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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section3:揺れる魂(アニマ)
21/94

20:竜の肝試し - 3

 ――僅か五分足らず。

 正直、この幼い少女の身体で抗うには充分過ぎる攻防だった、と思う。

 戦いというよりは、ヤツが遊びに付き合っている、と言う方が正しい。


 黒竜ディオルクはその場から一歩も動かず、集落を一度に焼き払ったブレスさえも使ってこない。

 まるでハエを叩くかのように僕の頭上から前足を叩きつけてくるだけだ。その隙間を縫って回避し、指に斬り付け、次の攻撃と同時に退く。


 ――だが。


 ほんの、僅かな距離だった。

 鋭い爪が左肩を掠っただけで、ショルダーアーマーと鎧の留め具が同時に弾け飛んだ。


「ぐううっ!!」


 裂けた肩から血が噴き出し、鋭い痛みに顔を歪め、思わず動きを止めてしまう。左肩から指先まで痺れが伝染し、もはや指を曲げる力すら残されていなかった。

 右腕だけでも、とククリを構えるが、遅かった。


「弱いな」


 ディオルクは立ち尽くした僕の身体をあっと言う間に鷲掴みにした。もがいても一ミリたりとも動かせない。

 その親指の爪が鎧の首元にかかり、縦に軽く動かしただけでさっくりと二つに割れる。

 ディオルクはそれを面白がっているようで、口許を僅かに釣り上げた。


「や、やめ……ろ……」


 息も絶え絶えにようやく絞り出した声は掠れていた。

 言い知れぬ恐怖に身が震える。

 分厚い爪が、今度は残された薄いアンダーウェアの首元に引っかけられる。それだけで、縦にビリビリと引き裂かれた。


「…………ッ!!」


 僅かに膨らみかけた白い胸元が露になる。

 恥ずかしい、というより、悔しかった。

 ――ヒマリの身体が、穢される……。元の身体に戻るまでヒマリとして生きるってタイキと約束したはずなのに。


 こんなことになるなら、タイキに話せば良かった。一人で責任を負うだなんて、馬鹿げた話だった。

 全ては、僕自身が招いた最悪の結末だった。


 ぎゅっと閉じた瞼から次から次へと大粒の涙が零れ落ち、ドラゴンの指を濡らしていく。

 すると、竜の静かな嘆息が感じられた。


「……仮初めの姿を持つ娘よ」


 ディオルクの、どこか優しげのある声がビリビリと鼓膜を叩いた。

 その言葉にはっと目を開く。


「貴様には迷いが見える。このままではやがて、身を滅ぼす結果になるだろう」

「お前……いったい、何を……」


 ディオルクはぱっと手を離した。

 か弱い少女の肉体はゆうに十メートルはあるかという高さから叩きつけられ、その衝撃で鎧が完全に砕けた。


 仰向けになった身体を動かす力がない。

 全身の骨が折れたか、良くてヒビが入っているだろう。現実世界なら全身麻痺もいいところだ。


「ヒマリ――っ!」


 そこへ、背後から頼もしい声が聞こえた。

 いつも最悪の時に救ってくれる、わたし(ヒマリ)の「お兄ちゃん(ヒーロー)」。


 ディオルクの眼の色が変わった。タイキは身長程の、恐らく肉斬り包丁(チョッパー)を改良した武器を持っていた。

