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5/11

#5 これはもう異常だと思う


 ――それではこれから、どうすればいいか?


 答えは簡単だ。ピアノに代わる楽器を覚えればいい。そして高級ワインを飲む女

にうっとりと聴かせればいい。ただそれだけのことだ。


 そして、いろいろ考えた結果、候補をバイオリンとギターとサックスに絞った。


 バイオリンは、俺がずっと考えているギャップに合致している。

 金髪褐色マッチョが、あんな繊細な楽器を弾くなんて、女にとっては驚き以外何

もないだろう。うーん、素晴らしい。

 ただ、問題はピアノと同じで難しそうだということだ。ピアノもそうだがバイオ

リンを弾けるような奴は、小学生の頃から習いに行っている連中だ。また、音楽鑑

賞をして痛感したことだがクラシックは難しい。本当に。


 続いてギター。

 これにはギャップがない。俺が「趣味はギターです」なんて言うと、絶対に女は

邪悪な形をしたエレキギターを思い浮かべるに違いない。金髪褐色マッチョにエレ

キギターとヘビーメタルは、似合い過ぎて嫌過ぎて当たり前過ぎる。目をギュッと

閉じて口を馬鹿みたいにでっかく開いて自己陶酔丸出しの顔で弾く姿が目に浮かぶ

というものだ。


 しかしギターには良いところもある。

 それは、そこらの中学生でも弾けるということだ。お茶ばっかり飲んでる女子高

生でも弾けるということだ。つまりは、馬鹿でもアホでも誰でも弾ける簡単な楽器

なのだ。そんなちょろい楽器の癖に、中学高校大学とギターをちゃらちゃら弾いて

る奴らは例外なくモテていた。ちくしょう!


 最後にサックス。

 これもギャップはバイオリンには劣る。だが、甘いジャズバラードとかを吹いて

やれば女は確実にうっとりするだろう。問題は、これも難しそうだということ。よ

くわからないが、楽器の形を見ただけで難しそうだ。それにそもそも俺は、小学校

の時から縦笛は恐ろしく苦手だったのだ……。


 結論は出た。ギターだ。


 ショパンの大反省を踏まえるとこれしかない。俺は失敗を反省し、次に活かせる

賢い金髪褐色マッチョだ。とにもかくにも、馬鹿でも弾ける楽器ということを考え

るとこれしかないのだ。馬鹿ではない俺ならば、簡単に弾けることは間違いないだ

ろう。


 また、ギャップに関してはアコースティックギターで甘いバラードを演奏してや

れば良い。そうだ、エリック・クラプトンのチェンジ・ザ・ワールドはどうだ? 

テレビのCMでも流れていた有名なバラードなので、洋楽に疎い無教養な女も知っ

ているはずだ。


 ギターに決定! だ!


 そう決めた俺にテレビの画面では、ヨッと手を上げ寅さんが笑っている。これこ

そ神の啓示、葛飾柴又から届いた黙示録だ。

 強い自信を取り戻し、新たな目標が出来た俺はテレビを消し、キッチンに行くと

二本目のビールを持ってパソコンルームに向かった。


    ◇


 ウキウキ気分で缶ビールをプシュッと開けた俺は、直ちにギターについて調べて

みる。そして、びっくりして椅子からコケそうになった。


 高い! 何でこんなに高いんだ?

 こんなものを頭の悪そうな中学生が買うのか? いや、中学生だったら親に買っ

て貰うのか? いやいや、親が買ってやるにしても高いぞ。こんなものを中学生に

買い与える親ってスーパー馬鹿なのか? 馬鹿なガキの親はやっぱり馬鹿なのか?


 さらに言うと、街の中をギター担いで歩いているタトゥーとピアスだらけで「俺

たち頭がおかしいでーす」と公言しているような服を着てる、どこに行ってもバイ

トを断られること間違いないアホっぽい連中も、こんな馬鹿高いものを買っている

のか? 奴らは金持ちなのか? 違うな! きっと盗んだに違いない! 絶対だ!



