メモリーレシピエント
近親相姦の表現がありますので、モラルを重んじられる方はご気分が悪くなる恐れがあります。
これまで見てきた表現物に色々と影響を受けて書きました。どうか御了承ください。
1
次がうちの会社の商品だった。
ステージのソデの内側はスポットライトの逆光でかなり薄暗い。菊永部長はかぶせているナプキンをちらりとめくって商品の状態を今一度確認している。
「1200万! 椿様から1200万のお声をいただきました。さらなるお声はありませんか?」
競売の進行役が歌うような高らかな声で続ける。
「ありませんか? それではこちらの商品は椿様の1200万円で落札となります。ありがとうございます」
菊永が喉だけで声作りの咳をすると同時に商品を乗せたワゴンを押して歩き出した。先発の商品がただちに反対側のソデに引っ込み、ベルトコンベアーのように僕らの商品がステージ中央のスポットライトの中へおさまる。
「続いて参りましょう、次の商品でございます。出品者は株式会社牡丹商事様」
紹介を受けた僕はナプキンを取り上げて商品を照覧用の小型カメラにさらした。会場に点在するモニターに、朗らかな笑顔をたたえた少女の写真と保冷用のガラスケースに入れられた部位と臓器が映し出される。臓器にはそれぞれ電極がつながれていて、生成食塩水の中で生体運動を繰り返していた。
「彼女の享年は18才。大型トラックにはねられて死亡しました。ですが、死因は頭の打ち所が悪かったことによるショック死。そのまま心停止を引き起こしただけで外傷はほとんどありませんでした。この美しさ保った品々をごらんいただければ最上の状態であることがおわかりになるかと思われます」
僕はカメラを手に持つと、切断された両手足、腎臓、眼球、肝臓、すい臓、肺、小腸、骨髄、そしてトクットクッと動く心臓、特にその切断部がよく見えるようにカメラを向けた。
「彼女のとても勇気ある決断によって、進呈された臓器は現在医学で移植可能な部位すべてです」
進行役からマイクを受け取った菊永が、やや緊張した声色で商品の説明を引き継ぐ。
「我が社は彼女に敬意を表しまして、各部位それぞれでオークションを行いたいと考えております」
そして部長は商品の一番の価値について説明し始めた。
「彼女が生まれた家庭は経済的に恵まれており、保育園からの学校生活も素晴らしい親友たちとすごしていました。勉学にもクラブ活動にも意欲的に取り組み、それはそれは健康と幸福に満ち満ちた日々でした。そして大学入学をひかえ、高校時代にできたボーイフレンドと一緒に自動車学校に通っている最中に事故に遭われたのです」
僕らはただ人間を切り売りしているわけではない。
「自らの明るい未来に一抹の不安さえもなかったのです。前途揚々たるその気持ちのまま亡くなられた彼女。その体に残された記憶には一部の淀みもありません」
僕らは――。
「皆さん。今病床に臥している大切な人に、素晴らしい記憶を贈りたくはありませんか?」
人の記憶を売っている。
「その記憶はここにあります。そして記憶は受領者の人生をも素晴らしくしてくれます」
それから菊永は血液情報を言い添えてからオークションを開始した。
「最初は腎臓です。500万からのスタートです」
「600万!」
「椿様から600万のお声をいただきました」
「650!」
「750!」
「800!」
「1000万!」
会場からは次々に声が挙がり、遠慮もなく値段が釣り上げられていった。
2
『記憶転移』
臓器を移植された患者がドナーとなった人間の記憶にそった思考と行動をするようになるという症例である。
それこそが闇社会が目をつけた新たなマーケットのヒントだった。
これまではただ延命治療の一環として取り上げられてきた臓器移植は、その臓器の持ち主である人物の経歴と人生観が織り成した記憶という付加価値を見い出した。
臓器がその価格と入手の困難さで以前から密売が行われているものだ。
だから、すでに確保されているルートに人物調査という項目を加えるだけでよかったのだ。そのおかげで、裏道を歩く日陰者達には新たな仕事を斡旋でき、その上、必ず原価より高く売れる。
買い手は大企業の重役や資産家、資源利権を保有する特権階級などの大物たちで、実質的価値以外の〝目に見えない物〟にさえ金をふんだんに使える人々ばかりなのだ。
〝目に見えない物〟つまりは記憶という曖昧な物を移植するとは言っても完全に眉唾というわけでもない。
脳から表皮までの感覚器は、生まれてから何億回何兆回と、活動電位と脳内物質の影響を受けている。次第に身体は動きを覚えていき、より効率的にするため動作を簡略化させていく。やがてわざわざ脳で意識することなくその動作を行えるようになる。食事などはこの典型だ。これは身体がその動作を記憶したということなのだ。
では、果たして動作のみを記憶したのだろうか?
