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艶マシマシで

「おはようございます!」


 直立した課長から発射される張りのある声。

 団体用の広い席に掛けたキャストの間にたゆたう芳香とさんざめきも、一瞬だけは直線的に固まる。

 卓の前に並んで立つボーイたち。

 向かって左から、司会を課長に任せ腕組みをする店長、仕切りの課長、東、今井、そして……

 蘭治は今なぜ自分はここにいるのだろう、とぼんやりと思った。


*


 今朝7時頃、魔のバーベキューは終わった。今井の段取りで『片付けの準備』を万端にしていたためすぐに撤収することができた上、蘭治は幸運にも市内の送り担当となり、思ったよりは早く帰宅できた。

 店の駐車場に送迎車を置いて家路につく途中、蘭治はATMに寄り7万円を下ろした。全財産だった。

 そして家に着いてベランダで母親が洗濯物を干しているらしい音を聞きながら自室に入った。入るなりスマホを取り出した。


『逃げるって、どうすればいい?』


 吉沢、林とのグループ画面を出したところで指が止まった。そして首を降る。さすがに今回はグチを放ってスッキリすればいいやつとは違う。

 あいつらに分かるわけがない。自分でなんとかしないと……そうだ、調べよう。

 乗り換えサイトを開いた。

 今日中にどこまで行けるか。電車賃は?ホテルっていくらで泊まれるのか?

 突然蘭治はハッとしたようにカレンダーを見上げた。誕生日まであと5日。その時、二十歳になる。それまで補導されないようにしないと、だな。そんなことを考えながら、蘭治はいつの間にか寝入ってしまった。


 スマホの着信音で起こされた蘭治は時計の針が午後3時を指しているのを見て慌てた。そして画面を見てもっと戸惑った。サキの名前が表示されていたからだ。ボーイと厨房係は仕事の連絡事項のため全員が全員の連絡先を登録してあったが、彼女と連絡を取り合ったことはなかった。

 罠なんじゃないか?蘭治の指先はためらった。今朝の楓とのやりとりが頭をよぎった。また同じように……用心しなければ、と思おうとしたが無理だった。彼は通話ボタンをタップし受話器を耳に当てていた。


「あ、ランくん?おはよう」


 本物だ。サキの声だ。蘭治はしかしまだ疑いを残しつつ挨拶を返した。


「お願いがあるんだけど」


 と続いたサキの言葉に、さらに蘭治は構えた。


「フルーツ買うの付き合ってくれない?今日いっぱい使うのに買うの忘れててさ、在庫なくなっちゃってると思うの」


 玄関で靴を履き、ドアに手をかけ立ちすくむ蘭治。時間は迫っている。逃げる時間も、サキとスーパーの青果コーナーに行く時間も。

 その頭に、会長の幅広で長い舌が浮かんだ。同時にサキがスイカやメロンやパインを抱えよろけそうな姿も浮かんだ。


 ……


「ありがとうー。助かるー」


 蘭治はサキの礼の言葉を受けながら、右手にスイカを、左手にメロンやパイン、オレンジの入った袋を提げていた。


「オーダーいっぱい入るといいすね」


「課長の機嫌良くなるからね」


 店の車に荷物を積みながら二人は笑いあった。なすがまま。中学生の頃、茄子が丸のまま食卓に出てくることを表しているのだと思っていたその言葉を、蘭治は思い浮かべていた。


 店に着いた後、蘭治はオートシステムのように開店前のルーチンをこなし出した。


「おはよう。三雲くん今朝は大変だったねー」


 既にタイムカードを押し、おしぼりを蒸しケースに入れていた今井が普段通りの調子で挨拶を投げてくる。


「おはようございます。あ、やっぱおれ今日トイレ掃除当番ですね」


 続いて出勤した東もいつものように割り振り表を覗く。

 そしていつもと同じ運びで始まった朝礼だった。


「みなさん昨日はおつかれさまでさした。今日は和牛パワーでめいっぱい稼いでください!」


 課長の言葉に、ほーいと気のない返事をするキャストや、それは別腹だと騒ぐものや『ただより高いものはない?』と切り返すものなど、これもまたいつも通りの光景が繰り広げられる。


