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25 イリヤーと二人の英雄

 キエフにある、洞窟修道院。

その地下に、聖人の遺体が安置されている地下洞窟があった。

 僅かばかりのロウソクの明かりに照らされて、エルージュの姿がほんのりと光る。

「なんだか、賑やかね」

 激しい物音のする、扉の向こうを眺めつつ、エルージュは呟いた。

この扉の先には、キエフ時代の英雄である勇者イリヤーが、永遠の眠りについている。

 クラウスらが部屋へと入って、結構な時間が経つものの、彼らは中々出てこようともしない。

「退屈だわ」

 あくびが出た。


「結構やるな、小僧」

 ドブルィニャの巨躯が、足元に横たわっている。

「クォデネンツの持ち主は、そうでなくてはな」

 歯を見せて、彼は笑っていた。

「お次は、このアリョーシャが、相手だ」

 アリョーシャが、両手を顔の前で組み、何やら言葉を呟き出す。

「クラウスくん、魔法です!」

 ヴァシリーが気付き、叫んだ。

 アリョーシャの腕が突き出され、それと同時に、クラウスらの前に気配が漂う。

もくもくと、蒸気が吹き上がり、その向こうに人影が見える。

「何者だ!」

 クラウスの腕が、横薙ぎにそれを切り払う。

甲高い、金属音が鳴り響き、蒸気の隙間から、笑い声が聞こえた。

「おいおい、いきなり物騒だな、お前」

 クラウスの剣を、その手に握る剣で防ぎ、男は不敵な笑みを浮かべた。

「なんだ、こいつ」

「こいつとはなんだ、俺はお前だ、クラウス」

 そこには、自分と瓜二つの男が、立っていた。

「クラウスくん、油断してはいけませんよ!」

「そうです、油断はいけません!」

 背後から、ヴァシリーの声が重なって聞こえる。

「ええ、な、なんですか、あなた」

「あなたこそ、なんですか」

「真似しないでくださいっ」

「そっちこそ、真似しないでくださいっ」

 横を向けば、サラが二人、真似をするなと言い合っている。

「おおー、お前、オイラか」

「そうだ、俺は、お前だ」

「うーん、でも、なんか、違う」

「当たり前だ、俺は魔法で生み出された存在、お前の影の存在だからな」

「そーなのか」

「そうなのだ」

 なんとも間の抜けた顔をするツァガンと、少し呆れた顔をするツァガン。

二人はお互いに顔を突き合わせていた。

「クラウスくん、早くこいつを倒してください!」

「クラウスくん、早くこいつを倒してください!」

 全く同じ姿の、二人のヴァシリーが、お互いに指を差しながら、怒鳴り合っている。

姿が同じならば、出てくる声も、また同じ。

 その双子かと思われる声が、両耳から入ってきて、クラウスの頭が混乱した。

「真似しないでー、もうー!」

「もう、やだー!」

「あなた、偽物ですぅー!」

「あなたが、偽物なんですぅー!」

 サラが二人、耳に突き刺さる甲高い声で、泣き喚いている。

ただでさえうるさい上に、それが二人分。二倍以上の大音量で、辺りに響く。

 やかましい泣き声は、さらに白熱し、クラウスの耳の穴が塞がれた。

「おい、早くなんとかしないと、お仲間が発狂しちまうぞ?」

 目の前のクラウスが、意地悪そうに笑った。

ニヤニヤと、いやらしい目つきの影が、剣を振りかぶって切り下げる。

 太刀筋自体は、大したものではないのだが、他人を見下すような目が、クラウスを苛立たせ、気持ちを焦らせる。

「くそっ、どうしたら……」

 彼は困っていた。

影と目される敵を倒せというのだが、その姿は仲間と全く同じ。

 間違えて本物を殺しかねない、危険な状況である。

 剣を握る手に、汗が噴き出た。そんな中。

「おい小僧!クォデネンツに任せてみろ!」

「こら、ドブルィニャ、黙ってろ!」

 アリョーシャが、少し慌てていた。

「クォデネンツは、意思を持つ、剣に任せて切るんだ!」

「お前、どっちの味方だ!」

 笑いながら、ドブルィニャはクラウスに声援を送った。

 クォデネンツが、静かに震えている。


「お前、オイラの影」

「そうだ」

「オイラ、お前に聞きたいこと、ある」

「何をいきなり言っている?」

 ツァガンが、同じ顔のツァガンに、向き合っていた。

「一発やるって、なあに?」

「……は?」

「オイラ、クラウスに、言われた。エルージュ、気になるなら、一発やらせてくれって、言えって」

「何を言っているんだ、お前……」

 影のツァガンが、呆れていた。

「一発って、なに?オイラ、分からない」

「そもそも、エルージュって、何だ?」

「あ、あの、ね、エルージュ、白くて、黒くて、羽根が生えてて、ふわふわで」

「……訳が分からん」

 影が首をひねる。

「そ、それでね、おっぱい、大きかった」

 テングリより下山する時、落ちそうになった自分を、優しく背後から抱きかかえてくれた彼女を思い出しつつ、あの夢のような柔らかく温かい質感に、ツァガンの鼻から何かが垂れた。

