第二話 ヤバそうだ……
☆ミミミ てぇぇぇぇいっ!
「コォォラァァァァァッ!! シューゴォォォ! そんなんじゃ誰も守れやしないよっ! ちゃんと走りなァ!」
「ぜぇ……ぜぇぇ……オぇ……違う。こんなんじゃ……俺の……理想の……異世界生活が……ぜぇ……」
「喋る余裕はあるみたいだねェ! カイトもドールもついでに十周追加だよッ!!」
元高ランク冒険者である母上の怒声が飛ぶ。それが、この家での日常だ。
もう何十周家の庭を走ったか覚えていない。ただただ体力作りの為にと走らされている。
初めまして――芳野守改めシューゴ・イル・ライトです。まだ齢五歳です。茶髪です。ブルーの瞳をしています。
「バカシューゴ! 増えたじゃないかっ!」
「兄ちゃん! しっかりしてよぉ」
二歳離れた兄カイトと一歳下の弟ドールから睨まれる。二人は兄弟だけど父上似で髪はブロンドヘアーで瞳の色はブラウンだ。
そんな二人に責められたとしても、ただただトレーニングをさせられるこんな日々には文句の一つも言いたくなるというものだ。
五年前――台風の日にじいちゃんの代わりに畑の様子を見に行った十五歳の夏、俺はそのまま気付いた時には死んでいた。
正確には、気付いたら女神様の目の前に立っていたから死んだという実感は無いまま、いつの間にか死んでいた。きっと一息に死んだのだろう。
そしてなんやかんやあって……日本のポップスにハマっているらしい女神のお情けでこの世界に転生を果たした。だいぶ、雑だった気がするけど――――。
『ウォウウォウ~……あーはいはい、死んだのね。へぇ……かわいそっ。ズンチャズンズンチャッ……えー、貴方、何か好きな物はあるかしら?』
「え? あー……餡子?」
『暗号? ちょっと意味分からないけど。チャッチャチャ~……何かこういうのあったら良いとかある?』
「そうですね……一瞬で食べ物が出たり、風呂入った後みたいにサッパリできたり? そんな事は思いますけど……あの、とりあえずヘッドフォン外せたりしません? 聞き間違えてますよ?」
『ふんふふーん。ん? 何か言ったかしら? まぁ、いいか。じゃあ、次は死なないように生きるのよ? 貴方、飛んできた看板に当たって死んだから……いろいろと能力を授けておくわ。とりあえず感謝して崇める様に。では、お行きなさい――』
……だいぶ省略したけれど、だいたいそんな感じで、訳も分からぬ内に俺は転生していた。
そして今、護衛業を営んでいるというこの貴族の家の次男として生活している。厳しい修行と共に。
「はぁ……はぁ……くそっ、俺は宿屋のユキちゃんと結婚するんだ。そして、この家とはおさらばするんだっ……」
「シュゥゥゥゥゥゥゴォォォォォッ!!」
「ヒィィィ……」
その後も母上の気分でぶっ倒れるまで走らされて、今日のトレーニングは終了となった。
我が家の特殊な仕事の関係で最低限の強さを手に入れなければならない俺達兄弟は、日常的に母親の鬼の様なトレーニングをさせられている。
――貴族御用達の護衛派遣。それが、我が家の生業である。
俺達兄弟以外にも従業員は多く在籍している。奴隷を買って鍛える事が多く、母親の指導のお陰で質の良い護衛が多いということで、値段は張るけれど貴族の方々にはよく依頼されている。
俺達兄弟は直系ということで、特に厳しい訓練をさせられているのだ。
「…………ただいまぁ」
――この、何の変哲も無い自分の部屋だけが唯一のオアシスであった。
一瞬で身体から汚れを消してベッドにダイブする。女神様が与えてくれた能力は、転生者が生きていく上でかなり便利なモノであった。こんな生活で無ければもっと楽しい異世界生活を送れていただろう……。
『今日も大変だったねぇ』
「身体中が痛いよ……モフモフさせてくれポンちゃん」
ポンちゃんは俺が飼っている犬。飼っているというか、主従関係の無い友達みたいな存在だ。
こうして話せているのも、女神様が与えてくれた『暗号』という能力が奇跡的に良い能力だったお陰である。自分以外の何者かとパスを繋げて会話が出来るという不思議な能力。
繋げた者同士でしか言葉を理解し合えないという能力だが、一度に複数と繋げられる為、繋げる一手間があるだけでそこまでのデメリットでは無い。
そしてもっと嬉しかったのが、食事だ。材料と作り方さえ知っていれば――俺は魔力を料理に変換することが出来る。この食魔法については本当に女神様に感謝している。……例え、他の魔法が使い物にならないレベルだとしても個人的には圧倒的に欲しい能力だった。
『シューゴ、撫でて撫でて!』
「はいはい。実はね、ポンちゃん……俺は、あの夏休みが終わったら幼馴染に告白しようと思ってたんだぁ。でも無理になっちゃってさ……この世界では絶対に結婚してやろうと思ってるんだよ」
『番だね! ねぇねぇ、僕のお嫁さん連れてきてよ!』
「いや、犬の美的価値観とか分からないし……それは自分で見付けて?」
動物と話す違和感にはもう慣れた。人はだんだんと順応していく生き物で、この異世界にも魔法にも、およそ不思議と言われるコトと直面してもパニックに陥らない程度には冷め始めている。