いいや、行動には感情がともなうのだ。
その動作をしている時にどんな気持ちだったのか、その感情推移も身体には記憶されている。
その動作をすることによって脳がその当時を思い出すのと合わせて、その動作をした時に身体に入力されていた記憶も脳に伝わっているのだ。
脳と身体はこの相互作用によって記憶の保管をしている。
臓器を移植された患者達はこの相互作用の片方の記憶を受け継ぐことになるのだ。
そしてその記憶が素晴らしければ素晴らしいほど、その後の人生を実り豊かなものにしていけるという結果が医学界で報告されたのである。
3
「いやぁ、今日の競売は大成功だったなぁ~」
汗でワイシャツを胸元まで濡らした菊永が、テーブルのナプキンで顔や首筋を念入りに拭いている。
「まったく、君の買い付け手腕にはいつも驚かされるよぉ。双樹くん」
ナプキンを膝に広げ終わった僕は菊永に笑顔を見せた。
「いえ、たまたま契約している病院から「良いのが入った」と一番に知らせてもらえたんですよ」
「謙遜しなくていんだよぉ~。そもそも、その病院との契約を取ってきたのは元より君なんだからぁ」
緊張と張りがなくなった菊永の抜けた声に褒められて首筋がむず痒くなった。
「出来ることで会社に貢献するのが社員の本懐ですので……」
「とは言っても、今日の売り上げ聞いたろぉ~? 単純計算で2億だよ2億ぅ~」
運ばれてきた前菜に菊永はステーキ用のフォークを突っ込んだ。
「そこから仕入れ値の数千万を引いても1億はあるんだぁ~。その内の5パーセントがサラリーに回るって言ったらさぁ~、この夏の君のボーナスどうなっちゃってんのぉ~?」
「僕はやれるだけのことをするだけですので」
「はぁ~あ、相変わらずお堅いねぇ~。そろそろ私のポストに成り代わるつもりなのかなぁ~」
「いえ、そんなことはありません。まだまだ若輩者ですので、菊永部長にご鞭撻いただかないことには……」
「ああ、いいんだいいんだぁ。そう言う建前はぁ~。私が推薦して上に掛け合わなかったら出世は出来ないしぃ、後の役員にだって切り込めないわけだからねぇ~」
菊永は言葉尻に溜め息を吐いた。フォークで重ね刺しした前菜の生野菜を口に運んで、口も閉じずに咀嚼を始める。
「なにか、お気落としのご様子ですね?」
「んぅ~」
まだろくに噛んでいないのに菊永は一息に飲み下してこちらに目を移す。
「私宛てにねぇ、役員会から直々にお達しが来てるんだよぉ。君を推薦するようにってさぁ~。上に言われて断れる部下がいるわけないしぃ~」
僕はその場で小躍りしたくなった。
「そんなふうに目をギラつかせないでくれよぉ~。待ってましたって言ってるようなもんじゃないかぁ~」
「いえ、そんなことは――、それで?」
「それでってぇ、推薦しといたよぉ~?」
「それもそうなのですが、上はなんと?」
「今週の役員会に顔を出せってさぁ~」
僕は前菜用のナイフとフォークを置いて、
「部長、何とお礼を申し上げれば良いのか……、身に余る光栄です!」
深々と頭を下げた。
「これで君は正式に私の上に立ったわけだぁ。どうか頭を踏みつけないでくださいよぉ~。最近、抜け毛が気になってきてるんだぁ~」
「そんな、とんでもない!」
「あはは、じゃあ食べようかぁ~?」
「はい、いただきます!」
がぜん食欲が湧いてきた僕は前菜から順にこれでもかと料理を堪能した。
メインディッシュの『子羊のステーキ』は肉が柔らかく最高の味わいだった。
コースが終盤に差しかかった頃、菊永はこぼすように口を開いた。
