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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section4:遺されたメッセージ
30/94

29:仮想世界の中の仮想世界 - 1

 西暦2203年10月30日

 仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第0631番地域 第553番集落




 ──CASE:HIMARI MIKAGE




 十月最後の日曜日、お見舞いに来てくれたミカルちゃんが「約束の新作」と称して濃い橙と黒が目立つ服を持ってきた。……広げなくても判る。これは明らかにハロウィン用の衣装だ。

 ずっと気分が落ち込んでいたわたしは、とてもそんな気になれなかった。……とは言え、運動会の時に期待をかけ、心配までかけてしまったのは自分だし、折角の申し出を断るのも悪いので、言われるがままに着替えてみた。


 ジャンク・オー・ランタンをイメージしたパーカーだ。二つの胸ポケットはつり上がった三角の目に、お腹のポケットは巨大な半月型の口のデザインになっている。中央のファスナーを閉じれば胸元に収まる深緑の大きなネクタイとなり、肩の緑のアップリケと合わせるとカボチャのヘタになった。

 まだ被っていないフードには紫色の大きなトンガリ帽が付いている。フードにもお化けの目鼻がデザインされているが、口はないようだ。

 袖や裾はコの字縫いで見え隠れする太めの黒い紐できつく縛れるようになっていて、まるで給食の配膳用のスモックみたいだ。紐の先には小さな丸い木製の留め具が二つずつあって、これもそれぞれが小さなカボチャのお化けになっていた。

 ズボンは割と普通の赤茶色の短パンなのだが、阿弥陀状の縫い目が何となくレンガの継ぎ目のようにも見える。足下はパーカーと同じ濃い橙と黒のボーダー柄のタイツ、靴はわたしがデザインしたショートブーツで合わせた。


 一緒に鏡を見ながら調整していると、ミカルちゃんは目を輝かせながらわたしに命じた。


「ヒマリちゃん、フード被ってみて!」


 言われた通りに被ると、わたしの顔が、もあーっと開くフードのパンプキンの口替わりになった。ミカルちゃんが裾を腰のラインに合わせ、紐を縛ってくれる。すると、まるでズボンという鉢植えからはみ出た親子パンプキンが二段重ねになったように見えるのだった。


