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2 旅立ち

 翌日、町の騎士団の詰め所。

その一角にある、仮眠用の寝台で、クラウスは横になっていた。

「聖剣、かぁ」

 何気なく呟き、彼は枕元にある荷物袋に触れる。

麻で出来たそれは、比較的目の詰まった生地で出来ており、長期間の使用にも耐えうるよう、厚手に織り込まれた物であった。

「もう、決まったんだよな」

 どこか遠くを見るような目で、彼は大きく息を吐く。

 昨日起きた事柄は、今のクラウスにとって、信じろというのが無理な話であった。

 突然、現われたサラという女の子と、スオミから来た手紙には、聖剣の勇者として自分が選ばれたという内容が記されていた。

 そして、町中を暴れていった謎の人物。

サラが言うには、あの人物こそが、世界を滅亡へと至らしめる、元凶の者だという。

「赤い髪の、自然崇拝者ペイガン……」

 彼が怪物を倒し、周囲を見回したとき、その人物の姿は影も形も無くなっていた。

遠くから見ていたサラ曰く、炎の中に消えていったらしい。

 彼の者は、この町に甚大な被害を出し、まんまと逃げおおせたのだった。

「許すわけには、いかない」

 拳を握り、クラウスは悔しそうに呟く。

 自分は門番という立場だ。その役目は、不審者の侵入を許さないものだ。

なのに、あの者は、いつの間にか町中へと入り込み、町民を手に掛け、悪意を振りまき、蹂躙していった。

 教会の威光溢れる、このプロシアの町で。

 震える拳に、彼が決意を固めた時、何やら表が騒がしくなりつつあった。

「そろそろ、だな」

 身を起こし、彼はブーツに足を通す。

「クラウス」

 部屋の入り口から、同僚の声がした。

「昨日の彼女、来ているぞ」

「ああ、今行く」

 荷物袋を肩に掛け、彼は陽光眩しい表へと、足を向けていた。


「こんにちは、クラウスさん」

「……ああ」

 詰め所の表には、プラチナブロンドの髪を靡かせるサラと、彼女の一歩後ろに僧侶の服装をした者たちが数人、彼を出迎えていた。

 外は快晴、旅立つ日にはうってつけの天気である。

「お話は、クラウスさんの上司さんに、全部通してあります。頑張ってこいとのお墨付きも頂きましたよ」

「へ、へぇー、そうか」

 満面の笑みで、サラは彼にその書類を見せた。

確かに書類には、上司命令で大雑把に、世界を救ってこいと書かれており、帰ってくるまで有給休暇扱いである、とまで記されていた。

「世界を、救え。か」

「はいっ、頑張りましょうね」

 長い旅になりそうな予感がして、クラウスは大きく息を吐いた。

「それでは、お嬢様、我らは先にスオミへと戻ります」

「ええ、付き添い、ご苦労でした」

 サラの後ろにいた者たちが、一斉に頭を下げ、引き上げていく。

「あっ、え、あいつらは、お供じゃないのか?」

「違いますよ、彼らはここまでの付き添いです。これからは私がお供ですよ」

 その言葉に、クラウスの顔が、途端に不安げなものになる。

 騎士団員の自分と、横には世間を知らなそうな子供のサラがいる。

果たして、こんなので世界は救えるのだろうかと、彼は思い始めていた。

「もしかして、不安なのですか?」

「正直、な」

「なんとかなりますよ、正教会の者たちも、皆協力してくれますし」

 正教会という単語に、彼の眉間にしわが寄った。

「正教会……、異端者……」

「そういうのは、関係ないです。いい加減に納得してくださいよー」

 彼も、一応は納得した上で、この話を受けたのだが、心のどこかでは、未だ理解しきれていないらしく、その表情は硬いままであった。

 そんな二人の背後、詰め所から、同僚たちが声をかける。

