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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section5:守護者
43/94

42:ヒトに焦がれた人形

元7章の部分はこちらに移動してきました。それに合わせて、以降の8章の話数はズレます。

 ――二二〇三年十一月三日。イギリス、ロンドン市内。


 その日、ぼんやりと白い天井を見上げながら、我が身に起こった事を何度も何度も振り返っていた。


「…………はあ」


 誰もいない病室で溜め息を洩らす。聴いてくれる者は誰もいない。


 最初で最後の任務だった。私は、たったそれだけのために生まれ、目的を成すために命を削った。

 この肉体は、激しい運動によって寿命を消費する。何もしなくても最長で十五年しか生きられない紛い物の身体だ。ヒトと同じように成長するくせに、ヒトよりも早く衰えていく。

 だから、生まれた意味を成さぬまま死んでいくよりかは、私を必要としてくれている誰かのために命の灯火を費やしたいのだ。



 ──CASE:JULIET



 ──暫く気を失っていた私は、静かに運ばれていく担架の中で目を覚ました。

 昨日の事だ。時間は……判らない。病院内の静けさからして、多分深夜だっただろう。

 狭い視界でぼんやりと目に映ったのは、エリック・ハミルトンだった。


「……エリック」


 小さく呼びかけると、彼は、はっと私を見下ろして、安堵の溜め息を洩らした。


「……ああ、ジュリエット。良かった。気がついたんだな」


 彼は、私を「ジュリエット」と呼んだ。

 実のところ、彼とは先輩後輩という関係で長い付き合いになるのだが、一度もちゃんとした名前で呼ばれた事は無かった。

 「ホワイト」や「シルク」とさえ、呼ばれなかった。大佐が名を付けるまで、私には正式な名前が無かったからだ。


「エリック。私、やり遂げましたよね……?」


 私には、漠然とした不安が付きまとっていた。その原因は多分、この脈打つ痛みを感じる、左足にあるのだろう。

 エリックは、そっと私の髪を撫でた。


「……大丈夫だ。本当に良くやったな。……それと、色々とすまなかった。キミ一人を巻き込んでしまって」


 その言葉だけでも、私は救われた気分だった。

 私は、自分でも顔が綻ぶのを感じながら、小さく首を振った。


「いいんです。私は、その為に生まれてきたのですから」


 エリックは初め、憐れむように私を見下ろしていたが、やがて、苦笑混じりの笑いに変わると、気取った木製のフルリムの眼鏡にぽつりと、小さな滴が落とされた。

 彼は、眼鏡を取ってレンズをハンカチで拭きながら、


「あぁ、そうだ」


 と、誤魔化すようにして、何かを思い出した。


「大佐から言伝てがあったよ。約束通り、願いは叶えてやると」

「ご無理をなさらなくてもよろしいのに。でも、折角なのでお受け致しますわ。大佐に叶えられるのか甚だ疑問ですが」


 相変わらず私は、大佐を小莫迦にしている。

 私とは別の私が、大佐にはこのぐらいのセリフが丁度いいのだ、とけしかけていた。

 ……私は、素直じゃないのだ。客観的に見れば、俗に言うツンデレというヤツに違いない。


 エリックは、そんな私の毒舌に、ほんの少しだけ笑ってくれた。彼は彼で、私の味方をしてくれるようだった。


「その、願いと言うのは?」

「あら。あなたも知っているはずですよ、エリック。私は人間になりたいんです。人間としての機能を充分に持ち合わせた、正真正銘の人間に。こんな軍事に関わらず、自由気ままに生きていく……それが、どんなに嬉しいことか」


 叶うはずがない。

 ヒトとして生まれてきた人間に、例えば、馬になりたい、だなんて。

 いくら遺伝子工学が発達していても、そのような無理は通せない。それは、私についても同じことだ。限りなくヒトに近付いた身体でも、ヒトとして生きることは許されない。──そのように、創られていないからなのだ。


