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チャラくてキツくてテキトーな先輩・岸

 課長小川の『仕事の説明』が始まった。

「うちはね、まず休みが月5回。シフト…………オープンが…………閉店時間は平日二時、週末三時から四時」


 はい、はい、と頷く蘭冶だが、詰められた言葉が多すぎて脳に収まりきれない。所々聞き取れず、内容の半分は文字通り右耳から左耳へと抜けていくようだ。


「営業中の業務はね、まずやってもらうのは…………ホールの…………飲食店のバイトと一緒ね。そういうのは、やったことある?」


「あ……ないです」


「うん、でも難しいことはないから大丈夫だよ」


 デキそうなイケメンに早口でテキパキとそう言われても、全然大丈夫そうな気がしなかった。それ以前に、説明の内容が七割方頭に入っていないのだから、先が思いやられる。


「あとは、おいおい覚えてもらうのが、フロントっていうお客さんを出迎えて指名を聞いて案内するやつと…………呼び込み…………テーブル回転、まずそんなとこかな」


 これは深夜番組なのだろうか?音声に修正が入ってるのだろうか?確かに時間枠は深夜だが……またまた、情報の半分が頭から漏れ出す蘭冶だった。テーブル回転って、中華料理みたいに回すのだろうか?奥にあるビップルームとかでは本格中華を味わえるのかも知れないな、とぼんやり考えたあと、まさかね、と否定した。


「で、シフトだけど、とりあえず今月は木曜休みでいい?」


 急に問われたので少し慌てつつも、いいです、と蘭冶は答えた。


 それから『店内の各場所を覚えて』と言われた。

 課長小川と一緒に、まず店内を一周し各テーブルの番号を教えられた。

 そして客・従業員兼用トイレ、女子トイレ、女子更衣室、ヘアメイク室、厨房と見せられる。

 最後には、蘭冶が店に入ってきた時に課長小川が電話とパソコン入力をしていた小部屋に行き着いた。そこは各テーブルの入退店時間や指名・オーダー・会計ほか営業中の動き全てを把握し指揮を出す指令小屋で、リストと呼ぶらしい。


「おはーす」


 リストとやらの説明を受けていると、脇にある厨房の奥から声が聞こえた。そしてタイムカードを押すような音が続く。同僚の出勤らしい。新たなチャラ男出現だろうか、と蘭冶は身構えた。


「おいおい〜。挨拶はあ?」


 イケメン課長小川が厨房に向かって諌め半分茶化し半分に、まるで下の句を促すように語尾を上げると、


「あ、きちんと!です。おはようございます!」


 ボーイは慌てた様子で言い直した。何度も注意されて合言葉になっているようだった。


「じゃ、三雲くん、彼に付いて仕事教わって」


 課長は蘭冶を見てそう言うと、さっと厨房へ向かった。蘭冶は急いで後を追う。


 厨房では今出勤したらしいボーイが小さい鏡を前にネクタイを締めようとしていた。

 けだるそうなうなだれ具合。でも髪はバチっとコテでセットされている。反射神経のよさそうな、しなやかで締まった体つき。蘭冶はモテ男の楽屋裏を見ているような気がした。


 叶わない、一瞬で判断した。マウントもされてないのに、下側に滑り込む。それはでもある意味蘭冶の処世術だった。


 とりあえず自己紹介なんかをした方がいいのだろうか、と蘭冶は思うが、かの彼はピクリともこちらを向かないのでタイミングを掴みかねていた。と、課長の声がボーイに投げられた。


