第112話 ドラゴンスレイヤー、カゼンツァへ帰還する
ラヴァルーサからオドアケルの追っ手にねらわれながら、何日間、俺たちは逃避行を続けてきたのだろうか。
「ドラスレさま、見てくださいっ。あそこがカゼンツァですよ!」
今日も熱線のような日差しが高い空から照りつけてくる。
ぼろぼろになったタオルで額の汗をぬぐいながら、ビビアナが街道のむこうを指した。
見おぼえのある城門が、長い街道の果てに立ちはだかっている。
不ぞろいのレンガが頑強に積みかさなっている。
ラヴァルーサの城門より少し低いが、表面の荒々しさが歴戦に耐えてきた城門のかたさを連想させた。
城門の左右に建てられている塔のてっぺんで、ラブリアの青い旗が風になびいていた。
「ついに、帰ってこられたな」
「はい!」
「これで俺たちは、ヴァレンツァに帰ることができる。ロンゴ殿から馬を借りて、ヴァレンツァで態勢を立てなおすのだ」
ラヴァルーサの城門は開かれているが、衛兵によって厳重に守護されていた。
だが、俺が名乗ると彼らはすぐに道を開けてくれた。
「ドラスレ殿っ。このような場所に突然帰ってこられるとは何事か!?」
兵たちに城へ案内されると、ロンゴ殿は子どものようにやってきた。
今日も太った身体をつややかな貴族服で飾り立てている。
「おひさしぶりです、ロンゴ殿」
「あ、ああ。そなたがアゴスティに向かって以来になるのか」
「そうなりますか」
前にカゼンツァを発って、何日が経過したのか。
アゴスティに残しているシルヴィオとジルダが心配だ。
「見たところ、かなりけがをされているようだが、先に治療した方がよいのではないか?」
ロンゴ殿が俺の全身を見て顔を青くする。
「お気遣いありがとうございます。しかし、ご心配にはおよびません。ロンゴ殿に挨拶をするのが先です」
「そうか? 全身血だらけになっているように見えるが……」
ロンゴ殿が貴賓室の椅子を引く。
後ろで待機している従者に、茶と菓子の用意を言いつけた。
「そなたがラヴァルーサの住民反乱を鎮めに行ったという報告まで受けていたが、まさか、こんなところに突然あらわれるなんて、思いもしなかったぞ」
「失礼しました。ラヴァルーサで思うほど成果が上げられなかったため、態勢を立てなおすためにこちらへ訪問した次第です」
「うむ。そなたたちの今の姿を見れば、いかに激しい戦いであったか、言葉にしなくてもわかる。戦時中であるため、ここでも大したもてなしはできないが、しばらく休んで英気を養えばよい」
「ありがとうございます。お気遣い、感謝いたします」
ロンゴ殿は俺の傷ついた姿を見て、顔をしかめている。
その表情は哀れみなのか。それとも、俺の軽挙を軽蔑してのものか。
ロンゴ殿の視線が、となりのビビアナに向いた。
「そなたは、どこかで見たことがあるな」
「は、はいっ。わたしはっ、アゴスティのスカルピオ様にお仕えしてます、ビビアナともうします!」
ビビアナ、緊張せずに普段どおりに話すのだ。
「ほう。どうりで……。ヴァレダ・アレシアの東に疎いドラスレ殿の道案内でも命じられたのか?」
「は、はいっ。そうであります!」
「そうか。スカルピオ殿はお達者か?」
「はい! お達者でございますっ」
ビビアナはぴんと背筋をのばして、固まった肩をふるわせている。
別の土地の領主と交渉させるのは、まだむずかしいか。
「見たところ、まだ騎士になり立てのようだな。そんな細い身体では、ドラスレ殿についていくのはつらかろう」
「はいっ……い、いえ。ドラスレさまは、わたしたちをつねに気遣ってくださいますから、つらくはありませんっ」
「ほう。弱々しい見た目に反して、肝がすわっているようだな。けっこう、けっこう!」
ロンゴ殿が手をたたきながら笑った。
「あ、ありがとうございます!」
ビビアナは未熟者だが、騎士の素質がある。
俺やアダルジーザと違って、すぐに芽が出るタイプではないだろう。
あせらず、じっくりと修練を積ませれば、民のしあわせをねがう良い騎士になるかもしれない。