 ――と、憤慨していたのだが、十分ほど調べると謎は解けた。ギターの値段はピ

ンキリで、高いものは数百万円だが、安いものは九千八百円から売っている。奴ら

が買っているのはこういうゴミのような、ぼろギターであるに違いない。


 それにしても解せないのが、数百万円するオールドと呼ばれるギターで、何十年

も昔の中古品である。こんなものを買う奴は、数学はおろか算数も出来ない馬鹿に

違いない。そうか! やはりギターとは馬鹿が弾く楽器なのだ! 俺は強く確信し

た。


 それゆえに賢い俺が選ぶのは、新品の最高級品である。平均的な値段はだいたい

四十万円前後。なーんてお安い値段なんだ! あのスタインウェイの二千三百万円

のピアノに比べたらゴミのような値段で、天空からギターがハラハラと降り注ぐ光

景が浮かんでくる。

 ああ、最初からギターにしておけばよかった……と、少し後悔はしたが、もう過

去は振り返らないのだ。



 そして素晴らしいギターを見つけた。マーチン000-28EC。ECというの

はエリック・クラプトンのイニシャルで正にエリック・クラプトン愛用のアコース

ティックギターだ。値段は約三十五万円。迷うことなく購入だ。俺は嬉しくなって

缶ビールを一気に飲み干すと、三本目を取りに行った。



 さあ、予習でもしよう。

 勉強熱心な俺は、動画サイトでエリック・クラプトンのライブ動画を観ながらグ

ビグビとビールを飲む。ああ、ビールが美味い。ジャズやクラシックにビールは似

合わないが、ロックにはビールが合う。


 ん? 俺は重大なことに気がついた。

 女に「趣味はギター」と言って部屋に呼んだ時、ギターが一本だけでいいのか?

少なくともギターを趣味にしている男なら、何本か持っておくべきじゃないのか?

それが普通じゃないのか?


 いや、弾けるようになってから追加で買う――そんな考えが、ほんの少し頭をよ

ぎったが、こんな馬鹿でも弾けるアホ楽器に尻込みする必要はない。どうせ買うの

だ。しかもピアノに比べたらゴミみたいな値段だ。

 善は急げ、思い立ったが吉日と言うではないか。俺はギターをあと二本買うこと

にした。


 そして賢い俺はエレキギターを買うのが良いと考えた。ギターが趣味の男なのに

アコースティックギターだけでは、おかしいではないかと思ったからだ。そこから

は、まったく迷いはない。


 最初に選んだのは、ギブソンのレスポール・カスタム。これはちょっと高くて約

五十五万円。まあいい。ゴミのような値段に変わりはない。

 続いて、フェンダーのストラトキャスター。約三十万円。うむゴミ価格だ。


 どうしてこの二本にしたのかと言うと、レスポールとストラトキャスターは世界

を代表する二大エレキギターなのだ。

 ほんのちょっとギターのことを調べただけで、俺はすっかりギター博士だ。頭の

悪い中学生とはわけが違う。さらに言うと、色はどちらも黒を選んでやった。ピア

ノも黒、ギターも黒で渋くカラーコディネートされた音楽空間が出来るのだ。これ

には女もうっとりするに違いない。俺は頭が良いだけではなくセンスもいいのだ。


 そう。俺は馬鹿なタトゥーをしてるような奴らとは違う。

 俺は賢くてセンスが良くてジャズやクラシックを聴き純文学やフランス映画に造

詣の深いセックスマシーンな金髪褐色マッチョなのである。まいったか!



 四本目のビールを持ってきて予習の続きをしていたら、またまた盲点に気づいて

しまった……。


 いや、盲点に気づくというのは良いことだ。世の中には気づかない馬鹿が多い。

最低なのが、ゲームの発売後に糞のようなバグを出すゲーム会社だ。どうしてこん

なもんに気づかないんだ? と、暴れたくなったことは過去に数知れない。その点

においても、この段階で盲点に気づく俺は偉い。自分で自分を褒めたいとはこのこ

とだ。


 で、盲点というのはアンプである。


 エレキギター博士の俺が教えてやろう。エレキギターはアンプというものに繋が

ないと音が出ない。そういう仕組みなのだ。そんな難しいことを知っている女がい

るとは思えないが、万が一ということはある。エレキギターがあってアンプがない

ことを不審に思われては、どんなに華麗で上手なアコースティックギターを弾いて

聴かせようと、ワンダフルな夜は訪れないかもしれない。


 そんなわけで、俺は即座にアンプを買うことを決意したのだが、どんなアンプを

買えばいいのだろう? 俺はギター博士としてはノーベル賞クラスになったが、ア

ンプ博士としてはモンドセレクション金賞程度だ。


「うーん……」と腕を組み、(うな)り悩みながらパソコン画面を見る。


 閃いた! そうなのだ。考える必要はないのだ。このライブ映像に映っているよ

うな馬鹿でかいアンプを買えばいい。どうせ女に弾いて聴かせるのはアコースティ

ックギター。アンプは部屋の飾りに過ぎない。ならば、プロがステージで使うよう

な、この馬鹿でかいアンプが最高じゃないか!


 それから俺はでっかいアンプを調べ、マーシャルの三段積みアンプを購入した。


 個々の値段は、アンプ部とスピーカー部が別なので書くのが面倒だ。総額で約七

十五万円。まあ、これもゴミに毛が生えたような値段である。このアンプも黒なの

で、部屋のコーディネートはますます完璧になった。


 俺は五本目のビールを持ってきて、輝かしい俺の未来に向けて祝杯をあげた。


    ◇


 ――ギターが届いてから一ヶ月。


 真面目な金髪褐色マッチョの俺は、毎日熱心に練習をしている。予想通りピアノ

よりは遥かに簡単だ。同じように両手を使う楽器とはいえ、ギターの右手はピック

というプラスチックの安っぽい板を使って、ポロンポロンジャカジャカするだけだ

からだ。ドレミファソラシドもすぐ覚えた。そしてコードという面倒な押さえ方を

するものも少しずつ覚えていった。


 ……が! F! Fとかいう糞コード!

