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PULLUSTERRIER 《プルステリア》  作者: 杏仁みかん
Section3:揺れる魂(アニマ)
19/94

18:竜の肝試し - 1

 この世界は、決して争いの無いものだと思っていた。

 人類の冒した過ちをやり直すために創られ、地球の再生と共に現世へと還る。

 生まれ変わった人類が正しい文明を築き、新たな世へと導く――それがアニマリーヴ・プロジェクトだったはずだ。


 なのに――。

 何だっていうんだ、この惨劇は。


 立ち込める熱風は呼吸をすればたちまち肺をも焦がす。

 赤々と揺らめく炎。蠢く異形の怪物の影絵(シルエット)

 悲鳴。怒号。或いは許しを請う声。


 半ば焦土と化した集落には、もはやその場凌ぎの防衛機能など無意味だった。監視塔は炎を抱えて倒壊し、柵は黒炭となって転がり、爬虫類共はデータの残骸と成り果てたプルステリアに群がり、鋭い顎で引きちぎり、貪り喰らう。残った民は逃げ惑い、そこへ飛来してきた大型の鳥類が鋭い爪を肩に食い込ませ、空へと連れ去っていく。暴れた者は宙から落下し、行方は知れない。


 火の手は地平線の向こうからも上がっていた。どこの集落も同じなのだろう。

 どれもこれも、今目の前で鎮座し、蔑視している「王」が招いた災厄である。


 我々はこの晩、改めて思い知らされた。

 プルステラの支配者はプルステリアなんかではない。

 この、目の前にいる巨大な怪物そのものなんだ――と。




 ──CASE:HIMARI MIKAGE




 西暦2203年7月22日

 仮想世界〈プルステラ〉日本サーバー 第0613番地域 第553番集落



 夏休みに入るとほぼ同時に、ようやくマーケットというものが解放された。

 早速ブログに試作品を展示しながら制作を進めていると、ウチに遊びに来ていたミカルがいちゃもんを付けてきた。


「ヒマリちゃん、そんなんじゃただのコスプレじゃない。もっと『じゅよー』と『きょうきゅー』を考えないと」

「……ミカルちゃん? 解ってて言ってる?」


 ミカルは口を尖らせ、目を泳がせた。

 そんな彼女に、僕は得意気に話してやる。


「でもね。ついさっき、注文があったんだよ。イギリスの人から」

「へ?」


 ミカルは口の中でイギリスの四文字を唱えると、「ええーっ!」と大げさなリアクションで驚いた。


「すんごいじゃない! いったい、何注文してきたの?」

「ん。仮装パーティーにでも参加するのかな、フード付きの身体を覆うローブが欲しいんだって」

「いいなぁー! さっすが本場ファンタジーの国! 日本でもやったらいいのに」

「日本だってやってるじゃない。ハロウィンとか……あとは、年に二度ぐらいのイベントで」


 ミカルは苦笑し、手をひらひらと振った。


「アレはマニアックだよー。歴史も長いけどさー。……それにしても、イギリスって北国とはいえ、真夏なんでしょ? ローブなんて暑くないの?」

「んー、わたしもそう思う。だから、夏場でも着られるものにしようかなって」

「そんな都合のいい素材があるの?」


 うん、と頷き、素材に決めた革を見せる。

 艶のある臙脂色。毛皮ではないが、程良い厚みがある。

 ミカルちゃんは革を手に取るとその感触や色合いに顔を引きつらせた。


「な、何の革? 見たことないんだけど」

「ん、お兄ちゃんが見つけてきたの。近くの洞窟にいる大きなコウモリだって」

「えー、何それ! だって、二メートル近くはあるよ、これ!」

「そうなんだよね。多分怪物の一種だよ」


 タイキは最近、ゲンロクさんに鍛冶を習いながら、出来上がった武器の試作品の試し振りをするべく、近くの洞窟まで足を運んでいた。気になるので一緒に付いて行っていいかと訊ねると、ヒマリは危険だから、と頑なに拒まれてしまった。

 話を聞く限りでは、RPGよろしくいろんな小型の怪物たちと出くわしているらしい。それこそタイキの方が心配になるぐらいだが、彼は無茶の限度というものをわきまえているようで、入り口付近の怪物しか相手にしないと言う。


