71:人として生きること
投稿時、ちょうどお彼岸の季節でございます。関係ないですが。
――西暦二二〇四年一月十一日
アメリカ合衆国 オレゴン州 ポートランド国際空港
朝六時過ぎ。十二時間のフライトを終え、我々は目的の空港に到着した。
ロビーはとても静かだ。我々のトランクの音が如何にけたたましいのかがハッキリ判るほどに。
「利用客は本当にいませんね」
エリックは少し緊張した面持ちで言った。
「この分だと、タクシーもあるかどうか怪しいな」
「まさか、スモッグの中を歩けっておっしゃるんじゃないでしょうね」
「さすがにそれはないな。任務を果たす前にくたばっちまう」
……と言ったところで、私も若干不安になる。
見渡すと、そこら中の店は閉まっている上に、客だって一人もいない。
私はバッグからスモッグ用のマスクを取り出し、装着した。エリックもそれに倣う。
「行くぞ、エリック。まずはタクシーだ」
「はい」
◆
エスカレーターで五階へ移動する。上層道路用の入り口がここにあるからだ。
下の階に比べると、スモッグは多少見通せる濃度に落ち着いている。人の通りが少なくなった今、下層にはカクテルのように沈殿した汚染物質の層が出来ているはずだ。
「皮肉なものですね。人がいない方が動きやすいというのは」
「自然の摂理じゃないか。何せ、人が環境を悪化させているのだからな」
下層に溜まった汚染物質はやがて土と混ざり合い、長い年月をかけて分解されていく。
無論、我々はその様子を最後まで見届けることは出来ない。等しく土の中へ混ざりあった後の話だからだ。
厖大なコンクリの塊すら砂となり、人類の生きた証が全て消え去った後、めでたく母なる大地は救われる、というわけだ。きっと、その頃には新たな地上の王者が誕生しているだろう。
「地球は、我々人類をいい迷惑だったと思っているでしょうか」
「さあな。そういう声が聴けるのは自分を人間だと思ってない連中しかおらんだろう。……と、いたぞ、エリック。これぞ天の恵みだ」
白いスモッグに紛れるイエローキャブ。
私が軽く後部座席のドアをノックすると、運転手は暇つぶしにいじっていたタブレットを脇に置き、パチン、と後ろのトランクを開けてくれた。
「おや、珍しい。こんな時間にお客さんが来ようとは」
痩せた初老の運転手は、手早く我々の荷物をトランクに詰め込んでくれた。
「私もタクシーは諦めようと思っていたんだが、まさか本当にこんな場所で真面目に働いている方がいようとは」
運転手は軽く笑い飛ばした。
「まぁ、このご時世、やることもないのでね。……さあ、どうぞ」
我々は二人とも後部座席に乗り込んだ。
運転手はサイドブレーキを外し、直ぐにタクシーを走らせた。
「それで、どちらへ行けばよろしいですかな?」
私は、VR・AGES社から二キロほど離れた住宅地を指定した。
「そこに親戚の家があってな。既に居ないかもしれんが、頼まれごとがあるんだ」
「なるほど。そうでしたか」
理由としてはベタだが、プルステラへ移住する者が、現世に残った親戚や知人に、意味も分からないような頼まれごとをするケースは多い。
例えば、テーブルの上に置き忘れた眼鏡を引き出しに入れてくれ、とか、洗ってない食器を綺麗にして片づけてくれ、とか。
自殺願望の者が身の回りを片づけてから命を絶つのと同じことだろうか。
……いや、違う。
プルステラへ旅立つのは人類の大半である。地上には人間がほとんど残らないというのに、残された者に身辺整理を頼むというのは、どこか矛盾している気がしてならない。つまり、親族に迷惑をかけないという理由の身辺整理とはわけが違う。
本当に放っておいてもいいぐらいの、どうでもいいちょっとしたことを、現世に残った知人にこう頼むのだ。――どうせ暇なんだから、暇つぶしにやってみたら? ――と。
まるでRPGのお遣いのように、残された連中はどうせやることもなし、遊び半分に気軽に引き受ける。しかも、お遣いは遠ければ遠いほど楽しみ甲斐があるってものだ。
