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ティアナは蝋燭の灯りが照らす薄暗い廊下を歩いていた。目指すのはヴァレッドの私室だ。
胸に抱いた手紙を見つめながらティアナは緊張で唾を飲み込む。ティアナはこれから改めてヴァレッドに謝りに行くつもりだった。
(許してくださるでしょうか……?)
顔も見せるな、声も掛けるなと言われた後なので、ティアナは今の正直な気持ちを手紙に認めた。これを扉の隙間から差し込んでおくつもりなのである。
あんなことを言われた後だ。正直、この手紙は読まれずに捨てられる可能性だってある。それでも、ティアナはヴァレッドに一言謝りたかった。あんなに優しい彼をあそこまで怒らせたのだ。彼女の胸は罪悪感で張り裂けそうだった。
ティアナはヴァレッドの部屋の前に立つと、その場にしゃがみ込んだ。扉と床の隙間に手紙を滑り込ませようとして、その声に気づく。
『ティアナのことは好きでも何でもないっ! 何度言ったらわかるんだっ! 彼女と結婚するのはただ都合がいいからだ。別に彼女じゃなくても、この城から逃げ出さずに、俺の言うことを聞いてくれる女性なら、俺は誰でもっ……』
その言葉に、ティアナは部屋の前で息を呑んだ。そして、差し込もうとしていた手紙を再び胸に抱く。そのまま立ち上がり、踵を返した。胸一杯に詰まっていた勇気が一気にしぼんでいく。
(誰でもいい……。そうでしたわね)
ヴァレッドの部屋を背にして歩きながら、ティアナはしょんぼりと項垂れた。ヴァレッドがティアナに対してそう思っていることは最初から知っていた。知っていたのに、何故かティアナはその言葉に傷ついたのだ。今更そんな当たり前の言葉で傷つく自分がおかしい。そう理解しているのに、ティアナはやはり落ち込んだままとぼとぼと廊下を引き返すのだった。
◆◇◆
教会の一件が決着した翌日、ティアナは朝食の場でヴァレッドが今朝早くに城を発ったと、レオポールから聞かされた。しかも、今日から一週間、ティアナとヴァレッドの結婚式前日まで、彼は不在だというのだ。
昨日の夜は不発に終わったので、今日こそはちゃんと謝罪をしようと思っていたティアナは、その言葉に少しだけ沈んだ表情になった。謝れないこともそうだが、一週間ヴァレッドがこの城に居ないということがティアナを余計に落ち込ませる。しかし、そんな気持ちを抱えながらも、ティアナはいつも通りに笑顔で朝食を終えた。
部屋に戻るとヴァレッドが呼んでくれていたのだろうか、女性の理容師がティアナの髪の毛を整えんと待ってくれていた。ティアナは昨夜、侍女に揃えてもらった髪をその理容師に任せながら、カロルを側に呼ぶ。呼ばれたカロルはしょんぼりと肩を落として、申し訳なさそうにティアナを見つめていた。
「そんなに落ち込まないでカロル。私も貴女も無事だったのだから、そんな顔をしなくても大丈夫よ」
「ですが、私が付いていながらあのようなことになってしまい、本当に申し訳なく……」
「アレは私の判断が間違っていた結果ですわ。カロルはただ私につきあってくれていただけだもの。何も悪くないわ! むしろすぐに助けを呼んでくれて、すごく助かりました。ありがとう、カロル」
そのティアナの言葉にカロルは顔を跳ね上げて、首を千切れんばかりに振った。その目は少し泣きそうである。
「そんなっ! 私は……」
「カロルは私の命の恩人ですわ。だから、そんな風に落ち込まないで。カロルが元気がないと、私までしょんぼりしてしまいます」
「ティアナ様……」
ティアナが励ますようににっこりと笑うと、カロルもつられたように微笑んだ。そして、いつもの元気を取り戻したような声を出しはじめる。
「そう、ですわね。失敗を後悔してばかりでは先に進めませんものね。私も少しは前向きすぎて空回りしまくりなティアナ様を見習わなくてはっ!」
「あら、いつもいろんなことを教えてくれるカロルが私から学ぶ物があったなんてっ! ふふふ、嬉しいです!」
頬に手を当てながらティアナが嬉しそうに微笑むと、調子を取り戻したカロルが半眼になりながら苦笑いを浮かべる。
「ティアナ様、ここは怒るところです」
「え? どうして?」
「わかりませんか?」
「わからないわ」
目を瞬かせながら首を傾げるティアナに笑いがこみ上げてきたのか、カロルは眉尻を下げながら「貴女はずっとそのままで居てください」と優しい音を出した。
そんな優しい雰囲気のまま髪を切り終え、結局ティアナの髪は肩より少し上で切りそろえられることとなった。内側にふんわりカールするような髪型がティアナの幼さの残る顔によく似合っている。カロルは長かったティアナの髪を惜しみながらも「よく似合ってますわ」と微笑んだ。
