表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/40

8 船旅から連水陸路

 ヤロスラヴリの酒場。

昼飯時で賑わう店内に、ヴァシリーの声が三人の耳に届く。

 それは、今思うと、全ての始まりだったのでは、と彼は言っていた。

「数年前の事です。ある日、私の家に一人の男が、助けを求めて来ました」


 その男は、自分たちではどうしようもないと言い、ヴァシリーの父、春の呪術師ヴィスナーシャマンに、力を貸してくれと願った。

 話を聞くと、ヤロスラヴリの町に近い街道で、見たことも無い怪物が次々と現われては、旅人や農民、交易商を襲っているとのこと。

しかもそれらは、退治したら消えるのだが、時間が経つと再び現われて、人々に危害を与え続けているという。

 余りにも切りが無いので、正教会の修道士に、なんとかしてくれと頼み込むが、教会でも初めて見るそれらに、対処法が分からず、お手上げ状態なのだとか。

 そこで春の呪術師に助けてもらおうと、モスクワのキタイ・ゴロドまでやって来たらしい。

 その話を聞いて、春の呪術師は、男に労いの言葉をかけてやり、二つ返事でそれを承諾した。

 シャマンの道具を携えて、やって来たのは、ヤロスラヴリの郊外だった。

指摘された場所には、黒い渦のようなものが、幾つも見え、そこからは異形の怪物が何体も湧いて出ていた。

 最初のそれらは、とても弱く、父や兄弟子の攻撃魔法の一撃で、倒せるものばかりだった。

瞬く間に怪物は黒い粉塵と消え、渦の中に消えていった。

 一段落した後、父は黒い渦に向かって己の太鼓を叩き、人々の目の前で、根源のそれを消し去り、場を浄化させていた。

 そして父曰く、これは、地の底のものが出てくる道になっている。

これが出るという事は、世界のバランスが狂い始めている証でもある。

 この現象が、ここだけで済めばいいのだが、今後、数が増えるようだと、少しばかり危険になってくる。

 町の者には悪いが、街道の監視を強化してもらうしか手はない。

 全てを片付けて、父は兄やヴァシリーにそう言っていた。

 だが、話はそれで終わらなかった。

怪物たちは、その後も出現を続けていた。

 増え続ける怪物どもと、黒い渦は無数に湧き続けている。

出現場所は、次第にヤロスラヴリから、ロストフ、スズダリへも範囲を広げていた。

 やがて父一人の手では、到底怪物退治は追いつかず、兄やヴァシリーも手伝い、各々でそれらを倒すこととなる。

 攻撃魔法で、怪物どもを始末し、渦だけになったところで、太鼓の音と祈りでそれを浄め消し去る。

 そんなこともあって、彼らの腕は、みるみるうちに上達し、怪物どももなりを潜めた。

 これで一安心かと思われた矢先だが、怪物が予想外の場所に出るようになった。

モスクワ大公国の首都である、モスクワ近郊に、奴らは現われた。

 しかも、以前とは違い、大きく力を付けて。

 首都での戦いは、兄の魔法の使い勝手が悪く、彼らは苦戦を強いられた。

それでも、貴族ボヤールたちの協力を受け、ヴァシリーたちは退治を続けた。


「それでも、怪物の出現は止みませんでした」

 淡々とヴァシリーの言葉は、綴られている。

彼の説明は、シャマンの祈りであり、三人は無意識のうちに、話の内容へと引きずり込まれていた。

「今度は、北や南、国内のあらゆる場所で、奴らは出ていました」

「それは、いつぐらいなんだ?」

 クラウスが腕を組み、何かを思い出すように、少し頭を傾げた。

「モスクワの話は、ちょうど一年前からですね」

「その頃は、プロシアも異常は無かったな」

「スオミも、同じくです」

 一年前の冬から春にかけては、モスクワ周辺での出現だったものが、その後は国内全域へと広がった。

 そして、去年の秋に起きた、忌まわしき事件とほぼ同時期に、奴らは国外の、プロシアやスオミまでその姿を見せるようになった。

 これらは関連があるのか、ないのか、あるとしても何が、何の目的で、それを行っているのか、皆目見当がつかない。

