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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section3:揺れる魂(アニマ)
20/94

19:竜の肝試し - 2

 ──ヒマリが集落を出た後のことだ。


 既に三時間が経過していた。ダイチを含めた数人が周囲の集落へ呼びかけ、それに賛同した者は僅か十数人しかいなかった。あの巨大なドラゴンを倒すには、けして充分とは言えない。


 ダイチは大きなミスを犯していた。攻撃をすれば防御力に打ち勝った分だけ必ずダメージが入り、微々たるダメージでも大勢が集まればいつか倒せる……そんなVRMMOの世界とはワケが違う。

 回復役(ヒーラー)魔術師(マジックユーザー)がいるわけでもない。敢えてクラスを挙げるなら「開拓者」「農民」がせいぜいで、現状ではプルステリアたちがいくら集まったところでドラゴンを傷つけられないことには変わりない。

 とはいえ、現段階での最善策は協力することに外ならない。少なくともこの壊滅的状況で人が団結し合うのは非常に重要なことであり、例えドラゴンに太刀打ちできないとしても、その意思ぐらいは確認しておく必要がある。小型の怪物にしても討伐隊が結成されれば無駄な被害を出さずに済むだろうし、最初は烏合の衆に過ぎなくても、あらゆる準備が整った頃には騎士団、軍クラスの統率力を見せるかもしれないのだ。


「問題は三つあります」


 三つの集落が一つになった会合で、ダイチはいつも以上に真剣な面持ちで言葉を発した。


「まず一つ目はドラゴンの棲息地が判らない、ということですが、あの巨体ですから、木々が密集する森の中や草原ではないはずです。恐らく湖か山――特に火山の火口付近というのがセオリーとして考えられます。ただ、そうした場所に限定しても、我々の集落の近辺だけでかなりの数の候補が上がります。全部確かめるのに何日もかかってしまうでしょう」


 すると、一人の若者が挙手して立ち上がった。


「手分けして近くの山々を探すことは出来ませんか? まずは斥候ということで、少人数で」


 ダイチは少し考えてから頷いた。


「そのためには優秀な乗り物が必要ですね。なるべく音を出さず、静かに駆け回れるものが」


 別の若者が挙手した。


「なら、私がやろう。馬を所持しているんだ。扱いにも慣れている。蹄に藁でも噛ませれば、極力音は消えるのではないかと」

「おお……頼めますか?」

「問題ない。直ぐにでも行こう」


 ダイチはその男とフレンド登録をし、いつでも連絡が取れるようにした。

 男は直ぐに立ち去り、自分の馬を取りにバイクで集落へ戻っていった。


「二つ目の問題は、ヤツに攻撃が通用しないということです。ドラゴンにダメージを与えるには、恐らく数多くのダメージを蓄積させ、鱗を破壊するか、或いは鱗の隙間に攻撃を当てられる武器が必要ではないかと」

「しかし、農具の改良品程度では一向に傷つけられる気配がないぞ」


 どこかの集落の初老の男が言った。


「何か別の手段が必要なんじゃないかね」


 ええ、とダイチは頷いた。彼はこの問題について既に算段を目論んでいた。


「小型の怪物たちの爪、牙、革、或いは鱗といった素材を使うんです」


 一同がざわめきたった。そんなことが出来るのか、という声が聞こえる。


「先日、世界各国でほぼ同時に皮を手に入れる手段が明らかにされたことは皆さんもご存じだと思います。皮を剥ぐには、道具の追加ステータスに『皮剥ぎ』というパラメータが付いたものを利用しなくてはなりません。……逆に言えば、それさえあれば、怪物だろうが革や鱗といった素材を手に入れることが出来るのです」


 陰鬱だった一同が少しだけ明るい表情を見せる。ダイチは続けた。


「ヤツらは、金属類を易々と砕けるような丈夫な牙や尻尾を持っています。そいつを素材に、ここにいるゲンロクさんと協力して武器として仕上げれば、今までにない強力な武器となり得るでしょう」