長い旅を終え、目的地に辿り着き、ただスイッチを押すだけのように簡単な仕事をやり遂げる。その後に得られるものは、言い知れぬ爽快感だけなのだろう。
「私もいくつか頼まれたんですよ」
運転手が笑いながら言った。
「そのうちの一つは、他の皆さんと違って完全に仕組まれたものでしたよ。家のどこかに未開封の高級なコーヒー豆を隠しておいたから探してみて、って、十歳の孫がわざわざ手の込んだお遣いを考えてくれたんです。私が退屈しないようにね」
「ご褒美があるだけ充分じゃないか。それに、お爺ちゃん想いのいいお孫さんだ」
「ははは。ありがとうございます。でも、実はまだ見つけられていないんですよ」
「ほう? そんなに難しい場所に隠したんで?」
「いえいえ。もう少し寝かせておこうかなと思いまして。見つけたら、私にはやるべきことが無くなってしまいますから」
聞いてしまってから、私は後悔した。
今、こんな話を、聞くべきではなかったのだ。
「さあ、着きましたよ」
運転手は言った。
私はエリックに先に降りるよう促した。
「珍しいお客さんに免じて、お代は結構です」
「それは助かる」
私は迷わず指を引いた。
さほど大きな音ではないが、外にいるエリックに報せるには充分過ぎる合図だった。
「大佐!!」
エリックが血相を変えてドアを開けた。
私は反対側のドアから外へ出て、車の前方に回り込んだ。
汚れずに済んだフロントガラスからは運転手の左手に握られた拳銃が垣間見え――それは、ぼんやりとした朝日を受けて鈍く光っていた。
「何故、何故こんな酷い事を……ッ!!」
例によって、エリックはヒステリックな声を挙げた。
「既にこの街はVR・AGES社の息が掛かっている。リスクは少しでも軽減させなくてはならないのだ。見つからんように死体だけは処分するぞ」
「あなたって人は……!」
私は運転席から彼の死体を引きずり出した。
「さあ、手伝うんだ。日が昇りきる前にな」
エリックは何も言わず、おもむろに運転手の足首を持った。
既に関係者となった以上、彼にはそうするしかないのだ。
「……どの道、生きているのも辛いことだ」
私は呟くように言った。
「何故、そんなことが言えるんです?」
「この男には何も残されていないのだ。死ぬ勇気も無ければ、生きる喜びを見つけようともしない。ただ、生物学的な欲望に従って生きているだけに過ぎん。
孫が考えたゲームをクリアしてしまったら、その瞬間から、人として死んでいるということを頭で認めてしまうのだからな」
エリックは眉を寄せたまま私の目を見つめた。
「それじゃあ、現世に残っている者は、皆死んでいるとでも言いたいのですか?」
「そうだ。生きたいと強く願うのなら、どんな手段を用いてもこの死んだ世界から抜け出そうと思うだろう。例えその移住先が、魂だけを移すというプルステラでも、な。
逆に、それが死後の世界だと言い張っていたお前の妹ですら、プルステラへ旅立った。
彼女は考え抜いた末に認めたんだ。現世こそが死の世界であり、プルステラこそが新しい生命の地であると」
エリックは目を逸らした。
「……エリカは無神論者でした。理に適っていないことには興味を示さない子だったんだ」
「むしろ、理に適っていないのは現世の方で、プルステラではなかったのだ。当時の彼女はそう思って移住を決めたんだろうな。……無論、これは私の推察だが」
エリックは頷き、私の言葉を認めた。
「でも、今は違います。プルステラは異常を来している」
「或いは、それこそがプルステラの仕様なのかもしれんが、何者かの意志の下、あらゆる異変が――『移住者』にとって異変と感じている何かが起きている、ということだけは間違いない。
忘れるなよ、エリック。その異変を解明し、必要であれば原因を断ち切るというのが、現世に残された我々の仕事なのだ。そのためにわざわざ手段を選ぶ必要はない。迷ったら、人として生きようと移住を決めた、大勢の『人間』の事を思い出せ」
