28 奇怪な視線
男が、歩いていた。
みすぼらしい、汚れた毛皮の上衣に、色とりどりの紐が無数に垂れている。
髪が赤い。
顔は、頭巾で覆われ、表情などは見えない。
ただ、幽鬼のように前へと突き出た両の腕が、男を異常者である、と知らしめていた。
片手には、丸い片面張りの太鼓が、しっかりと握られている。
ふらり、ふらりと、男は当て所も無く、町の通りを彷徨い歩く。
道を舗装する木材が、みしりと悲鳴を立てた。
悲鳴のあったそこが、丸くへこんでいる。
男が歩くと、そのへこみも一つ、二つと続く。
男を見ていた、町の子供が、泣き出した。
何か恐ろしいものでも見たかのように、子供はひきつけを起こさん勢いで泣き喚く。
子供は、無我夢中で小石を男に向けて投げた。
石が、こつん。と、男の身体にぶつかった。
一呼吸置いて、子供の首が捻り飛んだ。血の雨が、町の通りを赤く染める。
女の甲高い絶叫が、響いた。
血は、丸いへこみにも振りかかった。赤い、透明なそれが、ぼんやりと、見えた。
短い春が過ぎ、季節は夏の盛りの到来であった。
しかし、この年の気温は、あまり上がらない。北から吹く冷たい風が、大地の熱気を奪い取っていたからだ。
町の周囲に広がる畑は、成長の熱量を失った作物が、力なくうなだれ萎れている。
それに呼応するように、疫病の気配が各地で少しずつ芽吹き始めていた。
春先の、寒の戻りのような、肌寒さだった。
ポロツクの町。
かつてのルーシ諸公国、ポロツク公国の首都が置かれていたここは、今はモスクワ大公国ではなく、隣国の実効支配下にあった。
その町の大通りを、クラウス一行は、酒場を探し歩いていた。
「……ツァガン」
歩きながら、エルージュは、心細そうに横のツァガンの手を握った。
いつもであれば、それは心臓が飛び出そうなほどの嬉しさと驚きを、彼は覚えるのだが、この日ばかりはそうでは無かった。
「大丈夫、オイラが、いるから」
力強く、離さないとばかりに、彼はエルージュの手を握り返す。
彼女の手は、怯えを隠せていなかった。
「まいったな」
クラウスが、頭を掻きながら、酒場から出てきていた。
「満席だとよ、次のところに行くか」
「またですかぁ」
腹の虫を鳴らしながら、サラが肩を落とした。
「ここは、そこそこ大きい町だから、酒場なんかいくらでもあるさ」
落ち込むサラの頭を撫でて、クラウスは次の酒場へと向かう。
だが。
「ダメだ、ここも満席らしい」
訪れる店という店が、兵隊の溜まり場にでもなっているのか、どこもここも断られる始末である。
「もー、お腹ぺこぺこで歩けないですよー」
「クラウスくん、先に宿を取りましょう。食事は屋台で買えばいいですし」
「そうするか」
空腹の余り、機嫌が悪くなるサラを引きずり、一行は先に宿へと向かった。
「すみません、部屋は空いていますか?」
できる限り、クラウスは笑顔で問いかける。
そんな彼らを、宿の主は、不躾にじろじろと眺めつつ、愛想の無い顔をした。
「無いね」
「えっ?」
「部屋は、空いていないよ。他所に行ってくれ」
主は、一行をシッシッと手で追い払う仕草をし、宿の外へと放り出した。
「ちぇ、なんだよ、あの宿」
「んもー、失礼ですっ」
ぶつぶつと文句を言い、彼はふと、目の前のエルージュに目をやった。
「……エルージュ、どうした?」
「私、皆さんとは別に休憩を取ります」
「えっ、な、なんで?」
ツァガンが、驚いていた。
「一人で、休みたい時も、ありますから」
そう言って、歩き出そうとした。
「待って、オイラも、行く」
「ツァガン」
「オイラも、一緒だと、安心でしょ?」
笑顔で、彼は尻尾を振った。
「そうですね、一緒に行きましょうか」
二人が別行動を取ろうとした時、ヴァシリーが彼らを止めていた。
「待ってください、それは、この後にしませんか」
「この後?」
「はい、私に良い考えがあります」
仮面の下の、ヴァシリーの目は、力強かった。
宿の一室。
「驚いた、本当に通じるとは思わなかった」
クラウスが、笑いながら椅子に腰掛けた。
「ヴァシリー、すごい、かっこいい」