 どっと拍手が湧いた。だが、ダイチは表情を固くしたまま、次の問題を提示した。


「……問題は三つ目です」


 その言葉にただならぬ気配を感じたのだろう、一同は直ぐにしんと静まり返った。


「これは単純な問題ではありますが、深刻でもあります。……三つ目の問題というのは、ドラゴンが何時襲ってくるか判らない、ということです。今日、二度目の襲撃があるかもしれないし、明日かもしれない」


 今度は一斉に嘆息が広がる。準備をしている合間にやられるかもしれないのだ。そうなっては全てが水の泡である。


「いや、待ってくれ」


 と、体格のいい男が声を上げた。視線が集まる。

 彼は、ダイチと同じ集落の中年の男性だった。


「アイツ、言ってなかったか? つまらん、とか、文明の力がどうとか」

「あ、ああ……確かに」


 今日のは、唯一喋るドラゴンだったのだ。その、どこか威厳を感じさせる声は、誰も忘れられるはずがなかった。


「まさか、我々を……試しているということか? 自分を傷つけられるか、倒せるか……と」

「だったら、しばらくは襲って来ないんじゃないか? どのくらい先か見当はつかないが、少なくとも武器を準備するぐらいの期間はあってもおかしくない」


 ダイチは考えた。本当にそうだろうか。これはハッカーの考えた罠なんじゃないだろうか。

 考えてみれば、最初の襲撃日に犯行声明を出してきたものの、何が目当てなのかは明確ではなかった。

 ただの銀行強盗やテロ事件とは違う。武器も何も持たぬ生まれたての民(プルステリア)に何かを要求するなど、無意味に等しいのだ。


 ――ハッカーの目的は……もっと遠いところにあるのか……?


 疑念から生まれる疑念。答えはまだ出ない。

 結局のところ、三つ目の問題についてはドラゴンの言葉を執行猶予と捉え、初めの二つの問題を優先的に片づけていくということで満場一致となった。



   §



 洞窟の入り口には、予め用意されていたのか三本足の篝火台が置かれてある。恐らくレンが火を点けたのだろう、今も僅かな薪を浪費しながらパチパチと爆ぜる音を立てて橙色に燃えている。

 その直ぐ近くには、何本か松明が寝かせてあった。これはどうやらタイキが用意したものらしい。僕はその一本をインベントリに入れ、もう一本を手に取り、少し離れた位置から火を灯した。


 洞窟に入ろうとすると、奥から湿った風が吹きつけてきた。大きな松明を左手に構えながら、右手にはインベントリから取り出したククリを握りしめる。

 ククリはタイキが作った試作品で、儀式用の武器なら作れるんじゃないかと色々試して完成させたものだ。その内の一番出来のいい一本を護身用にとくれたのだが、警官に知れてはまずいので、ククリを製造したことは僕とタイキ、そして作り方を教えてくれたゲンロクさんだけの秘密となっている。

 素材は鉄ではなく、怪物の牙を削って作ったものだ。「皮剥ぎ」の特殊効果は皮だけに留まらないのがいいところで、倒した怪物の素材を余すところなく利用することが出来る。その加工には、他の怪物の牙を砥石代わりに使ったという話だ。まさかこんなに早く使う日が来ようとは思いもしなかったが、これなら小型の怪物相手には通用するんじゃないだろうか。


 湿りけを帯びたカビ臭い一本道の先に、明らかに人工物とされる木製の古びた扉があった。

 元々、VR・AGES社がイベントをするためにこしらえたのだろう。レンが通ったためか、扉に閂はかかっていない。ぐっと押してみると、きい、と軋んだ音を立てて扉が開いた。

 その先は急な坂になっていて、足を滑らせないよう気をつけながら慎重に歩みを進めていく。


「…………っ!?」


 唐突に甲高い、何かの鳴き声がした。松明を掲げると、黒い影がいきなり頭上に覆い被さってきた。足を滑らせ、松明を落とし、尻を強打する。痛みに耐えながら仰向けでククリを振るうと僅かだが手応えがあった。

