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黒百合のお稲荷さん

 甲高い女の声が、蘭冶に緊張感を走らせた。


「はざーす!」


「うっすーうっすー」


 しんとした開店前のフロアに響く、二人の女性の雄たけび。迎えに出ていた車が着いたようだ。


 その高い張りのある声は、一気に無味乾燥な空間に色を付ける。だがエントランスから入ってきた二人の女性の顔は、無色。そう蘭治は感じた。

 その内訳は真っ白い顔と浮腫んだ瞼。お稲荷さんとモアイ像。二人の顔を見て蘭治はとっさにそれらを連想した。


 かすかなアルコール臭に鼻をヒクつかせつつ雑巾片手に呆然と立つ蘭冶。それをちらと見る、お稲荷さんの糸のような目、そしてモアイ像のカッと見開いた大きな瞳。


「で、あいつがピンドンピンドンうるさいからさー」 


「まじか強気なー顔で言ったらカフェパだろうが!カカカ」


 二人は新しいタンスでも見たように蘭治の顔を一瞥した後、謎の暗号みたいものを散りばめた会話を途切れさせることなく更衣室へと消えていった。


 蘭冶は恐竜でも見たような感覚を覚え、どっと疲労が下りてくる気がした。

 キャバ嬢?いや、カラオケ屋さんと間違えて紛れ込んできた二日酔いのねぇちゃん達じゃ?蘭治はその自問をすぐ自身で否定する。いや間違えやしないだろ、この店のき、キャストに決まってるだろ。

 ぼんやり更衣室のドアを見つめる蘭冶の横にいつの間にか岸が立っていた。


「ランちんあれがshell名物ネオスピガールズだよ」


 ネオスピ?なにそれ、新しいネット用語?蘭冶が戸惑っていると、課長がすかさず含み笑いとともに岸に返した。


「稼ぐのは女子、文句言わない!いいんだよ、仕上がり良ければ。」


 言いながら課長は人差し指で自分のまつ毛をくるりと伸ばす仕草をした。

 寝起きすっぴんのことか、と蘭冶は閃いた。なにか発言しようかと思ったが、その間もなく課長が何か差し出してきた。イヤホンと小さなマイク。


「これ付けて。インカム」


 課長はそう言いながら自らも装着してみせる。蘭治も見様見真似でそれを付けた。


「営業中はこれで指示ちゃんと聞いててね」


 イヤホンごしに課長の声が聞こえた。蘭治がマイクで『はい』と答えようとしたその時、女の声が飛んできた。


「ねーオガちゃーん今日美容師さん来ない日だっけ?」


 更衣室のドアが開け放たれ、さっきのお稲荷が顔を出してた。蘭冶は目玉が飛び出しそうになった。黒い百合がプリントされた紫ブラジャー1枚でその女は仁王立ちになってたのだ。片目にだけ付け睫毛を付けて。


「うん、火木は来ないって言ってんじゃん」


 オガちゃんと呼ばれた課長小川は半裸に驚きもせず平然と答えていた。その関心はブラより彼女のぼさぼさの頭に向いてるようだ。


「えーじゃあ今日髪自前セットじゃんー。つらー」


「また手間取ってオープン時間過ぎたらその分の給料付けないからね!」


 うなだれて何やらぶつぶつ言いながら、恐竜……いや女子キャストは更衣室の中に消えた。課長は呆れに苛立ちの混じったようなため息をついてた。遊び気分じゃないっつの、とつぶやきながら。


「ランちん、セットの作り方教えるから」


 何事もなかったように岸が蘭冶を呼んだ。そのことプラス自分に対するうっとおしい呼び名のおかげで蘭治はブラジャーの動揺を抑えて平静を取り戻すことができた。


 ずっと思っていたが、自分の呼び名ってもう“ランちん”になってしまったのだろうか。苛立ちを感じそうになったけど、岸みたいな強い奴に言い返すことなんてできない。情けないけど、それが自分だから仕方ない。蘭冶はいつものようにそう思った。



 これから、ああいうキャスト達が何人も来るのだろうか、と蘭治は身構えていた。が、次々と出勤してくる女性たちを見て蘭冶には安堵が湧いてきた。みんながみんな最初の二人のように寝起きすっぴんで唸るように入ってくるわけではないことが分かったから。


 こざっぱりしたなりをした大学生風の子もいれば、仕事帰りのお姉さんのような人もいて、今まで合コンしてたの?と聞きたくなるようなキメ服もいる。中には既にドレスを着込んだ上に一枚羽織ってきただけというツワモノもいた。


 蘭冶の中で、華やいだ気分と不安のようなものが混ざり合い高まってきた。ここに自分がいるのはおかしい。落ち着かない気分になってくる。


 それもそのはずだった。彼は高校は男子校、就職先は介護施設でスタッフは皆ジャージのような制服を着てたし、次の職場は男が9割以上の運輸業だった。そして兄弟は兄しかいない。


 だから女だらけ、それも最大にキメてその華で飯を食べているプロ女子の集団に入る、そんなのは生まれて初めてのこと。自分は物凄い自分史塗替えをしようとしているのだ。なんで今まで気付かなかったんだろう、こんな大事なことに。


 でも、そんな感慨と不安感に震えてる場合じゃなかった。


「らん!手え動かせよ。早くしないとオープンしちゃうじゃんかよ。外で待ってるお客いるんだから」


 岸にそう急かされ、あわてて製氷機から氷をすくうスピードを上げる蘭冶。そうだ、今はこいつに見張られブラック労働中だった。蘭冶は雑念を払うようにアイスペールに氷をよそっていく。ザクっザクっと小気味よく刻まれたリズムが響く。岸へのイライラも、吼えてたキャバ嬢への恐怖も、その後ワラワラ入ってきた蝶たちへの気後れも不安も、きれいに砕け散る感じがしてきた。


「なかなか動きよくなったじゃん。でね、ここにこうトングとマドラーを挿す、と」


 挿すだけだろ、なんでそんなに得意顔?と蘭治は岸に対して不満を持ちつつも、氷をはさむやつと、飲み物を混ぜるためであろう棒のどっちがマドラーでどっちがトングなのだろう、と疑問を抱く。が、こいつに聞くのもシャクだと思い、黙っていた。


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