21.災厄の前兆
「――マクシミリアン殿下!」
帰り支度をしようと動き始めた私達の元に、切羽詰まった叫びと共に一人の女性が転がり出てくる。年は私達より少し上だろうか。長い赤毛を振り乱し、青い目にいっぱいの涙を溜め、よほど急いでいたのか貴族らしい上品なドレスは裾が汚れ、枝にでも引っ掻けたのかあちこちがほつれてしまっていた。
「……オスマン子爵……いえ、今は竜と結婚したことから陞爵して伯爵でしたね……どうなさったのですか?」
慌てふためく彼女を落ち着かせるように肩に手をやり、マクシミリアン殿下が柔らかく微笑む。しかしそれもあまり効果はなかったらしく、オスマン伯爵らしき彼女はその場に膝を付き、額を地面へと擦り付けた。
「申し訳ありません! 申し訳ありません! こちらに出現した魔竜……あれは私のせいなのです!」
「……何だと?」
マクシミリアン殿下の顔に険しさが増す。それを涙目で見上げ、オスマン伯爵は声を震わせた。
「あの魔竜……色無しのドラゴンは私の子なのです。昨年夫と結婚し、早速子を授かり、どんな子が産まれてくるのか、今か今かと楽しみにしておりました。しかし……しかし産まれたのは色の無い竜! それを見た私は頭が真っ白になり、どうしたら良いか分からずおろおろしてるうちに……我が子を見失ったのでございます……!」
「なんと……それは……」
殿下が絶句し、顔色を失くす。私もまた衝撃で、思わず手を握りしめていた。
「無論、頭では分かっておりました……『色無し』は全て産まれてすぐに殺さなくてはならない。でなければ魔物の核とされ、魔竜となって災厄を撒き散らすと……しかし、愛する夫との間に産まれた初の我が子を殺すことがどうしても出来なかったのです……! 大変申し訳ありません、殿下……よもや学園に現れ、皆が学ぶ大切な校舎を、危うく台無しにするところであったなどと……! 全ては私の罪でございます! どうか如何様にでも、罰してくださいませ!」
大粒の涙を零れさせながら、オスマン伯爵が殿下へと訴える。その様に、殿下はどこか悔しそうに唇を噛み締めていた。
「オスマン伯爵……どうか顔を上げてください。確かに貴女の子である竜は、ここで暴れ、裏庭の一角を焼き尽くす結果となりました」
その言葉にベルトランが唇だけで(やったのは主に殿下だけどね)と呟いてるのが見えたが、私は見なかったことにした。
「しかし、それだけです。幸いなことに、一人の負傷者を出すこともなく事態を収めることが出来ました。貴女の行動は、愛する我が子を想ってのことでしょう。であるならば俺は、貴女を罰する言葉を持っていません。むしろ、貴女の子を救えなかったことを、申し訳なく思います」
「殿下……」
滂沱と流れる涙を止める術を持たない様子で、オスマン伯爵が小さく呟く。私としても、あそこまで泣いてる母親を罰するのは気が咎める。甘いと言われても。
「オスマン伯爵……お分かりとは思いますが、あの魔竜は今後起きる災厄の前兆なのです。『色無し』の出現によって、我々はその時期が間近に迫っていることを知ることが出来た」
「はい……」
「あなたの子は、我々に災厄が迫っていることを伝える為に、ここまで来たのかも知れませんね……なんて言ったら、笑いますか」
「殿下……お優しいんですね……」
涙を流しながらも、彼女の口元に笑みのようなものが浮かぶ。罪が許された訳ではないにしろ、ほんの少しだけでも気持ちが軽くなってくれたなら、いい。
「ありがとうございます、殿下……あの子を止めてくださって。大きな被害が出る前に、こうなってくれて良かったと思います。それだけが、救いですわ」
「止めたのは俺だけの力ではありません。そこにいる我が級友、ベルトランと、その婚約者であるフランシーヌ嬢の力添えがあってのこと。俺だけでは、被害をここまで小さくすることは出来なかったでしょう」
そこでオスマン伯爵が、私達の存在に気が付いた様子でこちらを振り返る。青い目を驚きに目一杯見開き、それから顔をぐしゃぐしゃにしてまたも泣き始めた。
「え、エルヴィユ公女と、グリエット公子まで……ありがとうございます……何とお礼を言ったら良いか……」
「わたし達は、ただ夢中だっただけですよ、オスマン伯」
苦笑と共にベルトランが答えるのに合わせて、こくりと頷く。
「はい……戦わなければ、死んでいたのはわたくし達ですわ。ただそれだけですの」
だから何もお礼を言われるようなことは……と続けようとしたが、オスマン伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「良いんです……それで良いんです。十分です、ありがとうございます……!」
