表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/40

24 キエフの洞窟修道院

 キノコが、歩いていた。

 キノコは、黄金色の小麦畑と共に、歩いていた。

 小麦畑の両脇には、大きな三角の山が生えていた。

 三角の山が、ぴょこぴょこと動いた。

 小麦畑に見えたものは、ツァガンの、黄金色の髪、だった。


「ツァガン、それは、どうしたのですか?」

 頭の上を指さして、エルージュは彼に、そう聞いた。

「え?なに、が?」

「キノコ。ついていますよ」

 そう言われて、頭を触った。

確かに、両耳の付け根に、またキノコが生えている。

「取ってあげましょうか?」

「い、いい。取らなくて、いい」

「でも」

「オイラ、自分で、取る。から」

「そう言って、取らないつもりですね」

「ううっ」

 図星であった。

「だ、だって、取るの、痛いもん」

「だめです、取らないと身体に影響が出てきますから」

「いい、影響出ても、いいもん。オイラ、ガマンする」

「影響はずっと続くのですよ、取る痛みは一瞬ですから」

「一瞬でも、やだ」

 ツァガンは、頑なにそれを固辞する。

そんな彼に、エルージュは諦めを見せた。かのようだった。

 ぶちり。

 ほんの一時の隙を縫って、彼女の手は、素早くツァガンの頭を通り過ぎた。

「はい、おしまい。痛かったですか?」

 彼女の白い指には、茶色の傘を持つキノコがある。

 ツァガンの顔が、驚きのまま、固まった。

「どうしました?痛いですか?」

 目だけが、ゆっくりと動いて、エルージュの顔を見る。

 ぱちくり。と、何度も瞬きをする。

「ツァガン?」

「痛く、ない」

 恐る恐る、出された言葉に、エルージュは嬉しそうに微笑んだ。

「よかったですね」

 ツァガンの胸が、高鳴った。


 明くる日。

 街道沿いの小さな村にて。

「おーう、ツァガン。お前またキノコ生えてんぞー」

 出発前の、朝の身支度の時間は、割と慌ただしい。

清水流れる、小さな川で顔を洗っている最中、ツァガンはそう声をかけられた。

「え?」

「ケツだよ、ケツに生えてるぞ」

「うそ」

「取ってやろうか?」

 クラウスが、背後に回った瞬間に、ツァガンの身体は跳ね起きた。

「いっ、いい、取らなくて、いい!」

「なんでだよ、俺は親切に取ってやるって、言ってるんだぞ」

「ク、クラウス、痛くするもん」

「痛くしねーよ、信じろよ」

「し、信じられない、そうやって、今まで、何回も、嘘ついたもん」

 お尻を両手で押さえて、ツァガンは勢いよく顔を振る。

皮膚や前髪についた水滴が、辺りに飛び散っていた。

「オイラ、今度から、エルージュに取ってもらう。決めたから」

「はあ?」

「エルージュ、痛くしない、優しい」

 意味の深そうな言葉を残して、ツァガンは尻を押さえたまま、走り出した。

「何言ってるんだ、あいつ」

 クラウスは、首を傾げていた。


 一行は、西へと続く街道を、歩いていた。

 道中、幾度も怪物どもと戦い、その気配を一つ一つ、丁寧に消し去る。

 そうして、また歩いている途中に、ふとエルージュの足が止まった。

――右手の方向、気配は二つ。

 ツァガンも、異変を嗅ぎ取ったのか、しきりに鼻をひくつかせている。

「来るよ、クラウス」

 それを聞いたクラウスは、剣を抜き放ち、構えた。

 その時、だった。

 突如、周囲の空気が押し潰される感覚が、一行を襲った。

――魔法!

 気づいた時、それはもう、彼らの頭上に迫っていた。

――雷だ!

