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閑話:婚約者の長い追憶【前編】

遅くなりまして申し訳ありません。

しかもまだ終わってないという。

後編もなるべく早めに書き上げます。



 ――初めて出会ったのは、婚約者としての顔合わせの時だった。

 エルヴィユ公爵との縁談の話があると聞いて、自分はまだ九歳なのに大丈夫かと思わず心配になった記憶がある。

 エルヴィユ家とグリエット家では、家格こそ同じなものの、グリエット家は比較的歴史が浅く、向こうは旧くから続く家柄なのだと言う。

 グリエット家は、旧い大貴族との繋がりが持て、エルヴィユ家は三色持ちの魔力の強い子の血を入れることが出来る。双方にメリットがある縁談なのだと、父親は嬉しそうに語っていた。

 第一印象は、『人形みたいな子』だった。

 顔立ちはとても整っているが、その表情はぴくりとも動かない。何の感情も見えないその目を前に、向こうも乗り気でないようだし、無難にやり過ごそうと早々に決めた。

 お互いに名乗り合って、適当に会話したらそれで終わり。幸いにも婚約は自分達の自由意思に任せると言ってくれたし、無理しないで早めに断りの言葉を返そう。その思惑は、あちらの彼女の思いもよらない一言で覆された。


『嫌な笑顔ですね。そんな貼り付いたような笑顔なんてしてないで、子どもは子どもらしく笑ったらどうですか』


 恐ろしいまでの無表情から放たれる、こちらを切りつけるような鋭い一言に絶句し、次いで、自分より明らかに年下の少女がそんなことを言うのがたまらなく可笑しかった。

 まさか自分の愛想笑いにダメ出しを受けるとは思わなかった。しかも先程から表情が全く動いてない相手からだったのがダメージを倍加させた。君がそれを言うのか、と。おかげで、生まれて初めての大笑いをしてしまった。


 ――この子の、笑顔が見たいな。


 脳裏をふっと過ったその思いが、彼女、フランシーヌと自分との婚約を決意させた。

 この可愛らしいが愛想の無い少女が、どんな顔で笑うのか、たまらなく知りたくなったのだ。



 しかしその願いは、程なくして叶うことになる。

 勉強が好きだという彼女なら、それ関係で話を振るなり勝負を挑んでみれば、その表情を変えるんじゃないかと踏んだのだ。ということで、手始めに知恵比べで勝負を挑んでみたところ、勝ちを収めた彼女は、笑顔を浮かべたのだ。恐らく、注視していないと気が付かないほどにほんのりと。そしてフランシーヌは、どうやらそのことに無自覚なようだった。

 この笑顔もいい、悪くない。そう満足するのは簡単だったが、ベルトランは欲が出た。どうせならもっと……こんな、注視してやっと分かるくらいの微かな笑みでなく、はっきりと笑う様が見てみたい。その笑顔はきっとこれよりも、もっとずっと可愛いに違いないから。

 という訳で、ベルトランはフランシーヌの元に通い詰めた。毎日のように足しげく。恐らくフランシーヌは自分がさぞかし余裕で通っているように見えただろうが、その実態はかなりぎりぎりであった。

 貴族としてのマナーやらダンス、一般教養に武術の訓練。それらをこなした上で、フランシーヌに負けないくらいの知識を身に付けなければならない。一歳年下の少女に負けるなど、自分が許せない。

 彼女との勝負は五分五分であったが、それでも続けたのは意地もあった。それに通ううちに、彼女の表情が柔らかくなっていくのをベルトランは見た。

 最初は勝負に勝った時にだけ浮かべていたそれが、いつしかベルトランの顔を見ればはっきりとしたものとなり、そのうちに自分と過ごす時間の殆どで笑ってくれるようになった。

 そのことに喜びを覚える反面、ベルトランは彼女と過ごすうちにある確信を得ていた。


 それは即ち――彼女の魂はこの世界のものではない、ということ。


 稀に、この世界には異世界からの魂が訪れる。

 大抵のものは若くして死んだ人間のもので、未練と後悔にまみれたそれは魔物を呼び寄せ、取り込まれて強力な魔物と化す。生まれ変わりなど、奇跡でもなければ起こり得ない。そしてベルトランは、フランシーヌがその奇跡的な運の良さの末にこの世界に生まれ落ちた、異世界の魂の持ち主でないかと考えていた。

 その理由は彼女の異様なまでに落ち着いた言動と、深すぎる知識にあった。勉強が好きで、暇さえあれば本ばかり読んでいるとのことだったが、それを差し引いても八歳の少女にしては知識が異常だし、時折この世界のものではないと思われる知識も口にしていた。

 それに異様に達観したかのようなことも言ったりするし、異世界からの訪問者と思われる人物の伝記に、妙な反応を示したりもしていた。

 性格も、両親であるオルタンス、クリストフどちらにもまるで似ていない。たおやかで優しいオルタンスと、暖かい大きな人柄であるクリストフ。そんな二人から産まれたにしては、あまりに言動が淡々とし過ぎているし、表情がまるで動いてないのも気になった。

