15.旅行に行こう【本編:後編】
二日目は、書店と古書店巡りをした。ドラゴハートでは見たこともないような本の数々に目が眩んだ結果買いすぎてしまい、荷物を増やし過ぎだとセルジュに苦情を言われてしまった。
三日目はまたも図書館で過ごした。この大陸と侵略者との歴史が特に興味深く、片っ端からそれ関係の本を読んでいたところ、ベルトランからそれを元にした小説なども進められ、楽しく読んだ。
四日目は竜王の血液が宝石に何故変わるのかという研究をしている施設を見学させてもらった。サファイア、ルビー、エメラルド、ラピスラズリにオニキス、アメジストやら様々な宝石が並べられている。黄色くて丸い琥珀に似た宝石が有ったので聞いてみれば、あれはドラグセルという、この世界でしか存在しない宝石なのだと言う。ダイヤモンドが無いなと思えば、それは非常に稀少で、なかなか出回らないからだと言う。その理由についても研究中でいくつかの仮説はあるものの、仮説の域を出ないのだと言っていた。
五日目は神話を研究している施設を見学した。神話と実際の出来事を比較し、それがどの神話にどう対応しているのか調べているのだという。それにしても神話とは。何を指すのかと聞けば、竜がこの地に降りる前のことを指すらしい。一説によれば竜は神との闘いの末、ここに流れ着いたのだとか。なるほど。
六日目は鉱山に採掘の見学に行った。ここで採れる宝石は、数は少ないけど質が良くドラゴベリーにも匹敵するのだとか。適当に採掘すると竜王様を傷付けてしまうので、特定の場所で掘る必要がある。なんでも宝石となった血液が留まり、溜まっている箇所から採り過ぎない程度に持ってこなければならないと。結構奥深いものだなと感心してしまう。
七日目は学校を見学させてもらった。長期休み中のために授業は見せてはもらえなかったが、教室や教材、図書室や特別教室などを見せてもらえた。希望すれば初等部でも留学出来ると教えてくれたが、保留にしたいと返事をした。
八日目は王城を訪問した。ドラゴハートの王城は華があり、内装も豪華で贅を尽くされたものだったが、こちらは大きさは遜色無いものの、内装は素朴で品があり、持て成しでなく住みやすさを重視して造られているように見えた。王族へのお目通りは忙しいからと言われて叶わなかったが、施設は十分に見ることが出来た。
九日目はなんと、いつかベルトランが話していた異世界人ではないかと言われている男の子孫と会うことになった。赤い髪に青い瞳をしたその男性はチャールズ十世を名乗り、自分の先祖から聞いたという話を聞かせてくれた。
チャールズ氏の自宅の応接間に通され、アンリ様、ベルトラン、私で並んでソファで対面する。大丈夫なのかと思ったら、伝説の人が住んでいた家ということで観光スポットと化しており、そういった訪問者は珍しくないとのことだった。
それについてアンリ様が「聖地巡礼ってやつだね」と言っていたのだけどどういう意味だろう?
「我が先祖は、とても不思議な方であったと聞いております」
「……異世界から来たならば、不思議な方でもおかしくないのでは」
「そうなんですがね」
苦笑しつつ頬を掻き、眉を寄せて遠くを見る。そこに居ない人物を思い浮かべているであろうその目には、尊敬と憧憬と、私には分からない複雑な感情が浮かんでいるように見えた。
「……何でも、未来が見えたと」
「未来が?」
時に関する魔法は、在るには在るが使用される魔力が莫大過ぎて実用は出来ないのだという。竜王が己の時を止め眠っている以外には使われて無いとも言われている。そして未来視となると、到底人の身では扱えぬ魔法となる筈だ。況してやその異世界から来たという男は、魔力を殆ど持たなかったと聞いている。
「その通りなんですけどね……そういう、魔力に頼らずして未来が見えたと言っていたそうなんですよ」
「……超能力?」
前世で聞いたことがある。人でありながら超常の現象を起こせるものがいる、と。その人物もそうだったのだろうか?