「それでは、今日もよろしくお願いします!」


 課長がキリッと眉を上げてキメると、素早く壁のスイッチに歩み寄った東によって照明が落とされ、音楽が流れ始め、ボーイたちは散る。


 そのまま日常が続いていくかのように思えた。

 が、『日常』はそこまでだった。蘭治の付けたインカムには、それまでのどんなに盛況だった週末にもなかったくらいに、フロントからの声が立て続けに飛び込んできた。


「楓さん指名2名三卓」

「楓さんミレさん3名4卓」

「楓さん一名5卓同伴」

「ミレレミ楓……」


 は?空耳か?楓って言った?蘭治の頭が作動する前に課長の声が響く。


「早く!セット!」


 あわてて蘭治はカウンターへ飛びつく。今井と東と連携してセットを作りながらエントランスを見て息を呑んだ。

 扉を開け礼をしながら客を迎え入れる課長。そこをスーツ姿の男性とともにすり抜けてくるのは、えんじ色のワンピースを着た楓だった。髪も、肌も、唇も、いつになく艶めいていた。  

 客だけが課長によって店内へ案内された。楓はまっすぐ前だけを見て更衣室へ向かって行った。


 蘭治が同伴の客の席に1名セットを運びカウンターに戻ると、一人の男性が入り口から入ってくるのが見えた。彼は大きなロゴのプリントされたエプロンを付けていて、なんだか他の客とは様子が違う。何かの業者だろうかと思いながら蘭治が近づくと男性は言った。


「楓さんという方にお花を届けに来ました」


「?はあ」


 蘭治が促されるまま伝票にサインをすると、花屋らしいその人は尋ねてきた。


「どちらに置きましょうか」


 それはどんな物なのだろうかと蘭治が外を除きに行くと、そこには大きな胡蝶蘭の鉢があった。


「ここ?でいい、かな?」


 蘭治があいまいな指示を出していると一階から上がってきたエレベーターが開いた。なんと出てきたのはまた花屋だ。


「ちゃーす。楓さんへお届けです」

 

 今度は二人かかりで、立花を抱えていた。またか?蘭治が呆然としていると、さきに来た花屋がさっとエレベーターに乗り、降りていった。


「あ、そこで。たぶん」


 蘭治はまたサインをして花屋を送り出した。そこでインカムが入った。


「お客上がってくるからそのまま案内やっちゃって」


 言われた通り蘭治はすぐに上がってきたエレベーターを待ち構えた。開いたドアから現れたのは泥酔指揮者のベートーベンだった。大きな花束を抱えていた。


「急だったから、こんなちっちゃいのになっちゃったよ」


 彼は蘭治の顔を見て言い訳するように笑った。その時、蘭治は立花と胡蝶蘭に『楓さんへ 誕生日おめでとう』と書いてあるのに気付いた。


*


 今日楓はパニエで膨らませたゴールドのドレスを着て、目も回りそうなほどあちこちの席をくるくる回っていた。それでも忙しいほどに彼女の動きは優雅さを増していくようだった。


 蘭治たちボーイもアスリートさながらに機敏な動きで走り回った。今スポーツテストをしたら学生時代より反復横飛びの成績上がっていそうだ、と蘭治は思った。厨房で東にそれを言ったら『だな!』と笑った。しかしすぐ課長に『口じゃなく手え動かす!』と言われ話は終わった。


 会長が来ていた。いつも通りミレ指名で、サブでレミを付けている。


「ごめんねえー、今日楓ちゃんとおでんデートしちゃったあ」


 会長はミレにそう言った。


「今日誕生日だもんねーあの子。同伴してあければよかったのに」


 落ち着き払って答えるミレ。その冷え切った声に、テーブルの氷を替えながら蘭治はぞくっとした。しかし彼女の氷のような頬は透き通っていて、ガラスのように冷たい目の奥には熱い炎が見えて美しかった。会長も同じ事を感じたのかご機嫌取りなのか、凍えるように二の腕を擦りながら


「ミレちん綺麗だあー、またサイト用の新しい写真撮ろうね!」


 と言った。と、そこで会長は初めてその存在に気づいたように蘭治に声を投げる。


「やったね、しゃくほーう」


 蘭治は黙って礼をして下がった。ホールを歩きながら、安堵するとともに沸々と湧き上がる怒りを感じた。

 なぜ、自分は日本の法律よりも、明らかにおかしくてマイナーな会長の、この店の法に沿おうとしていたのだろう?

 

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