 故にベルトランはフランシーヌが異世界の魂の持ち主だと早々に気が付いていたが、それを指摘するつもりはさらさらなかった。

 フランシーヌ本人があまり知られたく無さそうであったのと、恐らく彼女の生前は幸せなものではなかったのだろうという推測が立ったからだ。

 好きだと言い張る勉強をしている時の顔は、ベルトランから見れば到底幸せそうなものには見えず、家族にもどこか引いて、怯えるように接していることから、蒸し返してもろくなことにはならなさそうで、だったら触れない方が余程良かった。

 そんなことよりも、フランシーヌに知恵比べを挑んで勝敗に一喜一憂する彼女を見ている方がずっと楽しいし、見ていて飽きない。

 考えてみれば、この時にはもう恋に落ちていたのだろうなと感じる。ほんの僅かしか動かない表情が、笑みの形を作るのを、まるで宝物のように感じたその時から。

 自覚したのはもう少し後、学園の初等部に入学する日が近付いていたある日のことだった。その日はそう、フランシーヌの母親であるオルタンスに呼ばれたのだ。二人きりで話したいことが有るから、後で執務室に来て欲しいと言われ、何だろうと不思議に思いつつ、フランシーヌとの時間を過ごした後に、そちらへと向かう。

 人払いをされた執務室で、オルタンスの座るソファーの対面を勧められ腰を下ろしての開口一番、彼女は軽く頬を膨らませて見せた。


「もう、ベルトラン君ったらずるいわ。貴方ってば一体どんな魔法をあの子に使ったのかしら?」

「え……あ、はい……?」


 出された紅茶に出そうと伸ばしかけた手を硬直させ、何を言ってるのかと目を丸くする。魔法って何のことだ、まるで心当たりがない。

 いくら年齢よりも落ち着いて見られるとはいえ、ベルトランはまだ当時十歳の少年である。まだまだ、突拍子もない出来事に対する耐性は出来上がっていなかった。


「もう、惚けるのね。でも残念ね、あいにくだけどお見通しよ。貴方がどんな魔法を使ったのか、私はちゃーんと分かってるわ」

「オルタンス様……その、何を……魔法なんて、僕にはまるで心当たりが有りませんが……?」


 珍しくも訳がわからないという様子を見せるベルトランに、オルタンスが上機嫌に笑う。それを見て、自分はもしかしなくてもからかわれたのかと目を丸くした。


「ふ、ふふ。あら自覚がないのね。それじゃあ教えてあげるわ。これはね、きっと貴方にしか使えない魔法よ。それはね……」


 詠うようにオルタンスは、ベルトランへとそれを告げる。まるで悪戯を告白する、童女のような表情で。


「それはね、恋の魔法よ。私にもクリストフにも、きっと他の誰にも使えないわ。貴方だけの、愛しいフランへの恋の魔法だわ」

「こ、恋……ですか?」


 オルタンスの言葉に、頬が熱を帯びる。恋の魔法なるものが本当に存在するのか。 何だかとても、恥ずかしさを覚える。


「ええ、そうよ。その魔法がね、あの子を笑顔にしたの。でもね、ずるいわベルトラン君。あの子ったら、私達の前だと殆ど笑わないのよ。笑うのは、君に対してだけなのよ。もう、本当にずるいわ。私達だって、負けないくらいあの子を愛してるのに。全く、どんな魔法を使ったのかしら?」

「フランが……笑うのは……僕に対して、だけ……?」


 オルタンスの言葉を繰り返した瞬間、顔が沸騰したように熱くなる。それが意味するのはまさか、もしかして。


「あら、ベルトラン君でも照れるのね。ふふふ、その顔が見られたから、ちょっとは許してあげる」

「あの……オルタンス様……その……」


 それを口にするのは勇気が要ったが、それでも言わずにはいられなかった。今しがた気が付いたばかりの、自分の気持ちを。


「なあに? ベルトラン君」

「もしかして僕は……フランのことが好きなんですか?」


 顔を赤くしながら、やっとの思いでそれを口に出せば、オルタンスは少しの間呆気に取られた様子でベルトランを見、ついで弾かれたように笑いだした。


「あはははは、ちょっとベルトラン君……君ってばもう、案外鈍いのね! ……フランといい勝負だわ」


 しばし笑った後に、最後の一言をしみじみと口にする。いよいよ本題かと、ベルトランは僅かに身を固くした。


「……ベルトラン君は、気が付いているわよね? あの子の魂が、異世界の人間のものだって」

「はい」


 唇を引き結び、しっかりと頷いてみせる。ここ一年程で感じた彼女に対する不自然さなど挙げればいくらでも思い付く。確かに荒唐無稽な話では有るのだが、それでもこの世界の他の世界との境界の薄さを思えば、決してありえないことでもないのだ。