「クラウス、俺たちも旅の成功を、願っているからな」

「そのお嬢ちゃんのためにも、頑張れよ」

「早いとこ、解決するといいな、勇者サマ」

 彼らの言葉は、励まし半分と冷やかし半分のものだ。

突如、世界の命運をかけられた彼の事を、どこか他人事のように見ている者ばかりであった。

 そんな同僚たちの顔を、クラウスは名残惜しそうに見回す。

「じゃあ行ってくるよ。俺がいない間、留守を頼む」

「任せとけ、クラウス」

 言葉を交わし、彼は大きくうなずいた。

「では、行ってきます、皆さん」

「お嬢ちゃんも、クラウスのこと、よろしくな」

「はい!」

 杖を握りしめ、サラも騎士団員にぺこりと頭を下げる。

「よし、行こう、サラ」

「はい、クラウスさん!」

 長い旅の一歩を、二人は進み始めた。

そんな彼らを、団員たちは、その姿が見えなくなるまで、見送っていた。

「大丈夫かな、あいつら」

 団員たちの一人が、ぽつりと漏らす。

「名誉には違いないが、世界だもんなあ」

「クラウスを、信じるしかないか」

 若き騎士団員に賭けられた命運を、彼らはただ、祈るしかなかった。


 町を離れることしばし、整備された街道を、二人は歩いていた。

「そういやあ……」

 周囲に広がる、なだらかな草原の丘陵を見つつ、クラウスはサラに問いかける。

「これからどこに行くのか、決まっているのか?」

「一応は」

 ななめ後ろには、小さな歩幅で、置いて行かれまいと必死に歩くサラの姿がある。

そんな様子を見て、クラウスは少しだけ、歩く速さを落とした。

「ここより東、モスクワ大公国の首都にある、キタイ・ゴロドという町に春の呪術師ヴィスナーシャマンという人がいます」

「シャマン?」

「はい、その人が何らかの手がかりを、知っていると聞きます」

 モスクワという名を聞いて、クラウスの顔が難しいものになった。

「モスクワ、ルーシの地か……」

「あ、また異端者って言うつもりですか」

「それもあるがな、問題はなあ」

 クラウスは困り顔で自分の服を指し示す。

「この服、着替えた方がいいんじゃないのか?」

 彼の服は、プロシア騎士団の紋様が大きくついた、特徴的なものだ。

白地に大きく黒十字が描かれた、西側教会の尖兵を表すものだった。

「平気ですよ」

 だが、サラはあっけらかんと、それを否定する。

「誰も服まで見ていないですよ。ルーシの人はお酒にしか興味ないですし」

「……そ、そうか」

 こうして、クラウスとサラの、世界を救う旅が、幕を開けたのだった。


 そこから遥か東、深い森の中。

「キタイ・ゴロド?」

 日の光も届かない、暗い森には、二つの人影がある。

その影の一つの少年は、焚き火を挟んで、向かいの猟師と話をしていた。

 仕留めた鹿の肉を火であぶり、口の周りを肉汁でべとべとにしながら、彼は貪るようにそれを食す。

「ああ、お前の探す、春の呪術師ヴィスナーシャマンは、その町に住んでいる」

 暖かそうな毛皮の服に身を包んだ猟師は、少年を警戒しながら言った。

「そこは、まだ遠い、のか?」

「うーん、ここからでは距離があるな、川の道を使えば、少しは近いが」

 そう言って、猟師は少年の格好を見て、頭を振った。

「どっちにしろ、お前のなりじゃあ、川の道は使えないだろう」

「どうしてだ」

 口の中の肉を飲み込み、彼は疑問をそのまま聞いた。

「お前、東の獣人だろう。だからだよ」

 少年の黄金色の髪、その頭に生える狼の耳を指さし、猟師は言う。

「獣人、なんで、いけない。オイラ、何も、していない」

「何をしたという訳ではない、ただ異教徒だからだ」

「異教徒?異教徒って、何だ?」

「教会以外の信仰を、持つ者だ」

 無教養な少年を、哀れむように、猟師から溜息が漏れた。

