2話
☆☆☆イャローナ皇国side☆☆☆
晴天の太陽から降り注ぐ光が、華麗なステンドグラス越しに差し込んでいる。宮殿の柱に施された石膏で造られた十二勇者の石像が光輝き、この国の壮大な歴史と権威をありありと象徴していた。
ここは、イャローナ皇国中心部の山間部にそびえ立つ聖嶺宮殿の正殿。
その聖占室に一人の若い女性が水晶に手をかざし、まるで長距離を走ったかの様な息の荒い呼吸を繰り返していた。額には大汗を浮かべ、白く美麗な相貌は今や血の気を失せ蒼白に変貌している。
彼女の急激な変化に、巫女たちがしどろもどろに駆け寄った。
「媛巫女様!如何なされましたか」
「体調がよろしくないご様子。少し休まられませ」
巫女たちが労る中、媛巫女は表情を取り繕い毅然とした態度で命じた。
「今すぐ筆と聖紋紙を用意しなさい」
「そのお身体で文を?我らが右筆として代行致しますので、どうかお休み下さいませ」
そう言って輿を用意しようと気遣う巫女を媛巫女はギロリと睨み付けた。
「この様な一大事、右筆などに任せてはいられません。貴女方が用意しないというならば、私が取りに参りましょう」
「か、畏まりました。只今お持ち致します」
静かな口調な中に、怒気と焦りを強く感じた巫女達はようやく媛巫女の言葉に応じた。
「あの魔王が……。封印が解かれたということでしょうか。だとすればあまりにも早すぎる……」
媛巫女は天を仰ぎ、拳を固く握るのだった。
☆☆☆テオルクside☆☆☆
「こちらで御座います陛下」
「うむ」
異世界に足を踏み込んでから丸三日。
テオルクは拠点の進捗状況を把握する為、他の侍衛長官らと共に、カリソナの案内によって拠点の視察に赴いていた。
案内から暫く、鬱蒼と茂っていた森が30万㎡程の広さで突如切り開かれていた。
切り開かれたうちの4万㎡の敷地には、五稜郭の陣地が聳え立っている。
防御魔法を施された、内柵と外柵の木柵は高さが5メートルに達し、それに加え3m強の内堀外堀が築かれていた。
さらに、柵の内側には物見櫓や塔などの外敵の侵入を阻害する防御施設が至る箇所に設置されている。
各防御施設には、中位及び上位のスケルトンを中心に守備兵が数百体ずつ配備され、柵内外には数十体一組で編成された低位のスケルトンらが巡回に当たっていた。
守備隊の数は恐らく6000体、迎撃隊が4000体以上の軍勢が配備されているという。
「この短時間でこれ程の拠点を築くとは見事である」
「お褒めに預かり光栄に存じます。しかし陛下、こちらはほんのオトリに過ぎません。真の居城はこちらで御座います」
「ほう、まだあるのか。見させてもらおう」
カリソナは切り開かれた地とは別の方角に少し歩みを進め、やがて崖の真下で立ち止まった。
それから彼女は、崖の斜面に手をかざし、何やら魔力を送り込んだ。すると、斜面にポッカリと大きな穴が開き、中は石造りの通路が奥へと続いていた。
「こちらです」
テオルク一行が崖の穴を潜ると、穴はスッと閉じて辺りが闇に包まれた。
カリソナが手を叩くと、壁に埋め込まれた光原石がボウっと紅く輝きすぐさま視界を取り戻す。
案内を続けながらカリソナが口を開いた。
「本拠の入り口は崖に御座いますが、この場は既に地下となっており、場所は北方の森と平原の境目に位置しております」
「出入り口がワームホールになっている訳か。良い考えだ」
地上の見せかけの拠点が万が一占拠されたとしても所詮はオトリ。そこにテオルクらの姿はなく、その身は遠く安全な場所に存在しているという訳だ。
さらに、出入り口のゲートは、上位の貴族とて開錠が困難な魔術であるため、なすすべなく侵入される可能性はほぼ皆無。
テオルクが賞賛の意を送ると、カリソナは愉悦の声を上げた。
「もったいない御言葉で御座います陛下。不肖カリソナ陛下の御為、より一層の忠義に励んで参ります」
「其方の働きに期待するとしよう」
「こちらが玉座の間を予定しております」
玉座の間には大勢のアンデットや貴族らが普請に携わっており、皆テオルクの姿を認めるや否や、平伏して臣下の礼をとった。
「私に構うな。作業に取り掛かれ」
決して大きな声ではなかったが、すべての者たちが一斉に作業を再開した。
カリソナによると、玉座の間は地上に設けたオトリの拠点にほぼ等しい面積を予定しているという。
テオルク自身は、そこまでしなくとも良いと考えていたが、これに関しては彼女気が済むようにしてやろうと許可を下した。
「陛下の寝所は既に整っております」
「もう出来たのか」
「陛下に早くお休み頂けるように、いの一番に用意致しました」
寝所とはつまり、テオルクの自室である。
これを最優先に用意するとは、なかなかカリソナは気が回る。
寝所の扉の前には、各侍衛長官の部下である上級侍衛官が待機する詰所が準備されている。
上級侍衛官とは、テオルクの身辺警護から身の回りの世話をこなす者たちであり、上級貴族出身のエリート中のエリートだ。
