24
ティアナが浚われてから四時間が過ぎた。空には星が瞬き、月が優しく辺りを照らす。そんな夜中にザールとティアナの二人は脱出作戦を決行しようとしていた。
「ティアナ、準備いい?」
「はい」
ザールとティアナは部屋で息を潜めながらじっと足音を探る。ティアナは扉のノブを持ったまま固まり、ザールは扉の前で椅子の上に立ちながらもう一脚の椅子を振り上げていた。遠くからカツカツと石を蹴る音が聞こえてきて、二人は身を震わせる。
作戦は簡単だ。男が食事を運んできた瞬間にティアナが扉を思いっきり引く、そして男がバランスを崩した瞬間にザールが椅子を頭に振り下ろし、相手を気絶させるという作戦だ。
手のひらに冷や汗が滲む。口を真一文字に結んでティアナはその時を待った。
扉のノブが回る。数センチ空いた扉を確認して、ティアナは渾身の力で扉を引いた。その扉の動きに引かれるようにして、褐色の男がたたらを踏みながら部屋に転がり込んできた。ザールがその頭に腐りかけの椅子を振り下ろす。木が割れる音が部屋に鳴り響き、椅子が壊れると共に男が床に沈んだ。ちなみに二人の食事だったであろうパンは部屋の隅にまで転がってしまっている。
倒れ込んだ男を挟んでザールとティアナは互いに目を見合わせた。そして、確認するようにザールが椅子の脚で男をつつく。
「え? 成功?」
「……みたいですわね」
二人はごくりと同時に生唾を飲み込む。じんわりと達成感が胸に広がり、二人は互いに手を取り合った。その時。
「……ぅ」
男が小さく呻いて頭を降った。どうやら衝撃が弱かったらしい。ティアナの背筋がぞくりと粟立った。
「きゃぁあぁぁあ!!」
「がぁっ……」
恐怖のあまりティアナは、叫び声を上げながら男を蹴り上げてしまう。その重い一撃が顎に直撃して、男は泡を吹きながら沈黙した。
「うわー……」
若干引いた様子のザールが半眼でティアナを見つめる。ティアナは自分のしてしまった事に気が付いていないようで、いつの間にか再び気絶してしまった男を見ながら首を傾げていた。
地下の部屋から無事脱出できた二人は、そのまま子供たちが眠る宿舎へと走っていく。本来ならまだ寝る時間ではないのだろうが、この孤児院では蝋燭の節約のために日が沈んだら眠り、日が昇ったら起きるという生活をしているそうだ。
全く警戒していないのか、他の子供達に怪しまれないようにするためなのか、地下の部屋から宿舎へと行く道に人の気配はない。どうやら見張りの人間などは置いていないようだった。
たどり着いた宿舎の部屋の中で子供達はゆっくりと眠っていた。この部屋から神父の私室は目と鼻の先だ。できるだけ騒がしくしないようにこの部屋から子供を出さなくてはいけない。二人は比較的年齢が上の子供達から起こしていった。軽く揺さぶり、時には頬を叩いたりして、順々に子供達を起こしていく。当然、起こされた子供達は状況が飲み込めず、頭の上に疑問符を浮かながら起きあがったが、それでも二人の指示に従うように、声を潜めて行動も最小限にしてくれた。小さな子供達は年齢が上の子供達が背負って歩き、背負うほどでもない子供達ははぐれないようにお互いの手を握らせた。
そして、子供達は列を成して行動を開始する。先導するのはザールだ。そして、ティアナは殿を務める。
ティアナは一刻も早くこの場所から子供達を逃がしたかった。このままこの教会に残ればいつ何時、神父らに利用されるかわかったものではない。ザールが殺されかけたところから見て、命を何とも思わない連中だという事は確かだろう。
ここを逃げた後のことは考えていないが、街の中にも孤児院はある。そこに行けば悪いようにはされないだろう。そうティアナは考えていた。それをザールにも伝えてあるので、彼はこのままちゃんと街へ歩を進めてくれるだろう。