ツァガンの言葉に、彼はどうだとばかりに腰に手を当てて、格好を付けていた。
この宿に入る直前、ヴァシリーは、皆に笑顔を崩すなと忠告して、交渉に入った。
宿の主人は、最初こそ不審の目を向けていたが、ヴァシリーの、自分たちは芸人だという説明に、納得したらしく、一行の宿泊を許していた。
「でも、今までのは何だったんだ?」
「これは、私の勘ですが……」
ヴァシリーは、言いづらそうに、横目でツァガンを窺う。
その時、部屋の扉が叩かれた。
「あ、エルージュだ」
尻尾を、ぱたぱたと振りながら、ツァガンは急いで扉を開けた。
「ツァガン、今は暇ですか?」
「うん、ひまー」
「それでは、食料を買いに行きませんか?」
「うん!行くー」
揺れる尻尾の動きが、一段と激しくなった。
サラは、隣室で不満顔であった。
空腹を抱えたまま、食事にありつくことも出来ず、町中を連れ回されて、体力は限界に近づいていた。
機嫌も最悪で、食べ物を持ってくるまで、ここを動きたくないと、のたまう始末だ。
やむを得ず、エルージュは外に買い出しに行こうとしたのだが、やはり不安なところがあるのか、ツァガンを誘いに来たのだった。
「行きましょう」
早速、出かけようと、二人が部屋を出ようとした途端、またもその行動は止められていた。
「エルージュさん、それは私たちがやりますよ」
「でも……」
「二人は、サラちゃんと一緒に、ここで待っていてください。私とクラウスくんで、必要なものは買いに行きますから」
「えっ、俺もかよ」
急に指名されて、クラウスは面食らっていた。
「ほら行きますよ、クラウスくん」
「仕方が無いな。ツァガンも悪いこと、するなよ」
入れ違いになるように、ヴァシリーとクラウスは、宿の外へと出かけていった。
残されたのは、ツァガンとエルージュの二人だ。
「サラも待っていますし、私たちの部屋に来ませんか?」
「うん……」
ツァガンの心臓の鼓動が、強くなった。
町の路地を、クラウスとヴァシリーは連れだって歩いていた。
「クラウスくん、さっきの続きなんですが……」
「さっきの?」
「酒場や宿で、断られ続けた理由です」
足元の木材が、ゴトゴトと音を鳴らす。
「ツァガンくんと、エルージュさん。二人の姿が原因です」
「え……」
「二人は獣人です。特にエルージュさんは、隠しようがない大きな翼を有しています。あれは目立ちすぎます、西の世界では目立ちすぎるんです」
ヴァシリーは、淡々とそれを説明した。
モスクワよりも東の、ペチェラやユグラに近い地域は、近年まで形質を保持していた彼らに接していたために、獣人の姿を蔑みはしたものの、異質だとして排除の動きまではなかったこと。
逆に西側の、リヴォニアや、クラウスの故郷であるプロシアまで行くと、獣人はおとぎ話に出てくる怪物だとして、人々は敵視し、異形だ退治だと、一方的に決めつけている現状を。
「私のこの格好ですら、ここ西側ではおかしなものに見えています。実際に今ですら――」
クラウスの双眸が、周囲を窺った。
ちらりと見ただけであったが、通りを歩く人々の、冷たい視線が、二人に容赦なく突き刺さってくるのに気が付いた。
異質、余所者、奇怪、不安。様々な思惑が籠もった眼差しが、彼らの身体を射る。
得体の知れない悪寒が、背中を這った。
「エルージュさんへの悪意は、こんなものではなかったでしょう。ツァガンくんも、薄々感づいています。これはシャマンの力でも、どうにもなりません」
そう言われて、クラウスはあの言葉の意味に、気が付いた。
――これは、邪視除けです。
その時は、なんとも思わなかった。
眼に悪意を込める者がいるとして、それから身を守るためだという、ヴァシリーの木製仮面は、彼らシャマンが思い込みで装着しているのだと、軽く聞き流していた。
それは違っていた。
眼に悪意は、込められる。
特殊な訓練や、特殊な才能など持たない、ごくごく普通の人々が放つ、無意識のそれは、容易に人を傷つける武器となるのだ。
残酷な事実だった。
「ヴァシリー、俺……」
クラウスの足が、止まった。
その時、だった。