「あの子を呼んだのは、死んだ私の娘なの。ちょうどその時ね、私の娘が死んだばかりのあの子の魂を見つけたのかしら……自分の魂が抜けた、産まれたばかりの身体をあの子にあげたのよ」

「それじゃあオルタンス様は……死産だったのですか……?」


 ベルトランが目を見開くのに、オルタンスは微笑んで首を振る。


「違うわ。あの子は間違いなく私の娘よ。ちょっと変わった魂を持った」

「……そう、ですね。フランは、フランです」

「それとベルトラン君、これも貴方は気が付いているかしら。あの子の魂は、深く深く傷ついているということに」

「……はい。そしてオルタンス様……フランは、自分ではそのことに気が付いておりません」


 彼女の魂が本当に無垢でまっさらな赤子のものであったならば、あそこまで表情を捨て去ることなど有り得ないだろう。家族に、特に母親に対し、どこか恐れるような態度など取らないだろう。勉強が好きだと言いながら、あんなに鬼気迫る様子なのは明らかにおかしい。しかし彼女は、その全てに無自覚だ。だからこそ、注意深く見てないと見落としてしまいそうだった。


「あの子の魂は傷ついて、深く深く傷ついて、それが常態だったから、自分ではそれに気が付いていないんだわ。と言うか、気が付くのが怖いのね、きっと。だから傷ついていないことにして、自分の心を守ってる。あの子の無表情はその結果だわ。だからねベルトラン君、私は確信しているの。()()()()()()()()()()()()。……母親としてお願いするわ。あの子を、どうか、救って欲しいの」

「……言われなくとも。でも、本当に僕で良いんですか?」


 僅か十歳の少年の対して、かける期待が大きすぎはしないだろうか。そう逡巡するベルトランに、オルタンスはにっこりと笑いかける。


「言ったでしょうベルトラン君。フランが笑うのは貴方の前でだけよ、って。本当に悔しいわ。まったく、君ってばとんでもない魔法使いね」

「いえ、あの、その」


 からかわれているのだと理解にいても、照れる。頬が熱い。顔から火が出る。同時に、ベルトランは己の気持ちを悟らざるを得なかった。フランシーヌに、恋心を抱いてるのだと。


「あの子は、自分の心を守る為に無意識に自分の感情に対して鈍くなっているところがあるの。だから多分、気が付いて無いのよね。自分がベルトラン君に対してだけ表情が柔らかくなってることとか、その理由とか。それから、きっとだけどあの子()()は私達より年上だと思うのよね。だから、気が付きたくない、と言うか認めたくないんじゃないかしらって思うのよね。ベルトラン君に恋をしてることに」

「フランが……僕に?」

「そうよぉ。気が付いて無かったのかしら。まぁ婚約者だし、交際は認めるけど、節度は守ってね?」

「お、オルタンス様!?」


 瞬時にまたも真っ赤になるベルトランを前に、オルタンスは上機嫌にころころと笑う。


「あら可愛い顔をするわね。可愛い娘を取られる母親の恨み、とくと味わいなさい」

「わ、わか、分かりましたから勘弁してください! フランは僕が責任持って幸せにしますから!」


 普段はフランシーヌの前で必死になって取り繕っている仮面が剥がれ、年相応の少年の顔を覗かせる。オルタンスはその様に満足した様子で、優雅に紅茶を傾けた。


「ええ、きっとよ。お願いね。貴方がフランの婚約者で、本当に良かったわ」

「……もったいないお言葉、ありがとうございます」


 何だかひどく疲れる時間だったと、温くなった紅茶を一息に飲み干してベルトランは息を吐く。やはり自分より年上の女性にはまだまだ勝てないのだな、と渋い顔になった。

 礼を告げてオルタンスの執務室を辞去し、廊下に出たところで当のフランシーヌとばったり遭遇してしまう。


「あ、ベルン、お母様とのお話は終わったのですか? 今から帰るとなると遅くなるでしょうし……夕食を一緒にしていくかと聞きに来たのですが」

「ふ、フラン……」


 つい先ほどの話のせいか、フランシーヌの顔がまともに見られそうに無いのと、いつものように表情を取り繕うことが出来ずに、動揺をさらしてしまう。しかしそれが自分の母親のせいだと思ったのか(決して間違いではないが)、ベルトランのすぐ後に出てきたオルタンスを軽く睨み付けた。


「……お母様、ベルンに何の話をしたんですか?」

「ふふ、将来の話を少しね」


 自分越しに交わされる言葉にいたたまれなさを感じ、ベルトランは慌てて頭を下げた。


「す、すいませんが今日は帰ります、用事を思い出したので!」


 そのまま、後も見ないでベルトランは帰宅したのだった。

 だって今の、間違いなく真っ赤になっている顔など、フランシーヌに見られたくないではないか。故に、後に情けないと罵られようと――この時ベルトランは敵前逃亡したのであった。


 余談だが、この時の出来事からベルトランはなるべく使用人に送迎されないよう、学園に入学したら真っ先に竜に乗れるようになろうと決意したのであった。

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