32
「で、結局、ローゼ様の滞在を許してしまうんですから、貴方は本当にティアナ様に甘いですよね」
呆れたようにそう言うのはレオポールである。
あれからティアナに怒られたこともあり、ローゼはヴァレッドに不承不承ながらも謝った。そして、言いつけ通りに香水を撒いた場所を掃除して回ったのである。先に掃除して回っていたレオポールと、手伝いにきたティアナとカロルを合わせて四人。丸一日掛けて彼らは城の中を掃除したのだった。
そんな働きを認めてなのか、ヴァレッドは渋々、ローゼが結婚式まで滞在することを許したのである。
そして、今日はその結婚式の日だ。
城に併設されている教会の控え室でヴァレッドは自分の髪の毛を簡単に整えながら、後ろに控えるレオポールを鏡越しに睨みつけた。
「別に甘くしたわけじゃない。滞在を許したのも結婚式までだ。明日には帰ってもらう」
「でも、参列者がだれも居ないなんてティアナ様が可哀想だから残らせたのでしょう?」
「まぁ、それは……」
バツが悪そうに目線を逸らせたヴァレッドは儀礼服の左側から流れているマントを鬱陶しげに払った。黒で統一されているその儀礼服は、どこか軍服のようないでたちだ。右肩からは白い紐と赤い飾り羽がみえる。
「愛ですねぇー」
「愛じゃないっ!」
しみじみと言ったレオポールのその言葉に、ヴァレッドは脊髄反射の早さでそう怒鳴った。その声が届いていたのか、新婦側の扉がそっと開く。そして、その扉の後ろから少しだけ不機嫌そうなカロルが顔を出した。
「準備が出来ましたので、ヴァレッド様どうぞ」
そのカロルの表情を疑問に思いながらも、ヴァレッドは咳払いを一つしてティアナが待つ控え室に足を踏み入れた。そして、目の前にいるティアナの姿に思わず息を詰めてしまう。
「ど、どうでしょうか?」
恥ずかしそうに頬を染めながらティアナははにかんだ。
短くなってしまった木蘭色の髪は丁寧に編み込まれているし、化粧も薄化粧ながら上品な仕上がりだ。白いドレスから生える細い肩と腕は、ドレスに負けないほどに白く、まるで絹のようだった。
ヴァレッドはティアナのその姿をじっと見つめた後、俯いて視線を泳がせた。頬がじんわりと赤くなるのを自覚しながら、眉間に皺を寄せたまま黙ってしまう。そんなヴァレッドを不審に思ったのか、ティアナは首を傾げた。
「ヴァレッド様?」
「……いや、まぁ、その……」
のどの奥に何かが引っかかったように言葉が出てこない。そんなとき、非難するような甲高い声が場の雰囲気を突き破った。
「私が仕上げたんだから可愛いに決まってるじゃない! こんなときに誉め言葉も出てこないって男としてどうかと思うんだけど。いいの? おねぇちゃん、こんな人と結婚してー」
「ローゼ様!」
ティアナの後ろから出てきたローゼの言いように、カロルは思わず止めに入った。カロルが不機嫌そうな顔をしていたのは、ティアナの婚礼支度をローゼに取られたからだろう。
そんな光景を見ながらヴァレッドは小さく頷いた。そして、決意を込めた目でティアナを見つめる。ティアナもそんなヴァレッドを見つめ返した。
「ティアナ」
「はい、ヴァレッド様」
「うまく化けたな!」
「嬉しいっ! ありがとうございます!」
ティアナは本当に嬉しそうにそう言うが、その後ろでカロルとローゼはどん引きである。レオポールは青い顔で二人に頭を下げていた。
そうしているうちに結婚式を行う時刻になった。カロルもローゼもレオポールも教会の中で二人を待っているはずだ。教会の大きな扉の前でヴァレッドと二人っきりになったティアナは一枚のハンカチを彼に差し出した。
「ヴァレッド様、これを……」
四つに折り畳まれたそのハンカチにはヴァレッドの名と薔薇の花が刺繍されている。ヴァレッドは驚いた顔でそれを手に取った。
「これは?」
「今までたくさんお世話になりましたのでそのお礼と、これからもよろしくお願いします、という私の気持ちです」
薔薇園で涙ながらに刺したことを思い出しながらティアナは頬を染めた。あの時はこんなに幸せな日を迎えられるとは思っていなかった。
「ありがとう」
嬉しそうに微笑みながら、ヴァレッドはティアナから受け取ったハンカチを懐にしまい込んだ。そして、ティアナの左手を取る。
「ヴァレッド様?」
「王都に訪れたときになじみの宝石商がいてな。これは礼だ」
すっと薬指に差し込まれた指輪にティアナは息を止めた。シンプルな意匠の台座にヴァレッドの瞳と同じ色の石が埋め込まれている。ティアナが自分の左手を見ながら固まっていると、ヴァレッドが片眉を上げた。
「結婚指輪の代わりみたいなものだ。気に入らなかったか?」
「いいえっ! 気に入らないだなんて、そんなことっ! ヴァレッド様、ありがとうございますっ!」
左手を胸に抱きながらティアナが顔をこれでもかと綻ばせた。その反応に満足がいったのか、ヴァレッドは少し微笑みながら自分の腕を差し出す。
「ほら、そろそろ行くぞ」
「はい」