「それは……()()()をご所望なんだ?」


 ……なのに、エリックは二度も問いかけてきた。

 同情なのか、その先を訊く事に意味はないはずなのに。


 でも、その問いかけには、少なからず「可能性」が見えていた。


「どっちって……現世か、プルステラか、と言う事ですの?」

「ああ、そうだ」


 つまり、()()()()()()なのか。

 私は、何となく理解した。大佐には、それだけの力がある、ということだ。


「それは……、少し考えさせて下さいな」



 ***



 もし、現世で生きると答えたなら、生体兵器としての機能を外し、肉体を再改造する、ということになる。寿命については、延命出来るのか予測がつかない。

 もし、プルステラで生きると答えたなら……それは言うまでもない。


 無理難題を押しつけて断られるより、大佐の出来る範囲で、と考えてはいたが、エリックの質問が可能性をもたらしてくれた。

 後は、私自身が変わるための、勇気が要る。


 ベッドの下に目を落とすと、直ぐそこに車椅子があった。

 ……残念なことに、そいつは左側に置かれている。

 私は、ゆっくりと体勢を換え、右足からベッドを下りた。

 慎重に左足を引き抜くと、棒のように直線になった私の脚が目に映る。足首にはぐるぐると厚めの包帯が巻かれていた。

 右足でひょこひょこと車椅子に向かうが、それだけの力を出すのもやっとだ。

 私が持つ力は、あの日に全て使い切ってしまっていた。


 地面を蹴り、背面飛びで倒れ込むようにして車椅子に腰を落とした。

 ブレーキを外し、ハンドリムを回す──そこまでは、多少力の要る作業ではあったが、今の私でも、何とかこなせるものだった。


 誰もいない病室を抜けると、そこは様々な人が往来する、極々一般的な、病院の通路だった。

 一般人として扱われたのだ、と思うと、それだけで私は嬉しかった。


 しばらく通路を進んでいると、前方から担架が運び込まれてきた。


「すみません! 担架通ります!」


 看護士の女性が叫ぶ。

 ガラガラとけたたましい音を立てて運ばれる間も、患者は口許に酸素マスクをあてがわれ、苦しそうに喘いでいた。


 僅かな出来事だった。

 今にも死にそうな患者は、手術室へと運び込まれていった。

 怪我、というわけではなさそうだ。恐らくは大気汚染病の患者だろう。


 ……私は、その様子を、冷やかに見つめていた。

 私のなりたい人間というものは、愚かだった。自ら蒔いた種で、自分を滅ぼしている。

 それなのに人間は、人間である事を止めると言うのだ。アニマリーヴという方法を用いて。これを愚かと言わず、何だと言うのだろうか。


 ──なのに私は、そんな人間になることに今も憧れている。


 いや、憧れているのは、自然の摂理という加護だろうか。

 天から授かった、ヒトとしての当然の権利を受け、ヒトらしく世界に生きる。こんな、紛い物の生体兵器なんかではなく。

 なれるものなら、動物だっていいかもしれない。それだって、生きているという実感が湧くものだ。


 そう考えた時、結論は導き出されていた。

 もはや、この世界で、私が生きる意味はない。

 例えば、この世界を人間に見立てた場合、それは、私のように人間の手にかかり、尚且つ、穢されたモノに過ぎないのだ。


 救いようのないぐらい、真っ黒な世界。

 終末へ向かうだけの、力を失った文明。


 せっかく人間として生まれ変わったとしても、滅びゆく世界を前に、一体何が出来ると言うのか。

 人間という種は、間もなくこの世から消えて無くなり、人間が残した遺産が風化していくまで、ただただ、時だけが過ぎていく。そんな世界に生きて、何が得られるというのか。


 だったら、この際、同じ紛い物でも構わない。

 私は、あの世界で生きていこう。

 どの道私は、このままではもう、長く生きられないのだから。



   §



 その日のうちに、連絡をして迎えに来てくれたエリックが、直ぐに私を連れ出してくれた。

 車を走らせて、四十分程度。

 再び車椅子に戻された私は、エリックの手で、作戦会議を行った、あの雑居ビルの事務所へと運ばれていく。

 そうしている間、まるで私がお姫様(プリンセス)で、エリックが騎士(ナイト)のようだった。

 それも悪くないわね、と内心ニヤニヤする。


「ジュリエット!」


 会議室に待機していたオーランド大佐は、席から立ち上がると、私の前で跪き、私の頬を両の手で挟み込むようにして撫でた。

 まるで、おじが、久々に会った姪にする挨拶のようだった。……そういう話をどこかで読んでいた。