通りと通りが交差する、町の辻。その角から、生暖かい熱気が、ぬるり、と這い出てきた。
「なんだ?」
先ほどまで、肌寒かったはずの町の通りだが、吹き抜ける風が妙に暖かい。
むしろ、暖かいを通り越して、それは気味の悪い熱さをもたらしていた。
町中を流れる、一筋の川があった。
その川と平行するように、一本の道が、続いていた。
道は、賑やかな大通りからは少し離れており、流れる水の音と、小鳥たちのさえずりが時折聞こえる、のんびりとした空間が、広がっていた。
そんな道を、一組の親子が歩いていた。
親子は父母と娘。娘は父と出かけるのが嬉しいのか、笑顔を絶やさず、足はリズム良くステップを踏んでいる。
「おとうさん!」
息が弾んでいた。
「ソフィア、待ちなさい」
まだ若い父親が、少し困ったような顔をする。
「おかあさんも、こっちに来て。あそこの木に、鳥が巣を作っているの」
「そんなに急がなくても、鳥は逃げやしないよ」
「いいえ、早くしないと逃げちゃうわ、巣には卵があるのだから」
そう言って、ソフィアは、川縁に生える一本の木を指さす。
木の梢からは、鳥たちの歌声が聞こえている。雄と雌の、巣にて互いに卵を温め合い、愛をささやく言葉が、風に乗っていた。
「あなた」
腹の大きな母親が、傍らの男を見やる。
「おまえ、身体は平気かい?」
「ええ、たまには歩かないと。お産の時に苦しい思いをするもの」
「無理はいけないよ、もうじき臨月なのだから」
「分かっているわ」
母親は優しく腹を撫でる。父親である男も、その仕草に艶やかなものを感じていた。
「あっ」
道の小石にでも躓いたのか、ソフィアの身体がバランスを崩し、転んだ。
「ソフィア!」
父親が、慌てて彼女に駆け寄る。
「ソフィア、大丈夫かい、ケガは……」
転んだ彼女は、起き上がろうとして、身体が強張った。
歩いていた時は、気が付かなかった。地面と同じ高さの草むらから、何かがこちらを見ているのを。
余りの恐怖に、声が出ない。
ただ、ソフィアの双眸は、それから離せなかった。
元気なく萎れる緑の草むらの中に、赤い何かが見えている。赤くて長い、蛇のような、細長いもの。
それが何であるか、彼女の目は辿る。赤い蛇は、一つの塊へと続いている。
塊が動いた。ソフィアはひきつけのような悲鳴を放った。
「ソフィア!どうした!」
父親は、固まるソフィアを抱き上げた。
「あ、あっ、お、おとう、さん。おとうさん!」
恐怖に見開かれた彼女の双眸は、宙空を見据えたまま、動かない。
「何があった、ソフィア!」
「あ、あ、あれ」
震える彼女の指の方向を、父親は見た。
そして、それが何であるか。彼も見て驚いていた。
道の脇にある、草むらの中に、みすぼらしい格好の男が倒れていた。
赤い髪をざんばらに乱し、男の腕は何かを掴もうとしたまま、伸びきった状態だった。
「この、乞食が!」
父親は、この男が娘を転ばせたと思い込み、男の頭を勢いよく蹴り飛ばした。
その衝撃で、顔にかかる頭巾がめくれ、骨ばった肉のない顔が、陽光の下に晒された。
「よくも、娘に手を出したな!」
もう一撃、食らわせようと、父親の足が動く。
だが、その足が男の顎にめり込もうとした時。父親は、己の頭から音がしているのに気が付いた。
チリチリ、チリチリ――。
音と共に、肉が焦げる臭いが、鼻腔を抜けた。
「おとうさん、頭――!」
娘の、悲鳴のような声を契機として、父親の首から上が、一瞬で炎に呑まれる。
「あ、あ、あ!あーっ!」
悲鳴とも絶叫ともつかない声が、炎の下の口から、発せられた。
火は、口や鼻から侵入し、父親の身体を、内部から燃やしにかかる。
「おとう、さ、あ、あ、あ!」
抱きかかえられたソフィアに、炎が燃え移った。
美しい、金色のふわふわの髪が、赤々と燃え上がる。柔らかい子供の髪質は、適度に油分を含んでいるためか、それは瞬く間に彼女の首から上を覆い込んだ。
「ぐああーっ!」
父親の双眸から、何かがどろりと出た。
炎の熱さにやられ、目の水分が失われて、目玉が溶け出たのだ。
「いや!あ、あなた!ソフィア!」
目の前で、炎に呑まれる二人を見て、母親が走った。
