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咄嗟にティアナは木陰から飛び出した。その瞬間、目の前に賊が立ちはだかる。ティアナは視線を巡らせた後、生唾を飲み干した。
(ど、どうしましょう……)
じりじりと間合いを詰められてティアナは額に脂汗を滲ませた。振り返れば後ろにもガタイのいい男が二人、ティアナを捕まえんとにじり寄ってくる。松明の灯りは未だ遠くで光っていて、助けはとうてい期待できなさそうだ。
絶望的な気分になりながらティアナが身体を震わせた時、突然背後から雄々しい声が聞こえてきた。その声と共に数十人の男達が教会の敷地内に駆け込んでくる。その男達は皆一様に兵士の格好をしていた。その見覚えのある格好にティアナは息を呑む。そしてティアナを囲っていた賊達を瞬く間に捕まえて縛り上げていった。
「一人たりとも逃がすな! ジルベール隊は奥の畑に行き、今すぐ証拠を確保しろ!」
その声にティアナは思わず振り返った。兵士達がなだれ込んできたその先に、ひときわ黒い影がある。それはヴァレッドだった。脹ら脛まである黒い外套を羽織った彼は、厳しい顔つきで声を荒げていた。そして、兵士達に指示を飛ばしながら首を左右に振って何かを探すような素振りをしている。ティアナはその光景に釘付けになった。
「ヴァレッド様……っ」
「ティアナ様っ!」
ヴァレッドの名をティアナが呟いた時、彼女の肩を誰かが掴んだ。そして、馴染みのある声を耳朶に響かせる。ティアナがその声のした方へ顔を向けると、息を切らせたレオポールが片眼鏡をずらしながら安堵の笑みを浮かべていた。
「よくぞご無事でっ!」
「レオポール様っ!」
見知った顔に会ったからか、ティアナは一気に表情を崩した。腑抜けたような笑みを浮かべて、肩に置いてあったレオポールの手を取る。
「あ、あの、申し訳ありません! ご迷惑をかけてしまいました……っ!」
少し泣きそうな声色でそう言えば、レオポールはとんでもないと頭を振った。
「いいえ、貴女のお陰で子供達も無事でしたし、こうして教会に乗り込む事が出来ました。それに謝るのは私たちの方で……本当にご無事で何よりでした」
両手でティアナの手を包み込みながらレオポールは何度も頷いてみせた。彼の様子にティアナは申し訳なさと嬉しさを顔いっぱいに滲ませる。そして、弾かれるように顔を上げた。
「子供達はっ! 子供達は無事でしたか!?」
「はい。後続隊が保護しています。カロルさんもそちらに居られますよ」
いつもの柔和な表情になったレオポールは街道に並ぶ松明の光を指さす。ティアナが見ていた松明の明かりはどうやら後続隊の物だったらしい。彼女は再び表情を緩めてその場にへたり込んだ。
「ティアナ様、大丈夫ですか!?」
「安心したら、なんだか足が震えてきてしまって……」
慌てるレオポールにティアナは身体を震わせながら苦笑いをした。今更ながらに恐怖と疲労が一気に襲いかかって来る。足腰が立たない自分の状態にティアナが「情けないですわね」と肩を落とせば、突然背後に人の気配がした。レオポールもティアナの背後に視線を留めている。しかし、その顔は先ほどの安心したような笑みとは真逆で、なんだか青黒い。まるで化け物にでも遭ったような表情だ。その表情につられるようにティアナも背後に視線を向ける。
「ヴァレッド様……」
そこには先ほどまで兵士に指示を出していたヴァレッドがいた。しかしその表情は無いに等しい。唯一読みとれる感情は怒りだ。それが誰に向けられているのかティアナは理解して、俯いたまま視線を泳がせた。
「も、申し訳ありません……ヴァレッ――ひゃぁあっ!」
ティアナが謝罪の言葉を言い終わる前に、ヴァレッドはティアナの膝裏に腕を回し、ティアナを抱え上げた。
「ヴァレッド様っ!!」
「レオ、後の処理はジルベールに任せた。お前は後続隊の過分兵力を率いて帰ってきてくれ。俺は先に戻る」
