夜には夜のルール
「とぼけるなよ」
今まで聞いたこともないような課長の声だった。低く、重く、冷たい。
蘭治の脳内で課長の顔にパリンとヒビが入る映像が流れた。さわやかチャキりイケメンの面が割れ始める。中から出てくる顔はどんなだろうか…。背景は、黒。
早くここから解放されたい。でも。
「知らないです」
としか答えようがない。
今朝蘭治は、岸、ミア、ノアとともにカラオケ屋を出た。ミアノアとは店の前で別れ、ほぼ眠っている岸を店の送迎車の停めてある駐車場まで運び、運転席に押し込んでおいた。それだけだ。
それを順を追って説明しようとして口を開いたが遮られた。面の中から出てきた、無機質で冷徹な悪魔の顔に。
「はやく言っちゃえよ?…」
蘭治の喉がつまった。
と課長は不意に背を向け、青が濃くなった窓に向かい二、三歩進む。そして振り返る。いつものさわやか面を再装着して。
「今なら、三雲くんは何の咎めもないからさ」
マイルドな笑み。蘭治は安堵したような薄気味悪いような気持ちになる。しかし緊迫の波形は多少穏やかになる。
「でも、ホントになんも知らなくて……あの、カラオケで寝ちゃって、であの、車に乗せただけで」
蘭治の必死の弁明の途中で、課長は今度は入ってきたドアの方を振り向き、大げさに伸びをしながら皮肉混じりの素っ頓狂な声を出した。
「あーあー、だめだあ、こりゃ!」
再び蘭治の喉が閉まると同時に、扉の向こうから声が聞こえた。
「…だめかい」
カエルの鳴くような、聞き覚えのある声。
やっぱり。ドアが開くとともに現れたのは会長だった。
「よ。若えの、がんばってる?」
白い丸顔の上の細い目はよく見ると黒目がちで、意外と童顔だなと蘭治は思った。しかし放つ空気はまったく優しくはない。
…これ、けっこうなオオゴト?
「三雲くん、先輩をかばいたいのは分かるけどさ」
後ろから店長も現れた。
「悪いんだよ、岸は。店の子に手出して更に客に対して暴力沙汰だよ。犯罪だよ?」
そうか。蘭治は今井の人差し指バッテンのジェスチャーを思い出す。喧嘩は成人がしたら犯罪なのか。
「示談にまとめてくれたのは会長なんだ、逃げるなんてないだろ、恩を仇で返すってやつなんだよ」
岸の奴め。最後まで、自分に害をもたらす。蘭治は腹立ちを感じ、その瞬間
『あ、これいつもの感じだ』
と変にしっくりくる懐かしさを感じた。すると不思議なことにリラックスしてきて少し冷静さを取り戻した。
「かばったりしません。おれ岸さんあんま好きじゃないです」
課長が、予測外の言葉を聞いたというように蘭治を注視した。
「そんなん、知ってたら真っ先に、こんなに怖く脅される前に言ってます」
課長、会長、店長の三人はそれぞれ交互に顔を見合わせた。その時蘭治はハッと閃いた。
「そうだサキさん!サキさんに、会いました。岸さんと、別れてすぐ」
そう訴えた蘭治は、店長に本当か?と聞かれてウンウンと頷き、課長になぜ?と問われて偶然偶然、と答えた。
長のつく三人は再び目を見合わせ、互いの意を探り合った。
そして、舞台は二階店舗の厨房へ移った。
「サキちゃん、この子の言ってることホントなの?」
サキに話しかける時、会長の声は猫なで声に変わる。気持ち悪い、と蘭治は思った。なにより自分たちボーイへの対応との違いに面食らった。
「うん、行き会いましたよ。昨日私リエの通学路の旗持ち当番で、八時に終わって。そう、お店で借りてる駐車場の脇の道通って帰るから」
何気ない日常会話のような口調で、サキは答えた。
「ね?ランくん」
蘭治に向ける柔らかい笑みも、いつもと同じだった。蘭治は首を何回も縦に振った。必死だった。ありがとう女神!
「証言、信憑性あり!」
会長がそう言いながらゆっくりと、後ろに並んだ蘭治、課長、店長の三人を振り返った。その顔はスイカのお化けみたいに口角が上がっていた。
「ランくん、よし、じゃオープン作業行こ!」
課長が明朗な声を出しながら胸の前で両手をパチンと合わせた。完全なるイケメン仮面を装着していた。
助かった。蘭治は脱力したまま軽く会釈をし、ホールへ飛び出した。
ランくんって、課長に初めて呼ばれた。
気持ち悪い。
そう、岸に初めてそう呼ばれた時のように。
そういえば、いつの間にか岸に変なあだ名で呼ばれるのは抵抗なくなってたな、とふと蘭治は思った。
*
「という、恐怖体験だったんだよ」
話し終わった蘭治は、吉沢と林の顔を見渡す。彼らのグラスは空になり、水滴が滲んでいる。
「ちょっと、裏世界体験だな?」
林がそう言って、ストローで氷の隙間の液体をすする。
「てかさ、三雲、そのサキさんて人お気に入りだろ?」
吉沢の冴えた声に、蘭治は照れ笑いで別に、と言いかけたところで、続く吉沢の言葉が重なる。
「いいんかよ、自分が助かるためにあっさり丸投げして。そのサキさんが巻き込まれるかも知んなかったじゃん」
「そ、そうか!」
考えてなかった。蘭治は冷や汗をかいた。冴えないヘタレな事をしてしまった。
「え、いいじゃん、オイシイだろ三雲!」
林は反対意見を出してきた。
「美女に助けて貰えるなんてさ!いいなーくそ」
「林そっちなのか」
なるほど、と蘭治は思った。吉沢の(やる人によっては)モテ系の配慮精神にも、林の開き直り幸せ享受道にも。
自分はどっちにもなりきれない、とも思った。
しかし、三人ともモテないことに変わりはなかった。