「それが何かは分かりませんが……恐らく違うと思います。言葉が通じるようになったご先祖は言っていたそうなんですよ。『俺はこの世界を救う為に異世界から来た』と。そして『この世界にこれから何が起きるか知っている。バッドエンドには絶対にさせない。異世界からの侵略者は、俺に任せろ』とまで。そしてその侵略者がどこに布陣するか、どう出現するかを完全に分かっていたかのように奇襲し、返り討ちにしました」
「……それは何と言うか確かに……未来視や預言と言うよりは……既に読んだ本の結末を知っているみたいな感じですね?」
「ええ、この辺の発言は混乱を残しそうだからと、伝記からは削除されたそうですよ」
「それをどうして、私達には話したんですか? それとも、他の訪問者にも同じような話をされてるのでしょうか」
アンリ様の問いかけに、チャールズ氏は何故か私をちらりと見て、それから軽く肩を竦めた。
「いいえ。普段はこういうことは話したりはしませんが……何故でしょうね、そちらの少女には聞かせておいた方がいい、と感じたんですよ。もしかしたら、未来で役に立つかも知れないので」
「役に立つというのは、具体的にどういうことでしょう?」
私が思わず身を乗り出すと、チャールズ氏は苦笑いをして頬を掻く。それから眉根を寄せて、謝るように頭を下げた。
「すまないが悪いけど僕には分からないんです。ただ、僕の竜……フレアが言うには、そうしておけ、ってことだったんですよね」
「……そう、ですか」
異世界人の子孫の友である竜が、異世界の魂を持った私に予言めいた言葉を残したと伝える意味は何だろう。私がこの世界に生まれ変わったことと無関係とはどうしても思えず、不安が押し寄せて来る。
私が将来、異世界から来た人間と関わるかも知れない……? 予言めいたことを言う、そんな人間と?
困惑する私を見かねた様子で、アンリ様が抗議する。
「ゴドウィン卿、どうかその辺で。こちらのお嬢様が、話についていけず目を白黒させてしまっています。聞けばそうした方が良いかも知れないという実にあやふやな話じゃないですか。それで一人の少女を惑わすなど、許されると思ってるのですか?」
「無論、思ってはいませんよ。ただ……竜の予感となると、僕としても無視出来ないんです」
「……それは確かに」
人よりも遥かに優れた魔力を持つ竜は、時折予言のような言葉を吐くことがあると言う。しかしそれは非常にあやふやで、実際に起きてみないと何のことか分からないことも多々あるのだとか。チャールズ氏の竜の言葉もそれだとしたら、確かに我々としても聞かねばならないだろう。
「そういうことならまぁ良いです。ところで、その方が遺した偉業は、無論のこと侵略者撃退に留まらなかったとか? 色々な技術革新が有ったと伺ってますよ」
「ええ、それらについてお話するのが僕の本来の仕事でしたね」
気を取り直した様子でチャールズ氏が咳払いをする。そこで聞いた異世界の技術は、私も知っているものがいくつもあった。特に料理に関しては、相当な変革が有ったと聞く。それではやはり、その異世界人が居た元の世界は……。
「地球、と我が先祖は呼んでいました」
話の締めくくりにそう言って、彼はにこりと笑みを向けた。
十日目は午前中を本屋と図書館で過ごし、昼食の後に帰る手筈になっていた。
本屋では私は、二日目の時はあまり買わなかった、物語の本をベルトランに勧められるがままに買った。専門書や辞書とは異なり、表紙には華のある絵が多数使われている。
昼食を終え、宿に戻ってから荷造りしている最中、そのうちの一冊の表紙を何となく撫でてると、ベルトランが声を掛けてきた。
「それ、気に入ったの?」
「ああ、ええとあの……装丁が見事だな、と思って」
手触りの良い革の表紙に刺繍で書かれたタイトルと、少年少女がドラゴンの背に乗って空を飛ぶ絵が描かれている。内容は、魔物と化した竜を倒す使命を負った王子と、隣国の姫との恋物語だったか。読みはしたものの、あまりストーリーは頭に入って来なかった。何と言うか、勉強に直接関係のない本を読むというのが落ち着かなくて。
「やっぱり、物語の本は嫌い?」
「嫌い……ではないと思うんですが、その、好きかもよく分からなくて」
「……十日間、色んな所を見て回ったけど、君が一番興味を持ったのは何だった?」
「それは……」
目新しいものはいくつも見せてもらった。チャールズ氏の語っていた地球の技術もとても興味深く聞かせてもらった。その中で、私が最も興味を持ったものは何だろう?