レオポールの非難する声にヴァレッドは淡々と言葉を紡いだ。それがどうしようもなく恐ろしい。ティアナは落とされないようしがみつきながら、初めて感じるヴァレッドへの恐怖にゴクリと喉を鳴らした。
ヴァレッドはティアナを抱えたまま踵を返す。しかし、それを止めたのは青い顔をしたレオポールだった。
「ヴァレッド様、冷静に、冷静に話し合いをしてくださいね! その目っ! その濁った目を今すぐ元に戻してくださいっ!」
「うるさい。俺は冷静だ」
「そんな顔で『俺は冷静だ』と言われても信じれるわけ無いでしょう! 貴方のそれは頂点に達した怒りが一周回って落ち着いただけですよ!? 私もすぐ戻りますから、早まったことは絶対にしないでくださいね!」
レオポールのその言葉にヴァレッドは鼻を鳴らしただけだった。そして、目の前に立つレオポールの脇を通り、彼はティアナを抱えたまま教会を後にしたのだった。
暗い夜道をティアナはヴァレッドに抱えられたまま進んでいく。互いに口を噤んだまま、視線さえも交差しない。そんな状態がもう十分以上も続いていた。そんな永遠に続くかのような重苦しい沈黙を最初に破ったのは、他でもないティアナだった。
「ヴァレッド様、すみませんでした」
申し訳なさそうに頭を垂れるティアナを一瞥して、ヴァレッドは目を細めながら低い声を出す。
「君のその謝罪は何に対するものだ?」
「何に、ですか? それは、勝手に行動してご迷惑をかけてしまったことに対して……」
「そんなことはどうでも良いっ!」
ぴしゃりとそう断じられてティアナは身体を震わせた。未だかつてヴァレッドがこんなに怖く見えたことはない。ティアナは頭をフル回転させながら、彼が怒っている原因を考えた。
「……私がヴァレッド様との約束を破って教会にいたからですか?」
「教会にいたのは無理矢理連れてこられたからだろう! 俺がそんな事で怒ると思うのか!? 馬鹿にするのも大概にしろ!」
その瞬間に射殺すような視線がティアナに向けられる。ティアナは困惑したまま次の言葉を探したが、どうにも答えが見つからない。
黙ってしまったティアナから視線をはずし、ヴァレッドは先ほどよりも冷静な、それでも怒りを含んだ声を響かせた。
「俺は君が残した髪に対して怒ってるんだ」
「髪……。あ、遺髪のことですか?」
どうしてそんなことで? そう言わんばかりの驚いた顔をしてティアナは首を傾げた。その瞬間、彼のアメジスト色の瞳が一瞬にして怒りの色へと姿を変えた。眉間の皺を更に深く刻んで、眉尻を跳ね上げたヴァレッドがティアナに向かって声を荒げた。
「何であんな事をしたっ! 俺の助けがそんなに信用できなかったのか!? あんな物を残さないと俺が教会に乗り込まないとっ!」
「そう言うわけでは……。ただ、私の存在がご迷惑になってしまうぐらいなら、死んだものとして扱って欲しいと……」
「扱えるわけ無いだろうっ!!」
ティアナがカロルに託した髪は“遺髪”だ。つまり、自分は死んだものだと思って欲しい。迎えに来なくても、見捨ててもいい。そういう意味だ。
怒声を上げたヴァレッドの右手がぐっとティアナのスカートを握りしめる。あまりにも力を込めているためか、その手は白み、小刻みに震えていた。
「ヴァレッド様……」
「君は……、君は自分の置かれた状況を理解していないっ! こんなものを渡されたら、俺は君を見捨てることも出来てしまうんだぞっ!」
ヴァレッドは顔を真っ赤に怒らせたまま怒鳴り上げた。ティアナは唖然としながらも、その言葉を受け止める。そして申し訳なさそうに地面に視線を落とした。
「君は俺が見捨てても良かったというのか!? 自分の命はどうでも良いと? 君のその性格は本当に嫌になるっ!」
「すみません……」
しょんぼりと肩を落としたままそう言ったティアナにヴァレッドはバツが悪そうな顔をした。そして、先ほどよりは怒りを抑えた声を出す。
「……君が無事で良かった」




