10.ドラゴンと初めての魔法【後編】
帰宅した私は、すぐさま庭に向かった。
お母様の友であるアランを始めとして、何頭かの竜がのんびりと日向ぼっこをしている。そのうちの一頭が、私が友になってくれるんじゃないかと感じている竜である。
おずおずと近付いて行くと、竜がこちらをちらりと見た。
ううん……何となく気に入られてる気がすると思ってたけど、もしかしたら自意識過剰だったかも、ということがふと脳裏を過る。いやいや、決め付けるのは良くない……多分。
竜は基本的に、自分と同じ属性の魔力を持つ人間を気に入ると言われている。髪の色と鱗の色が同色の竜と人間の組み合わせばかりを見かけるのはその為だ。そして自分に一途であると認めると、友となってくれる。
なのでもしも当竜に現状気に入られてないとしても、根気よく呼び掛けて、食事を持って行ったり鱗の手入れをすれば、余程の人嫌いでもない限り友となってくれる筈だった。
そして私は、一頭の竜に定めて最近交流を深めていた。この竜ならと思って声をかけたり食事を持って行ったりしていたので、向こうも少しは気に入ってくれたのではないかなぁ……と考えていたのだけども。
竜の目の前に行き、彼(?)を見上げる。前世の単位で行ったら3メートルくらいの大きさだろうか。厳めしい顔つきで、牙も爪も鋭く尖り、人の身体など容易に引き裂いてしまえるだろう。もし私がこの竜の機嫌を損ねてしまえば、それは決して有り得ない未来ではないのだ。
「……こ、こんにちは」
緊張しつつも声に魔力を込めて、竜に声をかける。と、そこで竜がほんの少し、笑ったように見えた。
『……ほう、私と話をする術を手に入れたか、娘よ』
「はい……あの、あなたと友達になりたくて」
『……私の親が、お前の母の友であろう。それ故少々気にかけてはいたが……そうか、お前は私を選ぶか』
「あ、貴方、アランの子だったんですね……知りませんでした」
親子で私の家の庭に入り浸っていたとは。まぁ決して、珍しいことでもないようだが。
『特に言い触らすことでもないからな……時にオルタンスの子よ、名は』
「フランシーヌと申します」
名を問われて答え、小さく頭を下げる。これはもしかして……と少しの期待を込めて竜を見る。竜は小さく息を吐き、こちらへとはっきり視線を向けた。
『私の親の友であるオルタンスの娘であれば、友となるのに異存はない。お前の魔力は心地良いからな。お前が私を選ぶ予感はしていた。お前が私の背に乗ることを許そう、我が友よ』
「えっ、良いんですか? 最初のうちは断られると思ってましたが……」
私がこの竜と交流を持ち始めたのはここ数ヶ月のことだ。ベルトランとサフィーのように、産まれた時から親交を深めていたわけでもないので、長期戦も覚悟していたのだが。
『言っただろう、お前の魔力は心地良い、と。何、年月を重ねるだけが友となる方法ではないだろう。……それとも、私の背に乗るのは嫌なのか?』
「滅相もありません」
『ならば乗れ。……して、お前は私にどんな名をくれる?』
「……それは」
私は息を呑み、竜を見詰める。まさかこうもあっさり友になることに同意されるとは思っていなかった。竜に名付けを許されるのは、友のみである。その光栄に胸の高鳴りを覚えながら、考えていた名を口にした。
「アキ……です。貴方の名前。どうでしょうか」
生前の私の名前の一部を竜に付けるのは少し躊躇ったが、何となく自分の名前を忘れたくなかったのだ。それを聞いた竜は心得た、というように一度頷き、私を見返した。
『アキ……か。うむ、それが私の名か、悪くない。お前の魂の名前の一部だな。それを貰えるのはなかなかに……光栄な気分だ』
「えっ……?」
魂の名前……それは私の前世の名前ということか。この竜は、私が異世界から来たということを知ってるのだろうか……?
『なんだ、驚いているのか? まぁ、異世界の魂がこちらへ渡るのは稀では有るが決してない話ではない。お前の魂を拾って、ちょうど魂が抜けたその器に入れたものが居るのであろうよ。運が良かったな。でなければ下手をすればその魂、魔物になっていたぞ』
「ま、魔物に?」
この世界の魔物は、生物の負の感情が世界の余剰魔力を核として生まれ落ちたものだ。大抵はか弱く何の力も持たないが、魔物が何匹か融合して肥大化することがある。そうなると、少し厄介な相手となるのだ。
『若くして死んだ魂など、未練や悲しみで負の感情の塊と言ってよい。そんなものが核となって魔物となれば、強大な代物になってもおかしくはないのだ。お前は本当に運が良かったな。その娘を器としてこの世界に産まれることで、その負の感情はかなり浄化されているぞ』
「そ、そうだったんですね……ええと、それじゃあこの身体の元々の持ち主は……」
『言ったであろう、魂はちょうど抜けていた、と。そうでなければお前の魂をその身体に定着させるなど出来るものか。それから、この世界でのお前の母は紛れもなくお前の母だ。居場所を奪ったなんてこともないから、安心するがいい』
「は、はい……」
その場にへたり込みそうになったが、何とか堪える。私が元は異世界の人間であっても、受け入れられて良いのだと、安堵が襲ってくる。それにしても、私が異世界の人間だと、竜に知られていたとは……全ての竜にそれが分かるのだろうか?
