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サンジェルマン  作者: 広尾
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昇華する死

 齢幾百と生きてきた。事多くを知り得ず人でなく歴史を持って我を知る。忘れてしまった人たちを思い出そう。引き出しには幾らでも、好きなものを選んで取っていけばいい。

「出井さん。聞こえますか、」

「出井さん」

白色がかった眩い光が場を包むように、それでいて覆い隠すように場いっっぱいに強く発光していた。朦朧とした私には、霞がかった朝焼けの海をゆるりと上るように、空かもしくは天国か、見えない階段を上って行くように光源をただジッと見つめていた。呼ばれた声は何だったのだろう。「出井」「出井」」」意識の混濁した中、私は声の方へ無意識に目を向けた。

「おはようございます!出井さんが目覚めたぞ。先生の方へ早く連絡を回して」

 そう言った主はというと何処かの方へ目をやっては慌ただしく他所へ指示を出していて、呼ばれたであろう何人かもまた、同じように各々の作業に必死になっていた。

「出井…」

 親しかった人や嫌な人の顔、今みたいに血気に働いた職場の風景が、頭の中でそう反復する度に思い出すことが出来た。こうしている間私の頭は次第に冴え渡り自分の置かれている状況がようやく飲みこめてきたのだった。

 出井とは私の名だ。そしてここは治療室で、すると今しがた終わった所か。

「アイツの治療とはいえ、やはりハラハラするものがあるね」

 あの声の主に私はそう話しかけた。

「出井さん。おめでとうございます。」

「手術は無事成功しました。後は別室に先生が待機してますので、そちらでお話して無事退院ですね」

「アイツはもういないのか」

「はい、先生は別の方の治療に移るため、先に空港へ行かれました」

他の医師が私の身の回りに付いた管を取り除くと、私はようやっと起き上がり棺の様な形をした手術台から降りるのだった。

 美容矯正手術。脳の機能は我々の人体よりも数百年も長く生きる事が可能であり、人体の衰退年数(造語)が明確になったため全身の細胞を活性化させほぼ全ての人体を新調する事が可能になった。しかし、それは人類の寿命を爆発的に伸ばすことに他ならない。ようやく近年になって、地球における人口問題が解決した中でその事を世間に公表することは多大なリスクだと考えた私や、その他の議会に集まった者はそれを鑑みてその手術に対する容認派の数名を人柱として新しい人生を送ることに決めたのであった。

 ようやく自由になった私は指示通り先生の待つ部屋へと向かった。

「こちらの方で先生がお見えになってますので中へどうぞ」

向けられた一室の方へと向かうと確かに一人、朗らかな、眉間より目じりやほうれい線に深いしわ作った齢4、50に見られる優しく医師というにはあまりにも世俗的な男性が座っていた。

「心理士の中野です。今日はいくつかの質問をさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願いします」

うかがえる人の好さから椅子に腰かけると数刻開けて答えられて私は自然に「よろしくおねがいします」と言われるがままにそう答えた。

「まず、この療養についてお話します。この治療ではいくつかの質問をさせて頂きます。この治療による会話は録音され、記録されています。この記録に関する所有は研究機関によって責任を持って保持されますが、貴方や属する企業にとって何等かの不都合があった場合、録音されたデータの所有権は出口様に有りますので何時でも削除する事が可能です。またこの治療に対して不快感や完治したという実感があった場合など、何時でも中断することが可能です。その点について同意していただければこれから質問の方に入らせていただきますが何か質問はございますか」

「記憶があいまいで、この治療の意図が分かり切っていないのですが、私には何か精神疾患の類があったのでしょうか」

「治療の副作用として脳に障害があるかどうかを確かめるのもこの治療の目的の一つとしてはありますが出口さんにはそういった精神的な症状は過去、見られませんでしたよ」

「この治療の主な目的は手術によって混濁した意識を呼び起こすことにあります。なのでこれから質問する内容は他愛もないことに思われてしまうかもしれませんが、率直な答えをリラックスしてお答えください」