「…………はい」
こんな話をしても、エリックには、もう一度ぐらい怒鳴られるだろうな。
……場合によっては、殴られる覚悟も持っておかねばなるまい。
やれやれ、真面目過ぎるというのも考えものだな。
そこが、彼のいいところでもあるのだが……。
◆
運転手は近くのゴミ捨て場に袋詰めにし、廃棄した。
衛生上、或いは人道的にも良くないだろうが、誰も見に来ないだろう。
万が一、何者かに見つかることがあっても、その時には全て終わっているはずだ。
我々は、引き続き遺留品と呼べるタクシーでVR・AGES社を目指した。
運転は私自ら行っている。死人が座っていた席には、エリックも座りたがらないだろう。
「エリック。お前は、妹さんと違って信心深いのか?」
助手席のエリックはふてくされたように顎に手を乗せ、外の薄白い景色を眺めていた。
彼はしばらく答えずにいたが、やがて静かにため息をついて答えた。
「……信心深い、というわけではありませんが、並と言っておきましょう。死んだ人に対して祈るぐらいのことはしますよ」
「それでいい。罪深いのは私だけで充分だからな」
「ええ。あなたは既に穢れきっています。だから、私が傍について代わりに祈らなければ、あなたは救われないでしょうね」
「……言うようになったじゃないか」
景色はだだっ広い、のどかな住宅地に変わっていた。
確か、近くには有名な大学があったはずだ。
探すまでもなく、その建物はでかでかと風景を壊すようにそびえ立っていた。
「何故、こんなのどかな場所に建てる必要があったのでしょうね」
エリックがそのビルを窓越しに見上げながら言った。
「大都会である必要はないからだ。何故なら、VR技術まで発展した今、世界中は情報の網の中で何でも出来るようになったからな。
そして、昔から尊厳死に寛容なオレゴン州と来た。これほど研究しやすい土地は他にないだろうな」
目立たない場所でタクシーを停めた私は、タクシーに寄りかかってそのビルを直に見上げた。エリックもそれに倣う。
「都会並に大きなビルですね。てっぺんが見えませんし、百階は超えているでしょうか」
「だろうな。あの中には住宅施設も療養施設も備わっている、一種のオフィスタウンだからな。それに、社員のセキュリティを保つために、プルステラが完成しても決して内部の人間を外に出させていない。入社した経緯を知る家族も、そこへ引っ越すのを義務付けられているぐらいだ」
「では、そこで働く人が誰であるかは、外部の人間には知る由もない、ということですか」
「そうだ。だから、『首謀者』の名前すら判明していない」
「そんな万全のビルに、どうやって立ち向かうおつもりですか、大佐は」
エリックの言う通りだ。ただのビルディングではない。ビルそのものが街規模になっているのだ。
今やNASAにも匹敵する巨大な施設に対し、如何に潜入するか。これから時間をかけて準備しなくてはならないだろう。
「今も、中には人が大勢いるのでしょうか?」
「ブレイデンの情報では、既に内部の人間のほとんどがビル内に設置されたアークでアニマリーヴを終えたらしい。個々の意志かどうかは定かではないがな」
「これだけ充実した場所でも、アニマリーヴをしたがるんですね……」
私は、無意識に無精髭の生えた顎を手でなぞった。
「逆に、いくら環境を整えた場所でも、外の空気すら吸えない辛さというのはあると思うぞ。その分、VR世界は隔たりがないからな。感覚を麻痺させてでも自然を満喫したいと思うだろう」
「……気持ちは、判る気がします」
「残っている連中は相当風変りな連中か……或いは、重役のいずれかってことだ」
私は、VR・AGESビルに背を向けて移動を開始した。
エリックは慌てて私の後ろに付いてくる。
「大佐、一体何処へ?」
「空き家を拝借する。まずは作戦を練るぞ」
「分かりました」
あのセキュリティを突破するには、もう一人協力者が必要だ。
既に連絡済みではあるが、さて、どうなることやら……。