『魂の色が他と異なっていたのでな、注意して観察して気が付いたのだ。知ろうと思わなければ普通は分からん』
「つまり貴方は、私のことを知ろうとしてくれていた、と」
『くかかかか。心地良い魔力の持ち主だったからな。それにしても、お前の魂の名前の一部を貰えるとは本当にありがたいな。これで私とお前の心の結びつきはより一層強くなった。あの小僧が居なければ我が伴侶にとさえ思うが……まぁ仕方ない。少々口惜しいが出遅れたものの定めだ。ここは譲ってやろう』
「は、伴侶……」
竜の伴侶なんて相当じゃないか。そこまで気に入られる何かが、私のどこに有ったと言うのだろうか。
目を白黒させる私をどこかおかしそうに見ながら、竜が小さく首をかしげる。
『なんだか妙に自己評価の低い娘だな……そう身構えずともよい。私は竜の中でも特に人が好き寄りでな、多少贔屓目に見ている自覚はあるが、そこまでおかしなことを言ってるわけではないぞ』
「あ、はい……そうなんですね……」
『たまに感じるが、人というのは私達に夢を見すぎているように思うな。人ばかりが竜に片思いしてるかのように語られる。決してそうでは無いのだが』
「と、言いますと」
『竜こそ人に焦がれている、ということさ。人が嫌いな竜もまぁ居るが、それでも大半の竜は人の友になりたくて仕方がないのだ。しかし大抵の竜は、最初は友にと言われても断る。何故かと言えば、そうやって返事を焦らすことで、より欲しいと相手に思わせたいからよ』
「はー……そんな事情が……」
まるで恋愛のテクニックである。しかしこんなことを私に喋って良いのだろうか。思っていたよりは大分気さくな竜ではあるが。
『無論これは内緒だぞ。魂の名前の一部をくれたお前にだから言うのだ。竜はプライドが高いからな。人に焦がれているなど知られたくない上に嫉妬深い。だからあちこちに声をかける人間を好かないのだ』
「あの……ここには他の竜もいるのですが……」
だらだらと冷や汗を流しながらそう言ってみると、竜ははっきりと口元を歪めて笑って見せた。なんだこの竜。私よりよっぽど表情豊かだな。
『なぁに、お前達の言う意思伝達の魔法であれば、伝えたい相手以外には伝わらないさ。お前が私以外にこの話を聞かせたいと思ってるのでなければな』
「それは、確かに……」
『それと私の表情が豊かだと思ってるようだが、これは私の感情をはっきり伝えるための魔法の産物よ。私の顔は恐らく、お前以外には少しも動いて見えないだろうさ』
「心が読めるんですか?」
『意思伝達の魔法を使っているならばある程度はな。何、表層のそれも強く思った事柄くらいだ。お前が私の表情を読むのと変わらん』
「ああ……考えてみればそうですよね……」
授業では自分の思考を声に出さず伝えていたのだから、竜と相対している以上読まれて当然だった。別に読まれて困ることを考えていたわけではないので構わないが。
『新しき我が友フランシーヌよ』
ふと、真面目な声で竜――アキが私の名前を呼んだ。その声に何となく居住まいを正し、アキを見上げる。
『私、アキはこの新しき名に誓う。汝を生涯の友とし、その命尽きるまで側に居ることを』
「ありがとう、アキ……これからよろしくお願いしますね」
『うむ、というわけで早速、お前の伴侶となる小僧のところまで飛んでいくか? 驚き喜ぶこと請け合いだぞ』
「! い、いえそれは……その、先に家族に報告を済ませてから、ですね」
『なんだ、真っ先にあの小僧のもとに飛んでいくと思ったのに。小僧とあの青い竜が羨ましかったのだろう? 私には隠しても分かるぞ』
「そ、そうですけどでも、慌てなくても大丈夫と言いますか、ですね、明日の登校の時にでも見せようかと」
『なんだ、残念だな。まぁ良い。明日の小僧の顔が見物だな?』
と私ににやりと嗤った顔は、とても魔法の副産物と思えない程に人間くさい顔つきだったのであった。
「お母様……竜って案外気さくなんですね……」
「あらそうよぉ、フラン。でもね、プライドが高いからあまりそこを見せたくないのよ。そこが可愛い生き物なのよねー。で、フランはもう竜と友達になれたのかしら?」
「はい……その、アランの子だという地属性の竜と」
「あらあら、まぁまぁ、それはおめでたいわぁ。今日はパーティーね」
「いえその、そこまでしていただかなくても」
「何言ってるのよフラン。こういう時こそお祝いでしょう? 魔法を習ったその日に竜と友達になれるなんて、うちのフランってば天才なのかしら。こうしちゃいられないわ。早速シェフにご馳走作ってもらわないと」
お母様にアキと友達になれたことを報告したらしたで大騒ぎだった。まぁ、あの親バカで娘溺愛のあの人に言う時点でこうなることはある程度予測は出来ていたのだけども。
でも……嬉しいな。私の前世の母は、私が満点を取っても当たり前だと言うばかりで、誉められたことなど殆ど無かったから。
「そうだわ、貴女の竜はなんて名前なの?」
「アキです、お母様」
「そう、少し不思議な響きの名前ね。でもとってもいいと思うわ。大事にしなさいね」
お母様が優しい目で私の竜の名前を祝福してくれる。それはなんだかとても、私の気持ちを温かくしてくれるのだった。