 素材もただの金属などではない。ククリと同様に怪物の牙から作ったと思われる。


「貴様も抗うか、小僧――!」


 ヒマリを弄んだ時とは違う。叩きつけるのではなく、なぎ払うように腕を動かした。


 だが、タイキはそれを軽くジャンプで飛び越え――。


「うらああああっ!」


 大上段に構えたチョッパーを力任せに振り下ろす。

 深々と指に突き刺さり、僕の服を引き裂いた親指が斬り落とされた。


「グゥアアアアアアアアアッ!」


 ディオルクの強烈な悲鳴が音波となってドーム全体を震わす。パラパラと小石が降り注ぎ、身体の芯まで浸透し、麻痺するようだ。

 ディオルクはもう片方の前足で押しつぶそうとしたが、タイキは直ぐに跳び退き、片膝をついて着地した。


「…………」


 ディオルクは腕を引っ込め、タイキを鋭く睨み付ける。

 タイキも視線を離さず、隙を見せないように武器を構えたまま、僕の傍へと駆け寄った。


「ヒマリ! なんて無茶な真似を!」


 ごめん、と言おうとしたが、唇しか動かせない。

 タイキは直ぐにインベントリからあのスプレーを取り出すと、僕の全身に満遍なく振りかけた。

 痛みは引いていくものの、完治までは出来そうにない。少なくともユウリの看護を受けなくてはならないだろう。


「少年よ。その娘の親類か」


 ディオルクが静かな口調で問いかけた。

 タイキはきっと睨み付け、言い放つ。


「そうだ! それがどうした!?」

「我に一太刀浴びせたことは褒めてやろう。だが、まだ青い。……いずれまた、相まみえる時まで、その娘共々腕を磨いておけ」


 それは、僕たち弱者に対する憐れみなのか。

 いきり立って武器を構えようとするタイキの足に触れる。彼は気付き、僕を見下ろした。


「だめだ……勝てない……」


 ようやくそれだけを言葉にする。

 タイキは指を斬り落としたことで行けると思っていたのだろうが、手加減をしたことには変わりないのだ。


「ディオルク……」


 僕は宿敵の名を呼んだ。ヤツは俯くように僕を見つめた。


「……お前は……何を知っているんだ?」


 ディオルクの表情からは何も読み取れない。

 彼はしばし沈黙していたが、やがて――。


「先刻、貴様が見せた行動は評価に値する。よって、手がかりだけは与えてやった。それ以外に弱者に教えることは何もない。知りたくば、いずれ我を負かしてみよ」


 それだけ言うと、ディオルクは再び身体を丸め、岩のように動かなくなってしまった。



   §



 あれから集落に帰って来るなり、ダイチは空いている担架を運び、ユウリは泣き崩れた。

 それでも、ユウリは本日二度目の治療を施し、僕――いや、ヒマリの肉体は救われた。


 タイキが僕の居場所を突き止めたのは、慌てて帰って来た二人の生還者による報告からだった。タイキは驚くより先に、全速力で洞窟に向かったのだという。

 勿論、あの二人は皆の前で尻を丸出しにされ、何度も何度も平手で叩かれた。今時いないだろう、という徹底振りに、集落の皆はもはやクスクスと笑うしかなく、叩かれた当人は一生モノの恥となった。永遠に暮らせるプルステラで、それは末代まで語られる可能性を秘めた、酷い拷問でもある。……レンは、それきり大人しくなってしまった。