 生き物は一旦僕から遠ざかり、どうやら天井に張りついたようだ。その隙に尻をさすりながら転がっている松明を拾い上げて翳すと、見覚えのある紫色の巨大な翼が映し出された。紛れもなく、あのマントの材料になった巨大コウモリである。

 キキッと高い声を発し、ヤツは懲りずに僕の頭上を狙ってくる。今度は松明を突き上げると、どこに隠れていたのか無数の巨大コウモリが一斉に急降下し、翼と牙の連続攻撃を次々に仕掛けてきた。

 滝壺にいるような豪快な羽音と重量感、痛打に圧倒されながらも、ククリを何とか真上に構え、目茶苦茶に振り回しながら前傾姿勢で坂を駆け下りていった。そのうちの何羽かは倒せたらしく、坂が終わる頃には鳴き声が半数ぐらいに減り、追手は来なくなっていた。


「…………はぁっ……!」


 松明を床に置いて、乱れた息を一旦整える。インベントリからハイキングに使っていた水筒を取り出すと、幾分か水が残っていた。それを少しだけ口に含み、喉を潤す。


 平らとまではいかないが道は緩やかになっていた。見れば、左へ直角に曲がる通路の壁の隅に入り口と同様の篝火が置いてある。レン達が火を点けていったのだろう。少なくともあのコウモリ達の犠牲になった、というわけではなさそうだが、同時に、この先へ行った、という証拠でもあった。


 ――篝火があれば、その方向へ進んだと見て間違いない、か。


 内心呟きながら、先程転んだ時に少々痛めた足首をストレッチして伸ばす。

 例えシステムが用意した篝火でも、ゲームのように延々と燃えることはない。燃料である薪を消費すれば、いつかは炎が消える。奥まで人が立ち入らない、立ち入ったことがないと考えるなら、篝火はその時に灯したと見るべきだろう。


 顔を上げて左に曲がった先の通路を確認する。篝火のお陰で見通しが良く、そこが大きな広間になっていることが判った。壁際には何の役に立つのか、自分の腰から胸までの大きさはある大きな樽や壺が置かれており、中央には古びた石造りの本棚やダイニングテーブル、長椅子などが乱雑に置かれている。

 辺りが湿っぽいのは相変わらずで、ところどころに水滴が滴っている。天井からは長いつららが幾つも下り、地面と繋がって中心がくびれたような柱になっていた。


 ――明らかに不自然だ。人が住むような空間ではない。ここまで湿っぽくてカビ臭いところにいたら、ぜんそくか肺炎にでもなりそうだ。

 雰囲気を出すために置いた、と考えても、この小道具に何の意味があるというのだ。宝探しでもしろというのか。


 試しに石の本棚から分厚い本を一冊取り出してみる。ツルツルとした革張りの表紙だが、何かぬめっとした液体がこびりついており、嫌悪感に顔をしかめる。

 それでも我慢しながら表紙をめくると、一ページ目から見たことのないミミズ文字のようなもので綴られていた。一応DIPから辞書ツールを開いて調べてみたが、世界各国のあらゆる文字とも符合しない。パラパラとめくっても同じような文字が続き、何やら独特の言語だと思われる。

 紙質も何だか不思議だ。やや丸みを帯びた光沢のある青白いフィルムのようなもので出来ていて、形はページごとにまちまちである。綴られた文字は何かを固めたようなもので書かれていた。爪で軽く押しても凹んだり剥がれない辺り、蝋ではないらしい。

 何かと気になるので、その一冊だけをインベントリに放り込んだ。それから、僅かな水たまりのある地面に手を付いて、ぬめりを洗い流す。少々泥だらけになるが、それでもあの液体に触れるよりマシだった。


