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夜の朝礼

 夜八時。“shell”いよいよオープン!


 の前に、朝礼である。一番リストに近い、団体用と思しき広い席にきらびやかにこしらえ上げたキャストたちが着席し、ボーイたちがその前に向かい合うように立つ。

 蘭治は、一番に出勤してきたお稲荷モアイコンビを恐る恐る探したが、どうも見当たらないようだった。


 今日は店長は休みで課長小川の仕切りで開始とのこと。


「おはようございます!」


 キレのいい課長の声が響く。蘭冶は、周りに習って挨拶を復唱しながら、ずらりと居並ぶ華美女たちに圧倒されまいと瞬間的に腹に力が入り思わず渾身の力で叫んでしまった。その声だけが独り歩きして壁に反響する。 

 気だるそうなボーイたちは無表情だが、端に座った三人の女子がクスクス笑っていた。慣れているとはいえ、久しぶりに同年代の異性に笑われるのは傷つく気がする蘭冶だった。

 それより、挨拶の声が野太いのばかりで女性の声はちらほらしか聞こえないのが少し妙に思えた。観察してみると、座っている女たちはそれぞれ、ぼんやり前方を見つめる者、下を向いてじっとしている者、仲間同士目配せをし合い含み笑いで交信する者など入り乱れ、まとまりなんて見られない。だから挨拶もおざなりなのか。


「ミア、スマホいじらない!」


 課長のぴしゃっとした声が鳴る。さっとポーチにスマホらしき物をしまう女子。その口から発せられるバツの悪そうな『ごめンゴ』という掠れ声。蘭治はハッとさせられた。まぎれもなくお稲荷の声だ。しかし別人のようにくっきりした目鼻立ちを持っている。

 そうか課長の言っていた“仕上がり”とはこういうことか、と蘭治は悟る。そして、どうりでお稲荷がいないと思ってしまったわけだ、と合点がいった。

 ということは彼女の隣で原色のスーツを着こなすハーフのように彫りの深い堂々たる美女はまさかモアイだろうか?と蘭治が恐怖のつばを飲みかけた時、課長の目線もその派手顔を向く。そしてまたピシャリと咎める。


「ノアも!秒速で隠したろ!見てるよ」


「ごめんち」


 ノアとよばれたその堂々美人の声を聞いて、蘭治は自分の推測が当たったことを確認した。

 と同時に課長の眉間にしわを認め、なおかつこめかみに薄く静脈の浮くのを見た。

 この人ストレス溜まってんのかなあ。いやそんなことより人に注意して言うことを聞かせられるっていうのがすごいなあ、と蘭冶は思った。


 そんなことをぼんやり考えていると、ふと自分のほうに皆の視線が集まってきているのに気付いた。


「じゃ三雲くん、なんか一言」


 紹介されたんだな、自分は。頷いた蘭冶は一瞬で掌が汗ばむのを感じながら口を開いた。


「あの、三雲ランチです」


 しまった!フルネームを出してしまった。自ら、墓穴を。怖い。痛いぞ、来るぞ。嘲り笑うぞ。 


 と、


 爆笑。退屈そうに澄ましていた夜の華たちが、我を投げ打って打ち興じている。名前を言う、そして笑われる。それには慣れているはずだが、こんな堂々たる爆笑は初めてだ。たいていは含み笑いかせせら笑い、それかこみ上げるものを堪えるか、だったから。

 もう、どうにでもなれ。蘭治の羞恥メーターは振り切れて壊れ、その心はひたすらに無の境地を探っていた。ああ早く家に帰りたい。


「いい名前だよっ。なごむ〜ははは」


 さっきまでツンとしていた一番美人のキャストが、目元を指で押さえながらそう言った。

 内容はともかくこんな美人に話しかけられたことで蘭治は舞い上がってしまい、しかしそれはすでに湧いていた恥や怒りとないまぜになり、その心にカオスの嵐を起こさせていた。


「みんな、新メンバーよろしくね。この仕事初めてだから、いろいろ教えてあげてね」


 課長がさわやかに劇の主役のようなセリフを言うと、端に座っていた派手な二重瞼で気持ち顎のしゃくれたキャストが斜な笑いで返す。


「え、それって、チェリー破れってこと?」


 蘭冶は生放送の事故を見ているのかと思ってしまった。何回も言われるのを妄想したことのある言葉なのに、全然ワクワクしないのはなんでだろう。


「あ、パワハラにならない程度にね」


 そう課長は笑ってから、きりっと真面目顔を作り直して続けた。


「うそ!男子スタッフと女子との私的交際は全面厳禁!罰金50万です」


「ねーそれってホントに払うの?」


 逃げればよくね?労働なんとか局にチクられたら店やばくね?などとそこかしこからひそひそ声が上がる。課長は迷うなくきっぱりと宣言する。


「会長が地の果てまで追いかけて、闇に葬ります」


 ロングセラーの借金取り漫画のセリフみたい、とキャストたちがまたあれこれしゃべり出す。課長はそこに覆い被せるように叫ぶ。


「とにかく、オープーン!お客さんもう待ってますから!ミレとレミ指名ね、急いで」


 そう声をかけられたのはさっき大笑いのあとフォローしてくれた美女と、隣で共に笑っている可憐な女子だった。


 名前が逆さま、そうか、源氏名というやつか、友達同士でセットの名前にしたのかな、と蘭冶は思う。男同士にはない華やさだな、と眩しく感じた。


 そんな場に、なんで自分がいるのか、という再び湧いた疑問は、矢継ぎ早にインカムに飛び込んできた声でかき消された。


「二名様三卓ご案内ミレレミ指名」

「四名様七卓ミレレミ楓指名」


 正確に言うとその後続いた岸の罵声に。


「早く。セットセット!」


 パッと照明が絞られた。熱帯魚たちが鮮やかに浮かび上がり、無味乾燥だったそこは一気に幻想的な場所になった。


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