大きな腹のそれを庇おうともせず、彼女は必死で火を消そうと、上衣を脱いで二人を叩く。
「だ、誰か!誰か来てっ!」
そう叫んだ彼女にも、炎は襲いかかった。
父娘二人を燃やしたそれは、まだ足りないとばかりに、腹の大きい女を呑み込んだ。
「きゃああ!あなた――」
女の声は、中途で切れた。
炎が、女の喉に入り込んだからだ。
女は、腹の子を護ろうと、身体を丸めた。しかし、それは空しい行為だった。
父親と娘、そして腹に子がいる母親と。四人の命を奪った炎は、さらに大きく燃え上がる。
赤い髪の男が、ふらふらと立ち上がった。
目の前で、人だったものが、転がっている。肉が焼け、ぶしゅぶしゅと音が漏れている。
男の身体が、くるりと一回転した。炎が、爆発めいた広がりかたを見せた。
川縁の木々が、炎に巻かれ、焼け落ちていく。
熱風のやって来る道から、数人が走ってきた。
皆、その顔は蒼白で、恐ろしいものでも見たかのような、表情だった。
クラウスは、その中の一人を捕まえて、何が起きたか問い詰めた。
「おい、この先で何があった!」
「か、火事だ!人が、燃えて、建物も燃えている!」
恐怖にうわずる声で、男はそれだけ言うと、クラウスの腕を振り切った。
「火事?戦争の――?」
「クラウスくん、これは戦争ではなさそうです。行ってみましょう」
何かを察したヴァシリーが、走り出した。
思わずクラウスも、その後を追う。
熱風渦巻く道を、二人は走った。
走れば走るほどに、道は熱さを増し、吹き付ける風が身体を焦がす感覚に陥る。
そうして彼らは、その先にいる者を目で捕らえていた。
赤い髪の、太鼓を持つ男だ。
男が身を翻すたびに、炎が波濤のうねりとなり周囲を呑み込む。
「あちち!これ以上は近づけないぞ!」
荒れ狂う炎が、二人の侵入を拒むかのように、燃え盛る。
ヴァシリーは、太鼓を叩き、次いでばちを持つ腕を、前方に突きだした。
腕を中心として風が起き、渦を巻いて、それは周囲の熱気を押し広げる。
「クラウスくん、注意してください。兄の魔法は、以前よりも強くなっています!」
地鳴りがする。
赤い髪の男の魔法により、熱に当てられた地面や石が、きゅうきゅうと、小動物のような悲鳴を上げて爆ぜた。
大きな火の玉が、宙を舞い、質量を伴った塊として、地面に落ちる。
まるで、おとぎ話の巨人が歩くかのような、不思議な揺れが、町に響いた。
クラウスは、聖剣クォデネンツを抜き放った。
男の周囲を覆う、炎の渦からは、身体に炎をまとった大虎が、複数姿を現わしている。
「サラも、ツァガンも、エルージュもいないが、やるしかない!」
彼は、足に力を込めて、一歩、踏み出した。
町の宿にて。
「クラウスたち、遅い」
ツァガンが、呟いた。
「お腹空きすぎて、お腹と背中がくっつきそうです……」
寝台に横たわるサラが、力の無い声を出した。
「エルージュ、クラウスたち、まだ、帰ってこない?」
窓の外を、じっと見つめる彼女に、ツァガンはそう話しかける。
彼女は、微動だにせず、町の通りを眺めている。
「誰かが、戦っている気配がします」
「まさか、クラウスと、ヴァシリー?」
エルージュは、黙ってうなずいた。
「アイツ、出た、のか?」
「炎の気配がしますから、おそらく」
「い、行こう!オイラ、二人を、助ける!」
「私も行きます!」
飛び出したツァガンの後を追おうと、エルージュも扉に手をかけた。
「ええっ、二人とも行くんですかっ」
「サラ、あなたはここで待っていてください」
「わ、私も……」
だが、力の入らないサラは、歩くことすらままならず、フラフラと頽れる。
そんな小さな彼女の身体を、エルージュは黙って抱きかかえ、表へと走り出していた。
赤い髪が、熱風に煽られて、ゆらゆらと靡いていた。
腰まで長く伸びたそれは、赤い蛇のように、妖しく蠢く。
炎が、生きているかのごとく、地面を這い、クラウスを、ヴァシリーを仕留めんと襲いかかる。
燃える大虎の一頭を倒し、クラウスは聖剣を炎に向けて振りかざす。
聖剣クォデネンツは、向かってくる炎を切り裂き、冷たく鋭い風が男の衣服を捲り上げた。
――届いて、いる!
