6杯目。ジンダブル。
サングラスをかけた黒服の羽根つき大男二人組に連れ去られた、泥酔大魔女が消えると辺りはまた元のような静けさを取り戻した。
シオルネーラが手も付けず放置されたままの焼き鳥をママがゆっくりと口にしている。
「あら。おいひいわね。うちの焼き鳥」
はじめて食べたわぁ、と感想をもらしつつ、ママはやはりシオルネーラが残した芋焼酎を水のように煽った。
「主任ちゃん。大丈夫? ケガはない??」
ママはウェイターが銀の盆にのせてやってきた用紙に何か書きつけると、鋭い視線でお仕置きルームを顎で指した。
ウェイターは恭しくこうべを垂れ、いずこへか消えてしまう。
通称お仕置きルームと呼ばれる、店の最奥に存在する「懺悔の部屋」はめったに開かれることのない特別な部屋だ。それなのに、ほぼ常連のようにその部屋を使用しているのがやはり。
「困ったものよねぇ、シオルちゃんッたら。この間は店の天井焦がすし、その前はシャンデリアを溶かしちゃったし」
修繕費がかさむのよねぇ。
言いながら大して困っていないことは明らかである。
そしてママは何かに気づいたように、主任の隣の空席―――右側の席に目をやった。
「主任ちゃん。ヤスはどうしたの?」
尋ねられて主任は、ギクッと体を強張らせた。
その様子を見、何も言わずとも察したママは「ふぅ~ん」時のない返事をしながら、じとーっとヤスの席を眺め見る。
そこへウェイターがやってきた。
「ジンダブル。お待たせいたしました」
「あ、ちょっとこっちにちょうだい。私の注文」
「うえ!?」
満面の笑みで黄金の髪の美女が片手を上げる。ウェイターは顔をややひきつらせ、一度主任の方を見た。
「何してるの? ぐずぐずしないで、さっさとちょうだいな?」
声音は優しいのに、どこかすごみのある言葉でママはそう言い放つ。
ウェイターは迅速に小さなグラスを彼女の前に置いた。
や否や、ママはそれを二つとも順次に口の中に放り込む。
眼を向いたのは、ウェイターと主任である。
「ぷは―――――――――――。あまりおいしくないわね」
グラス二つ煽った感想がこれだった。
グラスをそそくさと下げようとするウェイターに、ママは何かを耳打ちする。
漏れ聞こえたところによれば。
80年代の初期のミランダというお酒のボトルを持ってこい、ということだった。ミランダのお酒は80年代の勇者の間では、手に入らないトップ3の高価なアイテムだったはずだ。効能は一時的な活力のみなぎり。
しかし、効力が切れると「無気力」になってしまうので呪いの酒とも呼ばれた。
ちなみに請求先はヤス―――。
主任はぞっとした。
これがかつて彼を異世界(ヤスがもともと住んでいた世界)から召喚し、勇者として仕立て上げ、魔王と闘わせるよう仕向けた張本人のあざとい技だった。
「主任ちゃーん。何考えてるか、まるわかりよ~」
「ひっ」
心を読むことのできる女神とは聞いていたが、とんだ女神がいるものだ。
「お、お勘定を・・・・」
「あら、もう帰っちゃうの? ヤス帰ってくるんでしょ? もうちょっといればいいじゃない??」
笑う女神だが、その瞳は笑っていない。
主任は恐怖におののきながら、そそくさと席を立つ。
「あ、お、俺。これから夜の工場勤務があるんで――――。ダ、ダンジョンも修理しないといけないし、財政難なんで」
「そお? それは残念ね。今日の分はヤスのおごりだから、お代はいいのよ。また来てね」
満面の笑顔に主任は4つある心臓のすべてが一瞬で凍りそうな心地だった。
おそらくヤスが勇者になるより、この女神が自分を倒しに来た方が物語の結末は早かっただろう、と容易に予測できる。
主任は席を立ちあがり、穴の開いた洋服の隙間から金貨の入った革の財布を取り出した。
「いいのよぉ、ホントに。あ、忘れてた。シオルちゃんが溶かした服の請求書と、床の請求書。ヤスにつけとかなくっちゃ。主任、気を付けて帰ってね」
主任は軽く会釈して財布を片手にぶら下げたまま入口の方へ歩を進めた。
「お。主任――――! もう帰るのか!?」
妙に明るいヤスの声に主任は体をびくん、と痙攣させ、そのまま決して後ろを振り返らないまま店の出口の扉をくぐっていった。