 クラウスたちは、いつしか黙り込んでしまっていた。

「みんな、メシ、冷めてるぞ」

 だが、その沈黙を破るように、不意のツァガンの声で、三人は我に返る。

「すみません、私の長話のせいで……」

「いいよいいよ、気にすんなって」

 時間を取らせてしまったことを、ヴァシリーは詫びる。

そんな彼を思って、クラウスは軽く答えるも、内心は少し困っていた。

 なぜなら目の前の料理は、とっくに冷たくなっており、スープの表面には、白い脂が浮いて固まっていたからだった。

「あちゃあ、これは冷えると旨くないんだよなぁ」

「クラウスさん、パンにつけたらどうですか?」

「サラちゃんの言うとおりです、パンで押し込んじゃいましょう」

「その肉、食わないなら、オイラにくれ。全部食うぞ」

 賑わう店内で、四人は昼食を済ませると、再び船着き場へと出発していた。


 ヴォルガ川への道中。

腹も膨れ、一行は元気よく歩いていた。

 暖かな日差しに、クラウスとツァガンは羽織っていた毛皮を脱ぎ去っていた。

「はぁ、随分暖かくなっているな」

 クラウスは茶色の髪を掻き、風に頭皮を当たらせようと、頭を振る。

「オイラも、脱いじゃったぞ」

 厚い毛皮の服を上だけはだけ、ツァガンは前合わせの薄手服になる。

その不思議な形の衣服は、東の世界特有の合わせかたで、西の世界ではまずお目にかかれない、珍しいものであった。

「そういやヴァシリー。その仮面について、聞きたいんだが」

「これですか?」

 長い黒髪が垂れる、ヴァシリーの顔を覆うのは、木で出来た仮面だ。

あの、恐怖の親衛隊オプリーチニキから奪い返した、不思議なものであった。

「それ、なんで付けているんだ?」

「これはですね、邪視除けです」

 仮面を少しだけ持ち上げて、彼は、にこりと笑顔を見せる。

「邪視?」

「はい、このルーシの地に住む人の中には、眼に悪意を込める者が、まれにですがいます。私たちシャマンはその影響を受けやすいので、こうして自衛しているのです」

「邪視除けなのか……」

 そう言って、仮面を元に戻すヴァシリーを見て、クラウスは何かが引っかかっている様子ではあった。

「何か、気になりますか?」

「いや、木の仮面じゃないが、似たような奴を俺も見たんでな」

「……どこで見ましたか」

 クラウスの、その言葉を聞いて、彼の心中にざわめきが起きる。

それは、知りたくもあり、知りたくもない、情報だった。

「プロシア。俺の故郷だ」

「その人の様子を、詳しく教えてください」

 頭に滲む汗とは別に、冷たい汗が背中を伝い落ちる。

「うーん、俺が見たのは、顔は頭巾で覆われていて、頭に羽根飾りと、ヴァシリーと同じような格好で、片面張りの太鼓を持っていたな」

 同じ格好と言われて、ヴァシリーの身体が、少し強張った。

「他には」

「そうそう、髪が赤い色だったのと、炎の魔法も使っていた記憶が」

「……さん」

 思わず、言葉が口をついて出た。

だが、それはとても小さく、クラウスの耳には、届いてはいなかった。

 それでも、即座に変化した彼の様子に、クラウスも何か気づいたようだった。

「うん?」

「何でもないです。その人は、何をしていましたか?」

 一瞬だけ見せた、暗い眼を隠すように、彼は無理矢理、仮面の下で笑顔を作る。

「何をするも、町中で太鼓叩いて、怪物呼び出して、俺の町がぐっちゃぐちゃだ」

 その時を思い出したのか否か、クラウスの眉間にしわが寄り、ため息のような空気が口から吐き出される。

「俺、あいつは許せないからな。この手で倒さないと、気が済まないぞ」

 気がつけば、目の前には川を行く船が見え、船着き場には出港準備をする水夫が、幾人も動き回っていた。

 一行は乗り遅れないよう、足早に川へと向かうが、一人だけ、その歩みを変えない者がいた。

 仮面の下で、嬉しいような、悲しいような顔をし、複雑な気持ちを胸に抱く。

足の向かう先には、陽の光を受けて、まぶしく輝く川面がある。

 だが、それすらも、今の彼には、何も感じることはなかった。

「……何かの、間違いだ」

 手に持つ太鼓が、いやに重い。