 そのついでの産物がこのコウモリの羽だった。今では「皮剥ぎ」の付与効果――この効果がないと毛皮が剥ぎ取れない――が付いたスキニングナイフを持ち歩いているので、いつでも動物の素材を採取できる。まるで狩猟系のゲームである。


「それで? いったい、どんなデザインにするのかな?」

「一応寸法を知りたいからSS下さいって言ったんだけど、断られちゃって。最低限のは教えてくれたんだけど、これで出来るかな?」

「どれどれ……」


 と、ミカルは僕の脇から顔を覗かせ、型紙に注目した。


 ふと、ミカルの方へ目を向ける。今日は薄い水色のベースに白い水玉の、涼しげなチュニックを着ている。横からこっそりアイテムのプロパティを確認すると、やはりミカルが作ったものらしい。

 玄関に置いてある彼女のショートブーツだって彼女が設計し、僕が作った作品だ。見事なまでに服装と釣り合いが取れている。


 さすが、自信を持って言うだけはある。最近は革製品にうつつを抜かしていたせいか、僕よりミカルの方がすっかり裁縫の腕を上げてしまった。彼女がファッションリーダーになれる日も近いのかもしれない。


「うん、これでいけるよ」


 と、ミカルは型紙から身を遠ざけた。


「でも貴重な素材なんでしょ? 間違わないようにあたしも手伝うね」

「やった! 助かるよー」


 それから見積もった通りに二日かけ、僕とミカルは共同作業でローブを完成させた。

 お金と引き換えにデリバリンクで依頼人・エリカに品を贈ると、とても満足したようで、何と僕に革製品の作り方を教えて欲しいと頼んできた。


 困ったな。今回のローブはほとんどミカルちゃんの力なのに。

 話し相手が欲しいというから、その点では大歓迎なのだが、どこか騙しているような気がしなくもない。


「引き受けてフレンドになっちゃえばいいじゃない。だって、革貰えるんでしょ? お得だって!」


 結局、そんなふうにミカルちゃんに押され、言われるままに僕とエリカはいわゆるメル友になった。


 それからというもの、エリカは毎日のようにちょくちょくと連絡をくれた。

 話を聞けば、旅を始めたらしく、ローブはそのための「装備」だったらしい。

 頻繁に景色のSSも送ってくれた。雄大で、とても美しい絶景だ。湖や森、地平線が拝める崖、朝日、夕日――それらは一枚残らず、僕の写真立てに追加されていった。


 メールでのやり取りなので素性は知らないが、どうやらエリカには何か特別な事情があるらしい。でなければ、家もあるのにわざわざ旅に出たりもしないだろう。自分で革を調達できる程の力を持っている辺り、狩人のような職業とも考えられる。もう少し仲良くなってから差し障りの無い範囲で訊いてみたいものだ。