 目も開けていられないほどの閃光が、途方も無い圧力と共に落ちてきた。

 轟音を響かせて、一行は光に包まれる。

 そして、静寂が訪れた。

 消し飛ぶ世界の音の中で、クラウスは終わった。と覚悟した。

 しかし。

 白い腕が、天高く伸びていた。

「相手は、怯んでいます、今のうちに!」

 エルージュが、一行を守っていた。

「よし!」

 クラウスが、走った。

 サラが、ヴァシリーが、ツァガンが、敵を捕捉し、あっという間にそれらは退治される。

 街道は、再び静穏を取り戻した。

「危なかったな、エルージュありがとう」

 聖剣を納めつつ、クラウスは笑顔で礼を言う。

「皆さんを守るのも、私の役目ですから」

 彼女はそれが当然だと、微笑んだ。

「でも、ツァガンさんは、無理をしましたね」

 サラはそう言って、腕の傷を舐めているツァガンを見る。

「う、うん、オイラ、頑張った」

 ツァガンが、傷を負ったのは、エルージュを狙う怪物と、戦ったからであった。

 鋭い爪を持つ、人ほどもある大きなイタチのような怪物は、彼女の白き柔肌を切り裂かんと、飛びかかった。

 それを目にしたツァガンは、己の腕が犠牲になるのもいとわず、彼女の前に立ち塞がり、大イタチに強烈な一撃を食らわせていた。

「あんまり無茶をするなよ、ツァガン」

 黒い渦を消し去ったヴァシリーが、戻ってくるのを見て、クラウスは歩き出した。

「ツァガン」

 歩きながら、エルージュは腕を伸ばした。

 血まみれの、彼の腕をそっと取り、温かな光で傷を癒やす。

「ありがとう。でも、無理はいけませんよ」

「うん、わ、分かった」

 尻尾が、ゆっくりと揺れ出した。

「服は、後で私がつくろいますから」

「え、でも、そんな」

「私にも、お礼をさせてください」

 そう言われて、ツァガンの尻尾が、一段と激しく振られた。

ちぎれそうに、激しい。嬉しさを表す、黄金の狼の尻尾が揺れる。

 二人の後ろを歩いていたヴァシリーは、仮面の下で密かに笑っていた。


 キエフの町。

かつてのキエフ・ルーシの首都であるこの町だが、今やその面影はどこにも残っていなかった。

 現在の戸数はおよそ二百ほど。

 寂れはてたこの町は、モスクワ大公国の支配下でもなく、隣国ポーランドの支配下に置かれていた。

「すげーな、ここ。本当に首都だったのか?」

 乾いた風が吹く通りを、クラウスは眺めていた。

「これでも首都だったんですよ、そして、ルーシの聖地でもありました。数百年前までは」

 ヴァシリーの双眸が、悲しみに暮れていた。

 キエフが、首都の座を追われたのは、タタールがやって来る少し前であった。

身内であるはずの、ルーシ諸公国から略奪を受け、最終的にタタールの手によって、町は陥落した。

 その際に、主立った宮殿や教会、歴史的建造物の一切合切が破壊され、往時のキエフは歴史の彼方に葬られた。

 かつては、輝ける黄金の町として、苛烈だが人々を惹き付ける、太陽のクニャージが統治したものだが、それももはや過去の話であった。

「それで、気配はあるのか?」

 クラウスは、エルージュを見る。

彼女は、黙って首を振った。

「この町では、何もしなかったようです。気配は、北の方に続いていますね」

「さすがに兄も、キエフで破壊活動をするわけには、いかなかったのでしょう」

「かも、しれないですね」

 ヴァシリーの言葉に、彼女は同意していた。

「そうしたら、今日はこの町で休むとするか」

「賛成でーす」

「う、宿、どこだ?」

「宿なら、あの洞窟修道院が、旅人向けに開放していますよ。行ってみましょうか」

 川沿いの、丘の上に佇む、たまねぎ型の建物を指して、ヴァシリーは言った。

丘は、緑の木々が密集し、その隙間から、白い教会の姿が見える。

「あそこも、正教会なんですねっ」

「そうですよ、サラちゃん」

 サラの足が、元気よく動いていた。