「良く来たな、ジュリエット。具合はどうかね?」


 大佐も、私のことを「ジュリエット」と呼んだ。任が解かれたからだろう。


「ええ。だいぶ良くなりました。足の方はまだ、鎮痛剤が必要ですけれど」

「それだけの大怪我をしたんだ。しばらくは痛むだろう。……本当にキミには――」


 頭を下げる大佐の口を、私は、人指し指で封じた。


「大佐。その手の話にはもう、聞き飽きました。……いいのです。私は、成すべきことをしたまでなのですから」

「そ、そうか……」


 大佐は、少々気まずそうに頭を掻いた。


「それで、ジュリエット。今日来たのは、例の報酬の件だな」

「ええ。答えが出ました。プルステラへ行かせて下さい」


 大佐は、プルステラの事を心底疑っている。

 とは言え、現世と比べれば、まだマシな方とも考えているようだった。


「本当にそれで、いいんだな?」


 大佐は、真っ直ぐに私の瞳を見つめた。覚悟を確かめているようだった。


「構いません」

「実際にカプセルに横たわった人を見ても、そう言えるのか?」


 それは、私にしか知り得ない事情だった。

 実際にアニマリーヴの過程を踏み、潜入したアーク内部。

 仮死状態で眠る人々。

 本当に魂が移された、という実感は、ない。

 それでも、あの楽園が本当に存在するのであれば、確かにプルステラへと移されたのだろう。


「私の夢が叶えられるのは、今は、あの世界しかありません。……なら、ただ死んでいくよりも、多少妥協したって、今よりもヒトに近しい存在として生きられるのなら、私はそれを願います」


 妥協だった。

 もはや、百パーセント、人間として生きられる道はない。

 だったら、仮想世界でも何でも構わない。せめて、この(アニマ)が人間として生まれ変われるのなら……それで構わない。


「……分かった」


 オーランド大佐は、目を閉じてゆっくりと頷いた。


「それならば……すまないが、もう一つだけ頼まれてくれないか。今のお前にしか、出来ないことだ」


 私は、露骨に嫌そうな顔を向けた。


「もう一本の足首を折れ、と言われても、断れないんでしょうね。アレだけの働きをしても、まだ何か足りないとおっしゃるのですか?」


 大佐は、慌てて手を振った。


「いや、そういうわけじゃないんだ。キミがやってきた任務の意図は把握しているな?」

「現実世界からプルステラへの通信を可能にする……確か、そういうことでしたわよね?」

「そうだ。故に、既に顔を知られてしまったキミを、ここからアニマリーヴ出来るようになった、というわけだ。そういう意味では、キミはキミのために働いていた、ということにもなる」


 ……言葉では、どうにでもなるじゃないか。

 口にはしないが、心の中で悪態をついた。


「……では、あと、何が足りないのですか?」


 私は、口を尖らせ、ぶっきらぼうに言い放った。


「今度は、プルステラから現実世界へ通信するための手段だよ、ジュリエット。それを実現するには、向こう側からデータを発信するための鍵が必要なんだ」

「……つまり、私が中継機にでもなる、ということですか」

「いや、違う。キミはプルステラにいる、ブレイデンが探していたウィザードを見つけ出すんだ。そいつに、あらかじめキミのインベントリに入れておくツールを渡せば良い。相手はそれを受け取った地点で全てを理解してくれるだろう。……それ以外に手を加えるつもりはないし、後は何もかも忘れて、自由に暮らして構わない」


 新しい身体にどうこうするわけではない、と言うのなら、特に拒む理由も無かった。

 理由も筋が通っているし、そうしなければ相互通信が不可能というのも事実だ。


「なるほど。『お遣い』ですか。そういうことでしたらお引き受けしましょう」

「ありがとう。頼んだぞ」

「……でも、そんなことをして、大佐は何がしたいんですの?」


 大佐は、ようやく立ち上がり、近くの手頃なパイプ椅子をわざわざ引っ張ってきて逆向きに座った。


「真実を知ることだ。まだ、誰にも知られていない秘密が、間違いなく、存在する。相互干渉さえ上手く行けば、ヤツらのブラックボックスを解き明かす事も可能になるだろう」

「……そっとしておいてあげないのですね、大佐は」


 新たな人生を迎えた人々に、危険を晒すような真似を。

 ただでさえ、プルステラへ移住した移民達は、VR・AGES社の人質になっているというのに。


 大佐は、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「不安要素は丸ごと取り除きたいのだよ。それさえ出来れば、私も仕事を終え、喜んでプルステラへ行けるのだがね」