それから真っ直ぐに前を見上げ、ぐしゃぐしゃの顔で満面の笑みを浮かべる。
「私の子は、誰も殺さなかった。それで、本当に十分です」
晴れ晴れとした声でそう口に出せる彼女は、紛れもなく"母親"だった。その姿に胸が詰まり、思わず制服の胸元辺りを握り締める。ベルトランもまたうつむき、何かを堪えるように唇を噛み締めている。
「オスマン伯爵……この件で貴女を咎めることはしない。ただ、報告のために俺の父上……陛下と面会してもらうがそれは可能ですか?」
「はい、喜んでどちらへも参りましょう」
スカートの端を摘まんで頭を下げる彼女の姿は凛としていて、貴族としての誇りと、母親としての矜持に満ちていた。
「ベルトラン、フランシーヌ嬢、先も言ったが今日はもう帰って大丈夫だ。お前達には、また後日話を聞こう」
「……かしこまりました」
「分かった。それじゃ、また明日」
改めて殿下に頭を下げてると、事情を聞いていたのか私達の担任の先生がそれぞれ荷物を持ってくる。それを受け取り、先生に挨拶してアキの背に乗った。
それから、サフィーと同時に空へと飛び立った。
帰りの空で、寄り添うように飛びながらベルトランが口を開く。
「あの、わたしに付きまとっていた彼女……あれは、サフィーが言うには『混ざり者』らしい」
「混ざり者?」
ピンと来ない表現に思わず聞き返すと、ベルトランは渋い顔をして緩く首を振った。
「そう。この世界は異世界との境界がごく薄いからね……魂や人間そのものとなると質量が大きすぎるから滅多に無いんだけど、時折他所の世界の誰かの記憶の欠片や魂の欠片なんかが落ちて来て、人間に混ざってしまうことがあるらしい。……で、それがあの、彼女ってわけだよ」
よほどジリベールさんの名前を口にしたくないようで、ぼかしながらも懸命に伝えようとするその様がちょっと可愛かった。
「それじゃ、ジリベールさんの予言めいたあの言葉は」
「うん、その記憶の欠片のものだろうね。多分、この世界に似た作品がたまたま存在してたんじゃないかな? あるいはこっちの記憶の欠片が向こうの世界の人間に混ざって、それを基に話を作ったとか。それが、彼女に偶然にも混ざってしまったと」
「夢で見たって言ってましたものね……」
「それで、平民には珍しい光の魔力持ちだったってことだけで、自分は特別だって勘違いしたんだろうな。その上、公爵に出資してもらって高等部にまで通わせてもらえるんだ。自分が物語のヒロインにでもなったみたいな錯覚を感じたんだろう。全く……光属性は平民には珍しいってだけで別に特別でも何でもないのに」
「なかなか……辛辣ですね」
「辛辣にもなるよ。メインで光属性を持ってる貴族の人間は確かに少ないけどサブでは結構いる。わたしもそうだしな。だと言うのに変に盛り上がって舞い上がって、高等部に入学した彼女は平民であるにも関わらず、まるで女王のように……いや、それでは女王に失礼だな……侵略者のように振る舞っていた。あろうことか、男爵や子爵みたいな下級貴族があたしの相手なんてあり得ない、と抜かしたんだぞ? ……彼女が嫌がらせに遭ったのは気の毒だが、自業自得でもある。それでも本来なら、そんな妄言、相手にしないんだ、貴族であれば」
余談だが、「侵略者のよう」と言うのはこの世界における最悪の罵倒語である。私はそれを聞き、余程腹に据えかねてたんだな……と頬をひきつらせた。しかし彼女の言動はあまりにひどい。ベルトランの苦労が、偲ばれるというものである。
「貴族とは、平民を守るために存在している。その為に様々な特権を与えられているし、高度な教育も受けている。彼女の暴言も、スルーするのが本来の反応だったんだが……」
「嫌がらせが発生した。それも、侵略者の影響ってわけですね」
「そういうことだよ。連中の悪意が、次元の壁を越えて伝わって来て、それがこの世界の人間に影響するんだ。だから学園では彼女に嫌がらせが生じたし、町や村でも、住民の間で小競り合いが耐えなかったりした。……フランはその現象に心当たりはないかい?」
「そう言えば、なんかそんな場面をよく見ましたね……それから、魔物の数もなんだか多かったように思います」
私の返答にベルトランは頷き、顔を引き締めた。
「ああ、それでわたし達は殿下主導の元に、ここ一年で侵略者がいつ頃来るかの対策に翻弄していたんだ。その間、フランに寂しい思いをさせてしまって、ごめん」
ベルトランが謝るのに対し、私は首を横に振る。