「でも気をつけなよぉ。上には上のやり方があるもんだからねぇ。それが何だったとしても、もう後には引けないんだよぉ~」
4
「パパー、お帰りー」
玄関を開けるなり絵美が飛びついてきた。
「こらこら、年頃の娘がなんだはしたない」
絵美に続いて妻も顔を出した。
「お父さんの言う通りよ絵美。そろそろ男の子の友達でも連れてきたら?」
「ママ! 言っちゃダメだって!」
ムスッとする絵美の真っ直ぐな長い髪を指で優しく巻き取る。
「なんだ、ボーイフレンドができたのか? だったら遠慮はいらないぞ。今度うちにご招待しなさい。もちろんパパが休みの日にな」
「そんなんじゃないよ! ほんとにただの友達だから!」
そうか、そうか。と笑っていると絵美は妻に向き直ってぷりぷりした。
「もうっ! ママが余計なこと言うからぁ~」
「あら、私は友達を連れてきたらって言っただけよ?」
言いながら妻が仕事鞄と上着を預かってくれたので、僕はネクタイを緩めた。
「汗を流してくるよ」
「あなた、夕食は?」
「仕事の付き合いで食べてきた」
シャワーで汗を流した後、まだ寝ていなかった絵美と妻に昇進の報告をした。2人とも喜んでくれたが、絵美は「また将来の旦那さんのハードルが上がった」と不満そうにもしていた。
絵美が部屋に戻り、夫婦の時間をすごすのに乾杯をしていると妻が微笑んだ。
「私たち幸せなのね……」
「あれ? 神様の前で誓ったはずだけど?」
そう言って戯けてみせると妻の柔らかい唇が触れてきた。
「ずっと続くと良いわね」
「君が支えてくれるなら。例え火のなか水のなか――」
僕は優しく妻をベッドに押し倒した。
5
「この度、そのたゆまぬ研究精神と努力そして結果が認められ、専務に推薦された双樹正也君くんです」
僕は円卓に顔を連ねる役員達に一礼した。
「彼はこれより営業部専務としてその業務に従事してもらい、ゆくゆくは我ら役員のポストも考えられているとても優秀な人材です」
他の役員たちに話していた松宮和彦営業統括役役員は僕に向き直ると新しい名刺を手渡してきた。
「能力の有する人材を零細ポストで燻ぶらせるのは愚の骨頂という創始者の意向とその役職名に恥じぬ働きに期待する。これからは我が社に骨を埋める覚悟で臨んでくれたまえ」
うやうやしく受け取った名刺に書かれていた役職名は『営業部専務取締役』。
「お任せ下さい! 必ずご期待にお応えいたします!」
松宮に一礼し、円卓のお歴々にももう一度深々と一礼する。
形だけの拍手がまばらに起こり、
「では、頑張ってくれたまえ」
の一言で役員会は終わりを告げた。
『役員会議室』の分厚い扉を出たところで松宮に呼び止められた。
「話がある。少し時間を取りたまえ」
「はい」
松宮に促されて重要来賓者を通すために使われている応接室のドアを開ける。仕事には必要のない調度品に囲まれた室内。その中央に据え置かれたソファーに松宮が座るのを待った。
「掛けたまえ」
「失礼します」
いよいよ面接か……。僕はそう気構えていた。
だが、松宮は世間話でもするような緩やかな口調で喋り始めた。
「私にも娘がいてね。もっとも最初の娘は事故で亡くしたんだが。次に生まれた娘は誰に似たのか中々おてんばでね。最初の娘とは似ても似つかないんだよ。ほんとに最初のは良くできた娘だった。親バカなんだが最初の娘が年頃を迎えた時に嫁になんてやりたくないと思ったくらいだったよ。
今いる娘はとにかく素行が悪いというか品性に欠けるというか……」
一体なんの話をしているんだ?