中世日本の大名の側近だった小姓や馬廻の様な機関であるが、身分は上級貴族より偉いということが確立されている。
「本日からフィオンの番から始まり、パルテラ様、ガリバン、私、セロクフの順に日替わりで務める手筈になっております。よろしいでしょうか」
「許可する。だが、今はお前たちの任務が最優先だ。半数の者は非番にし任務に当たらせよ。それで良いなパルテラ」
「仰せのままに」
筆頭侍衛長官のパルテラが頷いたのを確認し、テオルクは自室の中に入った。
テオルクの寝所は案外とても狭い。
八畳程のスペースに二人がなんとか寝られるくらいのベッド。少し物書きや執務を持ち込む際に必要な簡素な机。あとは洗面器具などがある他、特に華美な装飾がある訳でもなく、かなりこじんまりと設えられている。
これは単に手抜かれた訳ではなく、テオルクが落ち着くからという理由でこの様にさせているのだ。これは魔界の城の造りと瓜二つであり、カリソナは言わずもがな、テオルクの意思を汲み取ってくれたのだろう。
「うむ、上出来だ。やはりこれの方が気が安らぐ」
テオルクがベッドに腰掛けると、侍衛長官らは畏って膝跨いだ。
「さて、視察の方はこれくらいで良いだろう。まずはそうだな、パルテラから順に報告してもらおうか」
「はい陛下。まず初めに、あの森についてご説明させて頂きます……」
パルテラはそう言って、ゆっくりと顔を上げる。
ヴァンパイア特有の白く美しい顔をゆっくりと上げて、静かに口を開いた。
「まず我々が降り立ったこの森で御座いますが、人種に相当する知的生物の存在が明らかになりました」
「なに、それはどんな奴らだ」
知的生物がいるということは、こちらの敵になり得る可能性が高くなる。もし、それらがこちらを上回る戦力を保有しているのであれば、せっかくだがこの拠点を放棄する事も考えなければならない。
少し身を乗り出して問い掛けるテオルクに、パルテラは微笑で応えた。
「御安心召されませ。かの者達はさほどの脅威に値い致しません」
「そうか、奴らの戦力や数は」
「我が方で例えますと、上級騎士が5〜6匹に中級騎士が60匹程度と推測されます」
「それは一塊に集まっているのか」
「いえいえ、森の外れに500匹の巣が6カ所点在しておりまして、一つの巣に上級騎士級が1匹、中級騎士級が10匹という極めて脆弱な巣です」
「なるほど」
一応我が軍の脅威ではないらしい。目障だから殲滅するのも手だが。さて、如何様にするべきか……。
「その者らの外見的特徴は、人種に該当するのか」
「大まかには人種、されどかの者共には獣の様な耳と尻尾を有していることが確認されております」
「なにっ!それは誠か!?」
テオルクはあまりの衝撃的な証言に、思わずベッドから立ち上がってしまうが、彼はその事に気が付かない。
パルテラをはじめ、彼の珍しく感情的な態度を目の当たりにした侍衛長官らは、揃って冷や汗を垂らし身を縮めた。
パルテラは平伏したまま身体一つ分後ずさり、震える声で尋ねる。
「恐れながら陛下、愚かな私に何か落ち度が御座いましたでしょうか……!」
「いつその者らの存在が明らかになった!?」
「ひいっ!ひいぃぃぃ!!」
死のオーラを纏いながらテオルクに迫られ、パルテラは遂に部屋の壁に押し付けられた。
死のオーラというのは、魔族が個人が有している負の魔力が、身体の外へ放出されたものだ。
放出された魔力の力や量により威力は変化するが、あまりに格上の魔力をその身に受けると、下手をすれば瞬殺してしまう程の威力である。
テオルクの力量レベルを100とすると、パルテラはおよそ80。魔族の間では、レベルの差が5もあれば100%勝つことが出来ないと言われている。そして、テオルクとパルテラのレベル差は20もあった。
テオルクが故意ではなく、うっかり漏らしてしまった魔力だからこそ、パルテラはギリギリの意識を保つ事が出来ているのだ。
死のオーラを直接その身に受け、生命が押しつぶされそうになるパルテラ。
それを見かねたカリソナ、フィオン、ガリバン、セロクフ達が彼女を庇い立った。
彼らは直接死のオーラに触れられていないが、間接的にかなりのダメージを受けていた。
「陛下!テオルク陛下!!それ以上は我々にも耐えられません!どうか気をお静め下さいませ!!」
「「「どうか気をお静め下さいませ!!」」」
地に伏し動けなくなったパルテラの変わり果てた姿と、必死の形相で割って入るカリソナ達を目にし、テオルクはようやく己が死のオーラを垂れ流している事を自覚した。
「ん!これは……!?大丈夫かパルテラ!」
「へ、陛下……私は如何なる失態を……」
「……失態を犯したのは私の方だ、済まなかった。お前はしばらく休んでいろ」
「なんという寛大なる御言葉……!陛下に、陛下に更なる忠誠をここに……!」
「ああ、分かったからもう休め」
テオルクは、部屋の外に控えていたパルテラの部下に彼女を託し、養生させる様に命じるのだった。