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現在、ピッコマ様にて『公爵さまは女がお嫌い!』のWEBTOONが始まっております!
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「ティアナ!」
ヴァレッドの声がして、ティアナは目を開けた。
彼女の見つめる先には空があり、彼女は仰向けになって倒れている。隣にはヴァレッドがおり、彼女を見下ろしていた。
「ヴァレッド様?」
「大丈夫か?」
ティアナは支えられながら身体を起こす。彼女の下には広げられた布があった。周りを見回すと、ほっと息をつく数人の兵の姿が見える。その状況に、ティアナは自分がこの布によって受け止められたのだということを知った。
彼女が落ちたのは崖を落ちた先にある、一箇所だけせり出した部分だった。彼女たちがいる場所から少し先はまた切りたった崖になっている。
「そう言えばヒルデさんが……」
ティアナは、ヒルデがこの崖のことを話していたときのことを思い出していた。
『あ、そう言えば! 一人だけいたそうですよ。あの崖に落とされて生還したペイル人が。どうして助かったのかわかりませんけどね。その後、ペイル人の中で彼は奇跡の人として生き神のように生涯崇めたてられたみたいですよ?』
もしかして、その一人だけ助かったと言うている人はここに落ちたのではないのだろうか。そしてヒルデがこの話を知っていたということはもちろんヴァレッドたちも話を知っていたということで……
「まさか、最初から?」
「あぁ、アイツがここに俺たちを呼び出した時点で、崖から俺たちを落とすことはわかりきっていたからな。だから、隙を見て君を抱えてここから飛び降りるつもりだった。……なかなか、隙ができなくて困ったが」
無事に助かったというのに、ヴァレッドは苦虫を噛み潰したような顔をする。もしかすると彼は、ティアナを危険にさらしてしまった事を後悔しているのかもしれない。
「そういえば、皆さんは大丈夫でしたか!? カロルは!? ヒルデさんは!?」
「カロルとヒルデは大丈夫だ。カロルの方はすぐに目が覚めたし、ヒルデの方は出血がすごかったが、なんとか持ち直した」
「……よかったぁ」
自分が助かったときよりも安堵の顔をして、ティアナは身体の力を抜く。そして次に、布の上に転がった腕輪を見て、喜びの声を上げる。
「ヴァレッド様! 腕輪も無事ですよ!」
「君は――」
いつものように自分を後回しにするティアナに呆れたのだろう、ヴァレッドは一瞬厳しい顔になった。しかし、彼は眉間を抑えてなんとかやり過ごす。
「そうだな。俺が好きになったのはそういう君だったな」
その言葉の意味がわからないとばかりにティアナが首を傾げていると、ヴァレッドが手を引いてくる。なされるがままに彼女は、彼の胸にすっぽりと収まった。
「君が無事で良かった」
「私もヴァレッド様が無事で良かったです」
ヴァレッドは、腕の力を強くする。
ティアナは彼の腕の中でこれ以上ないぐらいの幸せを感じていた。
..◆◇◆
あれからガラムの捜索が行われたが、結局彼は見つからなかった。
崖の周りにはあらかじめ兵を置いていたのだが、誰も彼が出てくる姿を見ていないとのことだった。森の中に潜んでいるのかもしれないと、翌日には大規模な捜索も思われたのだが、やはりガラムを見つけ出すことは叶わなかった。
そんな捜索を終えた翌日、ヴァレッドたちは国王に呼び出されていた。
メンバーは、ヴァレッドとティアナとレオポールの三人だけだ。カロルもついていくと言ったのだが、医者に診てもらう日とかぶったので、今回は不参加である。
王座に続く廊下を歩きながら、彼らは声を潜めた。
「この呼び出しは、ヴァレッド様の出自に対しての話ですかね? やはり、報告しなくてもよかったんじゃないですか?」
「そういうわけにも行かないだろう?」
「でも!」
「くどいぞ」
胃のあたりを擦るレオポールに、ヴァレッドはピシャリとそういう。自分の出自が判明したときのような気の落ち込みようはもう彼にはなく、ヴァレッドは自分の新しい未来を見ているようだった。
その未来の中に自分もいるだろうということが、ティアナはたまらなく嬉しい。
「それに、まぁ、どういう話でももう覚悟は決まってる」
「花屋さん、楽しみですね!」
「お二人はそれでいいでしょうが、私は失職するんですよ!? わかってますか?」
「俺がやめたら、父がまた爵位を継ぐだろう? そしたらお前を雇うように進言してみるよ」
「嫌ですよ! 貴方以外の下で、この仕事をする気はないと何度も言っているでしょう?」
「お前は……」