僕は小首をかしげながらも相槌を打っていた。
「このあいだ、大学へ上がった時にお祝いで買ってやった車で、男と出かけてくると言って3日ほど留守にされた。親の気持ちも知らずにと歯軋りしたものだよ。
それで数日前、出かけた先で事故に遭ったと病院から連絡があったんだ。外傷も酷かったが特に内臓をあちこち酷く損傷しているらしくて、移植する臓器も一つや二つじゃ間に合わない。なにより早急に手術をしないことには命が危ないと医者に言われている。
病院に駆けつけて傷ついた娘を見た瞬間、どうあっても助けてやりたいと親心が頭をもたげてね。私は今の娘も心から愛していたのだとやっと気付かされたんだよ」
松宮は内ポケットから手の平台のタブレットを取り出して何度が指先で操作した。
そして、画面を僕の方に向ける。
そこには見覚えのある少女の姿があった。
機械的な音声で少女の情報が読み上げられる。
「双樹絵美。
年齢17歳。
株式会社牡丹商事社員の双樹正也と英会話講師の双樹友恵の娘。
双樹夫婦はもとよりその親類関係、友人関係も良好な良質な環境で育つ。
裕福な暮らしながらも弱者を哀れみ、不当な暴力に怒りを覚えるというモラルと道徳精神を培っている。
現在、両親には内緒で同級生の男子と恋愛関係にある。
血液情報も依頼主の条件と完全に一致しており、幸福度の水準も極めて高い逸材と考えられる」
音声が途切れて沈黙が流れた。
口に溜まった粘り気のある唾液を飲み込むと松宮は僕に目を向けた。
「そう言うことなんだが」
「なにが、ですか?」
僕は〝そう言うこと〟の意味を聞き返した。
「わかるだろう? 君の娘を提供して欲しい」
僕が黙っていると松宮は言葉を重ねた。
「見返りは次期役員のポストだ。私は定年はもう秒読みにはいっているし、余生を送っても余りある程に稼がせてもらった。私が退いた席に君が座るといい。その若さで役員なんて夢のような大出世だ。そうだろう?」
「しかし、そんなこと会社に知れたら――」
「この部屋は完璧な防音が施されている。監視カメラも盗聴器もない。来賓者が気を悪くするからね。もちろん君だって仕事中にプライベート用の端末を持ち歩くなんて野暮な人材ではないだろう?」
もう僕は言葉を思いつけなくなった。ただただ絵美の笑顔が頭に浮かんで離れない。
「この業界にいる以上はわかっているはずだ。時に我々が誰かの望まぬ死で利益を得ていたことぐらいね。
君の理解が追いつく前に私が雇った者達が彼女を処理してしまうだろう。そこでどうかな? いっそ君の手で彼女を死なせてあげては?」
「そこまで私に強いるのですか?」
僕は絞り出すように言った。
「では、見知らぬ誰かに殺されても良いと言うのかね?」
また沈黙が流れる。
「なに、簡単な方法があるんだ」
松宮は小さな箱を取り出して開いた。そこには親指くらいの注射器が入っていた。
「ツテを使って用意させた。この薬を寝ている間に打てば痛みもなく死ねる。針も特殊で蚊ほども痛まない」
目の前に並べられた注射器と、絵美が映っているタブレットのあいだを何度も目が行き来する。
「やるなら今夜中にやることだ。後は私の電話にかけてくれれば、用意した医者と警察を君の自宅に送るよ」
松宮は重たそうに腰を上げてドアの方に歩を進めた。
「君はまだ運が良い」
そして、ぼうぜんとソファーで背中を丸めている僕に投げかけた。
「私の時はすべてがあっという間だったんだ」
6
あっという間だった。
今、絵美はベッドで眠るように死んでいる。
窓から白み始めた空の明かりが差し込んで部屋は灰色に照らされていた。
絵美を殺した注射器は、一緒に入っていた薬品で箱も針も残さず溶けていき、今やトイレの水と混ざっている。
ことが終わってぐったりとしながら僕は松宮に電話をかけた。
「終わったんだな……。すぐに医者と警察をそっちに送るよ」
携帯を耳にあてたまま何も話さない僕を察してか、松宮は沈重な声音を聞かせてきた。
程無くしてサイレンが近づいて来た。
僕は寝室に妻を呼びに行こうと思い、乱れた服を直した。
7
十数ヶ月後、松宮は双樹に役員の席を明け渡した。
娘の移植手術は問題なく成功し、予後に懸念されていた拒絶反応もない。
おまけにこれまであった娘の荒々しさは影をひそめ、快活で清楚な性格へと変貌した。後はリハビリを終えれば晴れて退院という運びだった。
「まさに、生まれ変わったようだよ」
双樹に礼の念を込めて松宮は重ねた。
「なにかあったら、いつでも言ってくれ。できる限り力になろう」
「いえ、静かに余生を楽しんで下さい」
取り繕うように笑ってみせる双樹を気の毒に思いながら、松宮は会社を後にした。
手術から一年ほど経つ頃、ようやく娘がリハビリを終えて退院することになった。
「大変だったな。さあ、家に帰ろう」
そう言って伸ばした手が触れた瞬間――、
娘はとっさにその手を払いのけた。
「どうしたんだ?」
「いや……、なんでもない……」
そう言って手を握り直してくる娘の手は小さく震えていた。
自宅に帰ってからも娘は時おり松宮の前で顔を強張らせるようになった。
それ以外には別段なにもない。大学の勉強も交友関係も明るく、将来の目標も具体的に考えるようになっている。
なのに……。
私と接する時だけ顔を引きつらせるのはなぜなんだ?