 ミカルちゃんはそんなわたしの姿を見てご満悦のようで、唐突にぎゅーっと抱き締めてきた。


「んーっ! 会心の出来だわっ! ヒマリちゃんらぶー!」

「ちょ、ちょっとミカルちゃんってば……」


 わたしは恥ずかしさに顔を真っ赤に染めながら、心拍数が急激に上がっていくのを感じた。

 ――ああ、やばい。このままだと発作が……。


 急に力が抜けてへなへなと崩れ落ちるわたしに、ミカルちゃんは慌てて手を放した。


「ご、ごめん、ヒマリちゃん! 苦しかった!?」


 何とか首を振って「大丈夫」と答える。数回胸を押さえながら深呼吸を繰り返し、わたしはようやくベッドに腰掛けた。


「……いつまで、こんなのが続くのかな……」

「ヒマリ……ちゃん……」


 わたしは、ずっと大事に抱えていたあの青いフレームを手に取り、まだ記憶があることに安堵の溜め息をつく。

 事情を知らなかったミカルちゃんは、横から覗き込んで来て、不思議そうに首を傾げた。


「……そっか、ミカルちゃんには言ってなかったね。わたし……ここに来たときに事故で……」


 と、言いかけたところで、ミカルちゃんはわたしの手を両手で取って言葉を遮り、小さく頷いてみせた。


「…………うん。ヒマリちゃんのお母さんから聞いたよ」

「え?」

「レンやコウタには内緒だったみたいだけど、無理言ってお願いして、詳しく教えてもらっちゃった」


 いつの間にそんなことが。

 つまり、ミカルちゃんはここに来る前から、既に知っていた、ということになる。


「……その……わたしのこと……イヤにならない?」


 ――だって、わたしは……元々男だったのだ。

 だというのに、ミカルちゃんは笑顔で首を横に振った。


「ううん、なんで? ヒマリちゃんはヒマリちゃんじゃない。元が誰であっても、あたしにとってはヒマリちゃんだもの。それに……」


 ミカルちゃんはわたしが持っていた青のフレームに顔を近づけた。


「この頃って、同じぐらいの歳だよね。……ヒマリちゃんってわりとイケメンだったんだね。こっちでも惚れ直しちゃう……かな」

「え……えぇっ!?」


 さりげなくアブノーマルなことを言うミカルちゃんは、誤魔化すように笑いながら立ち上がった。


「ふふっ。明日、ハロウィンだから楽しんでね、ヒマリちゃん。集落では新しい移民さんが来るから忙しくて何もないみたいだけど」

「え……う、うん。そう、だね」


 もはや、どう反応していいか判らないわたしを面白がっているようで……。


「じゃあね。元気出さなきゃダメだよ」


 嵐のようなその子は、それだけ言って去っていった。



   §



 十月三十一日。今日はハロウィンであり、新たな移入民がやって来る日だ。

 集落では、このタイミングを狙ってハッカーが何か仕掛けてくるかもしれない、と警戒を高めている。パパは朝早くから出勤し、まだ建設中の壁を完成させるべく作業を急いでいた。


 わたしは昨日から同じコスチュームのまま一晩を過ごしてしまった。ママからも可愛いと誉められて悪い気はしないのだが、やはり何かする気力がなく、今日だって学校を休んでしまっている。

 お兄ちゃんはわたしのことを気にかけながらも、いつものようにゲンロクさんの所へ向かった。残されたのはわたしとママだけで、朝食が終わると、食器を片付けているママの後ろを通り、二階へ上がってベッドに転がった。

 ぬいぐるみの代わりに青いフレームを抱く。わたしにとってはお守りのようなものだ。絶対に放したくないし、失いたくもない――そんな気持ちが一層、記憶を失う不安を駆り立てた。


 そうこうしている間に昼となり、わたしはフレームを元の場所に置いて昼食を食べるために階段を下りた。

 ……こんな生活が駄目なのは分かっている。だけど、わたしは病人であって、健全な小学生ではないのだ。

 ママもどうしようもない、と言っていた。治療法を見つけるために奔走してくれてはいるが、いつになるかも全く判らない。


 一階に着くと、ママの姿がどこにもなかった。


「……ママ?」


 呼びかけても返事がない。何か作ろうとしている最中だったのか、まな板の上にタマネギと包丁が置かれたままだ。となると、外へ外出したのだろう。


 わたしはブーツを履いて、おもむろに外へ出た。すると、途端に広場の方角から、わっとしたざわめきが聞こえてきたので、もしやと思いながら、フードを目深に被り直して早足で広場へ向かった。


 それは、昨日ミカルちゃんが言っていた通り、新しい移入民達の来訪だった。

 わたしがここにやって来たのと同じ場所で、何もない空間から次々とあの麻の服を身にまとった人が現れている。彼らはキョロキョロと周辺を見回しながら、花束を渡すなど、手厚い歓迎を受けていた。七月の時には全く無かったものだ。