「とにかく、キタイ・ゴロドに行くならば、その耳と尻尾は隠せ、親衛隊オプリーチニキに見つかったら、厄介だぞ」

 猟師の忠告に、彼の尻尾がゆっくりと振られる。

少年の身体には、東の者特有の、獣のしるしが刻まれていた。

 頭には、物を聞くための、大きな狼の耳と、臀部には、感情を表す、毛並みのいい尻尾が生える。

 隠そうにも隠せない、堂々としたそれらは、出会う人全てに警戒を抱かせるには、充分すぎるほどのものであった。

 少年は、指についた肉汁を丁寧に舐め取り、少しだけ考えると、おもむろに立ち上がる。

「あ、おい」

 突如、動いた少年に、猟師は驚く。

反射的に腰の短剣に手が伸び、少年の次の動作を、彼は息を飲んで見守る。

「おじさん」

「なんだ」

「お話、ありがとう。オイラ、キタイ・ゴロドに行く」

 深い森の奥を、少年の黄金色の眼が見据えた。

傾く太陽の沈む先、西の世界の町を目標に、彼は歩み続ける。

「残りの肉と、毛皮、おじさんに、あげる。オイラの、お礼」

 そう言い、森の中を風が通り抜けた時、少年の姿は忽然と消えていた。

 深い、深い森、一人残された猟師は、彼の置いていった肉と毛皮を前に、ただ呆気にとられていた。


 滔々と流れる大河、モスクワへと至る川の道の船上に、二人の姿はあった。

「クーラーウースーさーん、起きてくださーい」

 ゆさゆさと、サラはクラウスの身体を揺する。

「もうすぐ到着ですよー」

 だが、日頃の疲れがあったのか否か、彼はなかなか目覚めない。

船の甲板、その縁に身体を預けたまま、クラウスは気持ちよさそうにまどろんでいた。

「もう、こうなったら」

 サラは八端十字架の杖を手に、何やら小声で詠唱を始めた。

彼女の差し出した手から光が発生し、次いで小さなつむじ風が腕を中心に起き始める。

「起きなさい!」

 気合い一閃。かけ声と共に、クラウスの顔の真ん前で何かが破裂する音がし、彼は驚きの顔で、眠りから覚めていた。

「あ、あ、な、何だっ」

 バクバクと鼓動する胸を押さえつつ、クラウスは慌てて周囲を窺う。

「クラウスさん、おはようございます」

 彼の前には、にこりと微笑むサラの姿があった。

「お、おはよ、う」

 迂闊にも寝入ってしまった己を恥じ、クラウスは引きつる笑顔で、顔を紅くしていた。

 そんなことをしている間、甲板は俄に慌ただしくなり、船員たちはロープを手に何やら合図を出していた。

「あ、着いたみたいですね」

 サラの声に、クラウスも船着き場の方を見やる。

 その方向には、玉ねぎ型の屋根を持つ聖堂と、巨大な宮殿、それらを取り囲む、木の城壁が姿を現していた。


 モスクワ大公国。

キエフ・ルーシの流れを汲むこの国は、古くから毛皮、木材の生産地として、世界の西と東、北と南を繋ぐ要衝として、発展を続けていた。

 しかし、豊富な資源とは裏腹に、ここを治める君主は苛烈な者が多く、古くはクニャージの時代から、内乱と戦争、分裂と併合を繰り返してきた。

 遺産相続は力によって成される、を合い言葉に、親は子を追放し、子は親を追い落とす、兄弟は互いに殺し合い、継承権のない公の私生児イズゴイ・クニャージは復讐のため、親衛隊ドルジーナを率いて公に牙を剥く。

 そんな時代が長く続き、キエフ・ルーシはいくつもの分領公国が誕生し、ルーシ諸公国として、大勢の公が各地を支配していた。

 そして今、モスクワ大公国の皇帝ツァーリの号令の下、ルーシ諸公国は再び一つの大国へと統合されようとしていた。


 大公国の首都。

城壁の内側に広がるのは、木造の町ゼムリャノイ・ゴロドだ。

 首都の最も外側に位置するこの一角は、比較的最近になって移り住んで来た者たちで占められており、職人や人夫といった様々な職種の者たちが、区域ごとに分かれて居住していた。