そう元気に返事をした瞬間、厳かなパイプオルガンの音が扉の奥から聞こえてきた。一呼吸おいて扉が開かれる。ヴァレッドとティアナが教会に足を踏み入れると、上がるはずもない拍手が舞い上がった。二人はその音にびっくりして足を止める。そして目に入った光景に、ティアナは胸がいっぱいになった。
「お父様、お母様っ! それに、みんなもっ!」
そこにいたのはティアナの両親と孤児院の子供たちだった。皆一様に嬉しそうに頬を上気させ、拍手をしている。両親の後ろでローゼだけは目に涙をたたえたまましゃくりあげていた。どうやらこっぴどく怒られたようだ。
ヴァレッドは彼らの後ろにいるレオポールとカロルの方を見た。二人はにっこりと微笑んだ後、同時に会釈をした。ずいぶんと仲良くなった様子の二人に思わぬサプライズをされて、ヴァレッドは困ったように笑う。そして割れんばかりの拍手の中、ティアナの腕を引いた。
神父の前まで歩を進めると、待っていましたとばかりに、彼は二人に微笑んだ。そして、低い声を響かせる。
「それでは、誓いのキスを……」
「はぁ!?」
決まり文句に二人が「誓います」と返した後、神父は二人に誓いのキスを要求してきた。これにはさすがのヴァレッドも声を荒げてしまう。わなわなと身体を震わせながら振り返り、元凶であろう家令を睨みつけると、レオポールは必死に笑いをこらえていた。その隣でカロルは半眼である。
「神父、悪いがそれは……」
「キスですか?」
ヴァレッドが断ろうと声を掛けたところで、ティアナが小首を傾げながらそう言った。そしてヴァレッドの肩を持ち、踵を上げる。
ちゅっ、とリップ音を響かせながら離れていく唇に、ヴァレッドは自分の頬に手を当てたまま、しばし固まった。
「これでいいですか?」
「頬ですか? まぁ、良いとしましょう」
神父とティアナがなにやら楽しそうに言葉を交わすのをヴァレッドは呆然と見つめる。
一拍置いてヴァレッドは急にティアナを抱き上げた。そして、そのまま大股で教会を後にする。それに焦ったのはレオポールとカロルだった。二人は大慌てで新米夫婦を追いかける。
やっとのことで追いついた先は城中の廊下だった。その先にはティアナの部屋がある。レオポールとカロルがあわてて駆け寄ると、待っていたとばかりにヴァレッドが振り返った。
「ヴァレッド様っ! どうしてっ!」
「レオ、今すぐ医者を呼べ! 頬にキスをされてから体も熱いし、動悸がする! 何かの病気に違いないっ! 一応、ティアナも診せてやってくれ!」
そう言われて、レオポールは固まった。そして、隣にいるカロルをみる。カロルは無言で肩をすくめていた。
「ヴァレッド様、それは……あの……」
「早くしろ。何かあってからでは遅い! 俺はティアナを部屋に運んでから自室に戻る! ……ティアナ大丈夫か? 動悸や発熱などは感じないか?」
そう言われて、ヴァレッドの腕の中にいるティアナは頬に手を当てた。
「そう言われれば先ほどから体が熱いような気がします! 胸もどきどきと……」
「まさか流行病か? レオ、医者を!」
「いや、まぁ、そこまで仰られるなら一応呼びますが、必要ないですよ? たぶん……」
本気でティアナを心配するヴァレッドに気圧されてレオポールがそう口にする。そんな中、カロルは呆れたような声を出した。
「病は病でも、それは恋の病ってやつですよ、ヴァレッド様、ティアナ様。と言うか、お二人とも両想いになられたのですから、そのくらいのことでお医者様を呼ばないでください。そんなことで毎回呼んでいたら、これからお医者様はこの城に常駐しないといけなくなりますよ」
そう言われて、ティアナとヴァレッドの二人は同時に目を瞬かせた。そして信じられない言葉を放つ。
「両想い? 誰と誰がだ? まさか、俺とティアナがか?」
「そんなっ! カロル、勘違いですわ! ヴァレッド様にはレオポール様という素敵な恋人がっ!」
「いや、レオは別に恋人では無いんだが……」
「隠さなくても大丈夫ですわ。ヴァレッド様! 今ここには事情を知っている者しかおりませんものっ!」
握り拳を作ってそう言うティアナの様子にレオポールは青い顔になった。そんなレオポールの体調を悪化させるように、ティアナは懐からハンカチを取り出してレオポールに差し出した。そのハンカチは先ほどヴァレッドに渡したものと同じ薔薇が刺繍されている。そしてその下にはやはりヴァレッドの名。
「これは?」
四つ折りに畳まれたそのハンカチを受け取り、レオポールは広げた。すると、ヴァレッドの名の前にレオポールの名がひらりと飛び出てくる。四つ折りにしていたらわからないが、広げてみると二人の名が薔薇を中心に寄り添っているようなデザインになっていた。
「ヴァレッド様とお揃いですわ。私からのささやかなお礼です」
そのハンカチを見た瞬間、レオポールの顔色はこれでもかと悪くなる。胃を押さえて蹲ると、ティアナの可愛らしい声がレオポールにトドメを刺した。
「私妻として、ヴァレッド様とレオポール様の恋を全力で応援しますわ!」
読了ありがとうございました!
沢山の人に読んでもらえて、嬉しかったです!
気が向いたら、続き書くかも?