「こんにちは!」

「ようこそ、いらっしゃいました!」


 皆が次々と拍手で迎える。歓迎された移入民達は恥ずかしそうにペコペコと頭を下げ、横に捌けていく。

 そんな中、集落の入り口付近で別の騒ぎが聞こえてきた。まさか、と思った集落のみんながはっとした表情で顔を向ける。


 嫌な予感がして、わたしはなるべく走らないように気をつけながら早足でその方角へ近付いた。

 そこに、どこか見覚えのあるマントを纏った人が警官に銃を向けられ、やれやれと諸手を上げていた。それは、別の意味で心配になる場面だった。


「……なあ、もしかしてこの人、ユウリさんが言っていた……」

「ユウリさんが来るまでは油断するな。罠かもしれない」


 どうやら、「その人」かどうかで揉めているらしい。


「あの、おまわりさん」


 わたしは警官の一人の裾を引っ張った。


「その人、わたしの友達です」

「ヒ、ヒマリちゃん!? じゃ、じゃあ、この人がユウリさんの言っていた……」


 マントの人がフードを外した。女性だった。

 燃えるような赤い髪に、大きな耳と大きな尻尾。両手両足は大きく、まるで犬のよう――。


「もしかして、マリー!?」

「……もしかしなくても、エリカだよね?」


 互いに指差し、これで間違いない、と確信した。

 わたし達は近付いて抱き合い、ようやく会えたことを喜んだ。


「ハッピーハロウィン! マリー、とってもキュートな服ね」

「あ、ありがとう。エリカ、よく来たね」


 そこへ、ママが遅れてやって来た。わたしとエリカの様子を見て、直ぐに事情を察したらしい。


「えーと、ユウリさん。実はちょっとお話したいことがあるんですが」


 若い警官の一人が言った。「何かしら?」とママが顔を向ける。


「この方、しばらくここで滞在するんですよね。治療ってことで」

「ええ、そうだけど?」

「……申し上げにくいんですが、滞在には手続きが必要でして、そのことを説明するのを忘れてました」


 ママは思い当たる節でもあったのか、はっと口を押さえた。


「滞在許可……そうだったわね。……ええと、エリカさん……ヒマリも、ちょっとこっちにいらっしゃい」


 わたし達は互いに顔を見合せ、ママのところに近付いた。

 ママはDIPを素早く操作して、見たこともないメニューから何かを取り出した。


「実はね、これはどこの集落でもそうなんだけど、集落の外の人がこちらの家に滞在する場合、滞在するための許可が必要になるの。というのも、各家庭には高度の自動セキュリティーシステムが設置されていて、許可のない部外者を家に通すとアラートが鳴る仕掛けなのよ。それを放置しておくと、いざという時にエリカさんか別の侵入者かの見分けが付かなくなっちゃって、セキュリティーの意味を成さなくなるわ。だから、何らかの形で滞在の手続きをしなくちゃならないってわけ」

「えっと、それなら、手続きをすればいいだけの話なんじゃない?」

「……ところが、そう簡単にはいかないんだよ、ヒマリちゃん」


 と、先程の警官が前に出て述べた。


「家に滞在するには、集落の人、つまりどこかの家の住民として認められなければならないんだ。だから、最低でも家族である必要がある。……ところが、義理の家族で登録すると、今直ぐ、というわけにはいかないのさ。多分、エリカさんは通ったと思うが、セントラル・ペンシルという所でその処理の承認を行うんだよ」


 エリカは、あぁ、と頷いた。


「なるほど。先に確認すれば良かったですね。私も何度か他人の集落にはお邪魔してたのですが、家には入らなかったもので気付きませんでした」


 ママは軽く頭を下げた。


「……ごめんなさい。私が気付いていれば良かったのに。……おまわりさん、他に方法はないの?」


 警官は少し考えてから、重々しく口を開いた。


「その、義理、でなければ直ぐに通りますよ。ただ……」

「ただ?」

「……方法としては『ペット』しかありませんが」


 わたしとママ、エリカはほぼ同時にぽかんと口を開けた。

 僅かな沈黙の後、エリカだけが腹を抱えて笑いだした。


「はははははっ……! ええ、それでも構いませんよ。猟銃で撃たれるよりか、ずーっとマシです。私自身、犬でもありますし」

「エリカ……」

「マリー、そんな顔をしないで。私は感謝してるのよ? あなたが誘ってくれなかったら、私はずっと一人で住むしかなかったもの。ペットだって何だっていい。あなたが友達と認めてくれるなら、ね」

「と、当然だよ!」


 と、わたしは慌てて強く頷いて見せた。


「なら、決定ね。……マリーのお母さん。それでお願いします」


 ママは何も言わずにただ微笑み、書類にサラサラと必要事項を書いていった。それを警官に渡す。


「……確かに、受け取りました。受領には一時間ほどかかります。それまでエリカさんは外でお待ち下さい」


 警官は去り、わたし達三人だけが残った。

 一時間も待つのは退屈なので、そこに座りましょう、とママが指差した休憩用のベンチに腰掛けた。


 端に座ったエリカは、軽く会釈をしてわたしとママに身体を向け、挨拶した。


「改めまして、エリカ・ゾーイ・ハミルトンです。しばらくお世話になります」


 わたしとママも座り直して頭を下げる。


「ミカゲ ヒマリです。よろしくね、エリカ」

「私はこの子の母のミカゲ ユウリです。看護士……いや、今は医者をやってます」


 互いに挨拶をしたところで、エリカの視線がわたしに向けられる。


「それにしても不思議ね、マリー。言葉が違うはずなのに、私からはあなたが流暢な英語を喋っているように聴こえるわ」

「わたしからしたら日本語に聴こえるよ。自動翻訳機能がきちんと働いてるんだね」

「……そっか。だからゾーイとも話が出来るのかしらね」


 エリカはそう言って眼を閉じ、小さく何度か頷いた。


「……今ゾーイが話しかけてきたわ。ここは皆が親切で、とても心地良いって」

「そんなことできるんだ……?」

「私も最初は不思議だったわ。手足を動かそうとしたらお互いに動いちゃったりして転んだこともあるもの。だから、今は私……エリカが動かしてて、ゾーイは意識の底で黙って見守ってる。散歩の時はゾーイの方が好きなように動かして、私は眠ってるわ」


