「知らなかったの?みーんな知ってたよ」
「もう本気でやめたい病。あの店ムリ」
「辞める?ダ・メ!」
「そうだ!クビ以外でやめちゃダメルールまっとうしろ」
やっと来た週に一度の休み。いつものファミレスに、いつもの顔ぶれで集まってる。
「つったってブラックは例外だろ。だいたいこうやって週イチしか休めないのだって違法じゃないのか」
蘭治は林の顔を見て抗う。
「それって違法なの?別にいいんじゃないの」
呑気な林、そのご飯粒の付いた口元を見て蘭治はなんだか腹立ってしまう。
「いいよな林は。おれもクビになりたいよ」
蘭治のその言葉に、林のナイフとフォークを持つ手が止まる。眉もビクリと動いたようだ。
「おれもニートやりながら優雅に肉食いたいよ」
なおも続けると、吉沢が言いすぎじゃ?と言わんばかりに蘭治の肘を付いてくる。
ムスッとふくれる林。プイと窓の外を向く蘭治。
「スタート!」
唐突に吉沢の声が響き、その手がグラスに伸びる。弾かれたように蘭治と林も自分のグラスに飛びつく。
三人で喉を鳴らす。顎に甘い液体の筋を作るものもいる。
「ぅおす」
吉沢が最初にグラスを置き、勝利のポーズを決めた。タッチの差で林が飲み切る。最後の蘭治は悔しがりながら自分の皿を差し出した。
そこへ、林と吉沢が勢い良くそれぞれのフォークやスプーンを伸ばす。
「うわ吉沢情けかけろよ、デミグラス部分は……」
「林、チキンは勘弁!ごめん言い過ぎたよ、そのたった一つのチキンは……」
二人は情け容赦もなく蘭治のオムライスから一すくい、または一刺し取った。
誰かの掛け声で有無を言わさず始まるジュースの一気飲み競争。負けたやつは飯を一口ずつ取られるルール。もちろん自分のグラスが一番減っている時は掛け声を掛けても無効だ。三人の間で今流行っている遊びだった。
「ニートはシューカツで栄養必要なんだ!てか明日派遣入ったから明日一日はニートじゃないし」
林は奪った肉は一際美味いとばかりに目を細めて咀嚼していた。対して吉沢は何の感慨もなさそうに戦利品のオムライスを口に運びながら言った。
「だいたい三雲、女子とカラオケ行ったくせにおれら呼ばないとは何事だ」
「おい!そのせいでおれ危険な目にあったんだからー」
「なんだよそれ、ハニトラ?」
「そんないいもんじゃないよ」
蘭治は一昨日のことを回想しながら苦い顔で語りだした。
*
「岸さんが?逃げた?」
「やっちゃったんだよ」
今井は義理堅く換気扇の下に立って煙を吐く。
「なにを?」
蘭治の問いに、今井は『これ』と言って両手の人差し指をバッテンに合わせた。そして『これと』と続けて指揮者のように手を振った。指揮者と、ケンカ?
「あ、あのお客ですか?指揮者みたく身振り手振り激しい人!楓さん指名の……昨日も来てた……」
「ベートーベン」
そうそう!ん?……なんだっけ、それ。どっかで何かが繋がりそうな?蘭治は腕を組んだ。
「あ!てことは」
あの時。裏に酒を取りに行って、ドア半開きの更衣室から聞こえてしまった会話。女の方は、ベートーベンという客を持っていると言っていた。あのカップルは、岸の相手は……そうだったか。
「知らなかったの?あの二人のこと。みーんな知ってたよ」
蘭治はひとしきり驚愕したあと、またハッとして今井に聞いた。
「て、店長も?」
そして課長の言っていたことを思い出した。ボーイとキャストの私的交際罰金50万、逃げても会長は探し回って消し去るとかなんとか。
「たぶん。でも見て見ぬふりじゃないかな?店長今うちの隣のガールズバーの子に夢中で仕事やる気ないし」
「……そうなんですか」
「課長との絡みもあるしね、課長は岸くん手放したくないから。ぶつかるのも面倒くさいってのじゃん?」
「ん〜なんか難しくてよく分かんないす」
蘭治は目が回りそうだった。今井はふっと笑って、言った。
「いいよ分かんなくって、三雲くんは」
保護者のような笑みだった。
そこへ、ドアの開く音がして誰かが店内に入って来た。このキレのよい空気感は……現れたのは蘭治の予想通り課長だった。
「おは……」
「三雲くん来て。あ、掃除いいから」
短い語尾。いつも以上に。
蘭治は課長の後について非常階段で三階に上がった。そして古びた事務所のような部屋に入る。こんな場所があったのを初めて知った。
指示されるままパイプ椅子に座った。窓のすりガラス越しに、水色に暮れゆく東の空と、瞬きだしたネオンが見えた。
前に立つ課長に見下される。
とても、居心地が、わるい。
「知ってるよね。教えて。どこにいるか」
悪い事などしていないのに萎縮する蘭治。知ってる?何のことを聞いてる?それは鈍い彼でも察しはついた。
「最後に一緒にいたの君だよね」
それでも、他に言うことがなかった。
「……なんの事ですか?」