それどころか、身体全体が泥のように鈍く、遅い。

周囲の空気が黒く粘つき、息が自然と荒くなる。

 ゆるゆると、その足は、動きを止めようとしていた。

「ヴァシリーさん、船が出ますよ、急いでくださーい!」

「あっ、す、すみません、今行きます!」

 サラの声に、彼に纏わり付くものは一瞬で霧散し、その足は再び走り出す。

桟橋は、軽快な音を立てていた。


 ヴォルガ川の船上にて。

「おい、ツァガン。気分はどうだ?」

 クラウスが、笑いながら彼に呼びかける。

「うん、ヴァシリーに、魔法、かけてもらった。だから、平気」

「そりゃよかった。お前、またいっぱい食ってたからなあ」

 一安心とばかりに、クラウスはまたも笑っている。

 船は風に乗って帆を膨らませ、川の上流に向けて進み出していた。

折からの南風と、晴れ渡る青空の下、暖かな陽気に、クラウスは大あくびをする。

「ヴァシリーさん、次の町へは、どれぐらいですかね?」

「そうですね、ちょっと時間がかかるかも知れません」

 流れ行く景色と、川の水量を見比べつつ、ヴァシリーは答えた。

「そうだ、ツァガンくん」

「な、なに?」

「ツァガンくんの故郷では、怪物って出ていましたか?」

 ヴァシリーの問いに、彼は首を振る。

「ない、出ていない」

「あれ?そうなんですか」

「森の獣は、いっぱいいる。でも、怪物、こっちに来てから、見てる」

 世界を分ける大山脈の東側世界は、未踏の地が多く、獣人という獣と人の合いの子が住むという場所だ。

手つかずの自然が残る分、異形の怪物も発生しやすいと、ヴァシリーは思っていたのだが、意外な事に、東の世界では怪物そのものが出ていないという。

「だから、さっきの話、オイラ、ちんぷんかんぷん。分からない」

 尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ツァガンの頬が膨らんでいた。

「なんだか、分からない事だらけですね」

 サラがそう言えば。

「まあ、そのうちに分かるだろ、たぶん」

 クラウスが少しだけ、前向きに考える。

一行を乗せた船は、のんびりと上流へ進んでいた。


 それから幾日か過ぎ。

船は順調に、ウグリチ、トヴェリと通過し、ヴォルガ川の支流へと、進んでいく。

 この水運を何度となく往復する水夫たちは、皆、巧みなる操船技術を持ち、追い風や横風を上手く利用して、上流へと舵を切る。

 途中、何度か船曳きの助けを要するも、一行は支流の源流域まで、迫ろうとしていた。

「よーし、着いたぞ」

 水夫たちが声を掛け合い、船を川岸へと近づける。

周囲は、ここ何日かの気温上昇の影響で、白い雪はどこにも見当たらず、春を告げる若緑の色が、草原を埋め尽くしていた。

「兄ちゃんたち、悪いが下りてくれ」

「え、もうノヴゴロドなのか?」

 大分細くなった川に、なだらかな丘が両岸に迫る風景が見える。

船着き場の小さい村はあれど、大きな町はどこにも見当たらない。

 村から出てくる、船の曳手たちを見て、クラウスは不思議な顔で問いかけていた。

「はっはっは、ノヴゴロドはまだ先だ。ここはヴィシニー・ヴォロチョーク、これから丘を越えるんだよ」

 クラウスたちは船を下り、水夫の仕事を手伝いつつ、船を陸にまで押し上げた。

「はー、重い。これ、すごい、重いな」

 船の後部から、ツァガンの声がする。

「こんなに、重いのに、水に浮かぶ。すごい」

「わはは!そうか、すごいか、獣人の小僧っ子は、面白いことを言うな!」

 彼の言葉に、大柄な水夫頭の男が、豪快に笑い出していた。

 船と地面の間には、幾本もの丸太が挟まれ、ごろりごろりと地鳴りのような音を立てつつ、分水嶺へと近づく。

「あのー、私は、何をすれば」

 船を曳く男に、船を押す男と、丸太を運ぶ男らを眺めつつ、サラが水夫頭に訴えた。

「ああ、嬢ちゃんは何もしなくていいぞ」

「え、でも、私だけというのは……」

 クラウスとツァガン、そしてヴァシリーの三人は、男手という理由だけで、船の移動を手伝わされていた。

