ミッション開始。
金ないのにまたコンビニでジュース買っちゃったよ。
でも、漫画は立ち読みで我慢したもんね。
そんな独白を抱えながら、釣り銭口から吐き出された硬貨をすくい取る。そしてホットスナックに気を取られつつも振り切って自動ドア目指して歩く。手にはサイダーの500mlペットボトル。
彼は、今年の誕生日が来たら二十歳になる、現在19歳の青年、三雲蘭冶。
みくも らんち。
ランチ?
キラッキラー。見えない、似合わない。いつもそう言われる。そりゃそうだ、その姿も人間性もちっとも煌いてなんかないから。その上名前に対する感想の後にたいてい笑いが入る。それはクスッから、ゲラゲラまで、範囲は広い。
兄の名前は誠。そっちが良かった、と自己紹介の機会あるごとに彼は思う。自分が誠を知っているのか、誠意を持って生きているのか、そんなことは分からない、いや、多分その答えは“否”だけど、それでもランチよりうんと誰にでも意味が通る。何よりメジャーだ。
父母は、名前の由来をこう説明した。
『ランチって名前は、おれらが結婚前から子供に付けようと決めてた名前だ』
『ランチの時の情報交換って、意外と肝なんだから。人間関係って大事。自分の立場どころか存在そのものが左右されることもあるのよ』
『そうそう、おれにとっても昼飯の時間は、下のヤツの生の声を聞く貴重な時間だ。それが部下を動かす時に役立つ、結果仕事が上手く回るかどうかの重要な鍵になったりするんだ』
そんな期待があったのか、ごめん、まったくの名前負けだな、と蘭冶は思った。そんなフクザツな人間カンケーなんてこなせてない。教室の壁際で、グループといえる最小人数三人でコンパクトな輪を作り黙々と昼を食べるような“ランチ”っぷりだった。
ついでに。
なんで先に生まれた兄にその名を付けなかったかというと……初孫の名前をずっと考えていたという祖父母に反対されたから。父母は彼らに名づけを譲った、という。そんな顛末でこうなった。
ちなみに兄はふたつ上で、大学四年生。就職先は中堅食品会社、もちろん正社員。無愛想なためか不採用続きのわ兄を心配していた両親は、内定を貰った夜の祝いの晩餐で泣いて喜んだ。面接に行く度に疲れ切った顔で帰ってくる兄を見ていた蘭治も、一応は
『やったじゃんか』
と微笑んだ。が、彼にとっては、目の前に並ぶ出前の寿司に好物のシーチキンとコーンが入っていないということの方が重大な問題だった。どうせならケンタッキーの方がよかったが、残念ながら兄の好物は海鮮なのだ。
さらに、両親からの
『次は蘭治が正社員になる番だな』
という、本人たちからしたら激励のつもりの言葉が、彼の投げやりな気分に拍車をかけた。
今まで蘭冶は余裕こいていた。兄も自分と同じで地味で冴えない、非モテ、と思っていた。それは確かにそうだ、今も変わらない。しかし、受験を乗り越えて大学へ進学し、就活をこなして安定企業の正社員の職を得た。
「ぜんぜん同じじゃなくなってたな」
蘭冶はつぶやきながら、いつもの習慣通りに自動ドア横にあるラックから求人フリーペーパーを一冊抜き、コンビニを出る。
「この求人の本って、毎月2ギガしか使えない貧乏ニートにとっては神だな」
そんな心の声を遮るようにスマホが鳴った。取り出して見ると
『辞めたあ!再ニートだよ』
友人の吉沢からのメッセージだった。彼は先月からスーパーの鮮魚部門でアルバイトをしてたはずだ。始めたという報告を受けてから自然に合う回数も減り、時折大変だ、やめたい、などというメッセージが届く程度になっていたが。
『また遊ぼうぜー』
吉沢はそう続けてきた。蘭冶はその場で返信をし、早速これから二人は会うことになった。
『じゃあ三時にいつものとこで』
*
蘭冶はいったん家に帰り、時間を見計らって再び玄関を出て約束のファミレスへと向かった。
この間桜が散ったばかりなのに照り付ける日差しは既に夏のよう。パーカーを着てきた蘭治は少しだけ後悔した。そして、気付けばもう五月、初夏ってやつか、と彼は思う。ということはもうすぐニート歴二ヶ月になってしまう、とも。
そこで、下降しかけた気持ちを押し戻してくれるようにスマホが鳴った。見るとまた吉沢からだった。
『今日、林も来るってよー』
おお、三人集まるのも久しぶりだな。蘭冶の足取りはほのかに軽さを増した。
吉沢、林。そして蘭治。高校時代のランチ三人組。寡黙なランチ。でもそれは食事が終わるまで。教室では何となく口数の少なくなる彼らだが、食べた後は管理棟の非常階段踊り場に移動して世間話に興じていた。話題はだいたい、ゲームか、コンビニ食やカップ麺の評価、好きなアイドルや今夜のおかずについてなど。アクティビティもなければ恋愛っ気もゼロな学生生活だったわ、と改めて蘭冶は振り返る。しかし、