 ミカルは、僕が戻る頃にはすっかり元気になっていた。

 彼女は治療を終えて寝ぼけ眼で起き上がった僕をぎゅっと抱きしめ、しばらく解放しなかった。

 これは悪夢か──とディオルクに締めつけられたのを思い出し、半ばトラウマになってしまったぐらいだ。


 やがて、傷が完治してからは、改めて両親にこっぴどく叱られた。外出禁止とまで言われた。

 レンとコウタは僕のことを最後まで庇護してくれ、ミカルまでもがお願いします、叱らないで下さいと何度も頭を下げたものだから、ついに両親は心が折れた。


「無事だったのなら、もう咎めないわ。ただ、もうこんな危険な真似は止めて」


 ユウリがそう言うのも理解出来る。

 ……だが、それは決して約束の出来ない相談だった。



 それから──襲撃の日から一週間経っても、ディオルクは集落を襲う気配を見せなかった。

 それもそうだ。アイツは、僕らを待っているのだから。寄せ集めの討伐隊なんかじゃ、きっと満足しないだろう。

 ディオルクは僕らに何かを見ていた。そして、何かを期待しているようだった。


 アイツは僕を見て、仮初めの姿、と言った。まるでアニマが入れ替わっていることを知っているかのような口振りだった。

 それを解決出来る手段があの手がかりとやらにあるのだとしたら……僕はいったい、何をすればいいというのか。


 いずれにしても、その解決の糸口は、あの黒竜を負かすことに他ならない。

 ハッカーの挑戦状なのか、或いは命を吹き込まれたアイツ自身の考えなのか――今は知る由もなかった。



   §



 洞窟のある崖の向こうから金色の太陽が顔を見せた。

 その方角に向けて、僕は決意を曲げぬよう、一心不乱になって竹刀の素振りを繰り返す。


「おはよう、ヒマリ」


 背後から声がした。僕は手も休めず、「おはよう、お兄ちゃん」と返した。

 タイキは持ってきた竹刀を構え、僕と同じペースで素振りを始めた。


 重なるように二つの竹刀が躍る。こんな姿をディオルクが見たら、笑うだろうか。

 ――いつまで待たせるのだ、小娘。

 そんなことを言うに違いない。


「ヒマリ」


 素振りをしながらタイキが言った。


「お前が無理したら、みんなが悲しむことになる」

「…………」

「体力をつけるという意味では構わないが、あのドラゴンに挑むのだけは止めてくれ」

「……やだ」


 タイキは素振りを止めた。

 僕はそのまま続ける。


「何でだよ。そこまでムキになる理由があるってのか? アイツが言ってた、手がかりってやつか?」


 僕は無言を貫いた。

 タイキはふう、と息を吐き出し、


「わかったよ。それなら、俺がお前より強くなるまでだ!」


 彼は僕の二倍の速度で素振りを始めた。


「息が切れるよ、お兄ちゃん」

「ええい、構うものかっ!」


 およそ一分半。タイキは草むらに大の字になっていた。

 僕はまだ、素振りを続けている。


「それにしてもさ。お前のその馬鹿力、いったいどうなってんだよ」

「……こっちが知りたいぐらいだよ」


 腕力、脚力、瞬発力、スタミナ……どれを取っても十一歳の女の子のものとは思えない。

 洞窟での騒動があってから、周囲も疑い始めている。ヒマリは普通じゃない。洞窟にいる怪物と戦って平気だったなんてあり得ない、などと。


 洞窟にドラゴンがいるという話はしていない。タイキもその辺は解っているらしく、ただ怪物に襲われた、とだけ説明していた。口止めをされたレン達も秘密を貫いてくれている。

 だから、集落の皆には小型のトカゲに襲われた、タイキがそれを蹴散らした、程度の認知で済んだのだが、タイキはヒマリの身体が心配でならなかった。


「一度、母さんにチェックして貰ったらどうだ? 何か判るかもしれないぞ」

「それで僕がヒマリじゃないって知れたらどうなるのさ」

「そ、それは……」


 恐らく、この尋常ならざる力の原因は身体が入れ替わったことに関係があるのだろう。でなければ、説明が付かないし、ユウリにチェックして貰うのも、今は遠慮した方がいい。

 僕は素振りを止め、結んでいた髪を解いた。


 洞窟のある崖からは、すっかり太陽が昇っていた。


「とにかく、しばらくこのまま! 食事いこ、お兄ちゃん!」


 と、ヒマリの口調で誤魔化す。タイキはその勢いに圧倒されてか、「お、おう」としか言えなかった。

 竹刀から鍔を引き抜き、手製の竹刀袋に放り込む。


「家まで競争だよ!」


 竹刀を片手に手を広げ、坂道を一気に駆け下りる。あの日、ミカルと一緒にやったように。

 タイキは直ぐに追いかけてきて、ヒマリ(わたし)と肩を並べながら無邪気に笑いあった。


2018/04/05 改訂

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