そう言われて私はフッと力が抜けた。

「それ以外に質問などがありましたらお答えいたします」

「何でも結構ですよ」

私は首を横に振り治療を始めていただくように促した。

「貴方の名前を教えてください」

「出口裕介です」

「あなたの生まれた場所、もしくは育った場所は何処ですか。それはどういう風景だったかを思い浮かべて教えてください」

「あの頃は草花の匂いが分かるようなでも陽がさして穏やかな所だったと思います。」

「それは良いところだったでしょうねぇ。今は何処も開発されてしまってますからね」

「ええ。今となっては珍しいでしょうが当時はままあったんですよ」

「県名や町の名前は思い出せますか」

「宮城県の栗原市です」

「あそこは紅葉が奇麗ですものね。東北となると子供の頃はスキーなんかをやられてたんですか?」

「いえ、私は運動はからっきしでダメでした。それに寒いのが苦手でね、冬になると憂鬱なんですよ」

「では冬よりも夏の方が好きだったのですか」

「いえいえ。都会に人でも極端に気温の変わる季節は嫌でしょう。別に紅葉が好きってわけじゃないですが秋が一番好きでしたね」

「それでは春は花粉が駄目ですか」

「そうですね。こっちに来てからというもの、子供の頃は大丈夫だったんですが今はもう駄目で」

「では他に、貴方の趣味は何だったか。どんなことでもいいので教えていただけますか?」

「何か誇れるような趣味だったら良かったんですが、働く内に時間が無くなっていってしまって。仕事終わりの夜に家で音楽を聴くこと位でしたかね」

「昔はギターなんかを弾いてたんですよ」

「それは凄いですね。ではそちらの方が運動よりも才能があったんですね」

「そうですかね。もっと才能があればそれで食っていけるぐらいにはなれたんですかね」

 昔やりたかった事や憧れた夢を思い出すと私は今の私とはまるで違う姿になってしまったなと改めて実感した。憧れた人は誰もが破天荒で安定なんてしていなかった。事業を拡大させるまでの苦労は当然あったが成功してしまえば後はどうだったか。残ったのは選ばれたレールの元に定められた道のり、そして今となっては決められた人生を歩もうとしている。

「では貴方のなりたかった職業は何でしたか」

思いふけった私はとっさに答えられず戸惑った為慌てて質問を返した。

「それは既になっていますが1つの企業の経営者です」

「私からも質問させていただいてもよろしいですか」

 私にはこれまでの質問の意図が理解できた気がしたからだった。

「いいですよ」

心理士の先生は思う事が何も変わらないかのように絶えずほほ笑んでいるかのような表情でそう答えた。

「今は花粉症なんて珍しいでしょう。開発が進んで木々が見えなくなってしまったから病名も変わりましたでしょ」

「そうですね」

「今何年ですか、私は何か月、いや、何年眠ってました」

「今は2*〇/年です。安心してください。順調に手術は進んで3か月で終わりましたよ」

「良かった」

「では、いままでの質問の意図は自分のこれからの人生を決めるためのものではないでしょうか」「だとしたら・・」

「安心してください。これ等の質問は出井さんの容体を確認するための記録として残すためのものです。これから出井さんがどういった人生を送りたいかは質問の後に正式に書類に記入して決まります。」

「つまりこの会話は私の仕事に必要なものだというだけです」

もし私の頭がおかしくなっていたらと不安になっていた私に先生は変わらない口ぶりでそう答えた。

「安心してください」

「他に不安に思うことがなければ次の質問に移りましょう」

 小1時間の質疑を返し、質問は確かに自分の身の上やこれからどうしたいかというものばかりだった。

夢うつつにあった私の記憶も次第に冴えてようやく私は胸をなでおろすかのように深く息を吐いた。事実は小説よりも奇なりと云うようにコールドスリープされた、時代において行かれた人間にはならずにいた事にホッとしていた。

 冷静になるに従い理解できることも増えていった。長い質疑により解ったことは自分がある企業の元経営者であったこと。跡取りもなく、次の担い手として任せられるような者がなく、まだ死ぬ前に育てたい人がいた事、それらを理由に私は幾度も被験者として若返った事を思い出した。

 若返りにも限りはある。しかし後悔はしていなかった。例え今回が最後の若返りになるとしてもそれは変わるはずはなかった。出井はもう400年も生きていた。予定では寿命は最高でも500歳が限度であった。これが最後の若返りである。覚悟はしていた。いや覚悟しなければならないと、人らしくいつかは死ななければならないと心に決めていた。だが言い出せずにそっとしまい込んだ事や、子供の頃の漠然とした、現実的でないと逃避した夢が溢れる程に蘇った。

「音楽がやりたかったんだ」

 思いがけずそう口に出していた。そう思わずにはいられなかったのだろう。

 冷静であるつもりが知らないうちにその思いは涙となって止めど無く溢れていた。夢は流れ落ちる程に重く私の中に数百年と残ってくれていたのだと感じた。

 そんな私を見てか先生は話に合った書類を取り出して答えた。

「それでは最後に貴方のなりたい今後の人生について再度確認させてください」

 私はあの頃なりたかった、あの頃の夢を答えた。

「俺はバンドが組みたい。小さいところでもどんなライブハウスでもいい。憧れたようなアーティストになりたい」

数回も送ったはずの奇特な人生ではあったが、今始まる一生に今一度緊張を覚えた。それは子供の頃より憧れたアーティストへの敬意の表れでもあった。

 ♦

 施設を出た出井はいくつかのルールを頭の中で何度も反復していた。

・年に2度、全世界の重鎮を集めた会議があり、それに参加する事。

・身の安全のために与えられた住居に住むこと。

・自身の周りには部隊が存在し、存在を怪しまれないよう影響を与えない範囲で保護するため部隊からの意図的な潜伏や独断による解除命令(安否確認のため)

・食事は与えられるものを必ず食べ、外食や自身で作る際は販売元を予め報告するか定められたルートからのみ受ける事などがあった。

 家に着くと規定のもの以外は紙に書いた指示通り何もなく引っ越したようにがらんとしていた。

これからようやく新しい人生が始まるのだと胸を高鳴らせた。

ここまで

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