「まぁ、私も。その時は自分でなんとかしますよ。あぁ……。この段階で無職になるって余計逃げられそうですよ」
レオポールは弱ったような声を出す。『逃げられる』というのが、きっとカロルのことを指しているのだろうということがわかって、なんだかとても微笑ましい。
三人は、前にここを通ったときと同じように謁見の間の扉を開けた。
周りに人がいないのは、きっとエリックが配慮した結果だろう。
前と違ったのは、もうすでに王座にエリックが座っていたことだ。
「やぁ、待ってたよ。ヴァレッド」
以前と変わらない表情で彼はそこに座っていた。
「色々大変だったみたいだね。でも本当に、この腕輪を取り戻してくれて助かったよ。……ありがとう」
エリックは友人としての顔で笑う。彼の手首にはヴァレッドたちが必死になって取り戻した腕輪があった。
「報告書も読んだよ。丁寧に書かれていたね。とてもわかりやすかった。ただ、一つだけ気になる点があったのだけれど」
エリックはそこで声のトーンを落とした。
「この報告書によると。ヴァレッド、君にドミニエル家の血が入っていないとあるのだけれど、ここに書かれていることは、本当のこと?」
「あぁ」
「……そう」
エリックは僅かに目を伏せる。彼が手に持っている紙の束は、ヴァレッドたちが提出した報告書だろう。
「それじゃ、再提出だ。ヴァレッド」
彼は書類の束を床に落とす。瞬間何枚かの紙がひらひらと舞って床を滑った。
「なっ!」
「僕は君のそう実直なところは気に入ってるけど、今日、この場は違うだろう? 君はもうちょっと、狡賢く生きるべきだ」
「それは――」
「いらないことは書くな、と言ってるんだよ」
エリックはそう言って口の端を上げた。
「君にドミニエルの血が入っていないからなんだと言うんだ。君はあの二人の本当の子供のように育ってきたし、ドミニエル領だって無事に治めている。何が問題だっていうんだ?」
「しかし、お前がそう言っても議会が黙って――」
「だから書き直せって言ってるんだよ」
エリックは自ら落としたヴァレッドの報告書に視線を落とす。
「これをそのまま持っていけば、議会の頭の硬い連中は黙ってはいない。どう楽観的に見ても、君の身分は剥奪されるだろう? 平民になって、君はどうするつもりなんだ?」
「それは――」
「色々できますわねって話していたところなんです」
そう話に割り込んだのはティアナだった。彼女の言葉にエリックは目を見開いた。
「私、花屋さんをしてみたいなって思ってたんです。シュルドーは花が豊富でしょう? 後はお針子もいいですわよねって。エリック様はどう思われますか?」
「もしかして君は、ヴァレッドが平民になるのに賛成なの?」
エリックの言葉にティアナはキョトンとした後、ニッコリと笑みを見せる。
「賛成とか反対とかありませんわ。私はただ、ヴァレッド様の隣で生きていこうと思っているだけです」
「君は、本当にいい妻をもらったね」
「あぁ、自慢の妻だ」
恥じらうことなくそう言ってのけるヴァレッドに、ティアナは嬉しそうに笑ってそっと彼に寄り添った。
「二人の覚悟が決まっているのはよろしいことだけど。それでも僕はこの報告書を受け取る訳にはいかない。ヴァレッドだって、別に今の身分を捨てたいわけじゃないだろう?」
「それは……そうだな。身分どうこうよりも、俺は案外あの土地に愛着もあるし、あの仕事が気に入ってもいる」
「それなら、報告書を書き直せばいい」
「しかし、今は誰も気がついていないが、いずれ誰かが気がつく可能性がある。そうじゃなくてもアイツラが噂を流したりする可能性も。そうなってからじゃ――」
「そうなれば、私が黙らせるから心配はいらないよ」
エリックはさらりとそう言って、王座から降りる。そのまま軽やかな足取りでヴァレッドの前に立った。
「君は知っていると思うけど、私はね、本来とても独善的な人間なんだよ。友人のために強肩を振るうぐらいのわがままさは、きちんと持ち合わせているんだ」
「だが――」
「私はね。君に今まで通り、友人でいてほしいと言ってるんだ。君の中に流れる血なんて、僕には色ぐらいしか分からない。もうそれでいいじゃないか」
エリックは顔をさらにヴァレッドに近づける。
「私は君をドミニエル家の子息だと思っている。そうじゃなくてもそれでいいと思っている。……それ以上の言葉はいるか?」
「エリック……」
ヴァレッドはしばらく難しい顔をしていたが、やがて頭を下げた。
「感謝する」
エリックはその言葉に目を細めたあと、いつもの調子で彼に語りかけた。
「感謝するなら、一つだけ、してほしいことがあるんだ」
「してほしいこと?」
「二人の結婚式。私のことを呼んでくれなかったの、未だに根に持ってるんだからね?」