「まあ、おれらはそんなもんだよねえ」
と納得し、特に沈んだりもしなかった。
三年の秋冬になると、その話題に“シューショク”が加わった。二学期に、蘭冶が介護スタッフ見習いに、吉沢が惣菜製造職に決まった。そして二月になって、一番のんびり屋の林がバイトで給食センターの調理の仕事に採用された。
が。蘭冶は介護施設で利用者の高齢男性に怒鳴られ、さらにうっかりミスで上司にきつく叱責され、パートの主婦たちには手の遅さを煙たがられて『向いてない』と判断し、五月に辞めた。親には『ブラックだったから』と半ばうそぶいた事後報告をした。
その後、倉庫で仕分け作業を始めた。それは半年以上続いたが、その倉庫が隣町の郊外に移転をすることになり、運転免許は持っているが車を持たない蘭冶は通勤が困難なため辞職した。そして今に至る。
吉沢も、二、三仕事を転々とした末、この今日に至る。
*
「なあ、なんかもっと色付きの男になりたくないか?」
心持ちボリュームを上げてそう言ったのは、去年の秋以来スポット派遣のみで小遣いを捻出している林だった。ドリンクバーと席を何往復もしながら『次の職種について』をテーマに展開している会話の最中だった。
「林がいつも歌ってるアレか?」
林は昭和の歌が好きで、そのうちの一つ『色つきの女でいてくれよ』もカラオケのレパートリーに入っていた。吉沢と蘭治は林の口から『僕の美少女よ』という歌詞が出てくるのをいつも可笑しがるので一種のネタでもあるのだが。
「なにそれ、仕事と関係なくね?」
就職への焦りからか蘭冶はぶっきらぼうに言葉を投げてしまった。それを吉沢がまあまあ、という目で制し、林に向かい軽く笑いかける。
「口紅塗んのか」
「違うよ、色付きっていっても男版だよ!カラーの男になるんだよ」
そう答えた林、いったん息を呑んでから続ける。
「工場とか倉庫とかって、なんかだいたい灰色だし、ふつうすぎね?もっと、なんつーかモテ男っぽい仕事したくね?」
「て?」
「なんか、例えばーバーテンとか?美容師とか?」
席に沈黙が降りた。
モテなんて。いまさら何を言う。ばかじゃないか、と蘭冶は思う。そんなのは小学生の頃諦めてるよ。ゲンジツ見ろよ、厨ニが。彼の脳の99パーセントがそう言ってる。でも口に出さない。そうしたら残りの1パーセントが完全に逝っちまいそうだから。
林は間を埋めるように眼鏡を直した。彼の伊達眼鏡は、いつ見ても度入りの実用品にしか見えないし、あえて一番上まで留めたボタンも、小学生の時の延長でやってるみたいに見える。
「おれらがオシャレ男子にでもなるって?」
蘭冶は小さく噴き出しつつ言ってから、周りの席を見回し、聞こえていなかったかと微かな冷や汗をかいた。
自分の発言をそう言い替えられた林は急に恥じ入る。そうしてこの与太話は流れる……と思われた時に響いたのは吉沢の声。
「いや、いいんじゃん?だって採用されなかったら、やっぱねーって笑っときゃいいし。採用されたとしたら、モテ職やる資格認定されたってことじゃん?」
蘭冶は考え込む。モテ……甘美な響き。あえて頭の中に登場させないですごしてた言葉。そう何ヶ月も。いや年単位か?そして、色付きの男?……そう言われれば自分の見る夢はモノクロやセピアとかそういうものだ。色の付いた夢も見てみたい。
そうだよね、
「人生一度きり」
と、蘭冶のモノローグの続きと同じセリフが聞こえた。口にしたのは吉沢だ。
「そうそう、試すくらいの権利はあるよな、人間誰にだって」
林は調子を取り戻し弾んだ口調で言う。
「お試しならいいんじゃね、シャレでやってみる?」
とパスを受けてラリーに乗る蘭冶。
決まった。
それから、イケてそうな、モテ男がやってそうな、チャラそうな職業を三人の勝手なイメージをもとに上げていった。
「ホスト、バーテン、ボーイ……夜系!」
「さっきも言ったけど美容師」
「ケータイショップ」
「服のショップ店員」
「リゾートバイト!沖縄!」
「不動産屋とかの営業とか?」
「カラオケ店の店員?」
「ネット回線とかスマホプランの勧誘の人とか」
その中でまず、免許がないとできない美容師は候補から消された。それから、服屋の店員も、この場で互いの着用物を見れば納得の消去。
残った職種の求人を探せ!ということで各々愛用の求人サイトを開く。
あった!の連呼。ケータイショップ、カラオケ店員、ハウスメーカー営業職。ナイト欄にはキャバクラのボーイ。
誰がどれに応募するかは、ファミレスの伝票の裏にあみだくじを描いて決めた。
蘭冶が引いたのは……
「うお、おれキャバクラ!?」
しびいー、チャラそうー。ヤリそうー。みんなで騒ぐ。もう周りの席なんて気にならなかった。
他、吉沢はカラオケ店員、林はケータイショップ。
それぞれのミッションが決まった!