 ククリと松明を手に更に進むと、奥はまた、人二人分がようやく通れるぐらいの、比較的狭い通路になっていた。天井も割と低めで、この身体なら軽くジャンプできるぐらいだが、百七十センチ……およそタイキぐらいの身長の者が通るとなるとギリギリ頭をぶつけそうになるだろう。

 道は曲がりくねっていて、しばらく進むと少し広めの直線の十字路に繋がった。四隅に篝火が置かれていて、これにもそれぞれ火が灯されている。壁は先程と違って何かで削り取ったような溝があり、人工的に造られた空間だと思われる。

 左手に目を向けると、通路の両端にいくつかの扉が見えた。先程の広間を考えると、ここは居住区とでも言うのだろうか。部屋には誰かがいる可能性も考えられる。

 右手の通路にもいくつかの扉があり、その先には下り坂があった。坂の先までは松明の光が届かない。

 正面は直線の通路の先に、後方と同じような細い通路に繋がっている。通路の両端にもやはり扉があり、どこかの部屋に繋がっているようだ。

 こうなると、順番に確かめる必要がある。まずは行き止まりになっている左手の通路だ。固唾を飲んで足を踏み出す。

 ゆっくり、静かに歩いていくと、自分の足音に重ねてピチャ、ピチャという別の音が混じって聞こえた。水たまりを踏んだわけでもない。

 途端、背筋に嘗め回すような悪寒を覚え、瞬時に身を翻しながら横へ跳んだ。

 今いた床面を砕く連接棍棒(モーニングスター)。――そいつは蜥蜴人間(リザードマン)だった。


「くっ……!?」


 松明を投げ捨て、ククリを構える。


 ――これは、本物の戦闘だ。コウモリを相手にするのとワケが違う。


 これまでにVRゲームで幾度も対人戦闘を重ねてきた経験はある。本物の肉体を動かして戦うわけではないが、それによって鍛えられた反射神経や勘、戦闘方法は他のゲームでも役に立ったし、現実世界でも割とその感覚は残されていた。肉体は違うものの、恐らくは、このプルステラでも記憶として引き継がれているだろう。

 あとは、この身体がどこまで付いて来られるか、というところにかかっている。武器の性質上、あの武器を受け止めることは難しいはずだ。


 床面を砕いたモーニングスターが真横に飛んできた。飛び退いて躱すが、勢いを殺さぬまま、二発目が振り下ろされる。更に飛び退いて距離を取る。……距離は僅かに縮まった。攻撃よりも先に距離を取らなければ。

 モーニングスターの鉄球が頭上を通過する。仰け反ると同時に反射的に身体は身体を捻って後方へと跳び、空いた左腕がぐんと伸ばされた。床面を叩いた片手に体重がのしかかるが、思ったよりも軽い力で押し退けられる。再び身体は宙に浮き、綺麗なフォームとまではいかないが、両足を縦に開いた状態で何とか着地出来た。

 武器を持った状態での片手バク転――昔、あらゆるVRMMOで練習し、対人戦で何度か用いた。片腕に体重が乗るので負担は凄まじいが、いざという時に役に立つ、いわゆる緊急回避技である。

 勿論、それなりの脚力により倒れ込むことを前提とした全力の跳び退きが必要となる。バク転をしなければ背中から床を滑り、倒れている間に近寄られて殴られる。そうならないためのバク転だった。


 リザードマンが半ば機械的に僕を追ってきた。間合いに入ってモーニングスターを縦横に振るう……ただそれだけの動きに見える。──ならば、ヤツがモーニングスターを振るう前に倒せばいい。


