7杯目。お水をください。(4)
思わずたたらを踏んだらタバコの箱で足を滑らせ尻餅をついた元勇者は、声にならない声を上げた。
「あ、お、あ、お、ま」
イーリスはうっすらと唇に笑みを刷いた。
「あらぁ。気づかなかったの? って当然よね、プレーヤーしか真実はわからなかったんですもの。当事者であるあなたには、ねぇ―――。勇者を応援するいたいけな地元の有力者の娘である美少女が、一夜の契りを求めてあなたのところへやってくる、って表面的な誰得設定に鼻の下伸ばして気づこうともせず、ホイホイ乗ったあなたが悪い」
「うっ」
「だいたい。イモ臭いしょうゆ顔の大人の色気も落ち着きもないあなたのような人間に、勇者だからって制服効果よろしく身体を差し出すうら若い美女がいるわけないでしょ」
「あ、な、何それ。アハハ。おいしいもの??」
――――「女神の神託」によって、ヤスは1万の精神的ダメージを負った。
――――MPとTPが0になった。
――――ついでにHPは残り1になった。
「てか、何それ。じゃ、じゃぁ、僕のハジメテは」
片言になりながらヤスは捨てられた子犬のような瞳をして、女神を見上げた。
その体は震えている。
「途中で寝たのはあなただからね? 町中の歓迎パレードでお酒を決戦前夜だからって飲みまくって。そう、つまり――――」
「俺のはじめてが―――――」
「失敗してた、ってことよね。つまり」
「ノオオオオオオオオオオオオオオオ」
百戦錬磨の英雄と称されるに至った現在の基盤を作ったともいえる「美しい想い出」イコール「決戦前夜の記憶」は砕け散った。
精神的な大打撃をクリティカルに受けて、精神崩壊寸前のヤスは床の上に倒れ込んだ。
「うう。ひどいよ。ひどいよママ・・・・。こんな仕打ちするなんて。ひどいよ。僕の何がそんなに憎いんだ。ひどいよ・・・」
異世界に召喚された当時のヤスに戻ったような口ぶりで、彼はぼろぼろと涙をこぼしながら体を打ちふるわせる。
女神イーリスは羽のように軽やかにカウンターを飛び越えて、そっとヤスの近くに降り立つと、その肩を優しくなでた。
「大丈夫ですよ。ヤス。あなたにはいつでも私がいるではないですか」
天井からなぜかピンポイントでスポットライトの光が二人に注ぎ込まれる。
周囲がうす暗いので、まるで舞台のワンシーンのようだ。
「ぼ、ぼく。ぼく・・・」