「つまり、物件の下見と、不良箇所の改装ですね」


 私は皮肉たっぷりにそう言ってやった。

 大佐は疲れたような、呆れたような顔で肩を竦めた。


「まあ、そういう事だ。……手順に関してはブレイデンから説明がある。他に要望や質問はあるか?」


 上手く丸め込まれたような気はするが、一応世話になったのだから、そのくらいの事はしてあげよう。

 任務については問題ないだろう。後は……。


 私は、長く伸びた前髪の一房を摘み、目の前に持ってきた。

 それは、絹のように、さらりと透き通った白色だった。


「……大佐。もし、出来るのでしたら、あちらでの髪の色は、黒髪か、金髪(ブロンド)がいいですわ。この白い髪は、造られた証なので」

「ああ……それもそうだな。……ブレイデン、問題ないか?」


 大佐は振り返り、PCの影に隠れた人物へと呼びかける。

 そこから、もったりとした声が返ってきた。


「もも、問題、ないねえ」

「……だそうだ。なら、キミには金髪を差し上げよう。黒髪よりはきっと、似合うはずだ」


 どういう基準でそう思ったのかは、深く考えないことにした。

 金髪も、憧れのヘアカラーだった。


「ありがとうございます」

「よし、では、ブレイデンから説明を受けたまえ。私もキミのために、旅立ちの準備をするとしよう」



   §



 ……ブレイデンの言葉は、理解に苦しむ喋り方だ。

 それでも、何とかレクチャーを受けること一時間。

 私がやるべきことは、存外複雑である事を知った。……やられた、と思った。


 しかし、どこか愉しそうでもある。

 こんな任務、今までにこなした事が無かった。例えるなら、本気で娯楽をやれ、と言われているようなものだ。


「……と、とと、と言うワケだから、きき、気を付けてねぇ」

「ええ、分かりましたわ」


 長いレクチャーが終わり、私は、ほうっと一息ついた。

 振り返ると、エリックが同情するように目配せをした。


「では、ジュリエット」


 話が終わった、と判断した大佐が、自分の席から指示を出した。


「そこのベッドに横になってくれ」


 大佐が指したのは、ブレイデンの目の前にある、部屋に入った時から違和感を覚えたソレだった。

 ベッド、とは言うが、僅かにVの字に曲がった、美容室か歯医者で使うような革製の椅子ではないか。

 私は、エリックにお姫様抱っこで抱えられ、そこに寝かされた。


「あのカプセルほど快適な造りにはなっていないが、急にこしらえたものでな。有り合わせの素材で造った」

「ちゃんと機能しているんでしたら、そこまで贅沢は申しませんわ」


 ふふんと鼻で笑いながら嫌らしく告げると、大佐は、むっとなって顔をしかめた。


「……相変わらずの毒舌だな」

「こちらは命を賭すのですから、それくらいの事は我慢していただきたいものですわね」

「分かった分かった。……それじゃあ、その……東南アジアで造る竹籠のような物体を、頭に被ってくれ」


 大佐がヤケになって「ヘッドギア」を指差した。

 私は、笑いを堪えながらソレを頭に被る。


「キミの手元にあるボタンがアニマリーヴ用のスイッチだ。コイツばかりは()()()()()()再現している。キミの好きなタイミングで押したまえ」


 ――忠実?

 右の手元に飛び出している、棒状の赤いボタンに目を移す。

 ……ああ、なるほど。これは昔の車のサイドブレーキだ。確かに、押し応えはそっくりかもしれない。


「では、これで本当のお別れですね」


 別れ、と言うには余りにも頼りない面子ではあるが。

 私には、これが、唯一の家族のようにも思えた。


「エリック。あなたには、本当にお世話になりました」


 私は、長身の彼に礼を述べた。

 エリックは、身体を折って頭を下げた。


「いや、僕の方こそ、色々とキミに負担をかけてしまった。申し訳ない」

「あなたが謝る必要なんてありませんわ。……それと、妹さんの事、私が代わりに気にかけておきましょうか。エリカ、でしたわよね?」


 エリックは……それまで顔色を変えなかったエリックは、途端に堅い表情を崩し、私の手を、何かに懇願するように、両手で暖かく包み込み、軽く口づけをした。


「そう、エリカだ。エリカ・ハミルトン。……ああ、ジュリエット、本当にありがとう! もし、彼女に会う事があれば、赦してくれと、一言そう伝えて欲しい。それだけで、伝わるはずだ」

「ええ、分かりました。時間は充分にありますし、いつかきっと、探し出してみせましょう」

「ああ。頼んだよ」


 エリックは、手を放した。心なしか、彼の表情は、いつになく明るく見えた。


「大佐も……ブレイデンも、どうか、お元気で」


 そっちの二人は、何も言わなかったが、手を挙げ、小さく頷いた。

 私は、目を閉じ、決して快適とは言えない椅子に頭を埋め、硬いサイドブレーキのボタンをぐっと押した。


 これで今度こそ、私は、本当の意味での「死」を迎えられる。

 新しく生まれ変わり、新世界の人間として生きていくのだ。


 ――さようなら。皆さん。

 さようなら。私の、桑の木人形(マルベリー・ドール)


2018/04/13 改訂、改稿

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