人間賛歌としてのドラマ『カルテット』
坂元裕二『カルテット』9話
http://hiko1985.hatenablog.com/entry/2017/03/16/143021
今期のドラマは『東京タラレバ娘』(http://www.ntv.co.jp/tarareba/)も良かったのだが、『カルテット』(http://www.tbs.co.jp/quartet2017/)がやはり最高だった。
全員片思いのカルテットドーナッツホールのメンバーは、ドーナッツのように欠けた所があり過去に傷持つ人々である。
音楽もプロにはなれなくて、最終的には趣味として音楽をやっていくのだろうが、その結末は描かれない。
『あなたのダメなところが好きなのに』(正確ではない)というセリフがこのドラマの本質を物語っている。
僕も相変わらず小説家になれそうもないが、趣味として小説を書き続けるのもいいかなと思い始めており、そういう心境のクリエーターにはお勧めです。
何というか、プロになれないから小説を書くのを辞めるとか、それは何か違うのではないか?と思うし、作者が一番初めの読者として自分の小説の結末を見たいので小説を書くのではないか?と常々思ってたりする。
自分で書いてる小説なのに結末が見えないというのは、やっぱり、小説には書いてみないと分からない面があり、意外なストーリー展開に作者が驚く場面も出てくる。
今、万葉歌人の柿本人麻呂について書き始めているが、この人、モデルになった人はおぼろげながらいるのだが、有名なんだが、この時代にそんな名前の人物は実在しない。
おそらく、栄華を極めていた藤原氏や持統天皇に逆らって、記録ごと抹消されたか、左遷されて殺された身分が高い人だったのではないかと推察される。
これだけ有名なのに柿本人麻呂という名前の人物が実在しない、たぶん、別の名前だが藤原氏に遠慮してペンネームを創作して歌を万葉集に載せたんだと思う。
万葉集の編者である大伴家持も古代氏族で武人であり、藤原氏と対立してたし、『かぐや姫』などにもモデルが藤原氏を揶揄するような貴族が出てきたりする。
車持皇子(藤原氏の母方が車持一族)というのがそれだという。
現実の世界の不満や無念を文学の世界で晴らすという非常に健全というか、良くある創作の原点だったりする。
柿本人麻呂のモデルだった人も、実は壬申の乱を大海人皇子(天武天皇)とともに戦った武人だったという。
それで妻の持統天皇にも仕えて宮廷歌人として吉野行幸にも付いて行ったりしているのだ。
というように、まさかまさかの展開というか、柿本人麻呂ってそんな人物だったんだという驚きがある。まだ、最初しか書けてないが。
それはともかく、西内まりやの『CUTIE HONEY -TEARS-』(海外映画のリメイク的ストーリーだが面白いらしい)とか、
https://matome.naver.jp/odai/2147337659855922101
堤幸彦監督の映画『神の舌を持つ男』(深夜低視聴率ドラマの映画化だが、くだらなくて面白い)も興行的には大コケしたらしいが、DVDレンタルで観たいものです。
http://ranmaru-movie.jp/
ネット動画サイトにでもあれば登録して観るかな。