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かわいい。怖い。ずるい

 蘭治は、ナンバー1・3姉妹に手招きされるまま更衣室前の廊下に出た。

 美姉妹と向かい合う。


「店は持ち込み禁止だけど、伊万里さんの手土産の焼鳥は特別って、聞いてないの」


 姉ミレは抑えた低音で早口に言った。この人何かっぽいと思ってたけど、孔雀だ!と蘭治はその時閃いた。華麗な羽根を思わせる長い睫毛。仄かに立ち上がるふくよかな香り。


『あの、ミレさん指名で』


 そう口走りそうになった彼を現実に引き戻したのは妹レミの、酒でやや上気した声だった。


「気まずい空気わかったよねー?」


 そう、今この場、蘭治は責められていた。

 伊万里さん……とは、さっき帰った客だろうか。蘭治はまだ客の顔と名前を完全には覚えていないが、言われている内容には心当たりがあった。


「あの、すいません……」


 蘭治は、酒・つまみ持ち込み禁止のこの店のマニュアルに乗っ取って言っただけだった。焼鳥をテーブルに広げた客に、ご遠慮願えますかと、丁重に。

 それに


「課長が、注意してこいって」


「あんたに?」


 レミは声を潜めながらも苛立ちを露わにする。大きい目を更に見開いて。この人はお稲荷とは違う、と何となく蘭治は感じ取った。目が、違う。多分、陰影や付け睫毛を落としても大きい。澄んだ白目と、吸い込まれるように深い瞳。


『あの、レミさん指名で……』


 言いかけて寸でのところで止めた。


「いやあの、課長が岸さんに言って、そっからおれに来ました」


 ミレとレミは目を合わせてため息をついた。同時にこの場の緊迫した空気は微かに緩んだ。蘭治はほっとした。なんだか分からないが自分が怒りの標的から逸れたことは感じ取れたから。その証拠に姉妹は急速に蘭治に興味を失った様子だった。そして互いに言葉を交わした。


「そう来たね」


「きっしー、オイシイ後輩手に入れたもんだね」


「上の言うこと聞きつつも自分の手は汚さない、てね」


 それから二人は蘭治に向き直って言い含めるように説明しだす。


「伊万里さんはね、いっぱい使ってくれる人で、上客なの。だから特別なの。焼鳥の何十倍もの金額のオーダーする人に、マニュアルなんてそんなちっちゃいこと当てはめないで」


とミレ。さながら経営者の風情だ。この人はそのうちお店を持つのかな、と蘭治はぼんやり思った。


「店長は認めてるんだよ。店長の言うこと聞くもんでしょボーイさんは」


そう言うレミは、さっきまで飲んでいた酒が回ってきたのかやたら声が大きくなっている。


「だいたい、お客さんの気持ちを考えようよ。伊万里さんは、お気に入りの店のこだわり地鶏の焼鳥を女の子に食べさせたいの。それで美味しいって言われるのが嬉しいんだから」


冷静な説明を続けるミレ。その後締めのようにレミが被せる。


「わかった?」


「はい」


 とりあえず歯切れよく謝った蘭治に解放の兆しが見えた時、店との間のドアが開いて黒と金の熱帯魚が現れた。楓だ。

 彼女は蘭治たちが見えないかのように一瞥もしないまますっと更衣室の中へ消えた。


「気をつけなよ、きっしーにいいようにされないように」


 蘭治にそう言い残してミレは店へ戻ろうとする。声はさっきよりワントーン上がっていた。


「岸ちゃん、女にはいいようにされてるけどねっ」


 レミはますます荒れた酔っぱらいのような声を出した。


 岸の女関係なんて、蘭治にとってどうでもよすぎた。それより、解放された安心感とともに自分の存在のちっぽけさと軽さをひしひしと感じた。


 しかし。そんなものを噛みしめてる暇はない。

『6卓の片付け早くして!』

 インカムの声に急き立てられるように蘭治は店へと走り出す。


 やっぱり怒られた終礼後。

 慌ただしく店内を片付けるボーイたち。説教をする課長もレジの金を数えながらだ。


「分かってると思うけど、研修期間終わったらさ、インカムで同じ指示を二回以上出されたら1ポイント減、が適用されるからね」


「はい」


 毎月減点10ポイントごとに月給が一割ずつカットされる規則だ。そう正真正銘、ブラック。逆に貴重なネタだよね、と蘭治は思う。次の休日はまた吉沢、林との地味宴会がある。その時、思う存分いろいろなものを噴出させよう、とも思う。


「それに、用がないのに営業中裏に行かない、女子との私語禁止!」


 私語なんて、そんないいものじゃあないけど、と蘭治は心の中で愚痴った。その時、高らかに上がったのはソファでだらけるレミの声だった。


「ホントだよ!」


 ミレが、飲みすぎだよとたしなめながらレミを引っ張って帰って行った。

 自分じゃないか話しかけてきたのは、と蘭治は面食らった。しかも怒られるのは蘭治だけ。女だからって、そんなエラいのかよ。


「じゃ、鍵閉めるから、みんな出るよ」


 いつの間にか課長は帰り支度を終えていた。そして説教も終了らしい。蘭治は慌てて私物を持ってエントランスに駆けつける。


「明日もよろしく。おつかれ」


 店の前で課長は切れの良い挨拶をし、送っていくキャストたちと駐車場へ向かっていく。よろしくされてもな、と蘭治は思う。明日来るんだろうか、自分?


「じゃあね、きっしーランち~ん」


 女子たちは店の前に立つ蘭治と岸に手を振った後、課長の早足に小走りで付いていき『もっとゆっくり歩いてよ』と酒で高揚した声を出し笑い合っていた。

 蘭治は、自分と岸の二人がぽつねんとビルの前に立っていることに気付いた。


「あれ、楓さん送りじゃないんでしたっけ」


「誰か迎えが来るみたいでキャンセルなった。ので……」


 岸は淡々と蘭治の問いに答えた後、


「行くぞ!飲みに」


 一転して空手部員のような雄たけびを上げた。


「そうなんですか。じゃあ、おつかれさまでした」


 という、蘭治のごまかしは効かなかった。


「お前とだよ!」


 いやだ。

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