3杯目。ノンアルコールビール。
文字通り口から泡をカニのように吹き出しながら、主任は6つの目を丸くさせた。
「ノンアルコールビールお待たせいたしました―」
先ほどのウェイターが主任の机の上に黄金色のビールジョッキを置いた。
「あ、ありがとうございます」
律儀にお礼を言うと、主任は唾を飛ばしながら7本の指でヤスの両肩を揺さぶる。
「ちょ」
「ど、ど、ど。どういうことなんだ!? 一昨日出逢ったっていう、ワールドアームMMOのヒロインはどうした!?」
「ちょまっ。ちょまって、主任ッ」
揺さぶられながら、「ブブブブブ」とヤスの机の上が振動する。
机の上に置かれているのは、ヤスが元住んでいた世界で普及している「スマホ」という道具だった。四角い鏡のようなものに何やら読めない文字と若い女の顔が光って浮かんだ。
「お、噂をすればなんとやら」
ヤスは揺さぶられる状態のまま、残像を残しながらもその道具を手に取り、鏡の部分に指を触れ耳にあてた。
「おー。レイティアちゃーん。連絡ありがとー、で今日の予定OKだよね?」
「レ、レイティア?」
初めて聞く名前に面喰ったのは主任の方である。
ノンアルコールビールの表面に浮かんでいた白い泡がぷつぷつと音を立てながら徐々に減っていくのも構わず、主任は4つの耳を馬のように立たせて聞き耳を立てた。
「え、え? 何それ。意味わかんないんですけどーって、キャンセル!? 航空券もう取っちゃったあとだよー!? え、なになに? 実家の祖父がご臨終って、キミ、天涯孤独っていう設定じゃっ。ちょまっ、レイティアちゃ―――――」
ブツッと、何かが途切れる音が主任の耳に聞こえた。
ヤスを揺さぶるのを辞めた主任は、無精ひげを生やした彼の横顔を眺め見る。
心なしか、深い疲れと影が入り、髭が1ミリほど伸びた気がする。
ヤスはスマホの真っ暗になった画面に視線を落としてしばらく硬直すると、無言のまま何かを操作し始めた。どうやら人間世界で普及している通信道具のようだ。
「消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ―――――。すべて俺の全データの中から消えてなくなっちまえ―――――!!」
絶叫のような咆哮を轟かせて、ヤスは机の上に突っ伏した。
「なぁに、うるさいわね。またフラれたの?」
「あ」
漆黒のローブに漆黒のとんがり帽子。漆黒の髪に真紅の瞳。
白皙のような肌に薔薇のような唇。
容貌は「絶世」と称してもよいほどの美貌。
たっぷりボリュームを強調したきわどく体にフィットした皮鞣しのタンクトップは、ちょうど胸の谷間の部分がハート形に切り取られ、谷間が見える。谷間の部分には「喧嘩上等」の四文字が刻み込まれている。
スリットが深く入ったへそ出しロングスカートの隙間からは真っ白な美脚が登場し、網タイツに真紅のハイヒールといういでたちだ。腰に巻かれた皮ひもには呪具や護符。研磨された宝石や、呪いを込めたナイフ。干したトカゲや蛇の皮、狐のしっぽや豚の耳などを引っ付いて歩いている。歩くたびにジャラジャラと音がするのは致し方ない。
ただ、それだけなら世に言う男性も涎を垂らして寄り付いていきそうなものなのだが。
「シオルネーラ」
「湿っぽいわねぇ。何よ今日は」
許可も取らず勝手に主任の隣のカウンターに腰を下ろした彼女は、腰に巻いている呪具の中から小さな水晶玉をぶちっと取り外すと、それにしなやかな指を翳し何やらつぶやくと薄煙の幻影の中に先ほどの安の一部始終を見て、突然笑い出した。
「ギャハハハハハッ! 何それ! フラれてやーんの。ザマぁ」
眼を向いて大きな口を開けて笑うものだから、とびっきりの美女も台無しである。
「あ、芋焼酎と焼き鳥3人前。奢ったげるわよ」
羽根つきウェイターに注文を申付けて、シオルネーラはゲハゲハと再び笑い出した。