 エリカとは長い付き合いになりそうだ。……そんな気がする。



   §



 あっと言う間に七月が終わり、DIPの日付もついに八月に切り替わった。

 早朝に宿題を片づけ、昼飯を食べた後、ミカルにチャットで誘われたので外へ出ることにする。


 着ていく服はミカル手作りのベージュのワンピースで、靴もやはり彼女がデザインし、僕が作った、お手製のブーツサンダルである。

 ミカルは僕の格好を見ると大いに満足して頷き、じゃーんと手元のバスケットを見せた。


「へっへーん、お母さんに頼んでサンドイッチ持ってきたの! あっちの丘でハイキングしよっ」

「わあ。いいねー! 楽しそう」


 と言っても、集落の直ぐ傍の丘に登るだけなのだが。

 例の怪物がうろついているかも、ということで、目の届かない所まで行くのは、親も心配らしい。


「よーし! ヒマリちゃん、競争だよ! よーい、ど――ん!」

「わ、待って!」


 突然走り出したミカルを追いかける。

 丘は急斜面で結構な高さがある。いくら体力があるからと言って、何の準備もなしにいきなり走るものだから、直ぐに息を切らしてしまった。

 二人して頂上で仰向けになり、ぜえぜえと呼吸を整えていると――。


「よお! 何してんだ、お前ら」


 柄入りのTシャツにジーンズで太股と裾の部分がダメージ加工になっているハーフパンツという、意外にお洒落な格好の少年が僕らの顔を伺っている。僕はそいつを知っていた。


「なんだ、レンかぁ」

「なんだよその反応」


 彼は同級生のレン。やんちゃな性格で、ミカルに気があるらしく、ことごとくいろんなところに付いて来ている。

 横にいるのは同じく同級生のコウタ。服装はまだデフォルトである。気の弱い性格で、いつもレンにいいようにされている、いわゆるいじめられっ子だ。

 ミカルは身体を起こして水筒の水を一口飲むと、レンに向かって疲れた声を発した。


「あたしたち、ハイキングなの。今登り切ったところ」

「なんだ。ただ丘登っただけかよ」


 つまらなさそうに言う。そして、訊いてもいないのにとんでもないことを言いだした。


「オレたちは今から洞窟の探検に行くんだ」


 彼は集落と丘を挟んだ反対側にそびえる崖を指差した。確かにそれらしい、ぽっかりと開いた横穴がある。確か、タイキが練習場に使っているのはあの洞窟だったはずだ。


「やめときなって。アレ、うちのお兄ちゃんでも武器を持っていくぐらいだよ? こぉ――んなでっかいコウモリが出るんだから!」


 と腕を広げて大げさに大きさを説明するが。


「へーきへーき。そんなの怖くねーよ」


 ……ただ怖いかどうかの問題だと思っている。

 こういう子は実際に痛い目に遭わないとダメなんだろうな。


「だったら、せめて武器持っていきなよ。バットでもいいから。噛まれたら大変だよ?」

「持ってるぜ、ほら」


 と、インベントリからオブジェクト化させたのは果物ナイフだった。小学生のクセに物騒なものを……。


「な。だから大丈夫だって。……行こうぜ、コウタ」

「う、うん」


 あっと止める間も無く、二人は丘の向こうを駆け下りて行った。

 走って止めようかとも思ったが、僕らはまだ息を切らしていて、彼らに追いつけそうもない。


「男子ってバカだね」


 ミカルちゃんは、珍しく冷めた声を発した。


「あんなの、ほっとこ。それよりサンドイッチ!」

「う、うん」


 大丈夫かな、と思いつつもサンドイッチにかぶりつく。……あ、美味い。

 サンドイッチには鶏のささ身とレタス、トマト、キュウリが挟んであった。オリーブオイルとバジルを合わせた特製のソースが(ユヅキ)好みの味付けだった。


 ──現世では、これほど美味しいものを食べた記憶がなかった。

 厳密に言えば、「美味しい」の基準が現世と異なっているといったところか。現世で食べる食品の殆どは調理用アンドロイドのお陰で完璧、且つ、美味しくなるようレシピ通り忠実に作られていた。料理は科学とも言うが、まさにその通りだ。


 それでも手作りの方が美味しいと感じるのは、きっと、人には予測不可能な「ムラ」があるからなんだろう。

 プルステラでは、そんな人の手によって起こりうる、完璧ならざるアナログ要素ですら再現出来てしまうということか。……何というか、現世で築いた技術全てを丸ごと否定するような──そんな皮肉めいたものを強く感じてしまうのだが。