 ククリを上段に構え、一気に間合いを詰める。初日のドラゴン戦で発揮した脚力で前方に大きくジャンプし、落下と同時に重みに任せて斜めに振り下ろす。

 リザードマンの首が恐ろしいほど簡単にもげた。既に振られたモーニングスターの鉄球は虚しく宙を舞い、床を更に凹ませた。

 おびただしい量の赤い鮮血が噴水となり、そこら中に振りまかれた。新品のアーマーセットが一瞬にして思いがけない赤色に染まってしまい、もはや苦笑するしかない。


 各部屋の中をそっと確認したところ、中はもぬけの殻だった。

 それもそうだ。もし誰かがいるのなら、先程の戦闘の物音で気付いてしまうところだ。

 レン達も見当たらない。こんなリザードマンがうろついている場所を、どうやって抜けて行ったというのか。忠告も聞かずに勝手に面倒事を起こしたあの二人は許せないが、同時に、既に死んだのではないか、という不安さえ感じていた。



 正面の道を進むと、曲がりくねった先に小さな地底湖があった。もののついでにと汚れたアーマーを洗い流そうと試みたのだが、完全に染み込んでしまったのか、全く色が落ちない。それどころか、いつの間にか酸化で赤黒くなってしまい、完全に色が馴染んでしまっていた。このままでも支障はないだろうが、毒でもついてたりしないだろうか……。

 仕方なく、ずぶ濡れのまま道を引き返し、もう一つの坂道へ続く方へと向かった。


 坂道へと続く道は更に下層へと繋がっていた。螺旋階段のようにぐるぐると続き、三、四周したところで細長い一本道の石室に辿り着いた。貯蔵庫か何からしく、壁には棚のような溝が掘られていて、様々な種類の香草が瓶詰めにされて置かれていた。

 こういう場所には挟み打ちが有効だな、と考えていると、案の定、リザードマンが列を成してお出迎えしてくれた。


 ところが――。


「え……?」


 相手が怪物でもよく解る。確かな畏怖を込めた表情で僕を見つめ……いや、見ることすら怖いといった風だ。僕が一歩進めばジリジリと後ずさり、最後尾の者は既に逃げ出してしまっている。

 もしかして、と赤黒くなった自分の鎧とグローブを嵌めた両手に目を落とす。

 身につけた装備を血で染め、満足に浸っている――そのように見えたのだろう。そんな人がいれば、人間だって怖くなる。それに、匂いか、或いは彼らにしか見えない独特の血の色か、この鎧に染まった血は仲間のものだと認知しているようにも見える。


 ならば、と構わずに進むと、リザードマン達はすぐに踵を返し、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。僕もそのまま前進し、彼らを追っていく。

 突き当たりの木の扉を抜けると、今度は扇状に分かれるゆったりとした広さの三叉路があった。リザードマン達は右側の通路の先に逃げたようなので、左手の通路から確認する。

 曲がりくねってはいるが、平らな道だ。壁際に掘られた窪みにはいくつかの蝋燭が灯されていて、適度な明るさを保っている。

 ふと、踏み出した一歩がゆっくりと沈む感覚を覚えた。恐る恐る足元を見ると、歪に丸い石なのだが、明らかに床面よりも凹んでしまっている。


「……わああっ!!」


 反射的に背後に跳んで突っ伏した。ひゅんひゅんひゅん、と音を立てて何かが背の上を通過する。

 恐る恐る顔を上げると、突き当たりの石壁の下に矢が三本落ちている。……紛れもなく罠だった。

 踏んでしまった石をしげしげと見つめる。ここいらの床は河原で見かけるような丸い形状の石を敷きつめたようで形に規則性がなく、代わりに、大きさだけは大人の足がすっぽり収まるぐらいに統一されている。罠スイッチの石とも、まるで見分けが付かない。

 インベントリから油性設定の赤いペンを取り出すと、罠スイッチの上に「×」を記した。……となると、今後も何らかの罠が仕掛けられている可能性が高いだろう。明らかに死傷者を狙った設計だ。ますます、この洞窟の造られた意図が解らなくなる。