 不思議な話だ。多重人格ともわけが違うのか。完全に一つの(アニマ)に二人分が混じっている。

 ママの方を向くと、口に手を当て、深刻な面持ちで何かを考えていた。


「……ヒマリのケースとは全く異なるみたいね」


 エリカの目が険しくなる。


「それ……、どういうことですか?」

「ここではちょっと話せないわ。他の人もいるし。……後で自宅に着いたら詳しく説明してあげる」



   §



 その後、取り止めのない話題で一時間を食い潰した後、ようやく許可が下りたのでエリカを連れて自宅に帰って来た。


「本場イギリスには勝てないと思うけど……」


 そう言いながら、ママはいつものように紅茶の入ったカップをエリカに差し出した。

 エリカはほんの少しだけ鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、それから何も入れずにストレートで一口飲んで、満足そうに微笑んだ。


「アールグレイ……いい香りですね。この鼻だとその良さが分かります」

「良かった。近所に酔狂な人がいてね。紅茶作ってるのよ、葉っぱから」

「まあ……」


 わたしは少しだけミルクを入れて飲む。いつもアールグレイにはミルクティーだと心で決めていたからだ。

 エリカは、そんなわたしの手元を興味深そうに覗き込んでくる。


「マリーはミルク派なのね」

「ストレートで飲むこともあるけどね。ミルク入りが大好きなの」

「そっかぁ」


 こうして並んで会話をしていると、わたしとエリカは姉妹のように見えないだろうか。

 お兄ちゃんと違って、エリカは女性だ。とても大人っぽくて、落ち着いた雰囲気をしているのに、どこかあどけない感じもする。


 エリカはママに向き直って、真剣な眼差しを向けた。


「……それで、マリーのことですが」

「ええ。説明するわ」


 ママは最初から、わたしの「病」について説明した。

 わたしも細かい部分で補足を入れ、運動会で倒れたことまで話した。


 説明を終えると、エリカは哀しそうな眼を遠くに向けた。

 その頃には紅茶はすっかり冷めていたが、エリカは残る紅茶をぐっと飲み干した。


「……そう。だから、私の話も信じてくれたのね。でも、それは多分、私よりマリーの方がずっと深刻なんじゃないかしら」


 エリカはあっさりと、そう結論付けた。


「だって、私も相当動き回ったけど、まるで症状が出なかったんだもの。多分、ヒマリよりも何倍も激しく動いてたわ。脳内物質が原因だとしたら、私の方が遥かに危険だったはず」


 それにはママも同意見だった。


「そうねえ。エリカさんは狩りもしていたんですものね。自衛と食事のために。詳しく調べないと何とも言えないけど、ヒマリとエリカさんの症状は、全く別のケースだと思うわ」


 ママがそう言うと、エリカは慌てて手を振った。


「あ、でも、私はこのままでいいです! 治そうだなんてしないで下さい!」

「ゾーイと引き離したくない、って言うんでしょ? そんなこと出来ないし、しないわよ。でも、検査だけはしなくちゃ。ヒマリのように容量不足に陥っていたら、いずれあなたも危険な目に遭うんですからね」