最初に魔法を目の当たりにした時には興奮もしたけれど、慣れたらただの身体機能に過ぎない。
みんな生きる為に必死で、根本的な部分は元居た世界とあまり変わらないと分かってからは俺も生きる為に頑張り始めた。今度こそちゃんと寿命を全うする為に……。
(なのに……こんな他人に命を捧げる様な家に生まれちゃったんだよな。育てて貰ってるし両親は良い人だし兄弟達も仲良いし、自分の能力に合う仕事だから向いてるし……)
いろんな理由があって、キツいけれど自分に合っているとは思っている。
前はただの学生で、何も考えずに日々を生きていただけだった。それはそれで幸せだったのかもしれないけれど、今こうして、生きる為に必死に毎日を過ごす日々は……なんか、充実している。それほどイヤじゃなかった。
犬のポンちゃんも鳥のパピーも他にもいろんな友達が出来たしな。
「おーい、シューゴ。父上が呼んでいるぞ」
部屋でポンちゃんとゴロゴロしていると、ノックする音と兄上の声が聞こえてきた。
「兄さん、俺はもうダメだ……一歩も動けない」
「お前もこの前五歳になっただろ? 初任務についてだろうから急いで向かえよ? 伝えたぞ」
兄カイトは頭が良い。元の世界の知識を切り離して考えると、転生者の俺よりもよっぽど賢い。同じトレーニングをこなしつつ、将来この家を継ぐ為にいろいろと勉強していて尊敬できる兄だ。
弟は弟で、俺よりもよっぽど将来が楽しみな才能を持っている。兄が事務的な作業を行い、弟が実働部隊として動くのだろう。
俺はきっと……その補助にでもなるのだろう。生きていればだけど。
初任務が五歳なんて俺の持つ常識では考えられない事だ。けど、まずもってこの家は普通じゃない。貴族の命を守る為に強く在らねばならないのだから普通でいちゃいけない。
「ちょっと待って兄さん、うちも一応は貴族なんだよね?」
「一応な。だが、仕事は仕事だ。子供だからって理由で許されはしないんだ、俺もお前もドールもな」
「はぁ……凄いよ兄さんは。俺と二つしか変わらないのに」
「シューゴ、俺達の指導役は誰だ? あの母上だぞ? あのトレーニングで死んでないということはちょっとやそっとの危機じゃ死にはしないさ。自信を持っていけ、それが日々の辛いトレーニングの意味だ」
「……うわっ、出た理屈詰め。兄さん、そんなんじゃ頭の固い人になっちゃうよ? ……というか、トレーニングを思い出すと吐き気が。兄さん、俺はもうダメだ……父上には」
「はよ行け。バカ弟」
兄さんは本当に頭が良い。もう俺の下手な演技には構うことすらしなくなった。
俺はしぶしぶベッドを降りて、ポンちゃんを連れてこのライト家の現当主である父親のホール・イル・ライトの書斎へと向かった。
――何故、あんな怖い母上と結婚したのかと父上に聞いた事がある。
「私に無い強さを持っていたし、一目惚れしたんだよ」
柔和な笑みを浮かべてそう教えてくれた。
確かに父上は戦闘面的に強くない。どちらかと言えば部屋で執務を行う文官ダイブであった。当然、まったく動けない訳ではないが、向き不向きの問題で強かった母上と結婚して育成の全ては任せたらしい。
今は経営や他の貴族との折り合いなど、俺が面倒だと思う仕事をバリバリこなしている。いずれ兄上がその役目になると思うと長男じゃなかったのは本当に助かったと思っている。
「父上、シューゴです」
『僕も居るけどねー』
きっと父上にはワンワンとしか聞こえてないが、自分の存在も伝えられる賢いポンちゃんだ。
部屋の前で待っていると「入れ」と返ってくる。
ドアを開けて執務室に入ると、普段は忙しそうな父上が書類にサインをしている訳でもなく、ただガラス窓のある方を向いていた。
その後ろ姿を不思議に思いつつも、ドアを閉めたその位置で父上側から話があるまで直立して待機する。
「………………」
初任務の事が言いづらいのか沈黙が続いた。
おそらく簡単な任務には違いない。けれど、下手すれば息子の一人が死ぬ。それが分かっているからこそ言い淀んでいるのだろう。
母上は怖いが優しい人だ。父上は普通に優しい人だ。だから母上の様に厳しい言葉を吐くのを躊躇っている。
好きだ。真面目で優しい父上は、他の傲慢な貴族と比べてもかなり好きだ。だから任務については遠慮せずに言って欲しい。
そう思っていても伝えない。まだ父上が喋り出さないから。
「………………ふむぅ」
これは……どっちだ? 喋った? いや、それともただの呼吸か?
……長い。いつもはこんなに長く溜めることは無い。それでも待つしかない。それがルールだからだ。護衛はガンガン行かない。ジッと待機して自分と相手との立場を弁えなければならない。
「………………シューゴ」
「――はっ! どのようなご用件でしょうか父上」
「ゴメン。マジヤバイ。ゴメン……ゴメン」
父上は窓の外を見ながら、ポツリとそう言った。こちらに顔を見せようとしない。
俺が前に教えた若者言葉を早くも使いこなす父上の柔軟性に、ちょっと驚いた。
そして、父上が取り乱す程の依頼について、逆に、興味が湧いてきた。