第141話 ヒルデブランドとドラゴンスレイヤーの決戦
ベネデッタの戦闘をシルヴィオにまかせて、ヒルデブランドを追う。
やつは深手を負っている。すぐに遠くへは逃げられないだろう。
「ヒルデブランド、逃げるなっ。俺と戦え!」
森の奥に、兵の姿をした男の背中が見えた。
「見つけたぞっ」
ヒルデブランドに近づいて、ヴァールアクスを打ち下ろす。
重たい刃が地面を粉砕し、強烈な衝撃波を発生させる。
衝撃波は地面をえぐりながらヒルデブランドに襲いかかり、近くの木に激突した。
しとめたか?
塵煙が夜の森に舞い上がる。
ヒルデブランドは俺の攻撃をかわしていたのか、別の木の陰にかくれていた。
「ドラゴンスレイヤー、口惜しいが、きみの力を認めるしかないようだな」
ヒルデブランドが木陰から姿をあらわす。
「きみをラヴァルーサで撃退したとき、きみは必ず都から戻ってくると思っていたが、わたしがここまで追いつめられるとは考えていなかった。きみの力を過小評価した、わたしの過ちだ。素直に認めよう」
「ご託はいい。おとなしく縄にかかるというのであれば、お前の命を奪ったりしない。無駄な抵抗はやめて、俺に降伏するのだ」
ヒルデブランドが、はっはっはと渇いた声を発した。
「そんな見え透いた言葉に、わたしがだまされると思っているのかね。きみは本当に愚かだ。いや、浅はかだ」
「うそなどついていない。俺は、約束を守る。それがたとえ、どのような者であったとしても」
「戯言を言うなっ。きみが約束を守ったとしても、王国の連中はわたしを絶対にゆるさん。多くの民を煽動し、これほど大規模な反乱を起こした者を、王国がゆるすと本気で思っているのかね? そうだとしたら、きみはつくづく救いようのない人間だ」
ヒルデブランドが言う通り、陛下やジェズアルド殿はこの男をゆるさないだろう。
だが、俺なら彼らを説得することができる。
「陛下や宮殿の者たちは、俺が死力を尽くして説得する。陛下さえ説き伏せられれば、宮殿の者たちはどうとでもなる。これでも、俺を信用できないか?」
「できんな。きみはこれまで、王宮の醜い面をたくさん見てきたはずだろう。それなのに、よくもそのような絵空事を吹聴できるものだ」
ヒルデブランドが背を向けた。
「ドラゴンスレイヤー、きみは正直すぎる。そして、人を信じすぎる。きみは王宮の政務や醜い権力争いに向かない。ただちに騎士の称号を王国に返上し、平民に戻るのだ」
この男は急に、何を言い出すのか。
「これは、きみの特性を考慮した提言だ。王宮のような汚らわしい場所には、サルヴァオーネのような汚らわしい人間を配置するのが最適なのだ。
きみは王宮や騎士ではなく……そうだな。戦うだけの傭兵か、もしくは子どもたちに聖書の教えをひろめる牧師などが適任だろうな」
この男は、ここからうまく脱出するために、俺を口車に乗せようとしているのか?
いや。このプライドの塊のような男が、そのような卑怯な手段を好むとは思えない。
「お前の口から、そのような言葉が出るとはな」
「ふ。きみはわたしのことを、己の野心を実現させることしか考えない、豺狼のような男であると、考えているのだろう?」
「違うのか?」
「わたしは、きみが思っているほど悪魔ではない。人間とおなじく心を持ち、並みの人間よりも他者を慈しむ考えを持っている。
わたしがサルヴァオーネのような豺狼であったとしたら、今回のような大きい動乱を呼び起こすことはできなかっただろう」
この男を信用するのは危険だが、サルヴァオーネと異なる気をまとっていることは確かだ。
「わたしは本気で、この不平等な世界を変えたいと思っている。超文明のようなすばらしい世界を呼び起こし、民たちが飢えることなく暮らせる世の中を築く。わたしは、そういう世界をこの地上に築きたいのだ」
この男は俺と同じく捨て子で、奴隷として過酷な生活を送ってきたとサンドラが言っていた。
この男は俺以上に身分の違いを感じ、不平等な時代に疑問を感じていたのかもしれない。
「ドラゴンスレイヤー。やっと、わたしの意思に賛同してくれたようだな」
「ヒルデブランドよ。預言士の末裔として、お前がヴァレダ・アレシアに強い反感を持っていたことは理解した。過酷な人生を歩み、こたびの反乱に並々ならぬ思いと期待を込めていたのだろう。
民たちが飢えない、平等な世界を築くことはすばらしい。だが、お前が新しい世界を築いたとして、陛下や王宮の人間たちをどう扱うつもりなのだ?」
ヒルデブランドの眉尻が、ぴくりと動いた。
「お前が平等な世界と謳うというのであれば、当然、陛下や王宮の人間たちの暮らしも保障されなければならない。だが、王宮を汚れた場所と吐き捨てるお前が、王宮の人間たちを保障するとは、俺には思えない」
ヒルデブランドがまた、大きな声で笑いだした。
