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03

『街の中心にある巨大な歌劇場は、象牙のような石で作られた、堅牢だが豪奢な建物だった。魔法使いであるジェロは、妻であるエミリーヌの服を一瞬できらびやかな藍色のドレスに変えると、そっとその手を取った。ゆったりと微笑むジェロにエミリーヌの頬は赤く染ま……』


「ティアナ」

「はひゃぅぁっ!」


 頭上から降ってきた声に驚いたティアナは読んでいた本を勢いよく閉じた。首をすぼませながら視線を上に向けると、黒い影がこちらをのぞき込んでいるのが見える。

 その見知った顔に、ティアナはほっと胸をなで下ろした。

「ヴァレッド様! すみません、驚いて変な声を出してしまいました。何か、ご用でしたか?」

 にっこりと微笑みながらティアナがそう言うと、ヴァレッドは少しだけ困ったような顔をした。何か言いかけては止めるというのを一、二度繰り返したあと、諦めたように用件だけを口にする。

「レオから伝言を預かってな。今日は日差しが強いからドームの方へ移動したほうが良いそうだ」

「そうなのですね。わざわざありがとうございます!」

 ティアナの明るい声に、ヴァレッドは一つ頷く。どこか決意の籠もった瞳をティアナに向けると、彼は慎重に声を出した。

「……ティアナ」

「はい。なんでしょうか?」

「…………」

「ヴァレッド様?」

「……何でもない……」

 片手で目元を覆いながら、ヴァレッドは腹の底からため息をついた。まるでものすごい失態をしたかのように、俯いて小さく首を振っている。

 ティアナは立ち上がるとスカートについた芝を手で払った。そして、本を大事そうに抱えながら、ヴァレッドに向き合う。

 その顔は期待を滲ませた笑みで彩られていた。

「ヴァレッド様。この後、何かご用事ありますか?」

「っ!」

 ティアナの問いかけに、ヴァレッドは弾かれるように顔を上げる。ティアナはその様子に小首を傾げた後、「あ」と小さく声を出した。

「すみません。この時間はまだお仕事中……」

「おわった」

「え?」

 呟くようなヴァレッドの言葉にティアナは目を瞬かせた。目の前にいるヴァレッドは眉間に皺を寄せたまま、じっと彼女を見据えている。

「今日の仕事は終わったんだ。だから……」

「じゃぁ、ご一緒にお茶しませんか? 私、ヴァレッド様と一緒にアフタヌーンティーを飲んでみたいって、常々思っていましたの!」

 木琴の上を枹が跳ねたような、愛らしい声を響かせて、ティアナは嬉しそうにくるりと回ってみせた。

「私、カロルにお茶の準備を頼んできます! ヴァレッド様は先にドームで待っていてください!」

「あぁ……」

 まるで跳ねるように去って行く後ろ姿を見ながら、ヴァレッドは深く項垂れた。

「なんでああも簡単に誘えるんだ……」

 その声はティアナには届かなかった。


◆◇◆


 薔薇園の白いドームには、小さな円卓と椅子が二脚置いてあった。鉄筋だけのドームの屋根には薔薇の蔦が巻き付いており、良い具合に陰になっている。夏は高くそびえる外壁の陰で、やはりドーム付近は涼しいのだという。

 ヴァレッドの話によると、この薔薇園は庭師だったレオポールの父が設計したそうで、ドームの位置もとてもこだわって決めたそうだ。

 そのおかげか、ドームから見渡す薔薇園は見事なものだった。春という一番の見頃の時期は過ぎたものの、薔薇園にはまだ四季咲きの薔薇が沢山笑っている。

 ティアナはドームの中で薔薇園を眺めながら、どうしてもっと早くこのドームの魅力に気づかなかったのかと、少しだけ後悔した。


「レオから聞いたんだが、最近、夜更かしまでして小説を読んでるみたいだな」

 カップをソーサーに置きながら、ヴァレッドはそう言った。聞きようによっては責めているともとれるような発言だが、ティアナは特に気にする風でもなく、むしろ嬉しそうに一つ頷いた。

「はい! 私この歳にして、はじめて小説の魅力にとりつかれましたわ! ジスレーヌ・ジャクロエという方が書いた本が特に好きなのですが、その中でも『魔法使いと異国の姫君』シリーズは本当に、本当に、泣けました!」

 うっとりと頬を染めるティアナにヴァレッドも相好を崩した。

「そんなに面白いのか。どんな話なんだ?」

「あ、ご興味がおありでしたら、ヴァレッド様も読んでみますか?」

 ティアナは傍らに置いていた赤い表紙の本を嬉しそうに差し出す。ヴァレッドはそれを受け取ると、ぱらぱらとページをめくった。

 そう、この時ヴァレッドは忘れていた。

 それが恋愛小説だと言うことを……


 数分後、ヴァレッドは青い顔をしたままそっと本を閉じた。そして、ティアナに本を返すと堅くなった眉間を揉む。

 ティアナはそんなヴァレッドに満面の笑みを向けた。

「どうでしたか?」

「……登場人物にまったく感情移入が出来なかった。あの魔法使いはなんなんだ! あんなに女に言い寄られたら、背筋が凍るものだろう? なのに歯が浮くような台詞ばかり吐いて……。普通、女に手を握られれば鳥肌が立つだろう!? 顔が近づけば吐き気だって催す……」

 そこまで言って、はっとした。目の前に座る彼女はこの物語を愛しているのだ。そういうものを貶すのは良くないことだと、流石のヴァレッドも知っている。

 ヴァレッドは恐る恐るティアナの表情を確かめた。彼女は目を見開いたまま、まるで信じられないものを見るような目でヴァレッドを見つめていた。

「ティアナ、わるか……」

「やっぱりヴァレッド様は素晴らしい方ですわっ!」

「は?」

 思いも寄らぬその台詞に、ヴァレッドは思わず固まった。

「この物語をそんな多角的なところから見れるなんて……、流石です! ヴァレッド様の言うとおりに、ジェロは表では甘い顔をしながらも裏では背筋を凍らせていたのかもしれません! そう思うと、最初に二人が出会うシーンにもさらなる深みが生まれてきて、私は……私は……」

 両手を頬に当てながら身悶えるティアナに、ヴァレッドは安心したように息を吐いた。そして、紅茶を一口すする。先ほど飲み干したカップが紅茶で満たされているのは、ティアナが注いでくれたからだろう。

 ティアナの侍女であるカロルは、この場にいない。それはティアナがカロルの給仕を断ったからだ。

「このぐらい自分で出来ますわ」

 そう言ったティアナに、カロルは微笑んで「そうですか」と頷いただけだった。

 どうやら彼女たちの中では、それが通常運転らしい。別にカロルが給仕をしないというわけではないのだろうが、ティアナは『自分で出来ることは自分でする』という考えを持っているようだった。

 そういう考えを持った貴族は珍しい。少なくともヴァレッドはティアナ以外にそういう貴族を知らない。

 楽天家のお気楽少女のように見えて、その実、彼女は芯の通った考え方と強さを持っている。それがヴァレッドには、たまらなくまぶしく見えた。

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