3話
テオルクが人間から魔族に転生し、もう5000年以上が経過している。
彼は転生して間もない頃から、元々感情の抑制が苦手だったという事もあり、魔族の間でも厄介者扱いにされていた。
感情と魔力は常に共鳴しており、感情のコントロールを失うと魔力が暴走してしまうのだ。
普通の魔族は、幼い頃に感情のコントロールをマスターする為、たとえ怒ったり泣いたりしたとしても魔力が暴走する事はない。
しかしテオルクの場合、転生の影響かは分からないが、一般的な魔族が持つ魔力の数倍以上をその身に宿していた。
その影響により、少しでも感情が揺らいでしまうと魔力が体外へ暴発してしまうのだ。彼は転生から数年で産みの両親を殺し、それから幾年もの間に大勢の仲間を死に導いている。
以来、テオルクは感情を抑制するにあたり無感情に徹して生きてきた。もう数千年も前から、人や魔族を殺しても何の感情も抱く事は無くなってしまった。
であるというのに……。
「大好きなケモ耳獣人が、近くにいるかもしれないからって、普通魔力を暴発せるか……!?」
そんな恥ずかしい理由で、死のオーラを放ったなどと部下達に言えるわけもなく。テオルクは侍衛長官らが退室した後、ひっそり羞恥に身悶えていた。
「とにかく、パルテラには悪い事をしちゃったなー。てか、あとちょっとで殺すところだったし……」
パルテラになんと詫びれば良いのか頭を悩ませていると、不意に自室の扉から鈴の音が鳴り響いた。
テオルクの自室は完全防音が施されているが、内外から連絡を取り交わす際には、扉に魔力を流す事で会話する事が出来る様になっている。
テオルクは反射的に思考を断ち切り、背筋を伸ばして泰然とベッドに腰掛けた。
「何の用だ」
「パルテラ様が参られました」
「随分と早いな……」
「出直して頂きますか?」
「いや、まあ良い。通せ」
数秒の後扉がノックされ、パルテラの上擦った声が耳に届いた。
「パルテラ・ジュ・ロークルフ・フィレオン。体調が戻りましたので、急ぎ馳せ参じまして御座います」
「構わん、入れ」
パルテラが本名を名乗るのは随分珍しい。彼女にとっちゃ、さっきのは俺より余程のショックだっただろうしな……。
おずおずと入ってきたパルテラに、テオルクは出来るだけ優しく喋りかけた。
「先程は済まなかったな」
「そ、そんな!きっと何やら私が失態を犯してしまったので御座いましょう!悪いのは私なのです!」
「お前の主人である私が悪いと言っておるのだ。貴様は素直に受け取っておれば良い」
「ですが……!」
「私の言うことが聞けないのか」
「へ、陛下に非が御座いました!」
「うむ、それで良い」
なんで謝ってる立場の方が恫喝してるんだろう。もっと上手く言えないのか俺は。
「という事でだパルテラ、お前には詫びを贈りたい」
「お、お詫びの言葉なら今しがた受け取りましたが……」
「そうではない。なんぞ他に望むものはないかと聞いておるのだ」
「そのような……」
「あるよな」
「はい……?」
「ある、よな?」
「……っ!」
テオルクが恥ずかしさを打ち消そうとすればする程、どうしても恐喝的な態度を取ってしまう。
終いには、明らかに困惑しているだろうパルテラに向かって「どうした、私を困らせたいのか?」などとブーメランを投げつける始末。
それから無言の時間が暫く流れ、パルテラが熟考を経て絞り出した答えは……。
「陛下の高潔なる血を……所望したく存じます」
「血、であるか?」
「あわ……!な、なんでもありません!今のはなかったことに!」
確かヴァンパイアにとって主人の血は最高の褒美になるんだったかな。
「良かろう、好きなだけ摂っていけ」
「そうですよね!やはり無礼極まり……?よろしいので!?」
赤い瞳を見開き、驚きと期待の眼差しを向けるパルテラ。
テオルクは彼女の手を引いて、退路を塞ぐ様に自身の隣に座らせた。
「ほれ、苦しゅうないぞ」
「で、では……失礼致します!」
おっかなびっくりといった様子で、パルテラはゆっくりと顔を近づけた。
彼女の顔が熱っぽく朱色に染め上がり、息が徐々に荒くなる。
まだ少女然とした美しい相貌が近づくにつれ、どことなく良い匂いが漂ってくる。こちらまで呼吸がおかしくなりそうだ。
まるで今にも口付けを交わさんという距離にまでパルテラの顔が迫ってくるが、彼女はテオルクの首元に唇を押し当てた。
いや、首にキスするのだってもうヤバいよっ?何考えてんだ俺は!
全く考えが至らなかったテオルクは、危うく死のオーラを漏らしそうになるが、二の舞いにならない様になんとか踏みとどまった。だが、
「んんっ……あっ……はぁん……っ!」
…………なんなんだその喘ぎ声はぁぁぁ!?
寧ろこそばゆくて、俺の方が変な声出しそうだわ!
まるでAV女優の様な荒い吐息と巧みな舌使いに、テオルクの身体がピクピクと反応する。
いや、こんなん我慢出来る童貞の方がおかしいだろだろ!
己の欲望に我慢の限界を悟ったテオルクは、最早誘っているとしか思えないパルテラの震える細い腰を抱き寄せようと身構えた。
と、その時。
チリンチリン、チリンチリン……!
二人の熱い抱擁を阻止せんとばかりに、扉の鈴が軽快に鳴り響いた。
瞬時に魔王としての意識を取り戻したテオルクは、半ば強引にパルテラの身体を引き剥がした。
彼女は哀愁の漂う瞳でテオルクを見上げるが、黙ってベッドから数歩下がった。
「何用か」
「昼食の準備が整いまして御座います」
「もうそんな時間か」
「どちらへお持ち致しましょうか?」
テオルクは、まだ息の荒いパルテラに目を向けてから返事を出す。
「少しばかり疲れが出た。ここで食べるとしよう」
「畏まりました。直ちに持ってこさせましょう」
外との通信が切れ、二人の間に微妙な間が産まれる。
パルテラがモジモジと小さく身をよじらせているが、テオルクは見なかったフリをした。
「ということで、お前への詫びはこれで成せた。もう帰って良いぞ」
「承知致しました……。この続きはまたのご機会に」
え、まだ続けるつもり?
テオルクとしてはもう勘弁して欲しいところだったが、そんなことは言えず「忠義に励め」と言葉を濁すのだった。