第140話 ラヴァルーサ東門の最後の戦い
ラヴァルーサの東門が重々しく開かれる。
月夜に照らされた門はゆっくりと開かれて、暗黒の口を惜しげもなく広げている。
ラヴァルーサを守っていた兵たちが、金属音を鳴らしながら門から出てくる。
音を発しているのは、手に持っている槍か。それとも具足が発している音か。
「グラートさんっ。早く突撃の指示を!」
シルヴィオが俺のとなりで息巻くが、
「いや、まだだ」
「なぜです!?」
制止を呼びかけると愕然と声を荒げた。
「どうして突撃しないんですかっ。早く攻撃しないと敵に逃げられてしまいますよ!」
「シルヴィオ、しずかにするのだ。声が大きいと彼らに見つかってしまう」
シルヴィオが、はっと口を閉じる。
「ヒルデブランドがまだ出てきていない。このタイミングで俺たちが攻撃を仕掛けたら、ヒルデブランドはラヴァルーサに閉じこもってしまう」
「そうかも、しれませんけど……」
「唯一の退路であるこの東門からも逃げられないと悟ったら、やつは何をしでかすかわからない。敵を窮地に閉じ込めてはいけないのだ」
待つのも大事な戦法だ。
ヒルデブランドが東門から出てきたところで包囲する。ここはじっと我慢だ。
「グラートの、言う通りかもしれねぇ」
ジルダは木の幹に潜みながら、東門を警戒している。
「あの門から逃げらんねぇって思ったら、後はもうどうなってもいいから、みんなを道連れにして派手に散って……とか、考えちまうよなぁ」
「その通りだ。ヒルデブランドの魔法は強力だ。あの大きな力を暴走させたら、俺たちは全滅してしまうかもしれない。いや、それ以上に街へ被害が及んでしまうだろう。それだけは、なんとしても避けなければならない」
兵たちが続々と東門から出てくる。
ヒルデブランドの姿は見あたらない。
出てくるのは革の鎧と槍を持った兵士だけだ。
「敵のボスは、まだ出てこないのでしょうか」
「わからない。もうそろそろ出てきてもいいはずだが」
兵は何人くらい脱出してきたのだろうか。
彼らの隊列はまだまだ途切れそうにないが、そろそろ指揮官クラスの人間が出てきてもおかしくないはずだ。
「なんかさ。すげぇ、嫌な予感がするんだけど」
ジルダも違和感をもったか。
「どんな予感がするんだ」
「いやさ。あの人たちからしたら、ぼくらがここで隠れてることくらい、わかってるわけだろ。そんでもって、ヒルデ……だったっけ? その悪いやつが一番ねらわれるっていうことだって、当然わかってるはずなんだろ」
「そうだな」
「そう思ったらさ。変装とかするんじゃね? グラートに見つかんないように、兵とおんなじ恰好をしてさ」
それは大いにあり得る!
「グラートさん!」
「ジルダ、でかした。お前の言う通りだっ」
「お、おうっ。って、このまま逃がしちゃっていいのかよ!」
「いいはずがないっ」
敵の兵は、半分くらいが門から脱出しただろう。ちょうどいい頃合いだ。
「シルヴィオは三分の一の兵をつれて、先頭の敵を追えっ。ジルダは敵の殿を襲うのだ!」
「はっ」
「まかせとけ!」
シルヴィオや兵たちが水を得た魚のように動き出す。
「ラヴァルーサの兵を包囲しろ! 一兵たりとも逃がすなっ」
俺の大喝に、都の兵たちが喊声を上げて森から飛び出していった。
「な……!」
ラヴァルーサの兵たちがうろたえている。戦意は完全に喪失している。
「敵襲だぁ!」
「早く逃げろ!」
都の兵がラヴァルーサの兵を次々と倒していく。
ラヴァルーサの兵は逃げてばかりで、ろくに戦えないのだ。
都の兵が一方的に殺戮する地獄絵図がくり広げられているが……ラヴァルーサの者たちよ。すまない。
「敵の大将であるヒルデブランドが兵に扮しているはずだ。探せ!」
ラヴァルーサの兵は灰色の作業服に革の鎧をつけている。
革の兜を深くかぶっている者が多いため、見分けるのが困難だ。
「ヒルデブランド、姿をあらわせ!」
あの男はまだ逃げ出していないのか?
門のまわりで横臥する兵の顔を確認するが、いずれも見知らぬ者たちだった。
どうやってヒルデブランドを探す?