「んぐ! むぐぐ……」


 慌てて食べたので喉を詰まらせた。はいはい、とミカルちゃんが笑いながらお茶を差し出す。


「んぐっんぐっ…………ぷふー。死ぬかと思ったー」

「お約束が過ぎるよ、まったくー」


 あはは、と二人で笑い合う。


 その後、二人で他愛のない話やマーケットについて談話をし、有意義に時間を過ごした。

 気付けば、日が暮れ始めていた。僕らは丘を来た時よりも速い速度で駆け下り、麓で別れを告げた。


「あ、ヒマリちゃん!」


 最後に彼女は振り返って僕を呼んだ。


「ヒマリちゃんに渡したい新作があるの! 明日あげるね!」

「うん! ありがとー!」


 彼女は元気に手を振り、去って行った。

 思わず笑みが零れる。どんな服なんだろう。ミカルが考えてくれたんだから、きっと、可愛らしいデザインに違いない。

 だったら、また靴を作ろう。ミカルのデザインに合うやつを、今度は僕自身が考案して作るんだ。


「あはは……コスプレみたいなんて言われるようじゃまだまだか」


 エリカにデザインのことを訊いたら、だから僕のを選んだ、と言ってくれたのだが、それでもコスプレみたいだ、と言われてかなり凹んでしまった。

 いっそ、防具屋にでもなろうか。一度だけカッコいいのに憧れて試作品を作ったのだが、鎧を量産したら、対怪物用として重宝するんじゃないだろうか。


 よし、と意気込みながらそのまま自宅のドアの取っ手に手をかけた時――。


 僕の真後ろで世界は一転した。


「――――っ!?」


 耳をつんざく爆音。後方から放たれた激しい光。

 悲鳴なんて上げる間も無く、とてつもない力に背中を押され、ドアに叩きつけられる。

 身体の中で何かが壊れる鈍い異音がした。一つ鳴る度に鋭い激痛が走り、呼吸が止まる。どうにかして息を吸おうと思っても、もがくことすら許されない。

 遅れて吹きつけてきた熱風が背中を焼き、息を吸った肺をも焦がし、僕の身体はずるずると滑るように倒れた。

 熱い。そこいら中にサウナ以上の熱気が立ち込めている。


「ヒマリ!」


 ユウリの声。ドアを開こうとしたが、僕の身体が邪魔で動かないようだ。

 彼女は直ぐに回り込んで、窓を割って外へ飛び出した。


「しっかりして! ……げほっ!」


 身体を横にした状態でおぶられる。背中は相当なダメージを受けたらしい。

 かろうじて意識は残っているが、吹きつける熱風に呼吸が上手く行えない。ユウリが看護士で、本当に良かったと思う。


「ごほっ! が……ぁっ!」


 咳の一つでもすれば大ダメージか。肺に溜まった酸素がどんどん無くなっていくのを感じる。


「ああ……ヒマリ、お願い! 少しの間だけ堪えて! 直ぐに治療するから!」


 僕は直ぐに診察用のベッドに乗せられた。慌ただしくユウリが動き回るところを見ると、相当な重傷ということか。

 ミカルはどうしただろう。あの熱風を食らっては無事では済まされないんじゃないか。


「何してるの、ヒマリ!!」


 ベッドからかろうじて下りようとする僕を、ユウリが無理矢理引き戻した。

 ――お願いだ、行かせてくれ。あの子を見殺しにするなんて、僕には出来ない。


「動かないで! あなたは重傷なのよ!!」


 首筋に何か注射を打たれる。……ダメだ。意識が遠のいて……。



   §



 目覚めると、見慣れた景色が暗闇と炎に包まれていた。

 息苦しくないのは口許に当てたマスクのお陰だろう。デジタルの世界に酸素という概念があるのかは知らないが、こいつで呼吸するだけで色々治せるようだ。

 身体が重い。痛みはだいぶ引いているが、何かがのしかかっている感覚を覚える。


「……ママ!?」


 ユウリが僕の胸元に覆い被さっていた。急いで自分のマスクを外し、ユウリの口許に移す。

 ややあって、彼女は息を吹き返した。


「ヒマ……リ……」

「ママ、良かった……!」


 身体を起こし、衝動的にユウリの肩に手を回した。

 彼女は煙を吸っただけで、特に怪我をしたわけではないようだ。


「逃げよう。ここにいたら危ないよ」

「そう、ね……」


 互いに弱った身体を支えながらどうにか家を出ると、平和だった集落は真っ赤に燃える地獄と化していた。

 広場には以前とは比較にならないほど巨大な黒いドラゴンが鎮座している。住宅三棟はあろうかという大きさである。先程の強烈な爆発の原因はコイツで間違いないようだった。

 ヤツは大きな金の瞳をぎょろりと動かし、長い首を曲げ、値踏みをするかのように集落を見回した。

 そこへ警官たちがショットガンや拳銃、ライフルで次々と攻撃を仕掛けたが、堅い鱗を少し傷つけただけで、血の一滴すら見えない。


「文明の(りき)とはこの程度か……」


 それはどこか穏やかで、しかし、万物を圧倒するような旋律。――驚くことに、ドラゴンは言葉を発していた。

 黒のドラゴンは前足を上げ、一本の指を、まるで蛇が鎌首をもたげるように構えて警官たちに向けた。指先に紫色の光が灯るや、警官たちは指先に吸い込まれるように宙に浮き、そして、地面に叩きつけられた。それきり、彼らは動かなくなる。

 ドラゴンは嘲笑し、哀れむような目を警官たちに向けた。


「此処はつまらぬ! 次だ」


 翼を扇ぎ、離陸の体制を取る。それだけで強烈な強風が巻き起こり、家屋をくすぶる火が一斉に消えた。

 今度は飛ばされまい、と僕らは手を繋いで地面に伏せ、何とか耐え凌いだ。


 顔を上げると既にドラゴンの姿は見当たらず、襲撃をしていた怪物たちも蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 満身創痍の人々は呆然とその光景をただ見守るしかなかった。我々は怪物の脅威に負けたのだ。その事実が思考を停止させる。