 影は目を閉じて、考えを逡巡させた。

「うーん、それはもしかして、女のことか?」

「そ、そ、そう!エルージュ、女の人。おっぱい大きい、女の人」

「おっぱいしか見てないのかよ、お前」

「あ、あと、お尻も、大きい」

「どこ見てるんだよ……」

 思わず、ため息が漏れた。

「お前、アホだな」

「え、そ、そう?」

「褒めてないぞ」

 なぜか影が、頭を抱えた。

「それで、一発やる、お前、分かるか?」

 呆れ果てる影に、ツァガンがしつこく聞き下がる。

 影は、脳天気な彼の顔に、ことさら大きくため息をつき、頭を振った。

「知らねーよ、本体のお前が知らないの、俺が知ってる訳ないだろう」

「そーなのか」

「そうなんだよ」

 声が、怒りに満ちていた。


 聖剣クォデネンツが、クラウスの影に深々と突き刺さった。

 影とはいえ、同じ顔の同じ声の男である。

それを己の手で消し去る、という行為に、彼は複雑な気持ちを抱いていた。

「クラウスくん!」

 影が一つ消えたのを見て、二人のヴァシリーが、こちらへと走り寄る。

「ヴァシリー!」

 振り向きざまに、返す刀で、勢いよく振り切った。

 ヴァシリーの影は、一瞬で塵と化していた。

「よし、あとはツァガンとサラだ!」

 泣き喚きつつ、ぺちぺちと叩き合っているサラを掴む。

「こっちが、影だな!」

 流れる涙と共に、サラの影も塵となって、消え失せた。

「それでね、オイラね」

 ツァガンが、顔を紅くして、もじもじしている。

 空気を裂く風が、目の前を通り過ぎた。

「あれ?」

 さっきまでいた、ツァガンの影が、消えていた。

「あーあ、俺の魔法が、破られたではないか。誰かさんのせいでなあ!」

 アリョーシャが、座り込んで文句を言っていた。

「はっはっは、クォデネンツに負ける、お前の魔法が悪い」

 ドブルィニャは、笑っている。

「二人とも情けない、それでも英雄か」

 イリヤーが、一喝した。

「仕方が無い、ワシがお前らの分までやるか」

 大きな、山のような身体から、湯気が立ち上る。

その手に握る槍を振り回し、イリヤーはクラウスを一睨みした。

「さあ、来い!」

 咆吼が、衝撃波となって、四人の身体を駆け抜けた。


 ヴァシリーの太鼓が、力強く叩かれた。

彼を中心として、冷たい風が一陣吹き抜け、クラウスの身体が、明らかに軽くなる。

 ツァガンが、イリヤーの懐深くまで潜り込み、脇腹目がけて、鋭い蹴りをお見舞いするが。

「か、たい」

 イリヤーの身体を覆う重い鎧は、小片の鉄板をつなぎ合わせたラメラーアーマーと、その下に着込むチェインメイルに、厚手の麻を幾重にも着た、重装備のものだ。

 その上、鍛えに鍛えた筋肉の塊とも言うべき体格を有していては、ツァガンの未だ成長途中の身体が、適うはずもなかった。

「それで、攻撃しているつもりか、獣人の小僧!」

 イリヤーの槍が唸り、柄が黄金の狼の腹にめり込んだ。

 彼は、瞬時に後ろへと飛び退ることで、そのダメージを最小に押さえようとしたが、思いの外リーチが長かったらしく、その身は明かりの届かない暗闇まで吹っ飛んでいった。

「ツァガンくん、しっかりしてください!」

 ヴァシリーの声が響く。

 暗闇の向こうで、倒れているのだろう、狼を見ることも無く、彼はイリヤーに向き合っている。

 ツァガンは、狼だ。

 勇者に付き従い、その意を忠実に守る狼なのだ。

 助けに行かずとも、再び両の足で立つことが出来る。

 だからこそ、ヴァシリーは振り向きもしなかった。

「クラウスさん、いきます!」

 サラの爆発魔法が、イリヤーの重厚な鎧の一部である、肩当てを吹き飛ばした。

「よくやった、サラ!」

 がら空きとなった、その部分目がけて、クラウスは剣を振り下ろす。

「おっと、そうはさせんぞ」

 まるで待ち構えていたように、イリヤーの腕が動き、聖剣の動きを槍が防いでいた。

 剣と槍が擦れ合って、金属の軋む嫌な音が、耳に入る。

だが、対峙する二人の勇者は、それさえも気にならず、力を振り絞り押し切ろうとしている。

「クラウス!」

 イリヤーの背後に、煌めくものが見えた。

 それは、黄金色の髪だ。

黄金の狼が、勇者を手助けせんと、果敢にもイリヤーに飛びかかっていた。

「ぬうう、獣人めが!」

 イリヤーの目線が、一瞬だけ逸れた。

 それを好機と見たクラウスの腕が、前へと押し進む。

 剣が、槍が、悲鳴を上げていた。


「まだ、終わらないのかしら」

 エルージュは、大きく背伸びをした。

 四人が、遺体安置室に入って、かなりの時が過ぎた。