 罠には、必ずそれと判別出来る発生箇所があるはずだ。例えば、矢が飛び出すなら壁に小さな穴があるだろうし、ギロチンや鎌が飛ぶなら細い溝があるだろう。

 一歩ずつ慎重に進んでいくと、確かにそれらしいものがあちこちに仕掛けられている。安全地帯を確認しながら、最善とは言えないが敢えて罠を作動させ、スイッチとなった床に印を書いていく。中には、吊り下げられた、巨大なダンベルのような鉄棒を転がすものもあり、これは一度きりの罠だった。

 この洞窟の罠は、ゲームのように色違いの床で判別出来るというモノではない。罠を設置した者か、熟知した者しか通れない場所だ。ここをレン達が通っていったとは考えにくいが、今から引き返すのも気が引ける。


 罠地帯を抜けると、更に下へ下る螺旋状の階段があり、その先には鉄格子の牢がずらりと並んでいた。

 まさか、と思って声をかける。


「レン……? コウタ……?」


 魚の腐ったような生臭さとアンモニア臭が混じった臭いがする。思わず鼻を摘もうとしたが、その手についた血も酷い臭いで、もはや口で息をして我慢するしかなかった。


 ――ややあって、声がした。


「ヒマリ!? その声はヒマリなのか!?」

「ヒ、ヒマリちゃん! こっちだよ!」


 罠があるかもと思っても、自然と身体が動き出し、速度を上げた。

 一番奥の右側の牢――そこにレン達がいるのは間違いなかった。

 突き当たりにはリザードマンが一匹、ハルバードを持って立っている。走ってくる僕の鎧の血を見て一瞬怯んだようだが、看守としての任務を優先したらしい。ハルバードを前方に構えて突進してきた。

 間合いは長いが、先程のモーニングスターよりは扱いやすい。振り下ろされる刃を真横に避け、側面から踏み込んだ片足を軸足に遠心力を働かせて全身でククリを振るう。

 くるりと一回転した頃には、リザードマンの胸元の肉がパックリと引き裂かれていて、リザードマンはギャアアア、と甲高い悲鳴を上げた。

 そこへトドメにもう一度、斜め上方から勢いを乗せて振り下ろすと、肩口から胸にかけて一気にのめり込み、心臓付近でピタリと停止した。片足で蹴りながらククリを引き抜くと、やはり血飛沫が飛び散った。赤黒かった鎧が再び鮮やかな赤へと変わる。

 構わず、リザードマンの懐を探る。腰に鉄の鍵束がぶら下げてあり、それをベルトから引き剥がした。


「すっげえ! ヒマリってつええんだな!」


 レンは感心と興奮の入り交じった声を発したが、コウタはがくがくと怯え、腰を抜かしている。

 僕は構わず独特の形状の突起物が付いた鍵を一本ずつ鍵穴に入れて試した。四、五本試したところでようやくガチャリと音を立てて鍵が回る。取っ手に体重を込めて横に引くと、鉄格子はキイキイと錆びた音を立てながら重々しく開いた。