母親ともこれまで以上に睦まじくなっているのに、娘は松宮と関わる時だけ行動を曇らせるのだった。
ある日、ついに我慢できなくなった松宮は娘に詰め寄った。
「何か私に気に入らないところでもあるのか!」
「そ、そんなんじゃない」
以前はどんなに叱っても怒鳴っても何処吹く風だった娘が明らかに怯えていた。
「だったらなんだ! なんでそんなに私を怖がる」
「私にだってわからない! 身体が勝手にこうなるの!」
「わけの分からないことを――!」
思わず娘の肩を鷲づかみにした。
「いやあっ! 触らないでぇ!!」
娘はイヤイヤをするように顔を横にふりながら――。
「穢らわしいぃいい!!」
娘に振り解かれて松宮は愕然とした。
「なんだって……」
娘は自分を男として怖がっている……。
「な、何を言ってるんだ……? 私は、そんなつもりは――」
そこに娘の叫び声を聞いたらしい妻が飛んできた。
誤解を解こうにも妻を目にするなり泣きついてしまった娘の姿を見せられては弁解のしようもなかった。
これはどういうことだ?
娘は絵美の記憶を得てこれから素晴らしい人生を暮らしていくはずだろう? 私は最初の娘と同様に今の娘も心から愛していたとあの時に気が付いたんだ。
だからああしたんだ。
なにより、これまで娘に邪念を抱いたことなど――。
絵美の記憶……?
「まさか……」
8
「お前なのか?」
電話口から戦慄した松宮の声が聞こえてきた。
気が付いたか……。どうやら僕が思っていた通りのことが起こったようだ。
「娘さんはお元気ですか?」
「なにをしたんだ?」
「娘さんがどうかしたんですか?」
「お前は絵美になにをしたんだ!!」
「犯しました」
僕が質問に答えると松宮は押し黙った。
「もっと厳密に言うなら近親相姦しました。我ながら手酷くしたと思います。事が済んでベッドに放り出された時に絵美は放心状態になっていましたから。そのおかげで注射はしやすかったですよ」
「……なぜだ? いや、なんで自分の娘にそんな真似ができる!?」
松宮が声を荒らげたので、僕は落ち着けるように続けた。
「僕がやらなければ、どの道あなたの差し金が絵美を殺す手筈だったんでしょう? あの子が死ぬのは時間の問題だった。それはあなた自身が言ったことです。
僕は絶望しましたよ。誰よりも愛する我が娘を自分の手で殺さなくては、誰かの手にかかってしまう」
喋っているうちに僕は感情の高ぶりを抑えられなくなってきた。
「僕だって同じ気持ちだったんですよ。蝶よ花よと育てた我が娘がべつの男と一緒に歩く姿なんて想像すらしたくなかった。ところが、絵美も年頃でしてね。どうやら意中の男が出来たらしいんです。
表面では良い父親を演じていましたが、心の内では胸をかき乱しされる思いがしたもんです。
そして、あなたからあのような企てを聞かされて、絵美は残りの人生すら秒読みになってしまったと悟ったんです」
僕は深く深呼吸した。
「だから、いっそのこと僕が絵美を穢してやろうと思い至ったんです。その上であなたに復讐しようと考えました。
どうです? 生まれ変わって清楚で可憐になった娘に父親であるがゆえに拒絶されるご気分は?」
耳には松宮のうろたえた息づかいが聞こえてくる。
「あなたの娘さんは幸せな人生を送れると思いますよ。ただ、あなただけは蚊帳の外です」
「こんなことをしてただで済むと思っているのか……」
その脅迫には力がこもっていない、ただの負け惜しみだった。
「どうぞ何でもしてみてください。最愛の娘を失った僕は命に未練はありません。
だが、ただでやられるのも癪だ。こっちも役員として新しく付き合い始めた連中に相談させてもらうことにしましょう」
電話が落ちる音がした。どうやら目眩でも起こして手の力が抜けたらしい。
「では、愛する家族とお幸せに」
僕は携帯の通話を切った。
すぅっと静寂が訪れる。
前まで狭く感じていた自宅も、今となっては無駄に広いだけの穴蔵のように思える。
娘が死んだことで情緒不安定になった妻とも離婚するはめになったが、もうどうでもいい。
あのくだらない仕事に骨を埋めてやるとしよう。もう僕にはどんな生き甲斐も見つけられないのだから、心底汚れきってやれということだ。
自暴自棄になりながらも、目を瞑るとどうしても思い出してしまう光景に僕は酔いしれた。
成長し女としての準備が整った絵美の身体はしなやかで柔らかく、これまで抱いたどの女よりも最高の味わいだった。
最後までお読み頂きありがとうございます。
ご意見、ご感想がありましたらうれしいです。