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クールな楓さんは熱帯魚

 入店してしばらく経った頃、蘭治は新たに延長交渉なる仕事をすることになった。あるテーブルのセット時間が終わる頃、もう1タイム追加するか確認する作業。

 一応は席に付いている女子が確認を取ってボーイに伝えることになっているが、なあなあのうちに時間が迫ってしまいボーイが確認を取ることになるパターンが多い。


 課長は言った。


「ホントは、指名の席なんか特に女子がやらないといけない交渉なんだけど。プロ意識ないのが多いし…」


 相変わらずキビしいですね、と蘭治は心の中で答える。


「そこらへんは店長の方針だからね。だからボーイもお客さんとコミュニケーション取って仲良くしておくのは大事だよ」


「はい」


 早口の課長の言うことを蘭治が理解するまでにはいつも少しのタイムラグがあるのだが、返事だけは即座にしておく。


「ホールに出ながら、他の人のやり方聞いたりして覚えていって」

 

 事前に教えてくれないのだろうか。

 

「じゃ、さっそくやってみようか。楓さん指名の5卓がそろそろ時間だから」


 いきなりかい。

 蘭治はこれまた心の中で突っ込みを入れながら、5卓の前に行き『失礼します』と言って跪いた。


「ご延長はいかがなさいますか」


 普段つかわない敬語が合っているのかどうか分からなかったが、噛まないようにするので精一杯で検証してる余裕はなかった。


「んあ〜?」


 四十がらみと思われる胸板の厚いポロシャツ姿の客は、物凄い酒の匂いを振りまきながらとろんとした目で蘭治を見やる。


「そうだよ、どうすんの〜カンちゃん」


 楓女房風情の声で客に問いかける。彼女もオープンから酒を飲んでいるはずなのに、背筋はしゃんとしている。


「おにーちゃん、どうしたい」


 客が蘭治に顔を近づけてくる。いかつい、顔も声音も。

 なんと答えればいいのやら。延長を勧めないと、だろうか。でもどんな顔でどんなセリフで?なんか笑い取った方がいいのか?それともそんなの図々しい?

 分からない。蘭治は楓の顔を伺った。が、彼女は涼しい顔で客の方を見ている。その姿は、蘭治の母親が好きなドラマに出てきた花魁を彷彿とさせた。


「あ、いやじゃ楓さんの意見で!」


 蘭治は気付くとそう答えていた。言ってから、なに変な答えしてんだ自分、と焦った。“お客様”の意見じゃないのかよおい!と。


「じゃ、私は」


 楓は俯いてグラスを持ち上げた。


「カンちゃんともう1ラウンド〜したーい」


 さっきの澄まし顔からは想像もつかなかったようなとびきりの笑顔をカンちゃんとやらへ向け、グラスを掲げた。ゴッツいカンちゃんは眉をへんなりと下げ自分のグラスを取った。そして楓とグラスを合わせる。


「ぃえーい」

 

「あの、ご延長……で?」


「おう、延長」カンちゃんはそう答えるとすぐまた楓と向き合う。「さあて、飲もうか!」


 そこでテーブル回転の岸がすっと現れる。


「楓さん1卓へご挨拶お願いします」


 楓は笑顔を崩さず『30秒待ってて』と言い残し席を立ちかける。


「もう〜今日珍しく被ってないと思ったから延長したらこれだよー」


 カンちゃんは笑顔のままゴネた。岸は愛想笑いを返す。

 蘭治も弱々しく笑いながら、さっと逃げるようにリストに向かった。

 延長を報告すると、課長はニカッとした。


「この調子ね。あと、報告はインカムでして」


 やはり小言付き。しかしとりあえずほっとした蘭治だった。


 それから50分後。

『5卓お帰りです』とインカムが入った。カンちゃん帰るのか、と蘭治はカウンターでグラスを吹きながら思った。

 と、客の見送りを済ませた楓が歩いてくるのが見えた。歩みに合わせて黒とゴールドのドレスの裾が翻る様は熱帯魚のようだ。

 

「ランくん」


 楓に呼ばれ、蘭治はグラスを持ったまま背筋を伸ばす。


「お疲れさまです」


 と頭を下げると、彼女は蘭治の正面まで来て立ち止まった。カウンター越しに向き合う形になる。蘭治は布巾をぎゅっと握った。

 客にへんなこと言ったから、怒られるのかな?


「やった、延長取れたよ。いつも1タイムで帰る人なんだけど」


 楓はさらっとそう言うと、あっけに取られる蘭治を置いて別の指名席へと向かっていった。


 あ、よかったんだ?あれで。


 蘭治は少し湿ってしまった布巾でグラスをまた拭き始めた。


「ねえ三雲くん」


 ほっとするやいなや、今度は後ろから声がかかった。振り向くとミレレミ姉妹がカウンター出入り用の腰の高さほどの扉の向こうに立っていた。


「ちょっと来て」


 氷のようなミレの顔。

 蘭治の自己紹介で屈託なく笑ったのちフォローしてくれたあの笑顔はどこへ行ったのだろう。




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