「サンキュー! ヒマリ! 途中でこいつらに捕まっちまってさー」


 軽々しく言うレンに対し、僕は無言でククリを鞘に収めると、その頬を思いっきり引っぱたいた。


「な、何すんだよ!!」


 頬を押さえて怒鳴るレンの胸ぐらを掴む。


「アンタたちのお母さんがどれだけ心配したか分からないよね!? 外で何が起きたかも知らないよね!? ミカルちゃんが、あんな……あんな目に…………!!」


 ……その先が、言えない。

 おかしい。こんなに脆くなかったはず、なのに。


 体中から力が抜け、血だまりの地面に膝をつく。口許を押さえ、自然と漏れる嗚咽を押し殺した。


「…………ミカルが……どうしたってんだよ……」


 レンが、恐ろしく怖い表情で僕を睨みつけていた。

 目を閉じ、ようやく絞り出すように答える。


「ドラゴンに襲われて、大怪我を……ッ!」

「……っ!!?」


 がしゃん、と鉄格子が叩かれる。


「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!!」


 何度も、何度も叩かれる。

 それはドラゴンへの怒りではなく、自分自身に対してのものだろう。


「オレって……本当にバカだ……! ヒマリがあんだけ止めたってのによぉ……!!」


 レンは瞼に涙を貯め、鉄格子に頭をなすりつけた。

 僕は、その肩にそっと手を乗せた。


「とにかく、集落に戻ろうよ。今は安全だけど、次にいつ襲ってくるか……」

「……ああ。……そうする」


 レンは涙を腕で拭うと、座り込んでいるコウタを無理矢理立たせ、その手を引いて先導した。

 はっと思い出して、レンの横に追いつき、肩を並べる。


「レン、下に罠のスイッチの目印を書いておいたの。うっかり踏んだら集落に戻れなくなる」

「ああ。助かるぜ、ヒマリ。……けど、その格好にその武器……さっきの戦闘だって…………いったいどうなってんだ、オマエ」


 ……その質問には答えにくかった。

 自分でも解らないのだ。冷静に考えれば、明らかに十一歳の女の子が出来る芸当じゃない。

 MMOでの戦闘経験からか。或いはプルステリアとして生を受けた時の体力補正か――いや、それだけでもない気がする。

 自分の身体に何かが起きている。だが、その正体が何かまではまだ解らない。


 答えあぐねていると、レンは「いや、いいぜ、言わなくても」と断った。


「色々あるんだろ。一人でここに来たぐらいだしさ。普通だったら大人たちが止めてる」


 僕は小さく頷き、「ごめん」と謝った。

 しかし彼は、


「違うだろ」


 と、直ぐに否定した。


「……オ、オレの方だぜ、謝るの!」


 ぽかん、とした表情でレンを見ていた、と思う。

 レンは照れくさそうに目を逸らして、


「…………ごめん」


 と、素直に謝った。

 思わずぷっと吹き出してしまう。レンは不服そうに頬を膨らませたが、やがて、一緒になって笑った。


「ねえ、ぼくたち、本当に無事に戻れるのかなぁ」


 今までレンの影に隠れていたコウタが言った。


「ぼくらが逃げたって知ったら、あいつら、黙っていないよ」


 それなら大丈夫、と言おうとして口を噤んだ。

 この鎧を見て怯んだのは間違いないが、看守は別だったのだ。彼らにとって、捉えた獲物は絶対なのだろう。その手段については考えたくもないが……。


「……どうやらコウタの言う通りだぜ」


 三叉路に戻ると、リザードマン達が待ち伏せをしていた。来た通路が彼らに塞がれてしまっている。

 素早く周辺を見回すと、逃げ込めるのは中央の通路しかないようだ。


「こっち! 先に行って!」

「お、おう!」


 ククリを構え、レン達を先に行かせる。彼らが通路の先に行ったのを確認するや否や、僕も背を向けて後を追った。

 リザードマン達は一瞬戸惑いの顔を見せたが、直ぐに追ってきた。


「なあ……こっち、どんどん奥に行っちまうけど……」


 レンが引きつった顔を浮かべて言った。僕は構わず先を急ぐよう顎で促した。


 逃げながら考える。ここは何の道なのだろう、と。

 リザードマン達の棲家はあの十字路と、三叉路の右側の通路の先であることは何となく予想が付く。

 しかし、正面にこのような長い道のりがあり、彼らが僅かに戸惑いを見せたのは――。