ようやく希望が見えかけた、その時。男の腕が、頭上へ向けて掲げられた。
「危ない!伏せてください!」
ヴァシリーの声で、空を見上げる。
そこには、無数に輝く、炎の矢があった。
「うわああ!」
「クラウスくん!」
咄嗟に繰り出した、ヴァシリーの護りの魔法だが、兄の力の前に、それは為す術もなく打ち破られた。
灼熱の赤い雨が、上空より降り注ぐ。
服が、身体が、炎で焼けただれ、ヴァシリーが倒れ、次いでクラウスも膝をつく。
――また、こいつに負けるのか。
そう思った。が、暖かな光が、全身を覆っているのに、彼は気が付いた。
地を駆ける、大きな鳥の影が見える。その両の翼が、力強く羽ばたく。
「二人とも、しっかりしてください!」
声が、聞こえた。
「ヴァシリー、大丈夫か!」
倒れたヴァシリーを、ツァガンが助け起こしている。
頭上には、白い翼を広げたエルージュが、サラを抱きかかえて飛んでいた。
「サラ、あの人に向けて、ありったけの魔法を放ってください!」
「え、で、でも」
「私も援護します、ですから全力で撃つのです!」
エルージュの檄に、サラは八端十字架の杖を構えて、詠唱を始めた。
赤い髪の男も、倒されまいと、こちらに向けて炎の矢を放つ。
しかし、それらは白鳥の持つ力によって、次々に叩き落とされるのみ。
サラの口が、動きを止め、赤い双眸が狙いを定めている。
「いけます!」
合図の声に、エルージュはうなずいた。
彼女の力が、サラの杖へと流れ込み、それは、一気に解き放たれた。
耳をつんざく轟音と、目も眩む輝きが、町の通りを埋め尽くす。
衝撃波が、幾重にも発生し、それらは突風となってクラウスたちを襲った。
何かが弾ける音と、何かが崩れる音がする。石が、重い瓦礫が、派手に砕け散り、川縁の道を飛び越えて、滔々と流れる川へ次々に落ちていく。
もうもうと立ちこめる煙の中、エルージュは太鼓を盾にして、皆を護る。
「クラウス、ヴァシリー、他に痛いところはありませんか?」
「俺は平気だ。それより、あいつは――」
一行は、それが落ち着くまで、息を殺して様子を窺う。
エルージュは、ヴァシリーの傷を癒やし、ツァガンは耳と鼻を利かせて敵の気配を探っている。
「クラウス、アイツ、いない、ぞ」
「何だって?」
煙幕が徐々に薄くなり、太陽の光が、町の路地へと射し込む。
クラウスは目を細めつつ、奴の姿を探すが、その影はいくら目をこらしても見当たらない。
あの大爆発で、奴は大虎もろとも消し飛んだのか、それとも逃げおおせたのか、行方は分からなかった。
「死んだのか?」
その言葉に、エルージュは首を振った。
「いいえ、死んではいません。気配はゆっくりとですが、遠ざかっています」
彼女の双眸は、道の向こうの川を見ている。
「もしや、川に落ちたのでは……」
ヴァシリーが、川岸へと走った。
岸辺には、焼け焦げた草花と樹木が、香ばしい臭いを漂わせていた。
そして、たゆたう川面には、炭と化した草や木材が所狭しと浮かんでおり、川下へ、川下へと押し流されていく。
「兄さん!」
彼は、大きな声で、兄を呼んだ。
決して返ることのない返事だが、万が一を期待しつつ、彼はそれでも叫び続けた。
「ヴァシリー、彼はまだ生きています」
背後から、エルージュが声をかけた。
「そうだ、追いかけるぞ。この先はリヴォニアの中心地だ、手遅れにならないうちに行こう」
いつの間にか彼の側には、クラウスが、サラを背負ったツァガンが、立っていた。
「サラ、悪いが今日の宿は無しだ」
「ええーっ、そんなぁ」
「文句を言うな、途中で旨い物買ってやるから、な?」
「……分かりましたぁ」
不満ありげなサラをなだめ、一行は宿に断りを言って、この町を離れた。
どこまでも続く、青い草原に、冷たい風が吹く。
夏を忘れたその息吹は、どこかもの悲しい匂いがしていた。