 洞窟修道院。

「それじゃあ、俺たちは、こっちの部屋だ。サラはエルージュと一緒だな」

「はーい、エルージュさん行きましょう」

 サラは、彼女の手を引いて、部屋へと入る。

そんな二人の後ろ姿を、ツァガンは名残惜しそうに、見つめていたのだが。

「おい、お前は、こっちだ」

「あっ、あぅ、そんな」

 クラウスに、首根っこを掴まれて、彼は情けない声を出していた。

「さーて、ツァガン。お前、最近どうした?」

「え、な、なに、が」

 部屋に入るなり、ツァガンは、二人に問い詰められていた。

「身に覚えが無いのですか?」

 ヴァシリーの問いに、首を傾げる。

「あんなに、あからさまな態度なのにな」

「ですよね」

「ふ、二人とも、なに、言ってる?」

 椅子に腰を下ろして、クラウスは腕を組んだ。

「お前、エルージュが気になっているな」

 その言葉を聞いて、ツァガンの顔が一瞬で紅くなる。

「ち、ち、ちが……」

 首が勢いよく、振られた。

「ごまかしても、尻尾でバレバレですよ」

 そう指摘されて、思わず尻尾を押さえる。

「し、尻尾、これ……」

 やり場の無い目を伏せる。頭の耳は、恥ずかしいのか、元気無さそうに垂れていた。

「エルージュに、興味あるんだろ。お前、スケベそうだもんな」

「クラウスくん……」

 偏見だと、ヴァシリーは思った。

「き、気になんか、なって、ない。魔法、使うの、不思議、思う、それだけ」

 二人から目を逸らしつつ、ツァガンはぼそりと言う。

「お前、嘘つくの下手だな」

 クラウスが、笑っていた。

「魔法だったら、ヴァシリーとサラが、今まで散々見せたじゃないか。今更、それを言うか?」

「そ、それ、は」

「ツァガンくん、正直になった方がいいですよ?」

「そうだぞ、正直になれ」

 二人の目が、謎の圧力を伴って、ツァガンを見ていた。

 それが居心地悪いのか、彼の目線は、あらぬところを忙しなく動く。

「認めろ」

「うっ」

「正直に言って、楽になりましょう、ね?」

 押し潰されるような、クラウスの言葉と、庇うようで庇っていない、ヴァシリーの悪魔のささやきに、ついに彼は観念していた。

「オ、オイラ……」

「うん?」

「止まらない、ドキドキするの。初めてテングリで会った、あの時から、ずっと、ドキドキしっぱなし。こんなの、今まで、なったこと、ない」

 顔が、真っ赤だった。

「エルージュ、すごい、キレイ。あんなに、キレイな人、見たことない。それに、すごい優しい」

 クラウスが、吹き出した。

 ツァガンの顔が、余りにも真剣だったのか、彼は腹を抱えて大笑いしていた。

「だ、ダメですよ、笑うなんて……」

 そう諫めるヴァシリーも、つられたのか、口を押さえて笑いを堪えている。

「も、もう!オイラ、頑張って、言ったのに、笑うの、ひどい!」

「こ、これ、笑うなっていうのが、無理だろ」

 笑いすぎて、涙がこぼれる。

「ツァガンくんも、そういうことが、あるんですねぇ」

「まったくだ、あはは」

 だが、ひとしきり笑い済んだヴァシリーが、予想外のことを話しだす。

「でも、エルージュさんは、テングリの人ですよ。この旅が終わったら、テングリに戻るのでは、ないですかね」

 それを聞いて、ツァガンは大いにうろたえた。

「ええっ、そんなあ、ど、どうしよう、どうしたら、いい?」

「なあに、簡単だ」

 笑いながら、クラウスが答える。

「自分の気持ちに素直になれ。エルージュに土下座して、一発やらせてくれって、頼んでこいよ」

 言い切って、またも大笑いした。

「随分と乱暴な言い方ですね」

 ヴァシリーは、呆れていた。


 翌日。

 修道院を発とうとした一行を、引き留める者があった。

その者は、地下洞窟に安置されているイリヤーの遺体が、クラウスを呼んでいる。と言い、彼らをそこへと案内した。