 危険、と聞いて、エリカは肩を震わせ、ふわふわの尻尾の毛を逆立てた。


「……ええ、そうですね。すみません。お世話になります」

「いいのよ。もう家族なんだし、遠慮はなしね。私も、あなたのこと、エリカって呼び捨てにしてもいい?」


 エリカの耳がピン、と立った。


「あ、はい……! 私もその……」


 そう言いかけて、彼女は恥ずかしそうにもじもじと大きな手をいじりながら、小さな声でこう訊ねた。


「……お母さん、って呼んでいいですか?」


 ママは嬉しそうに微笑んだ。


「ええ。もちろんよ、エリカ」


 その一言で、エリカはぼろぼろと大粒の涙を流し、大きな手で顔を隠すと、肩を震わせた。

 まるで子供に還ったようにしきりに涙を拭いながら泣くその姿を見て、わたしにも痛いほど気持ちが伝わってくるのだった。



 前にメールで伝えてきたように、エリカには家族がいなかった。

 家族は先にアニマリーヴでこちらに来たようだが、エリカは自ら探そうとはしなかった。


 エリカはメールでこうも言っていた──家族にはこんな姿を見せられない。家族から化物だと罵られるのが一番怖かった。それでほんの一瞬の間に娘であることを否定されるぐらいなら、家族には何も報せず、今もどこかで生きていて幸せなんだ、と勝手に思わせる方がいい。ただ、私がハミルトン家の娘だった、という事実だけを覚えていれば、それだけで良かったのだ──と。


 だが、いくら心の中にゾーイという家族がいるとは言っても、それは彼女にとって一番辛い決断でもあった。

 今まで強がってはきたものの、やはり別の家族を欲していたのだ。プルステラで人生をやり直すために必要な家族、心の内を全て打ち明けられる家族が。


 ――そんな心の内を話したエリカは、わたしに言った。


「……だからね、マリー。今度は私があなたの力になりたい。同じように家族を失ったあなたが、本当の家族の大事な記憶まで失くしてはあまりにも哀しいから」

「ありがとう、エリカ。でも……」


 わたしは言葉を詰まらせる。

 ママの方に促すように視線を向けると、ママは困ったように小さく嘆息した。


「ヒマリの症状を治すためには、とにかく時間が必要だわ。本格的に治すには、今よりも悪化させないように安静にするのが大事なの。その間、プルステラでも機械を造り出せるような優秀なプログラマーを探し出して、ヒマリの身体を救えるような治療器具を開発しなくちゃならないわね。……そのアテがあればいいんだけど」


 わたしはユヅキだった時の僅かな記憶を探って、そのアテとやらがないか思い出してみた。

 いたとすれば、現世の知り合いか、或いは……。


 すると、ふいに些細な記憶が蘇った。


 ――もうちっとで帝都のラスボス倒せたんだよ。……でも、石炭()があまり残ってなかったし、兄ちゃんがいなきゃ無理だったね、コレ。


 それはアニマリーヴの直前にカイが言っていたことだった。

 どうでもいいはずのその一言で、わたしははっと思い当たった。


「……いる、かもしれない」

「本当!?」と、ママが驚いた声を上げた。

「でも、会えるか判らないよ。だって、現世で遊んだゲームの中だから」


 ママはもう一度席に座り、ダイニングテーブルの上に手を組んだ。


「……詳しく説明してくれる?」

「うん。……実はね、VRMMORPGで、『ヴァーポルアルミス・ヒストリア』――通称VAHって呼ばれてるゲームがあるんだ。そのゲーム、ぱっと見は古臭いスチームパンクの世界を冒険する、わりと普通のMMOなんだけど、自由度の高い独自の描画エンジンが使われているのが最大の特徴でね、例えば、壁や床なんかの背景に、従来は長時間残せないはずの落書きを永久に書き残すことだって出来たんだよ。落書きはボイスチャットと違ってログの解析が出来ないから、現実世界での裏取引にも使われたって噂もあるくらい。……そんな凄い描画エンジンなもんだから、腕利きのプログラマーやハッカー達の間でも話題になって、街のどこかに専用のたまり場を作ったんだって」


 長々と説明するわたしに、ママは解ったような解らないような顔をした。


「それじゃあつまり、そのゲームの世界に行けば、凄いプログラマーに会えるかも……ってことね?」

「うん。……けど、現世での話だから、プルステラでは遊べないと思うけど……」


 すると、黙って聞いていたエリカが、「あっ」と声を上げた。


「ううん、出来るわ! えっと、ヴァーポルアルミス・ヒストリア、でしょ? 日本サーバーのフラグ・ピラーにある広告で見たもの。近日公開とか書いてあった。確か、マーケットに出るそうよ」


