の知見を拝聴したく、こちらへ参った次第だ。侍従長のシモン様はお出でか?」
アダルジーザと同じくらいの年齢か。
召使いの女性が、わずかに眉をひそめた。
「失礼ですが、ご予約いただいておりますでしょうか」
「ああ。ヴァレダ宮廷騎士団のベルトランド様から、今日のこの時間に俺が訪問することを伝えているはずだ。シモン様が自ら許可していただいたと、ベルトランド様から確認までいただいている」
妙だな。来訪の予約が、どこかで行き違いになっているのか?
「しょ、少々お待ちください!」
召使いの女性が血相を変えて、屋敷へと飛んでいった。
「グラートさま。本日のご予約で、本当に合ってるんですか?」
「そのはずだ。あのベルトランド殿がミスをするとは思えないのだが……」
鳥の声を聞きながら、門の前でしばらく待つしかない。
ビビアナと会話したり、馬の背をなでていると召使いの女性がもどってきた。
「失礼いたしましたっ。こちらの手違いで、お客様の来訪に気づけませんでしたっ。す、すぐにお通しいたします!」
召使いの女性が青い顔で、門を解錠してくれた。
「名のある方とも露知らず、失礼いたしました!」
「気にするな。シモン様は屋敷にいるのか?」
「は、はいっ。そのはずですっ」
一抹の不安を感じるが、しずかに召使いの後に従う。
屋敷の大きな扉を開けるが、俺の屋敷よりもひろいロビーはがらんとしていた。
「おかしいな。ここで待っててって、言ったのに……」
召使いの女性がせわしく頭を下げて、ロビーの階段を上がっていった。
「ここで、しばし待てということか?」
「そう、なんですかね……」
予想していなかった状況に、ビビアナと目を見合わせることしかできなかった。
また血相を変えてもどってきた召使いに案内されて、屋敷の裏庭まで足をはこぶことになった。
裏庭の大きな木のそばで、召使いの女性がだれかと話している。
召使いの影に隠れる位置にいる男性は、子どものように背がちいさい。
若草色のチュニックを着た男の子……ではない。
あのシワの深い顔立ちは、俺よりはるかに高齢だ。
召使いの女性から強い口調で注意を受けているようだが、あの方がシモン殿なのか?
「ご機嫌うるわしゅうございます。あなた様が、侍従長のシモン様ですか」
背の低い老人のような男性が、「ええいっ、うるさい!」と召使いの女性を押しのけた。
先のとがった頭巾をかぶった姿は、絵本に登場する妖精さながらだ。
「きみが、ベルトランドくんが言っていた者か。いかにも。わしがシモンチェリだ」
シモン殿の声は子どものように高い。
「はい。ヴァレンツァの北にあるサルンを治めている、グラートと申します。本日は――」
「ここに、たくさんの雑草が生えている。雑草の生命力はすばらしいと思わんかね?」
シモン殿が俺の言葉をさえぎって、足もとの雑草を指した。
「雑草の、生命力ですか」
「雑草は、全国の庭師や召使いを困らせる厄介な存在であるが、こやつらは何度抜いても生えてくる。この生命力の高さは、人間の生活のヒントになる、大いなる事実なのだよ」
この方は一体、何を言っているのだ?
「雑草は地下に太い茎や根を張っているのだという。ということは、地下にたくさんの栄養を蓄えているのか? 成長や生活の基となる食料や資源を他所に蓄えておけば、陛下やこの国の暮らしはもっと豊かになるのではないか? そうなれば、この国の――」
自己紹介の途中だというのに、シモン殿の自問自答をなぜか聞かされる状態になっている……。
「われわれ人間は弱い。ゆえに、雑草から大いなるヒントを探り当てることが、わしらの――」
「もうっ、雑草は後で抜いておきますから、お客様を屋敷へ案内してください!」
召使いの女性の雷が落ちて、シモン殿が肩をふるわせた。
「わ、わかっておるわい。まったく、最近の若いもんは観察力が欠けておるっ」
ベルトランド殿が懸念していた通りの方だったようだ……。
小人のようなシモン殿に案内されて、屋敷の客室へお邪魔する。
「だれかが訪問してくると、ベルトランドくんが言っていたような気がしたが、今日だとは思わんかった」
「急な訪問となってしまい、申し訳ありません。一刻も早く、シモン殿から話をうかがいたかったものですから」
「きみはまだ若いのだろう? そんなに生き急いで、なんになる? きみも、庭に生えている雑草をもっと観察した方がよいぞ。
わしは最近、雑草の観察に凝っておってな。そこらに生えている草という草に目がないのだ。人間に忌み嫌われるやつらだが、あやつらもよく見ると個性が――」
シモン殿の雑草の講義がまたはじまってしまった……。
こほんと咳払いをすると、シモン殿が嫌そうな顔をした。
「まったく、最近の若いもんはどいつも生き急ぎやがる」
「生き急いでいるわけではありませんが、こちらも用件があってうかがっているのです」
「ふん。つまらんやつじゃな」
この方の感性は、俺が今まで会った者とかなり違っているようだ。
シモン殿が「やれやれ」と俺を見上げた。
「しかし、きみはでかいなぁ。きみは本当に人間なのか? 人間とフォルクルの混血種じゃないのか?」
「大柄なのはみとめますが、俺は人間です。フォルクルの血を引いてはいません」
「残念じゃな。フォルクルと人間の混血種であれば、わしの新たなる研究のパートナーになっていたものだが。ふむ。
フォルクルと人間の混血種と、軽い気持ちできみに問いかけてみたが、改めて考えると興味深いテーマだな。きみも興味はないかな?」
このままでは、本件に触れられないまま一日がすぎてしまう。
「シモン殿。単刀直入にお聞きします。預言士は今もこの地に存在しているのでしょうか?」
「預言士? そうか。きみたちは預言士について聞きたかったのじゃな。わしがこれまで、何度も預言士の魅力を訴えてきたというのに、きみたちは耳すら貸そうとしなかった。
それなのに今さら、きみたちは預言士に興味をもったのか? わしがあれだけ言っても、聞く耳すらもたなかったというのに」
「この前、ヴァレダ・アレシアの東で大規模な住民反乱が起きましたが、その反乱はひとりの預言士が起こしたものなのです。そして、わたしも預言士の末裔なのです」
俺がきっぱりと告げると、何かを言いかけていたシモン殿の口が止まった。
「い、今……なんと、言ったのだ?」
「わたしが、預言士の末裔であると言ったのです」
シモン殿の目が、飛び出そうなほど開かれた。
「きみが、預言士の末裔とな?」
「はい。反乱を起こした預言士から、わたしも預言士の末裔であると宣告されました。彼とわたしは、預言士がかつてもっていたとされる能力の一部を有しています」
預言士は、自身がもつ潜在力を引き出すことができる。
この能力を解明すれば、途方もない研究結果が導き出せるかもしれない。
「なんと! それはまことかっ」
「ええ。それを証明するためにも、シモン殿を訪問したかったのです」
「そうか! そんな興味深い用件とは露知らず、雑にあつかってすまなかったっ。よしよし、きみの願いに真摯に受けこたえてやるぞっ」
まったく、調子のいい方だ。
シモン殿の子どものような反応に、ビビアナがたまらずに苦笑した。