 どうしてキサマを押さえることが出来ないのだ?

 必死に頑張って押さえても、ちっとも音が鳴らないじゃないか! 


 俺はギターを置いてジャック・ダニエルを飲む。

 ギターが届いてから俺の酒はジャックとテキーラが主体だ。ジャックはテネシー

州の酒。テネシーの首都はメンフィス。メンフィスと言えば、カントリーミュージ

ックやブルースの聖地。ギターを練習しながら飲むには、ぴったりの酒なのだ。


 テキーラはメキシコの酒で、メキシコと言えばソンブレロにギターのおっさん。

まあ、これもギター繋がりなわけだが、テキーラをグイグイ飲めるようになったと

いうことは、いかなる場所に女と酒を飲みに行っても、まったく大丈夫な俺に進化

したわけで、これはこれで目標を達成したというわけだ。


 さて、これからどうしよう? 安部公房でも読もうか?

 俺は二杯目のジャックを飲みながら考える。



 ぐわあああああああああ!


 冷静に酒の解説してる場合じゃねえんだよ! 文学に逃げてどうすんだよ!

 糞なFコード! もう何日もここで行き詰まってんだぞ! そもそも馬鹿中学生

がちゃらちゃら弾いてる楽器がなんで俺に弾けねえんだよ!

 頭が悪いでーすって看板ぶら下げて街を歩いてるような連中が弾いてる楽器が何

故俺に弾けねえんだよ!


 ファック! 馬鹿でも弾ける楽器が弾けない俺はもっと馬鹿なのか?

 糞! 糞! 糞ファック! うわああああああああああああ!


 ……気がつくと俺はテキーラを瓶から直接ガブ飲みしていた。

 うぇえ! 糞! うぇえええええええええ! 


 ――ぐらぐらぐらぐらゆらゆらゆらゆら。


 部屋が揺れる……地震か?


 マーシャル三段積みアンプとグランドピアノとレスポールとストラトとマーチン

と筋トレマシンと日焼けマシンとセルフホワイトニングマシンが並ぶハイセンスな

俺のリビングルームがぐらぐらと揺れている……!


 さらに頭がガンガン痛くなって来る……こんな時になんで頭痛が! せめて地震

よ収まってくれ……ああ、揺れどころかグニャグニャと曲がり始めやがった……。

 曲がる地震って何だよ? 日本は沈没してしまうのか……?



 ぷしゃ――! ぷしゃ――――! ぶっしゃあああああああ!



 ……これは何かのデジャヴ?


 俺はリビングにシャワーのようなゲロを盛大に吐くと、ダイブするように、その

ゲロの中にぶっ倒れてしまった……。ああ……デジャブじゃないんだな。前にこん

なことがあった時は、そばにアミとアキが居たような気がする……うぇええ。


 そんなことを思いながら俺は、すえた匂いとアルコール臭で満たされた海を、必

死の形相でクロールしたり平泳ぎしたりバタフライしながら、とうとう溺れて意識

を失った……。



 ――チュンチュン、チュンチュン。


 窓の外のスズメの声で俺は目が覚めた。柔らかな朝陽が、カーテンの隙間からち

ょうど俺を包むように優しく差し込んでいる。

 ああ、死ななかったんだな……良かった。そう思った俺は、乾いたゲロが貼り付

いた顔を少し拭い、のろのろと立ち上がりカーテンを全開にした。


 爽やかな朝だ。

 生きてるって素晴らしいなあ、ただそれだけで素晴らしいなあ。何も考えること

なく、あのスズメたちのように大空を自由に飛んで暮らしたい。そして、あの白い

雲を突き抜け、宇宙の星から青い地球を見られたら素敵だろうなあ。

 でも、その前に俺……臭いな。俺はバスルームに向かうことにした。


 シャワーを浴びて出て来ると、洗面所の鏡に俺の体が映る。俺はなんとなく、い

くつかのポーズを決めてみる。ふむ、マッチョだ。ふむ、褐色だ。だけど俺の顔は

酷く疲れ果てている……。どうしてこんなに疲れているんだろう? 働いてもいな

いし、部屋からもずっと出ていないのにどうして……?


 そう思うと涙が溢れそうになった……。

 鏡に映る自分の泣き顔なんて見たくない……。

 ゲロの海になっているリビングも見たくない……。


 俺は速足でベッドルームへ向かうと、暗い部屋でぼんやりと俺の帰りを待ってい

たアミとアキを抱きしめた。


 そして泣いた。たくさん。たくさん……。


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