「今日入った三雲くんね」


 ボーイは初めて振り返った。課長は今度は蘭治にボーイの名を教える。


「岸」


 蘭冶とその岸と呼ばれたボーイはそこで初めて目線を合わせ、ぼそっと

『よろしくお願いします』

 と挨拶を交わした。言い終わるやいなや岸は課長に顔を向け口角を上げながら


「なんでおれだけ呼び捨てなんすか」


 と口を尖らせた。


「え、だってなんか気持ち悪いじゃん、いまさら岸くん、とか言ったら」


 課長はそう言ってニカっとし、リストに向かっていった。岸はははっと笑った。それから蘭冶を見て


「さーて、やる?」


 ラジオ体操のように胸を開いて肩を回しながら気の抜けた声で言った。課長の出すチャキっとした空気に触れたあとの蘭治は少しだけほっとした。



「これと、これ使うから。あ、これも」


 岸は蘭冶に向かってそう言いながら、掃除用具ロッカーからバケツやゴム手袋などを出した。蘭冶は必死に指差ししながら復唱し覚えようとするが、


「そんな必死こいて覚えなくっていいよ、こんなん」


 そう岸は笑う。そして蘭冶にバケツに詰められたトイレ掃除セットを渡すと、先に立ってまず客用トイレに向かった。


 その途中、遠くから課長の声が聞こえてきた。


「じゃ、出るから」


「あ、会長のあれすか?」


 岸の言葉に『うん』と短い答えが返ってきた。そして店の出入り口ドアの開閉する音が響く。




「てきとうでいいよ」


 岸は、トイレの鏡を磨く蘭冶に気の抜けた声をかけながら、煙草に火を付けた。そして続ける。


「店長とかになりたい派?」


 入ったばかりなのに店長狙い?その唐突な質問に蘭冶はとっさに答える。


「あー、うーん、あんまよく分かんないす」


 思ったままを言ってしまったが、もっとヒネった方がよかっただろうか、と蘭冶は思う。岸の反応を見ると、首を傾げながらも満足げな不思議な笑いを浮かべていた。まあ笑ってるからいいか、と蘭冶は開き直る。


「うわ、なにやってん?」


 突然岸の叫びが蘭冶に被さってきた。


「洗剤どんだけ入れてんだよ」


 岸の目線の先を追いながら蘭冶も自分の足元の小便器を見下ろした。そしてこれまた驚愕の声を上げる。


「蟹!?」


「ばか、おめえが大量に入れた洗剤のアワアワだよ」


 岸は乱暴な言葉でツッコんだ後、呆れたようにため息をついた。蘭冶は慌てて謝った。


「すいません」


「あーあ、これもうバケツでジャーしないとだめだな」


 便器を見下ろして岸はチッと舌打ちをする。

 怒られる、蘭冶は身構えた。しかし岸は床に置かれたバケツと廊下に見える掃除用具洗い場を見比べながら


「はい、がんばって」


 と気の抜けた声を出すだけだった。怒鳴られなかったことに安心した蘭冶は、一生懸命泡を洗い流した。岸は二本目の煙草を付けながら号令をかけた。

「掃除はボーイの基本だから、きちっとね!」


 2つめの個室に取り掛かかる頃には、蘭治はトイレ掃除の要領を得てきた。その様子を察知したのか気まぐれなのか、ずっと黙っていた岸が話しかけてくる。


「今日は合間に寿司食えるかもよ」


「あ、寿司、すか」


 蘭治の頭に浮かんだ悲願のシーチキンとコーンのせいで会話に間ができてしまう。慌てて有名回転寿司チェーンの名を繰り出すと、岸がせせら笑った。


「固定タイプの立派な寿司だよー、会長の手土産なんだから」


「会長?すか?」


 蘭治は、さっき課長が出かけるときに岸が言っていた『会長のあれ』という言葉を思い出した。


「毎月、会長が街の元ヤン社長連中と定期会合してんの。傘鮨って寿司屋で」


「それって昨日じゃないすか……面接で会った人が、かさずし行くとか言ってました」


「いっつも行ってんの、会長は!」


 蘭治の言い方がぶっきらぼうなため『指摘』風になってしまったらしく、やや苛立ちを交えながら岸は答える。


「てか傘鮨に限らず毎晩飲み歩いてるよ。で今日は月イチの会合の日。でその日は寿司持って店に顔出すのがルーチンなの」


 蘭治はもう余計なことは言うまいと『はい』とだけ答える。しかし岸はすぐイラつきなど忘れたように続けた。


「でもねーおれの食えるモンないのよ、そういういい寿司屋にはっ。おれの好きなコーンとシーチキンなんて」


 蘭治は目を見開き、口元を綻ばせた。


「おれもす、いつもシーチキンとコーンす」


「お、なかなかわかるじゃん!よし、じゃあ今日は女子トイレは水だけシャーの省略コースでおけー!」


 さっきまでは、みしみてやれよ、と見張っていた岸の変わりように蘭治は面食らった。

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