そのカロルの言葉に、ティアナが顔を綻ばした時だった。突如扉が開いたのだ。それも扉を破壊するかのような勢いをもって。
鼓膜を破るかのような音と突然開いた扉に、二人は固まった。そして、その扉の奥にいる人物にティアナはひっくり返ったような声を出す。
「ロ、ローゼ!?」
「結婚おめでとう、おねぇちゃんっ!」
そこには満面の笑みを浮かべるティアナの妹、ローゼが居た。その後ろから、彼女を追いかけてきたレオポールが駆け込んでくる。
「ちょ、ローゼ様っ!? いくらティアナ様の妹君であらせられても、いきなり私室に突入とはどういう……」
「ごめんなさい、レオポール様。私、どうしても大好きな姉様に早く会いたくて……ダメでしたか?」
ティアナに対する表情からは一変して、ローゼは薄く笑って首を傾げた。その妖艶な色香に、思わずレオポールもぐっと押し黙る。
「手続きは正式な物でしたし、ダメというわけでは……」
「ありがとうございますっ! レオポール様って優しいのね。私、レオポール様みたいな優しい人大好きですわっ!」
ぶわっと背中に薔薇を背負ったローゼが満面の笑みをレオポールに向ける。そして、数歩近づきそっとレオポールの手を取った。形の良い唇からは白い歯がのぞいている。
「レオポール様、お願い。私少しだけ姉様とお話がしたいの」
絶世の美女が甘えたような声を出しながらゆっくりとレオポールに枝垂れかかった。レオポールはローゼのその行動に真っ赤になりながらローゼを引き剥がす。いつもは頼りがいのあるその目が、今日はどこか泳いでいた。そして、ローゼの望み通りにレオポールは部屋から逃げるように出て行く。「お話が終わったら呼んでください」と一言だけ残して……
レオポールが去った後、部屋にはローゼとティアナとカロルの三人だけになった。すると、ローゼはハニーブロンドの髪の毛を跳ねさせながらティアナに抱きついた。
「おねぇちゃんっ! 会いたかったー!」
「ローゼ、どうしてこんなところに?」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられながらティアナは久しぶりに見る妹の姿に目を白黒させた。その後ろでカロルは苦々しい表情を浮かべながら、それでも感心したような声を出す。
「相変わらず、男を意のままに操る術は凄まじいですわねローゼ様……」
「それって誉めてるの? 貶してるの? ほーんとカロルってば私には厳しいのよね。昔っからおねーちゃんばっかりっ!」
頬を膨らませてぷりぷりと怒ってみせるローゼは先ほどとは別人のように幼く、子供らしい。男性に対しては甘く艶やかな色香を漂わせるローゼだが、家族の前ではこんな幼い素顔を見せるのだ。
「そんなことより、おねーちゃん髪の毛切ったの? すごくかわいいっ! 明日結婚式よね? だから?」
「え? 明日?」
ティアナは目を見開いてしばし固まった。その間にカロルが状況を掴んでいく。
「ローゼ様、結婚式は一週間後に延期になりましたよ。もしかしてお祝いに来られたのですか?」
そう言うと、ローゼがびっくりしたように首肯した。ティアナの結婚式はヴァレッドの突然の提案により、当初の予定より一週間延期になった。ローゼはそれを知らなかったのだろう。
場所が離れている事もあり、彼女たちの両親をヴァレッドは結婚式に呼んではいなかった。そもそも派手なことを嫌うヴァレッドは参列者自体を呼んでいないのだが、どういう日程で式を執り行うか、どういった事をするのかは事前に知らせてある。恐らく、あまり家に帰らない生活をおくるローゼは、古い情報を持ったままティアナを祝いに来たのだろう。
どうやらその推察は正しかったらしい。ローゼは首を傾げながらティアナに何故そうなったのかとしきりに尋ねていた。
「ヴァレッド様が急に式の内容を変えたいと仰ってくれて……」
頬を朱色に染めながら、ティアナは嬉しそうに説明をする。その説明を聞きながら、ローゼも嬉しそうに頷いた。
「最初は結構簡素な結婚式だって聞いてたから心配してたけど、良かったね、おねぇちゃんっ!」
「えぇ、ありがとう!」
姉妹は仲良く微笑んで手と手を取り合っている。そんな微笑ましい光景を見ながらカロルは嫌な予感を感じ取っていた。そして、その予感を肯定するようにローゼは頬を緩ませながら物欲しそうな声を出す。
「『女嫌いのドミニエル公』って有名なのに、実はそれほどでもないんだねー。おねぇちゃんも大切にしてもらってるみたいだし、公爵の奥方って羨ましいなぁ」