「きみは、やはり油断ならない男だ! わたしの矛盾を、よく言い当ててくれた」
「俺を簡単にだませると思ったら、大間違いだ。お前が築きたいのは、お前を主と担ぎ上げた者たちだけが幸せになれる世界だ。ようするに、サンドラやベネデッタのような者たちだけが対象だ。
陛下や王宮の人間たちは、お前が築く世界に含まれていない。俺も無論、そうであろう。それは、つまり新たなる不平等な世界の構築だ。その世界は、俺が望む世界とは違う」
俺が真に望むのは、だれもが笑って暮らせる世の中だ。
人間も魔物も、友好的な人間も敵対者も笑って暮らせる、そんな世界がよいのだと思う。
「きみをだますつもりなんて、なかったのだがね。だが、きみが言い当てたことが真実だ。わたしは、きみのような右腕がほしかったのだよ」
この男は、やはりくみしがたい男だ。
俺を倒したいのが本心なのか。それとも、俺を仲間に引き入れたいのが本心なのか。
どちらも本心なのか。それとも、どちらも本心ではないのか。
「ここは戦場だ。このような場所で、長々とくだらない話をしていいはずがない」
俺はヴァールアクスをかまえた。
「降伏しないというのであれば、ここで倒させてもらおう。言っておくが、お前が深手を負っているからといって、俺は手加減などしないぞ」
ヒルデブランドが、くっくっくと低い声で笑った。
「ここまで話をしても、きみとは相いれんか。これが宿命というものなのか。非常に残念だ」
「辞世の句は、それで終わりか? 言い残したことがあれば、聞いてやるぞ」
「笑止! わたしは、このような場所では死なんっ。わたしは、預言士オドアケルの末裔だ。この身を賭して超文明を再興すると決めたのだ。大志を成し遂げるまで、わたしを殺させはせん!」
ヒルデブランドが闇の魔法を放った。
黒い針のようなものが地面から次々と出現し、津波のように襲いかかってくる。
「こんなもの!」
速いが、よけられる!
横に跳んで地面に転がるように回避する。
「死ねっ、ドラゴンスレイヤー!」
ヒルデブランドが容赦なく魔法を放ってくる。
幻影剣の雨がくたびれた森を破壊していく。
「わたしもきみと等しく預言士の力を受け継いだ者っ。わたしの身体には、きみの怪力を凌駕する力が秘められているのだ!」
ヒルデブランドの魔法は、強力だ。
深手を負っているはずだというのに、魔力が少しも衰えていない。
「お前のその崇高な力を、もっと良いことに使えればよかったものを」
ヒルデブランドの隙を突いて接近する。
ヴァールアクスをふり下ろし、彼の身体を真っ二つにせんと息巻くが、ヒルデブランドにかわされてしまう。
「ふ。もっとも良いことに使っているではないか。預言士の栄華をこの地に引き戻すという、歴史的な大事業にな!」
「ふざけたことを抜かすな!」
ヒルデブランドに近づき、ヴァールアクスを斬り払う。
彼がどんな魔法を使ったのか、一瞬の隙に姿を消して、俺の攻撃をかわしていた。
「前にも言ったであろう。預言士の末裔たるわたしたちには、預言士がかつて築いた栄華を再興するという使命が課せられているとっ。忘れたとは言わせんぞ!」
「そのようなものは知らん!」
自分たちの能力や力を誇示するだけの行為に、どのような意味があるのか。
「預言士の栄華など、どうでもいい。俺は、皆が笑って暮らせる国をつくるのだっ」
「やはり、きみは愚かだ。預言士にもっともあるまじき預言士だ」
ヒルデブランドをここで倒す!
彼に致命傷をあたえるべく直接攻撃をしかけるが、森の木々が邪魔をする。
いや、接近戦の能力に劣る彼が、地の利を生かしているのだ。
「ドラゴンスレイヤー、きみは本当に怖い男だ。巨大な斧をふるって木を軽々となぎ倒す姿を見れば、アルビオネのドラゴンすら震え上がってしまうのも道理というものだ」
「どうとでも言うがいい。俺が預言士の先祖から受け継いだのが、ドラゴンすら凌駕するこの怪力なのだ。たとえ敵から悪鬼と怖れられようとも、俺は俺の戦い方を貫く」
「ふ。それでこそドラゴンスレイヤーというものだっ」
ヒルデブランドとの、一進一退の攻防が続く。
彼が遠くから攻撃すれば、俺は木に隠れてそれをかわす。
俺が接近すれば、彼がすかさず距離をとって反撃してくる。
ヒルデブランドは、強い。
ブラックドラゴンのヴァールとはタイプが異なるが、まぎれもなく一騎当千の人物だ。
「長い戦いにも飽いた。そろそろ、終わりにするか」
そう言って、ヒルデブランドが右手をふり上げて――。
「うっ」
わき腹の激痛についに耐えきれなくなったのか、彼がわき腹をおさえて片膝をついた。
かつてない好機!
「ここで倒させてもらうぞ!」
俺は反撃される危険をかなぐり捨てて、ヒルデブランドに近づいた。
ヴァールアクスを月夜に向かってふり上げて、彼の頭にふり下ろした。