 洞窟修道院内の部屋を出たのが、朝。それからの時間を考慮すると、おそらく今の時刻は昼前頃になる。

 あまりにも長い用事に、これは罠かと思いもしたが、すぐにそれは違うと判断した。

 一行をここへと案内した者が、生きてはいなかったからである。

 生きてはおらず、かといって死んでいる訳でもないその者は、聖剣と勇者イリヤーの共鳴が作り上げた幻であった。

 その証拠に、聖剣クォデネンツの様子が、終始穏やかであったことからも明らかであった。

 聖剣は、長い時間の中で、数多くの人の手を渡り歩いた。

そしてその度に、ここキエフの洞窟修道院へと、勇者たちを導いては、最初の持ち主のドブルィニャと、仲間のイリヤー、アリョーシャの手痛い洗礼を受けさせてきた。

 あの三人に勝利出来ないようでは、世界を救うことなど、夢のまた夢なのだと。

 これは、聖剣を手にした勇者の、必ず受けるべき試練であり、避けては通れない狭き道でもあった。

「あら……?」

 不意に、扉の向こうの物音が、止んだ。

 それと同時に、重い扉がゆっくりと開き、中から疲労の色濃い四人が、フラフラと出てきていた。

「おかえりなさい皆さん、お疲れの様子ですね」

「あー……、つ、疲れた……」

「どうやら、用は無事に済みましたね」

 崩れ落ちるツァガンの身体を、優しくその胸に抱き留めて、彼女は皆を労り、微笑んでいた。

 四人は、イリヤーとの戦いに、勝利した。

途中、何度か危機があったものの、ドブルィニャの的確な助言によって、見事イリヤーを、その聖剣の下にねじ伏せた。

 強く、若い勇者の誕生に、イリヤーは負けたにも関わらず、大笑いでそれを祝福し、何があっても挫けるなと、応援の言葉を贈った。

「お疲れの皆さんに、私からも、贈り物をしましょう」

 そう言うなり、エルージュの全身から、ほのかな光が出た。

光は、ツァガン、クラウス、サラ、ヴァシリーへと、順々に飛び移り、やがて皆の全身を包み込む。

 そうして、光は跡形も無く消え失せ、クラウスらは、深い眠りから目覚めたかの如く、両の目を瞬きさせていた。

「ん、あれ――」

「おはようございます、クラウス」

 笑顔のエルージュが、目の前にいる。

 だが、その彼女の胸に、狼耳の獣人が、顔を突っ込んでもいる。

「お前、何している」

 未だ寝ぼけているツァガンを、無理矢理引き剥がした。

 剥がして驚いた。彼の顔面には、真っ赤な血がこびりついていたからだ。

「う、うわっ」

 思わず、突き飛ばした。

 ツァガンの顔は、再びエルージュの胸に飛び込む。

「ん、んあ、やわら、かい……」

 のんきな言葉が、漏れた。


 表に出ると、太陽は空の一番高い所で、燦々と照っていた。

丘の上から望む、雄大な大河ドニエプルは、川面に光が反射して眩しい煌めきを見せている。

 春真っ盛りのキエフの町ではあるが、暖かくなる季節だというのに、町や人にその兆候は見られない。

 水量の変化がない川と、そこかしこで湧き出でる異形のものども。

そして再び不穏な動きを見せるタタール兵に、きな臭い戦争の影もある。

 疲弊しきったこの町の力では、かつての賑わいを取り戻すことなど、不可能であったがゆえに、人々の顔から笑みは消え失せていた。

「この町から、北か」

 一抹の寂しさを孕む風が、クラウスの背後を通り過ぎた。

 この時期の南風は、元来なら暖かみを持つはずであった。

しかし、彼にぶつかるそれは、ぬくもりを感じさせなかった。

 風は冷たく、空を行く雲も、どことなく冬のものを思わせるように見える。

「川の先に、交易街道があります。軍馬も通る道ですから、注意しましょう」

 そう言って、ヴァシリーは川を渡る船を探しに、桟橋へと向かって行った。

「ヴァシリーさん、待ってください」

 サラが、八端十字架の杖を振り、彼の後を追った。

 それに続いて、クラウスと、エルージュも動き出した。

「あ、エルージュ」

「はい、なんですか?」

 ツァガンの呼びかけに、彼女は振り向く。

「あの、その、えっと」

「何かありましたか?」

「ううん、なんでも、ない」

 振り向きざまの、彼女が一瞬見せた横顔に、ツァガンは何かを言おうとして、それが何であるか、うっかり忘れてしまった。

「では、行きましょう」

 白い大きな翼をその背に持つ、テングリの白鳥が言った。

その輝かしいまでの笑顔の言葉に、黄金の狼の心臓が鼓動を早める。

 ツァガンは、尻尾をちぎれんばかりに振り、彼女の隣に寄り添い歩く。

 顔が、熱を帯びているのが、自分でもハッキリ分かった。

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