「ドラスレ殿。話をもどすが、ラヴァルーサやアゴスティの戦局はどうなっているのだね? そなたがそのような姿で帰ってくるということは、そんなにきびしい状態なのかね」
ロンゴ殿が丸テーブルにヒジをついて、身を乗り出す。
「きびしい状態です。ラヴァルーサはオドアケルのギルマスによって占拠された上、よその地方でも連鎖的に住民反乱が起きております」
「うむむ。北のミランドと東のパライアについては、急使から聞いておる。うちからもパライアに援軍をわずかばかり送ったが、戦況はかなり悪いようだ」
カゼンツァでもすでに援軍を送ってくれていたのか。
ロンゴ殿が、ビビアナをちらりと見やる。
「北のミランドは、ここから遠い。スカルピオ殿が対処してくれているであろうが、あちらも住民反乱をしずめたばかりで戦力をかなり消耗している。大した支援はできないだろう」
「はい……」
ビビアナの精悍な顔つきにも陰りが見えた。
「ドラスレ殿。われわれは、どうすればいい。ラヴァルーサは敵に占拠され、ミランドやパライアの住民反乱も抑えるのがむずかしい。
凶悪なドラゴンから都を救ったそなたなら、この難局をどうやって乗り切るというのだね!?」
とてもむずかしい局面だ。
住民反乱の勢いが強いだけでなく、首魁のヒルデブランドは切れ者だ。
勢いに勝る彼らを早くしずめなければ、この住民反乱がヴァレダ・アレシアの全土をつつみ込んでしまう。
「彼らの首魁であるヒルデブランドという男は、ラヴァルーサを占拠しております。よって、ラヴァルーサをたたき、ヒルデブランドを捕らえるのが最優先だと、わたしは考えます」
「そなたの言い分はもっともだが、そんなことが実行できると思うのかね!? あのラヴァルーサを数日で陥落させたやつらなんだぞっ」
ヴァレンツァにもどることに意識をとらわれて、その先を考えていなかった。
ヴァレンツァで態勢をととのえるとして、ラヴァルーサのヒルデブランドにぶつかるのは危険かもしれない。
「ロンゴ殿の言う通りです。わたしの思い描く構想は、実現性のないものでした」
「そうだろう。むむ、では、どうすればいいのだ……」
「彼らは数が少ないとはいえ、意気が盛んです。士気の高い者たちを倒すのは、ドラゴンスレイヤーとて容易ではありません。ならば、敵の士気をくじくのが最優先事項にあたるのかもしれません」
ロンゴ殿の鼻筋に、一筋の汗が流れ落ちた。
「敵の士気を、くじく?」
「はい。敵が城や都市を占拠すれば士気が上がるでしょう。逆に、奪取した城や都市をうしなえば、彼らの士気は下がっていきます」
「ようするに、ミランドやパライアの防衛を優先するということかね」
「はい。ラヴァルーサを速攻で落とすというわたしの考えは、実現性に乏しいものでした。それならば、周辺の拠点の防衛、または奪取を優先する正攻法がよろしいと存じます」
俺の今の言葉が、ヴァレダ・アレシアの東の未来を大きく左右する。
胸の中で動いている心臓の鼓動が、早くなっているような気がした。
「わかった。そなたの言う通りだ。その言葉に従おう」
「お聞きいただき、ありがとうございます」
「わたしもふくめ、皆、目先の戦いに意識をとられている。だが、そなたの言葉で大局を見つめる重要性にあらためて気づかされた。どうか、わたしたちを導いてくれ」
ロンゴ殿が姿勢をただして、頭をしずかに下げた。
ビビアナが目を見開いて、俺とロンゴ殿を何度も見くらべていた。
「頭を上げてください。わたしも今日の会話で、自分の無謀さを思い知りました。わたしに間違いがあれば、ためらわずに指摘していただきたい」
「ふ。陛下の寵児とささやかれるそなたに、真っ向から意見できる者がこの国にいるのかな。まあ、いい。今はこまかいことを言っていられる局面ではない。力を合わせて、この局面を乗り切っていこうではないか!」
ロンゴ殿が立ち上がって、俺に手をさし出した。
その手を、俺はかたくにぎりしめた。