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マイペース?ミステリアス?な中年ボーイ

 トイレ掃除が終わって厨房に入ると、また初めて見るボーイがいて、調理台の前でなにやら立ち働いていた。


 今度は岸が、ボーイと蘭冶を互いに紹介した。ボーイは主任で今井といった。蘭冶よりもずっと年上のようだったけど、店長よりは若く見えた。蘭治の親世代というには若い、兄というには離れている。


 黒い短髪に、眼鏡。細面だけど体格はさりげなくがっちりしている。パッと見はサラリーマン代表みたいだけど、漆黒の瞳の濃さとマット感がそれとは違う風情を滲ませてた。


「よろしくお願いします」


 うんと年上の人に丁寧に挨拶されて、蘭冶は恐縮するような気持ちを持ちながら慌てて気を付けをした。そして挨拶を返す。


「三雲蘭治です。よろしくお願いします」


 まずい。またうっかりフルネームを名乗ってしまった、聞かれてもないのに。ましてやこんな奴の前で、と蘭治は岸の方をちらと見る。


「なんつった?ランチ?随分キラったなー、パパママ」


 思ったよりはましな反応だった。半笑いで済んだ分最高点には達さなくて、レベル4、と蘭治は判定。判定なんてしてもしょうがないが。

 対して今井は表情を崩さなかった。ノーマル対応。そのせいか岸もそれ以上突っ込まなかった。

 普通の人もいる、と少しほっとした蘭治から視線を外した今井は再び作業に取り掛かった。


「今、爆弾入れてるんだよ」


 岸が楽しそうに言いながら蘭冶を肘でつついた。不穏な響きに、なんのことだろう、と蘭冶はいぶかしがる。岸は、見ろとばかりに今井の手元に目をやる。


 今井の前には、上戸を差した焼酎の瓶があった。そして今井自身は瓶の前で3、4リットルはあろう大きなペットボトルを抱えている。彼は淡々とその中身……透明な液体を上戸に注ぎ始めた。


 岸も今井の横に並び、台の上にあったもうひとつの上戸を別の瓶に差す。今井が一瓶注ぎ終えるのを待ち、重そうなペットボトルを受け取るように手を伸ばした。


「わるいね」


 今井はそのまま仕事を岸に引き渡した。


「飲んでみる?頭痛くなるよ」


 岸が右側の口角を上げ、蘭冶をチラと見る。蘭冶がペットボトルのラベルを読むと、焼酎であることが分かった。なんだ酒か。ホッとすると同時に少しばかりのスリルも消えた。


「自分未成年なんで」


 そう答える蘭冶を岸はまたチラ見し、すぐ今井に視線を移し問いかける。


「今井さん、酒飲み始めたのいつ?」


「中二」


 今井のさらっとしたその答えを聞いて蘭冶は、彼はこう見えてヤンキーだったのか、と思った。そこで岸の声が飛んでくる。


「ランちん、中学から酒飲んでたらヤンキー、なんて思ってる?」


「い、いやあ」


 蘭冶は戸惑う。今井さんに失礼じゃない答え方が分からない。でも間を置かずに岸が続けてくれて、助かった。


「世間知らないヤツって視野狭い見方しかできないんだよね!今井さんこう見えて三万橋大出インテリだから」


 三万橋大。東京で二番目に高偏差値の国立大だ。


 蘭冶は『こう見えてってどういう意味だ』という今井のツッコミと『いやいやあ』という岸のヘラヘラ笑いを聞きながらつぶやいた。


「アタマいい。」


 そんな難関大学を出た人と自分が同じ場で同じ職についているということに違和感を感じた。が、それ以上に、そういう人が中学から酒を飲む、ということが結びつかなかった。


 ぼんやりしていた蘭治は突然岸にペットボトルを押し付けられた。


「やってみ。勉強勉強」


 こいつ、いちいち偉そうだな。蘭冶は、初めこそ怒鳴られるのではないかとビクつくだけだったが、慣れてくると岸の口振りが気に触ってきていた。


 が、逆らえるはずもない。黙々と上戸の上にペットボトルを傾ける。重みでドバっといかないように、ゆっくり、ゆっくり。


「お、案外器用にやるじゃん。またハプニング期待してたのにな」


 岸の言葉に、さらに腹立ちを感じる蘭冶だった。と同時に、歯医者の消毒のような匂いが鼻をつく。


「この匂いホントきついよな、こりゃ効くはずだわ」


 とぼやく今井に蘭治は聞いてみた。


「あの、これ、なんで焼酎から焼酎に移し替えてるんすか」


「飲み放題のボトルだから安い焼酎入れてコスト押さえてんだよ。格好だけ整えるために普通の値段のやつの瓶に入れてさ」


 飲み放題なんていう庶民的な言葉がこんな所で出てくるか、と蘭冶は不思議な気分になった。キャバクラ=高い、というイメージだったのに。気になって、どんな料金体制になっているのかを今井に聞いてみたが。


「そういうのは、多分後で店長か課長に教わるんじゃないか?そん時じーっくり、聞いて」


 ややこしいのだろうか。飄々とかわされた。そして今井はそのまま鼻歌を歌いながら岸が満たした瓶の蓋を端から閉めていった。


 焼酎の詰め替え作業が終わると、岸と今井の二人は捲っていた袖を下ろし、ベストのボタンを閉めた。


「じゃあ、おれらはキャスト迎え行ってくる」


 岸は蘭冶にそう声をかけた。蘭冶は、薄々思っていたことを確信に変えた。キャストって、やっぱキャバ嬢のことか。


「その間、全部のテーブルとソファ拭いといて」


 岸は、そばに掛けてある雑巾を指し、白がテーブル、黄色がソファ用だと説明した。そうしていつの間にか消えていた今井を追うようにそこを後にした。


 蘭冶が雑巾を濡らしていると、会長がらみの用とやらで出かけていた課長が帰ってきた。彼は勤怠のホワイトボードを覗くと、蘭冶に聞いてきた。


「今井さん来てるね。会った?」


「はい」


 課長によると、これで蘭冶はこの“shell”のボーイ全員に会ったことになるようだ。


 それを聞いた蘭冶は思ったよりはチャラくないな、と肩透かしを食らったような安心したような複雑な気分になった。そしてカラオケ店で働き始めた吉沢の『想像したほど浮いてない』『掃除ばっかり』という言葉を思い出し、ヤツもこういう感覚なのか、と思ったりした。


 キャバクラっつったって、会社だし、ちゃんと営業したり経営してりしてんだし、意外とまともな世界なんかもな。


 とも、思ったり、した。が……

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