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みんなの事情

「ていうわけで、親バレしちゃったんす」


 開店前の店舗で、蘭治はソファに掛けて洗い上がりのおしぼりをパンと広げながらぼやく。


「で?なんて言われたの」


 今井はテーブルの上でおしぼりをくるくる巻きながら質問した。蘭治は眉間を寄せて答えた。


「なんか、いかがわしい、とか」


 それから一息ついて続ける。


「こういうとこブラックじゃないのか、とか色々根掘り葉掘り聞かれて。保険とか労災?のこととか」


 蘭治はぽつぽつと事の次第を語った。給料明細を見せろと言われたけど捨てたので無理だったことや、営業中酒は飲まないこと、残業代云々というより就労時間という概念自体がないこと、つまりありのままを話したことを。『エロい店じゃない』ことを告げたら少しほっとしていたことは、蛇足かなと思い言うのはやめた。


「最終的には、次の給料明細を見せろ、てことになって」


「なぞの『厚生会費』とか『税金』とかって天引き欄見られたらアウトだなー」


 今井は新たなおしぼりに手を伸ばしながら笑った。


「でもそん時おれ二十歳になってるからもう自分の自由です」


「家出ちゃえば、いっそ」


「アパート借りるのって、いくらくらいかかるんすか?今井さん一人暮らしですよね」


「さあなー、おれ寮だからなー」


 寮とは店が借りている社宅のことだった。


「ずっとですか?」


「この店に来てからだけど」


 蘭治はふと気になった。今井の『ここに来る前』が。


「三万橋大って東京ですよね、そん時は一人暮らしですか?」


「まあねえ」


 蘭治は、そこからここまでの空白が気になった。しかし、何から聞いていいのかも分からないし、それを今ここで聞いていいのかどうかも分からなかった。


「三雲くん、ここを辞めたい辞めたい言ってたじゃん」


 また自分の話に戻ったので蘭治は少しホッとしながら答えた。


「でも親に言われて辞めるのはやです」


*


 金曜日は、仕事を終えた後のんびりめに居酒屋で過ごして来店する客が多いため出足は遅いのが常だ。この日も開店後しばらくは暇で、蘭治は厨房で仕込みの手伝いをしていた。


「ランくん揚げ物やってみる?」


 サキに促され、はいと蘭治は答える。そして取り掛かる。


「油の温度を見るよ」


 そう言ってサキは蘭治に衣を一摘み油に落とすよう指示する。衣は静かに落ちていく。それから、少しずつ間を置きながら同じ事を繰り返し浮き上がり具合を見る。


「このくらいが適温」


 何回目かでサキはゴーサインを出した。蘭治は唐揚げやポテトなどを投入する。サキは今度は逐一表面の様子や浮き具合を言葉で明確に説明しながら上げ時を教えた。


 分かりやすい。

 蘭治は実を言うと料理に苦手意識を持っていた。中学時代の調理実習で、同じ班の女子に“指導”された時は、説明内容がまったく把握できず、最終的にキレられたということがあって以来。今思うとあの時の彼女のセリフは『こういう感じ』『このくらいで』『サッと』など曖昧な表現が多かったようだ。『こういう』のポイントはどこを指してるのか、何と比べて『このくらい』なのか、さっぱり分からなかった。


「手際いいじゃん」


「教え方がいいからです」


 蘭治は言った後少し照れた。


「これで私も安心だな」


 蘭治は振り返ってサキを見た。色が薄いサキの瞳には光彩が見て取れる。


「って……」


 まさか。去るとでも言うのだろうか?


「受かったんだ、数学」


「高認、ですか」


 サキは頷く。


「いったん仕事やめて、これからシューカツすんの」


「おめでとうございます」


 蘭治はやっとのことで祝辞を述べた。

 そうだよな、サキには娘がいる、生活時間を合わせたいだろうし、収入や将来的な安定も考えるだろう、と蘭治はぼんやりと納得した。


「後継者はランくんをって店長に推してんの」


「は、はあ」


「やじゃなければ」


 蘭治にとっても、ホールでカリカリした課長に怒られながらやるよりずっと良かった。しかし、サキがいないとこの店で働き続けるプラス要素が大幅に減る。ということに蘭治は今更ながら気付いた。