(無事に逃げられそうですわね……)
ティアナがそう安心した矢先だった。
「ねぇ、ティアナおねぇちゃん、私たちどこ行くの?」
その声は石造りの廊下によく響いた。それを言ったのは子供達の中でも一番小さなエルネットだ。大きな子供の背におぶわれた少女は目をこすりながら首を傾げる。
「今から楽しいところへ行くの。だから不安にならなくても大丈夫。それと、あまり大きな声は出しちゃだめよ。お願いだから……」
そう囁きながらティアナは少女の頭を撫でた。同時に神父の部屋へと視線を送る。しばらく見つめてから、ティアナは安心したように息を吐いた。神父の私室の扉は堅く閉じられていて開く気配がない。
それでも安心できないティアナは子供達を急かしながら歩を進める。
その時――
「誰か起きたのですか?」
神父ののんびりとした声が廊下に響いた。前までは安心できていたその声がひどく恐ろしいものに聞こえる。蝋燭もない廊下に神父は顔をのぞかせ、辺りを確認していた。ティアナは逃げ出したとバレないように子供達を廊下の角へ押しやり、神父の視界から完全に消す。そして、子供達の部屋へと歩を進める神父に駆け寄った。そしてそのまま横を通り過ぎる。月明かりだけが頼りの廊下で二人は交差する。その時、神父が息をのんだ。
「あなたはっ――!」
その声を背に受けてティアナは振り返ることなく走り去った。神父は子供達の部屋を確認することもなくティアナを追いかけ始める。これで、子供達が逃げたと知れるのはもう少し後になるだろう。ティアナはそう安堵しながらも、今にも追いつかんばかりの神父の存在に焦っていた。
ティアナの運動神経は決して悪くない。屋敷の敷地内から出してもらえなかった頃、何度も外の様子が見たくて敷地内にある木に登ったものだ。他の貴族然としている女性よりは動ける自信がある。しかし、相手は男だ。彼がいつもの白いダルマティカを着ているなら話は別だが、寝るための動きやすい格好をしている神父はそれなりに速かった。角を何度も曲がるようにして、ティアナは神父を巻こうとする。しかし、完全に巻いてしまって神父が子供達の部屋を確認しに行ってはいけない。なのでティアナは上手く囮になるように、見つかっては隠れ、隠れては見つかり、を繰り返した。
そして、二十分以上もその追いかけっこを続け、気が付いたときには――……
沢山の男たちがティアナを探しているという緊急事態へと発展していた。
神父が呼んだであろう男たちは教会の敷地内をくまなく探し回る。ティアナは物陰に隠れながらいつ見つかるのかわからない恐怖に身を竦ませた。
もう、子供たちも遠くに行っただろうし、ティアナの囮の役割も終わった。なのでティアナも、この教会の敷地内から早く出たいと思っているのだが、状況がそれを許してくれない。
(ど、どうしましょう……)
捕まった後のことを考えてしまったティアナの身体がブルリ震える。きっと無事ではすまされないだろう。そんなことは彼女が一番わかっていた。なので、彼らに見つからないようにティアナはゆっくりと敷地から離れようとする。ゆっくりと、一歩ずつ確実に、ティアナは敷地の外を目指した。そして、あと少しで敷地の外に出られるというところまで来て、ティアナは街道の奥に小さな松明を見つけた。それも一つや二つといった数ではない。多くの松明が一列を作って教会を目指しているのだ。
(ヴァレッド様!)
その瞬間に心臓が飛び跳ねる。まるで長年会ってない恋人を見たかのように、ティアナはヴァレッドに会いたくてたまらなくなった。
その気の緩みがいけなかったのだろうか、ティアナは置いてあった金属のバケツを蹴ってしまう。そのけたたましい音に男たちはティアナの存在に気づいた。そして、すぐさま彼女を捕らえんと駆け寄ってきた。