 また、家々は寒さ対策なのか、密集して建てられ、ごみごみとした町の入り口には、丸太や建材を並べて売っている、材木屋が軒を連ねていた。

 道は通りが木材で舗装され、道行く人は、雪解けのぬかるんだ場所を避けるように、その木材の上を足早に歩く。

 だが、そんな人々を押しのけるように、馬車は水しぶきや泥を跳ねながら通りを急ぎ、荷物を載せた雪ぞりが、未だ残る雪の上を軽快に滑っていた。

「まだ、雪があるのか」

 ひんやりと冷たい町並みは、数日前に降った雪が残り、町のそこかしこを白く彩る。

 道中で買った毛皮を羽織り、肩を震わせるクラウスの口から白い息が漏れた。

「ここ、ルーシの地ですよ、当たり前じゃないですか」

「しかし、プロシアはもう春を過ぎていたぞ」

「あそこは海沿いですからね、内陸のこことは違いますよ」

 プロシアより、遠路はるばるやってきたモスクワ大公国。その首都が置かれているこの地は、故郷よりも寒い場所であるということに、クラウスは驚いていた。

「うう、鎧が冷たい」

 毛皮を着ているとはいえ、鎧は金属で出来ている。

外気に晒されて冷えたそれは、クラウスの身体を凍えさせるに充分であった。

 二人は、川沿いの通りを、中心部の市街地に向けて、歩き続ける。

と、その時、木造の煙の出ている家の扉が、勢いよく開き、中から裸の男たちがワラワラと飛び出してきていた。

「わっ、な、なんだ」

 男たちは、身体を真っ赤にさせつつ、積まれた雪の山へと笑顔で突っ込んでいく。

ひげもじゃの中年男が、素っ裸で雪の中を転げ回る様子に、町の人々も別段気にも留める事無く、目の前を通り過ぎていた。

「おい、なんだありゃ」

 驚きと羞恥で、クラウスは顔を手で覆い、ひそひそとサラに何事か問う。

彼女はその光景を、別段驚くでもなく見つめると、むしろクラウスの態度が変だとばかりに首を傾げた。

「サウナで熱くなったから、ああやって冷ましているんです」

「サウナ?」

「こっちのお風呂です、さっぱりして気持ちいいですよ」

 目の前の男たちは、酒でも飲んでいるのか、奇声を上げつつ、ひとしきり身体を冷ますと、再びサウナの中へと突撃していく。

「北の国は、寒さが厳しいから、サウナで身体の芯から温めるんですよ」

「異教徒の文化だな……」

 ぽつりと漏らした、クラウスの言葉を、サラは華麗に聞き流し、二人はさらに城壁に向けて歩みを進める。

 内側の城壁、白い町ベールィ・ゴロドに近づくにつれて、人の往来は激しくなり、プロシアでは見かけないような格好の者たちが、そこかしこに姿を見せていた。

 旅の芸人スコモローフ、毛皮を着込んだ貴族ボヤール、人に飼い慣らされた熊。そして、そこいらじゅうでへべれけになっている男たち。

 城壁をくぐり、川を渡り、二人は宮殿クレムリンの近くにある、キタイ・ゴロドへと向かう。

 キタイ・ゴロドは籠の町と言われる。

昔々、土を詰めたキタを城壁に使用したことから、ここは籠の町キタイ・ゴロドと呼ばれるようになった。

 そしてここは商工業の中心地であり、東西南北から集められた交易品が、一堂に会する、交易の町でもあった。

 通りが交差する辻では、足かせをはめられた囚人たちが、物乞いのために頭を下げ、救貧院では、身元不明の死体を棺桶に詰めて身内捜しをする。

 生と死、富と貧が合わせ混じった、独特の空気が、町を支配していた。

「ええと、この酒場の先か」

 軒先に、ぶどう酒の壺が掲げられた酒場の前を通り過ぎる。

中からは、芸人スコモローフの奏でる、楽器グースリの音が、歌や手拍子と共に、表まで聞こえてきていた。

「盛り上がってるなあ」

 ぐぅと鳴る腹を撫でつつ、彼は早いとこ用事を済ませてしまおうと、先を急ぐ。

「あ、あそこですかね?」

 サラが指さす先には、木造の一軒の家が、通りから一歩退くように、ひっそりと建っていた。

「んん?誰かいるぞ」

 鳥の羽根飾りが掲げられた軒先の下には、頬被りをした、一人の少年が佇んでいた。

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