「もう良いんですよ。ベルンも大変だったんでしょう? それにわたくしも、離れている間に反省したんです。その……ベルンの望んでいた通りに、え、え、笑顔の一つでも練習して、笑ってあげたら良かったかなぁ……って」
恥ずかしさを覚えつつも、思い切って昨日のことを口にすると、ベルトランは驚いた様子で目と口を大きく開け、次いで弾かれたように笑いだした。
「あっはっは! フランってばちょっとそれ、今言う? あはははは! 待って、苦しい……」
などと言って、サフィーの背の上でひとしきり笑い転げてくれた。こんなにベルトランが笑うところを見たのは、初めて会った時以来じゃないか。何がそんなに可笑しいのかとベルトランを睨むと、彼は苦労した様子で笑いを収め、こちらを見てくる。その視線にどこか甘いものを感じて、私は幾度か目を瞬かせた。何と言うか、先日ベルトランへの想いを自覚したばかりでこういうことにはまるで免疫がなく、ひどく落ち着かないものを感じる。
「……何がそんなに可笑しいんですか」
「うん? いや、フランやっぱり気が付いてなかったんだなぁって」
「ですから、何が」
「笑ってたよ」
「はい?」
「君、ずっとわたしの前では笑ってたよ。気が付いてなかったようだけど」
「え?」
「ほらまたそうやって、可愛い顔をする。……そんなに、意外だった?」
互いに竜の背に居るために触れることは出来ないものの、ベルトランがこちらに身を乗り出すようにして甘く笑う。待って欲しい、理解が追い付かない。
「で、でもベルン、貴方いつもわたくしの笑顔が見たいと言ってたではないですか!」
だからこちらはいつもやはり表情は変わって無いんだなぁ、と思ってたのに。
「そりゃあ、フランの可愛い笑顔はいつだって見たいもの。だからいつも言ってたよ。笑顔が見たいって」
「か、かわ、可愛い!? 何を言ってるんですかベルン!」
頭が混乱する。顔が熱い。なんだか視界がぼやけてきた。ベルトランに可愛いと言われるのは初めてではないが、こんなに破壊力を感じたのは初めてだ。
「ほら今だって、顔を真っ赤にして涙目で睨むみたいにして精一杯目を吊り上げて……ものすごく可愛い顔で、わたしを見てる。うん、やっぱり君が、世界一可愛い」
「なっ、なっ、なぁ!?」
恥ずかしい。心臓が言うことを聞かないみたいに暴れ回っている。何だこれ、苦しい。
「い、いつから」
「ん?」
「いつから、わたくし、笑ってましたか?」
これだけは聞いておかねば、と意を決して問いを口にすれば、ベルトランがまたしても嬉しそうに笑う。
「うん? そうだねぇ、知恵比べで初めて君が勝った時かな。君って案外、負けず嫌いだよね。勝つとね、ほんのすこーし、嬉しそうに口角の端がつり上げるんだよね」
「えっ、知恵比べでわたくしが勝った時って……」
視線を上に向けて記憶を浚う。あれ? 彼が知恵比べを挑んで来るようになったのは出会ってから程なくで、そうだ初回は私が勝ったんだっけ……ってことは。
「殆ど最初からじゃないですか!」
「そうだよ? だからいつも挑んでたんじゃないか、当時は。負けたら負けたで悔しそうな顔も可愛かったから、わたしに損はなかったよ」
「……ベルンが初等部に上がった頃に回数が減ったのは?」
「必要なくなったからだよ。その頃には、フランはわたしの前ではかなり自然に笑うようになってたからね。なのにそれに気が付いてない様子なのが、とても可愛かった」
「え、ええええ……」
顔が発火でもしてるかのように熱い。さっきからベルトランは可愛いと言い過ぎである。何と言うか、お腹いっぱいである。これ以上は、倒れてしまうかも知れない。
それを悟ったのか、ベルトランが言葉を切ってふっと笑う。
「ねぇ……今から君の家に行ってもいい? せっかくフランに久しぶりに会えたんだし、君が不足して死にそうなんだ。補給させて?」
「あ、の、えと……」
そんな甘い声で囁かないで欲しい。竜に乗ってるから少しは距離が空いてる筈なのに、耳元で囁かれてる気分になるのは何故だろう。魔法か、魔法なのか。しかしベルトランのこの願い……私の返答は一つである。
「い、いい……です、よ……あの、わ、わたくしも、ベルンが……不足して、ますから」
精一杯の私のこの答えに、ベルトランは実に嬉しそうに満面の笑みを浮かべたのだった。
――その後、補給と称されて部屋の中でひたすらに抱き締められて甘やかされたのは、言うまでもないだろう。
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