「君はさ、」
ベルトランが背後から私を抱き締めて来る。この体勢はどういうことかと首を巡らそうとしたが、動きを止めるように少しだけ強くお腹の辺りを圧迫され、出来なかった。
「……勉強が好きって言うより、勉強しか許されなかったから、それを好きって思い込んでるように見えるよ」
「…………えっ?」
耳元に落とされた呟きに硬直する。ベルトランは何を言ってるのかと息を呑み、指先が冷えた。彼の表情はこの体勢では見ることは出来ない。何だろうその、私のことを見透かすような言葉は。止めて欲しい。私は、そんなものでは、ない。
「……何を、言ってるんですか?」
「文字、言語、算術、歴史、文化、経済、マナー、ダンス、魔法、科学、動植物……君が学ぼうとするものは、多岐に渡ると言うよりも手当たり次第って言った方が正しい。楽しいからって言うけど、僕にはそう見えない。楽しいなら笑うだろう。けど僕は、勉強をしている君が楽しそうに見えたことは一度もない」
「……感情が表情に出にくいだけですよ、貴方と同じで」
「そうかな、二年間僕は君を見ているけど、君の性格は極めて素直で嘘が付けないものだろう。勉強のし過ぎで表情が抜け落ちるなんて、そうそう有るとも思えない」
「……ベルン?」
ベルトランの声が何故か震えている。どうしたのかと身動ぎしたところで、不意に肩を捕まれて身体を反転させられた。そこで見たベルトランの顔は今まで見たこともない程に必死で、どこか泣きそうなものに見えた。
「楽しいなら……楽しいって顔しろよ……!」
「……………………」
その顔に私は何かを言わないといけないような気がして、薄く唇を開いたところで、ガラリと私が泊まっていた部屋の扉が開けられた。
「フラン、もう荷造りは終わったかな? ……ベルトラン君、どうして君が俺の娘の部屋でフランの肩を抱いてるのか、ちょっと説明してもらおうか」
「えっ、あ、その……すいません!」
脱兎、とでも言うべき動きでベルトランが私の部屋から走り去る。その素早さに呆気に取られつつ見送ってると、お父様が気遣わしげな視線を私に向けた。
「フラン……ベルトラン君に何か嫌なことを言われたりされたりしたら言うんだよ? 俺がきっちりみっちり説教するからな?」
「あ、いえ、そういうことは無いので大丈夫ですわ、お父様」
額の冷や汗を拭いつつ答えると、お父様は心配そうにしながらも引き下がってくれた。
それにしてもベルトランの今の言葉……まるで私が異世界からの生まれ変わりであることを理解しているかのような口ぶりだった……。
お母様も薄々感付いてるようだったし……それで変に避けられてることもないのだけど、どうしてもそこはかとない不安感が拭えないのはどうしてだろう? いつかこの世界から追い出されてしまうのではないか。そんな予感が、どうしても離れてくれないのだ。
「大丈夫だ、フラン」
その時、お父様が優しく頭をポンと撫でてくれた。
「俺もオルタンスも、お前の妹達も、みんなフランの味方だよ」
「はい」
ああ、私の家族は、なんて温かくて優しいのだろう……。
帰路でのベルトランは、もうすっかりいつも通りに見えた。
旅行の感想を楽しそうに口にし、休み明けに予定されている学校の行事について語る。ただその目だけは、最後まで合わなかった。
そして私の屋敷に到着してからやっと、ベルトランが私の顔を見た。
「それじゃあまた、休み明けに学校で」
その黄金の瞳は、泣きたくなる程に優しい光を湛えて私を見詰めていたのだった――。
次回、一気に時間が飛びます。