 やがて、自分が何をしようとしたかようやく思い出し、慌てた。


「……そうだ、ミカルちゃん! ママ、お願い! ついてきて!」

「え、ええ!」


 崩れた家屋から記憶を辿る。僕らはかろうじて彼女の家へ向かう道を思い出しながら、ひたすらに走った。

 道中、倒れた怪我人たちが苦悶の声を上げているのが見えた。彼らは手を伸ばし、救いをひたすら求めている。


「ヒマリ!」


 ユウリはどうしても彼らが気になるようだ。困った表情をして立ち止まっている。

 それでも、と僕は彼女に懇願した。


「お願い、ママ! お願いだから!」


 ユウリはゆっくりと首を横に振った。


「ダメよ。そんなこと出来ない。見つけたら連絡してちょうだい。直ぐに向かうから」

「…………わかった」


 こうしている時間すら惜しい。僕はその場でユウリと別れた。


 そこで思い出し、DIPのコミュを開いた。

 フレンドリストからミカルの位置を割り出すと、位置はわりと近いことが判明した。


「ミカルちゃん!!」


 倒壊した家の傍で、彼女を見つけた。

 ボロボロになった自慢のチュニックは胸元が裂けて赤い染みで汚し、先程まで履いていたショートブーツはどこに置き忘れたのか片足だけになっている。

 その手元には、ぼろ雑巾のようになったドレスが、今も固く、強く握り締められていた。


 そこから、声が聞こえた気がした。



 ――ヒマリちゃんに渡したい新作があるの! 明日あげるね!



 震える手でその白い身体をそっと掬うようにして抱える。身体のあちこちの骨が折れているらしく、手足があり得ないところでぐにゃりと曲がった。

 胸元に耳を当てても、心臓の鼓動が感じられない。デジタルでも、息ぐらいはしたっていいはずだ。


『ママぁ……おねがい、ママ…………』


 「たすけて」――最後の一声は嗚咽でかき消え、言葉にならなかった。

 ユウリは何て答えたか、もはや耳には届いていない。


 人の悲鳴やまだくすぶる火の音が、僕の耳から遠ざかっていく。

 音という音が無くなり、僕の意識はミカルと共に隔離した世界の中に取り残された。


 腕の中に唯一、微かに残る温もり。それだけを失うまいと、五感を手先にだけ集中させる。


 ミカルの声を聞きたい。

 ミカルのはしゃぐ姿を見たい。

 ミカルのはにかんだ顔が見たい。


「――――!!」


 誰かが耳元で叫んでいる。

 僕を揺さぶっている。

 全てがスローモーションになっているのを感じながら、僕ははっと顔を上げた。

 ユウリの顔が目の前に来たとき、感覚の全てを取り戻した。音も、時間すら戻ってきた。


「……マリ! ヒマリ!!」


 ユウリに促されていたのだ。しっかりと抱えていたミカルを直ぐに預ける。

 ユウリは何も言わず、一度だけ頷いてその場に横たわらせた。

 傍には色々な道具が揃っている。彼女は何とか生かされた。これで大丈夫、だろう。あとはユウリに任せ、祈るしかない。


「大丈夫か、ヒマリ」


 肩に手が置かれる。振り返ると、直ぐそこにタイキがいた。……その後ろには煤だらけのダイチもいる。


「ごめん。直ぐに来られなかった。父さんと郊外に行ってたんだ」

「まさか、こんなことになるとはな……」


 そう言えば、男同士で狩りに行くのだ、と言っていた。まだ、日付は今日だったのだ。

 二人が傍にいてくれるだけで心強いが、あの怪物の前でどうにかなる問題でもない。


「どうすればいいんだ……!」


 タイキは地面に拳を打ち付けた。


「武器があっても太刀打ち出来ない! 満足な武器も作れない!」


 少し前の祭りが単なる馬鹿騒ぎだったと後悔する。何も解決しちゃいない。

 ようやく、僕らは事態の重さに気付いたのだ。


「……人を集める必要がある」


 突然、ダイチがえらく真面目な声でそんなことを言い出した。


「あのドラゴンを皆で討伐するんだ」


 タイキはとたんに怒りを爆発させた。


「何考えてんだよ! 勇者にでもなったつもりか!? 相手は魔法を使うドラゴンだぞ! 父さんはいつだってそうだ! 見栄っぱりで、強がってるだけで……何一つ自分で成功させたためしがねぇじゃんか!」