 そこで東が満面の笑みで現れた。


「おやつの時間?」


 サキがからかうように問いを投げると、東はおちゃめに笑った。


「今店長、会長の用で出てるんで」


 東は『いただきます』と言って揚げたてのポテトを摘み、熱がりながら頬張った。続いてサキも摘んだ。蘭治はざるに入った解凍中の枝豆を一掴み取った。


「そういえば、岸くんどうしてるかな」


 サキが唐突に独りごちた。蘭治はむせてウーロン茶を飲んだ。なぜか、岸という名を聞くと交感神経が活発になる。


「あ、あの人ですか、バーベキューの時の。会長の財布をランくんから奪い取ろうとした。前働いてた人ですよね?」


 岸と面識のない東はそう問うた。会ったことはないが店のボーイやキャストらから色々な噂は聞いているのだろう。


「ランくんが投げた煙の花火に紛れて逃げたんだって?」


 サキはそう言って笑った。彼女はあの日夜明け前に帰っていたので後日談で聞いたのだろう。

 蘭治は改めて疑問を感じた。自分自身に対して。なぜ、結果として岸を助けるような事をしてしまったのだろう。あんなに腹立たしい奴を。


「なんかテンパっちゃって、おれ」


 蘭治はそう言って二人に笑顔を向けた。


「でもおれあんな残酷な水泳大会見たくなかったもん、よかった」


 東はそう言った。


「もし岸さん会長に捕まったらやばいかな。今度は弾が飛んでくる弁当屋かな」


 と蘭治は今後を慮った。


「その噂、どうなんだろうね。会長そこまで悪い人に思えないけど、でも会長自身が言ってることだしね」


 サキも不安げな表情を見せた。

 やっぱりこの店、アブないだろうか。蘭治はサキの期待に応え仕事を受け継ぎたいけどそれに疑問も感じ始める。


「意外と元気にやってると思いますよ」


 不穏な空気を破ったのは東だった。


「会長も追うのめんどいだろうし。逃げてるよ多分。そういう人おれも知ってるし」


「かなあ?岸くんも悪いヤツだけど、根はいいコだもんね、ならいいなっ」

 

 サキの言葉を聞きながら、蘭治もほっとしていた。その安堵感に複雑な気分になった。


 そこで不意にフロントからの連絡が入る。


『10名様ご案内!』


「うわ来た!」


「ウエーブ!ウエーブ!」


 蘭治と東はカウンターへと走った。


*


「あの10名、まねき猫すぎ」


「あれ皮切りに激しかったなー今日の混み」


 閉店後。蘭治と東は、キャストを送るための車を取りに行くため駐車場へと続く路地を歩いていた。


「この店、けっこう栄えてるね」


 東に同意を求められた蘭治は、他の店を知らないので逆に問い返した。


「前の店ってそうでもなかった?北の方って言ってたっけ、何県?」


「北海道」


「ススキノ!?」


「ススキノじゃないよ。もっと田舎」


「そんな遠くからなんでこんな中途半端な所に?」


「うーん、色々あって」


 蘭治にはしっくり来なかった。『色々』の影なんて見えないから、東には。


「うわ」


 車に乗り込もうとして嫌な声を出す東。蘭治が彼の元へ歩み寄ると、前輪が潰れているのが分かった。パンクだ。

 すぐに店に連絡を入れ、蘭治の車のライトでそこを照らしながら二人でタイヤ交換を始めた。


「課長、五分以内でやれって」


「ムリだろそれ」


 東は慣れた手付きで作業を進める。この間までペーパードライバーだった蘭治は感心しながら補助をした。


「おれもだよ、おんなじ」


「え?」


 唐突な東の発言に蘭治は首を傾げた。


「『岸さん』と同じパターン」


 なに!?


「逃げてきた」


 蘭治ははずしたタイヤを転がす手を止めた。


「店の女の子と?」


「うん。途中で別れたけど!」

 

 蘭治は『五分』と言った課長の顔を思い出し、気を取り直して車にタイヤを積み込む。


「だからね、新しい彼女ほしいんだあ」


 手早くナットをはめていきながら淡々と東は続けた。


 こいつ……ホントに岸の匂い。蘭治はまたデジャヴを感じた。

 作業を終えた東は工具をしまい、振り返る。


「あ、でもおれは恐喝はしてないよ」


 蘭治は黙って頷いた。

 そして時間に追われる二人はただちにエンジンをかけ発車した。


 岸は東で、東は岸だ。蘭治は頭が混乱するのを感じながらハンドルを握った。ここに、岸のように逃げてきた東がいる。そしてどこかに、東のように逃げていった岸が生きているはずだ。


 




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