 それを聞いたわたしは急いでDIPを開き、マーケットへ接続した。運営会社の名称で検索をかけると、確かにそのタイトルの商品が一件だけ見つかる。


「日付を見ると、二日前にサービス開始したみたいね」


 横からDIPを覗き込んできたママが言った。


「お金あげるから、それ、デバイスごと買っちゃいなさい」

「え、いいの!?」


 と、驚く間に、ママから直接お金が転送されてきた。


「ええ。プログラマーを探すだけじゃなくて、恐らく、そのゲーム一本でいろんな問題を解決出来るわ」

「どういうこと?」


 ママは自分でもDIPを開くと、VRゲーム用のデバイスの仕様をマーケット上で確認し、ややあって納得したように頷いた。


「……仕様を見た限りの推論だけど」


 と断った上で、ママは可能性をこう説明してくれた。


 現世におけるVRゲームの最大の欠点は、生きる肉体を放置してしまうということだ。いくら没入(ダイブ)中は脳への信号を遮断するからと言っても、心肺機能や血液は常に動き続けている。そのため、以前は長時間没入した人間が衰弱して病院送りになったり、死亡したケースもあったぐらいだ。そんな事件があってから、国は規定を設け、没入時間が一定時間を過ぎるとデバイスから強制ログアウトするように定めた。


 しかし、仮想世界からの没入ならこの心配は全くない。わざわざリスクを冒すような設計にはせず、(アニマ)の機能を一時的に停止させておくことで、現世よりも安全に遊ぶことが出来る。

 つまり、ログアウトすると没入前に中断されていた元の魂の状態に戻るため、唯一、没入前に比べて変化するのは、ゲームを遊んだり体感したという「記憶」だけに留まるのだと言う。


「没入中は肉体の脱け殻だけがここに残るから、普段絶対に出来ないような身体チェックも出来るようになるわ。身体そのものに影響が出ていないか、とかね。……それに、ヒマリだって何の気兼ねもなく気分転換出来るでしょ? 一石二鳥どころか一石三鳥よ」


 わたしはその説明で納得し、早速デバイスギアとVAHのパッケージソフトを購入した。

 デリバリンクで振込みを行うと、自動処理なのか、即座に鈴のSEが鳴り、二つの品が届けられた。それをテーブルの上にオブジェクト化させる。


「現世と変わりないね。……一応パッケージの説明を読んでみるよ」


 「プルステラVer.」と称されたパッケージには、赤い文字で注意書きが記されている。


「『現実世界でご利用のゲームIDをプルステラの身分証IDに紐付けて流用出来ますが、キャラデータは一から作成することになります』……だって。ゲームIDは引き継ぐけど、プレイヤーが育つまでちょっと時間がかかっちゃうなあ。完全レベル制でもないし……」

「食事の時間だけ守ってくれればいいわ。その後の時間は気にせず、ゆっくり遊んでらっしゃいな。他に必要な事があればこちらからメールを飛ばすし、その間にエリカの方もメディカルチェックしないとね」


 ずっと成り行きを見守っていたエリカが弾かれたように背筋を伸ばし、耳を立てた。

 ママはクスクスと笑い、彼女をなだめた。


「大丈夫よ、そんなに身構えなくても。異常が起きてないか調べるだけだから」

「そ、そう……よね、あははは」


 そんな子供らしい一面を見せるエリカに癒されながらも、わたしは診察用のベッドに腰掛け、調整を終えたデバイスギアを頭に装着した。元々大きめのデバイスギアは、わたしの頭のサイズを感知すると、ぴったりと収まるように自動的に縮小する。

 一方、ママはわたしのパーカーのファスナーを開くと、剥き出しになった身体にあっと言う間にいくつものセンサーを取り付けていった。その状態でわたしは横になる。


 ママは壁時計を見ながらわたしに告げた。


「それじゃあ、今は十四時だから……ひとまず十八時までね。その後食事をして、続きにしましょう」

「うん。……じゃあ、ママ、エリカ、行ってきます」

「行ってらっしゃい、ヒマリ」


 ママはデバイスギアの隙間から頬にキスをしてくれた。

 エリカはわたしの左手を柔らかい手で包み込んだ。


「マリー、頑張って。……今は何もできなくて歯痒いけど、ここでずっと見守ってるから」

「……うん。ありがと、エリカ」


 わたしは安心して瞼を閉じ、没入するためのワードを呟いた。


「インプット:デバイス・オープン――」


2018/04/05 改訂

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