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今日の事件。

 朝日をバックに手を振るサキは、白いカットソーと薄いグリーンのキャミワンピを重ねていた。初めて会う厨房の外のサキ。

 かわいい私服反則だ、と蘭治は心の中で呟きながら、さっきまで重かった瞼を擦る。


「遊んでたの?」


「はい。岸さんとかと」


 十字路で出合い頭の形で行きあった二人。向かう方向は同じだったようで、並んで歩き出す。


「私、今旗振り当番終わったとこ」


「あ、あの子?……のですか」


 蘭治はいつか祭りの日にサキが店に連れてきていたこまっしゃくれた女子小学生を思い出していた。


「うん、リエの。通学路に旗持って立ってるやつね」


「大変ですね、店で遅くまで働いて、次の日こんな早起きなんて」


「でも、この後ちょっと寝るから」


「あ、おれも即寝ます!」


 蘭治の赤い目を見てサキはははっと笑った。蘭治もそれが少し嬉しくて頬が緩んだ。


「よく寝てね。仕事中酒くさい男はだ〜めよ」


 はい!と素直に頷く蘭治に向かってサキは続ける。


「飲んじゃうと次の日グダグダだもんね。だから私厨房の人になったんだし。前は店に出てたんだけど」 


「そうなんですか?」


 蘭治は目を見開いて、じゃあその頃はサキさんナンバーワンだったんじゃ?と思うが口には出せなかった。イケメンかチャラい奴しか言ってはいけないセリフだ、と思った。


「リエの幼稚園関係とか昼間の活動でお酒臭くて気まずかったりとかしてね〜」


 サキは笑いながら続ける。


「で、飲まなくなったんだけど、そうすると昼間頭冴えてるんだよね、びっくりだった!なら折角だからって思って今高認の勉強中なの」


「コーニン?」


 ヨガみたいな習い事だろうか、という蘭治の読みは外れた。


「高卒認定試験だよ。けっこう、ていうかだいぶ早くにリエ産んだから高校行ってる間もなかったから」


 高卒認定、聞いたことあるようなないような、と蘭治は思う。


「科目ごとに受けられるんだけど、あと一科目なんだ!数学」


「あ〜数学難しいすよね」


「だよね、けっこう苦手」


 サキはさわやかな苦笑いをした後、『うちこっちだから』と指した路地へ曲がっていった。


「じゃ、今日ね!」


 と手を振りながら。蘭治も遠慮がちに手を振った。女子に手を振るのなんて、小学生以来だろうか。

 

 八時間後には、また今日の勤務が始まる。


*


 午後四時。なんだか目が冴えてあまり寝た気のしない蘭治だが、夕べの興奮冷めやらずか、軽い足取りで出勤した。

 いつも通りにタイムカードを押す。店内には誰もいない、一番乗りだろうか。

 今日は掃除機をかける曜日だ。物置から掃除機を引っ張り出し、コードを引き出していると、エントランスから人が入って来たようだ。


「三雲くん、おはよう」


 スーパーの袋を抱えた今井だった。つまみの買い出しに出ていた様子だ。


「おはようございます」


 コンセントに向かって屈む蘭治の後ろで袋を台に置くガサッとした音が響き、続いて今井の声が聞こえた。


「岸くん、飛んだよ」


「え?」


 蘭治の頭の中に、岸が両手を翼のようにヒラヒラさせながら青空を舞っている姿が浮かんだ。

 ……いや、違うだろう。


「逃げたってことだよ」


 今井は既に二、三本吸い殻の溜まった灰皿を引き寄せ、ポケットから抜き出した煙草をくわえた。

 

 ジョリッという、百円ライターの音が響く。


 

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