 そして彼らを見守るサラに、恨めしそうな目を向ける男が一人いる。

「くそー、サラのやつ、楽してるなあ」

「クラウスくん、仕方が無いでしょう。サラちゃんはまだ子供なんですから」

 船体から伸びる、頑丈なロープを肩に乗せて曳き、クラウスは息を荒くする。

「クラウスー!オイラ、頑張って、押してる。クラウスも、頑張れー!」

「ぎいぃぃ!余計なことを言うな、ツァガン!」

 後方から聞こえる、ツァガンの脳天気な声と、クラウスの声は不満たっぷりのものだ。

水夫たちは、それに笑いながらも、船を曳き続けた。

「せめて、周りの警戒だけは、しないと……」

 サラは、プラチナブロンドの髪を揺らし、船の周囲に異変はないか、辺りを見回す。

「嬢ちゃん、あまり離れるなよ」

 丸太を手にする水夫頭が、そう注意した。その時。

「きゃあ!」

「おっと、出やがったな!」

 船の通り道に接する、茂みの陰から飛び出してきたのは、蛇に蝙蝠の羽根が生えた空飛ぶものだ。しかも、その数五匹である。

「クッ、クラウスさーん!」

 サラの悲鳴が、クラウスの耳に届くも、彼はそこから動くことが出来ない。

「サラ!」

 驚いて腰を抜かす彼女目がけて、空飛ぶ蛇が襲いかかる。

「嬢ちゃん、目ぇつぶってな!」

 丸太を抱え、水夫頭の手が腰につけた斧を瞬時に掴み、目にも止まらぬ速さでそれを振り上げた。

「おらよっ!」

 かけ声一閃、鈍い音と共に、それは胴を真っ二つに切断され、返す刀でさらに二匹、三匹と、口から尻尾まで、一直線に蛇の身体が開かれていた。

「おー、おっさん、強い」

 遠巻きに水夫頭の戦いぶりを眺めて、ツァガンは尻尾をぱたぱたと揺らす。

「やだーっ!」

 無我夢中で突きだされるサラの両手からは、その手の平が白く光り輝き、蛇を跡形もなく爆散させた。

「こいつで、最後だ!」

 大口を開けて、魔法を放とうとする蛇の口内に、斧の切っ先がねじ込まれ、そのまま捻るように蛇ごと地面へと叩き込まれる。

 斧と共に蛇は大地にめり込み、その姿を黒い粉へと変化させていた。

「大丈夫か、嬢ちゃん」

 地面にへたり落ちるサラを心配し、水夫頭は声をかけた。

「あ、ありがとう、ございま、すぅ」

「ここな、いつもこんなのが出るんだよ」

 異形の蛇が飛び出てきた茂みには、黒い渦が複数見え、黒い粉が次々とそれに吸い込まれていた。

「クラウスくん、ちょっと、ここを頼みますね」

「あっ、おい、ヴァシリー!」

 船曳きのロープをクラウスに託し、ヴァシリーは太鼓を片手にサラの元へと駆けていく。

「サラちゃん、ケガはないですか」

「はい、私も、水夫さんも大丈夫です」

 ゆるゆると彼女は立ち上がり、服につく埃を叩くと、なんともないとばかりに、うなずく。

「それで、ヴァシリーさん」

 彼女の、八端十字架の示す先を見て、ヴァシリーの太鼓がピリリと震える。

「兄ちゃんよ、これ何なんだ?これのせいか知らんが、変なのが出てくるしよ」

「これは、悪いものです」

 茂みの陰へと、ヴァシリーは近づき、静かに膝をついた。

 彼の、ばちを持つ手がゆっくりと動くと、太鼓の音がさざ波のように周囲に響く。

口からは、祈りのうたが綴られると同時に、黒い渦はきれいさっぱりと、そこから消え失せていた。

「消えたのか?」

 再び斧を腰に差し、水夫頭は彼に問う。

「はい、これでもう怪物は出ませんね」

 背後から覗き込む気配に、仮面の下で、ヴァシリーが微笑んでいた。

「良かった、助かったよ。ありがとうな兄ちゃん」

「いえ、これも私の仕事なので……」

 照れながらも、彼は膝を上げ振り向いた。

「ああああ!ヴァシリーッ!早く戻れー!」

 と、船の前方から、クラウスの絶叫が聞こえてくる。

ヴァシリーは苦笑いしつつも、足早に彼の元へと戻っていく。

 目の前の丘は、水系を分ける分水嶺である。

ここを越えれば、目指すノヴゴロドまではあと少しだ。

 青空に、ちぎれた綿雲が浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