俺が敵兵たちを攻撃していけば、兵に扮したヒルデブランドが抵抗をはじめるだろう。
しかし……敵とはいえ、ヴァレダ・アレシアの民たちをこれ以上痛めつけることはできない。
「敵兵を一兵たりとも逃がすなっ。戦う意思のない者はむやみに攻撃するな! 投降すれば命を保障すると伝えるのだっ」
大半の敵兵は、ラヴァルーサから出てきたか。
ヒルデブランドを見つけることができなかった。
あの男はひとりでラヴァルーサに立てこもるつもりなのか。
それとも、俺はあの男をとり逃がしてしまったのか――。
背後の森で突然、木々の切り倒される音がひびいた。
なんだ、さっきのは。
敵兵が逃げた先で悲鳴が聞こえたが――。
「ヒルデブランドか!」
シルヴィオがやつを見つけたのかっ。
ヴァールアクスを持ちなおして、悲鳴が聞こえた場所へ走る。
葉のあまりついていない木々が生えていた一面は、無残な状態になっていた。
切り倒された木のまわりには都の兵が倒れ、うめき声を上げている。
いや、ラヴァルーサの兵たちも倒れているぞ。
木々が倒された戦場の向こうで、対峙している者たちがいる。
奥で剣や槍をかまえているのは、シルヴィオと都の兵たちだった。
手前でたたずんでいる者たちは、ラヴァルーサの敵兵だ。
彼らは、他の兵たちと明らかに異なる雰囲気をまとっている。
「シルヴィオ!」
駆けつけると、ふたりの敵兵が俺にふり返った。
「貴様は……ドラスレ!」
右にいる兵は、男性であるはずなのに女性のような声を発している。
少し病的な肌に、怒りでつり上がった目。そして、カラスのような黒い髪。
「お前は、ベネデッタか」
この前、ストラの大軍に襲撃されたのだから、彼女がいるのは当然だ。
彼女のとなりで右のわき腹をおさえているのは、ヒルデブランドだな。
「お前たちが兵に扮しているだろうというのは予測していたが、一番最後に脱出してくると思っていたぞ。まさか、兵たちより先に脱出していたとはな」
ベネデッタの眼光がするどい。人間を嫌うオオカミのようだ。
ヒルデブランドは、わき腹の傷が痛むのか。言葉を発さない。
「お前たちはもう逃げられん。命を落としたくなければ、ここでおとなしく投降するのだ」
「だまれ! わたしたちは貴様の指図など受けんっ。ここで貴様に引導をわたしてくれる!」
ベネデッタが右手をひろげる。魔法を放つ気かっ。
かっと暗闇がきらめいて、俺の頭上から閃光が落下した。
ヴァールアクスでとっさに防御し、致命傷を受けずに済んだ。
しかし、俺の後ろにいた兵たちは雷の餌食になってしまった。
「かかれ!」
シルヴィオの号令で、彼の後ろで待機していた兵たちが突撃を開始した。
槍を突き立ててベネデッタとヒルデブランドに襲いかかるが、彼らを捕まえることはできないか。
「ザコがっ、邪魔をするな!」
ベネデッタが続けざまに魔法を放つ。
彼女が手を動かすたびに戦場がかがやき、まぶしい閃光が暗闇を焦がした。
「やめろ!」
シルヴィオが二刀の幻影剣でベネデッタに斬りかかる。
シルヴィオの高速剣技が暗闇にラベンダーのような花を咲かす。
しかし、ベネデッタは彼の動きを正確に読み、攻撃をみごとにかわしていた。
「ストラども、何をしているっ。ヒルデブランド様を守れ!」
ベネデッタの叫び声に頭上の小枝がふるえる。
無数のストラが夜空からあらわれて、ばさばさと翼の音をひびかせた。
「まだその魔物を使役させるかっ」
「無論だ。これが、わたしの力。腐った王家に与する者たちに罰をあたえる、唯一無二の力なのだっ」
ストラの数は、決して多くはない。
しかし、圧倒的に劣勢である彼らの兵力を確実に補える者たちだ。
ストラたちが奇声を上げながら体当たりをしかけてくる。
尖ったくちばしや爪の攻撃に、兵たちが翻弄されている。
――逃げらんねぇって思ったら、後はもうどうなってもいいから、みんなを道連れにして派手に散って……と考えちまうよな。
死に物狂いの敵を捕まえるのは、至難だ。
ストラたちに気をとられていたら、ヒルデブランドをみすみすとり逃がしてしまうっ。
ヒルデブランドの姿が、どこにも見あたらない?
「ヒルデブランドは、どこだっ」