 考えているうちに、紋様が描かれた三メートルはある大きな鋼鉄の扉に行き当たり、レン達は無我夢中でその扉を押し開けた。

 生ぬるい熱気が扉の隙間から吹きつけ、思わず顔を背ける。

 僅かに空いた隙間から転がるようにして逃げ込むレンとコウタに、厭なカンが働く。


「待って!!」


 体当たりで扉を完全に開き、後を追う。……そこは、巨大なドーム状の空間だった。


 レンとコウタは、何故かそこで尻餅をついていた。何かを見上げ、絶句しているようだった。

 その視線を追ってみると、黒い岩のようなものがそこにある……ように見えた。


「……騒がしいな」


 岩から声がした。そして、岩から引き剥がされるように長い「首」が動いた。見覚えのある姿に、奥歯をぐっと噛みしめる。

 振り返ると、背後のリザードマン達が一斉に急停止していた。僕の鎧を見た時よりも、明らかに怯え方が違う。

 黒いドラゴンは彼らに一瞥をくれると、ぐわっと口を開け、大気を震わす程の雄叫びを上げた。リザードマン達はそれだけで完全に震え上がり、猛スピードで引き返していった。


「フン、小物め。ちょこまかと小賢しい。……さて」


 黒い竜は首をもたげ、僕らを鋭い目で睨み付けた。

 レン達は何も言えず、ガタガタと肩を震わせている。


幼き大地の子(プルステリア)よ。何しにきた」


 あの威厳のある声が問いかけた。

 ……何ということだ。逃げるつもりが、探していた宿敵に出くわすなんて。


 僕は震える膝を抑えつけながら、何とかレンたちよりも前に出た。


「ここに来れたのは偶然だけど……お前に訊きたいことがある」


 ほう、とドラゴンは眉をつり上げた。


「何故、集落を襲ったんだ! お前のせいで、多数の(いのち)が犠牲になった!」


 ドラゴンは一笑に付した。


「小娘。貴様は食事をするのに複雑な理由があるとでも言うのか?」

「そうじゃない。プルステラは争いのない世界を目指した。お前たちのような怪物だって、元々いなかったハズだ」


 言いながら、後ろの二人に逃げるよう手を払って報せる。

 レンは一瞬躊躇したが、僕に考えがあると判断したのか、コウタの腕を引いて一目散に引き返した。

 ……後は大丈夫だろう。リザードマン達も怯えているし、ちょっかいを出すことはないと思う。


 ドラゴンは逃げる二人にフン、と鼻を鳴らし、それからもう一度僕に視線を向けた。


「幼き大地の子よ。弱肉強食無しに世界が成り立つと思うてか」

「……思わない。だけど、だからと言って招いてもいないお前のような怪物が出てくるのは異例中の異例だ」


 ドラゴンは口許を歪め、豪快に笑った。それだけで鼓膜が痛いぐらいにビリビリと振動する。


「我が、異例だと? どうしてそう思うのだ?」

「……どうしてって……プルステラにドラゴンがいるわけ――」


 言いかけた言葉を、ドラゴンが続けた。


「――『いるわけがない』。それが貴様達の言う『現世』の常識とやら、だからか? それともこの世界に対する幻想か?」


 僕は目を丸くしていただろう。

 何故、このドラゴンが現世のことを知っているのだ。

 ドラゴンは自分のことを理解していないのだろうか。ハッカーに送り込まれた存在だということに。


 ドラゴンはそんな僕の心情を察したかのように、静かに言葉を紡いだ。


「まさかとは思うが……小娘、我があのような下等生物と同じ下に生まれたと勘違いしてはおるまいな?」

「……え……?」


 ――どういう意味なんだ?

 触れてはいけない琴線に触れた――そんな気がして、背筋に冷たいものが走った。


 ドラゴンは呆れた声を発した。


「図星か。……まあよい。貴様は気骨のある奴だ。我に意見し、こうして逃げずに残っていられる程の強い気迫を持ち合わせている。それ故、帰すのが惜しくなった!」


 黒い竜は立ち上がり、翼を大きく広げた。その巨木のような右足がズシンと地面を踏み鳴らし、洞窟を大きく揺さぶる。

 ――本気だ。コイツは、僕を逃がさないらしい。


 僕は、それこそ貧弱に思えるククリをしっかりと両手で握った。


「我が名はディオルク。この幼き大陸の支配者なり!」


 黒竜は威厳のある声で高々に名乗った。


「生き残りたくば刃を振るい、我を愉しませてみよ、小娘!!」

2018/04/05 改訂

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