 暗く静かな、洞窟内には、お情け程度のロウソクの明かりと、どこかからか聞こえてくる、小動物の這い回る音だけが、時折響いていた。

「お、オバケが出そうですぅ……」

「そうですねぇ」

 ヴァシリーの腕に、しがみつきながら、サラは怯えていた。

 と、案内人の足が止まった。

「この部屋が、勇者イリヤーの部屋です」

 大きな鉄製の鍵を手に、案内人は扉を開け放つ。

 中からは、澱んだ空気と、遺体の独特な臭いが、ずるり、と流れ出ていた。

「中へどうぞ、イリヤーがお待ちです」

「よし、行くか」

 歩きはじめて、ふと振り向くと、エルージュが一人静かに佇んでいるのに気が付いた。

「行かないのか?」

「はい、私は呼ばれていないようですから」

「エルージュも、行こうよ」

 ツァガンが、彼女の白い手を握った。

「残念ですが、用があるのは、あなたたちだけですね」

「こら、どさくさ紛れで手を触るな」

 ぴしゃり。と、ツァガンの手を叩き、クラウスは彼の服を引っ張って、中へと向かう。

それをエルージュは、笑顔で見送っていた。


 部屋に入ってすぐ、空気が変化した。

狭い、遺体安置室のはずなのだが、明かりも無い、暗闇に支配されたそこは、無限の広がりを持つように思われた。

「新しい勇者が現われたと思ったら、こんな小僧だったか」

 突如、中年男の声が、した。

「勇者イリヤーです」

 ヴァシリーが、クラウスに耳打ちする。

それを目ざとく聞いた、声の主は、大声で笑っていた。

「いかにも、ワシがイリヤーだ。キエフ大公に仕えし、イリヤー・ムーロメツだ」

 暗闇に目が慣れてきた頃、二つの光が見えた。

 光はゆっくりと動き、それが、姿を現わした。

 重厚な兜と、その隙間から生える、褐色のクセのある髪が見える。顔の下半分を覆う、厳ついヒゲに、日に焼けた精悍な顔つき。身の丈はヴァシリーを遥かに凌駕する大男が、そこに立っていた。

「あなたが、この聖剣の前の持ち主なのですか?」

 臆することなく、クラウスは、問いかけた。

「わっはっは、それは違うな。クォデネンツのイリヤーは、ワシではない」

 褐色髪のイリヤーは、大笑いした。

「だがあれも、立派に勇者を勤め上げた。誇り高きルーシの英雄だ」

 パチン。と、指が弾ける音がした。

 それを合図にして、イリヤーとクラウスの相対するところを中心にして、部屋が少しだけ明るくなる。

「アリョーシャ!ドブルィニャ!」

 イリヤーが、二人の名を叫ぶ。

 彼の両脇の暗がりから、彼と同じほどの体格を有する大男が、姿を見せた。

「どうした、イリヤー」

「アリョーシャ、新しい勇者だ。一つ、力比べと参ろう」

「またか、お前も好きだな、イリヤー」

「そう言うな、ドブルィニャ。お前も毎度楽しんでいるではないか」

 アリョーシャと呼ばれた男は、ヒゲの無い、やや痩身の優男だ。

一方、ドブルィニャは、イリヤーよりも長いヒゲを蓄えた、筋肉質の大男である。

「さあ、新しい勇者よ、ワシらと勝負しろ。ワシらを倒せないようでは、この世界は救えないぞ」

 と、イリヤーは言う。

「魔法は、いくら使ってもいい。全力で戦うのだ、いいな?」

 アリョーシャも、笑う。

「聖剣クォデネンツよ、久しぶりだな。かつての主の顔を、忘れたのか?」

 ドブルィニャが、剣を抜いた。

「あなたが、クォデネンツの、持ち主でしたか」

 クラウスの手が、聖剣の柄にかかる。

「おうよ!」

 ドブルィニャの腕が、上段から振り下ろされた。

「しばらく見ないうちに、強くなったな、クォデネンツ!」

 暗闇に、火花が飛び散る。

 クラウスの腕が振り上げられ、ドブルィニャの剣とクォデネンツが、激しくぶつかった。

「はっはぁー、いい面構えだ、小僧!」

 満面の笑みだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