 ダイチは「ああ」と認めた。


「……判ってるさ。俺は口だけで、何も出来やしない。ただ面倒なことを押しつけられてるだけだ。……だがな、アレを何とかしなくちゃプルステラで生きていけないってことぐらいは、お前にだって解るだろう!?」

「……それは……!」


 ダイチは話を続ける。


「集落には長もいない。誰も名乗り出ることもしない。そういう争いを避け、面倒なことを全て後回しにした結果がこれだ。……もう、なりふり構ってなんていられないんだよ。誰かが先頭に立ち、あのくそったれを倒す算段を練らなくちゃ、集落はあってないようなものだ!」


 ダイチの言うことはもっともだ。まるで贄を要求されるかのように定期的にドラゴンに襲われたのでは、平和な暮らしなどあり得ない。

 そもそも、争いのない世界というキャッチコピーは何処へ行ったのだ。我々は今、ドラマやゲームで見るような、ドラゴンに怯える中世ファンタジーの世界と同じ場面に立たされている。可笑(おか)しなことに、あの堅い鱗に通用する武器だって満足に用意できていない。


「とにかく残った者を集めるぞ。()る気があるかないか、それだけでも確かめる必要がある」



 約一時間後、集落の大人たちが次々と広場に集結した。中には、つい先程まで重症だった者もいたのだが、テキパキと済ませたユウリや、有志の看護によってその(いのち)は救われた。

 ミカルも応急処置が済み、安全な場所に搬送された。意識はまだないが、呼吸はしている。少なくとも峠を越えたのだと判ると、安堵し、彼女の懐に顔を埋めながら人知れず泣いた。胸元からは安定した心拍が聞こえる。それだけでも、ヒマリはまた笑うことが出来そうだ。


 ダイチが演説を始めた。いつもならまたか、と思うところだが、この差し迫った状況に彼も本気であり、誰も文句は言わなかった。

 要約すると、近隣の集落からも人を集め、皆でドラゴン退治に赴く、というものだった。それに、あれだけの知恵を持つドラゴン、きっと近くにそれらしい棲家があるに違いない、と。


 そんな折、二人の女性がヒステリックな叫び声を上げた。


「うちの……誰かうちのレンを見かけませんでしたか!?」

「私のコウタもです! 一緒に出かけたきり、帰って来ないんです!!」


 背筋が凍る。

 確か、彼らは言っていた。洞窟の探検に行くんだ、と。真実を伝えるべきだろうか。


(――いや、だめだ)


 まともに討伐隊も結成されない今、洞窟への調査へ人を割くことは出来ない。それに、こんな状況で命を懸けて他人の面倒を見るお人好しだっていない。せいぜい、「自分のためにようやくドラゴン退治に参加する」――その程度だろう。


 あの時、二人を止められなかったのは僕にも責任がある。集落にいた方が危険だったかは別問題として、だ。


 タイキにも相談しようか――いや、それもだめだ。あいつはヒマリを危険に遭わせるような真似を絶対に好まない。

 広場に全員が注目している今、簡単にここを抜け出せるのは、自宅の傍でミカルの面倒を見ている僕しかいない。


「ミカルちゃん……ごめんね。直ぐに戻ってくるから」


 まだ意識の戻らないミカルの耳元でそっと囁くと、かつて試作品として作ったアーマーセットをインベントリから直接装着する。瞬時に着ている服装が切り替わり、僕の身体は革の鎧と、それに合わせた全身を覆う黒いアンダーウェアに革のグローブ、膝上まである革のブーツに包まれた。

 オールドファンタジーを踏襲するかのような滑稽な姿だが、無いよりはマシだ。タイキから護身用にと貰っている武器だって用意してあるし、ひとまずの武装としては充分だろう。


 そうっと広場を伺いながら、静かに丘を駆け登っていく。集落から光が届かない闇の中、僕の姿を捉えることは容易ではない。皮肉にも、この状況は実に好都合と言える。


 長い、長い夜が今、始まろうとしていた――。


2018/04/05 改訂

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