16:救いの手 - 3
翌日、丸一日かけてタンスの制作に取りかかった。
閑静な森を制するのは、絶え間なく歌う小鳥の声に木の葉の囁き、それと、私が引く鋸と金槌を叩く音だけだ。
何人たりとも邪魔されない空間で自分の作業に没頭し、平和に一日を過ごす――少なくとも今日は、そうなるはずだった。
――パキリ。
調和を乱す足音に自然と耳が上を向いた。
「……どなたですか?」
振り返る。気配もそうだが、呼び声も無しに近寄るのは、何か悪い予感がしていた。
近くの集落の者だろうか。私と同じような初期仕様の服に斧やら農具を持った連中が集まっている。この場には明らかにふさわしくない。両手で構えている辺り、道を聞きに来たというわけでもなさそうだ。
「ジョニーの言う通りだ……森に言葉を話す狼のようなバケモノがいるって」
「同じ服を着ているぞ。我々と同じプルステリアじゃないのか?」
「まさか。……見ろよ。犬みたいな面してやがる。どうせ、ハッカーの贈り物だろうぜ」
私は眉をひそめた。工具をその場に置き、おもむろに連中に近寄っていく。
彼らはジリジリと後ろに下がりながらも、構えた手を緩めない。
「や、やる気か!?」
連中の一人が声を震わせた。
「そんな気はありません!」
私はなるべく穏やかに言った。
「ここに住んでいるだけです。いったい、私が何をしたって言うんですか?」
「何……!? 住んでいるだと!?」
別の一人が斧を片手に、他の連中を押し退けて前へ出た。
「ふざけるな! ここの住人を殺したのは貴様だろう!?」
「……何の話ですか……?」
「ここには俺の友人が住むことになってたんだ! それを貴様が喰い殺し、奪ったんだろう!!」
「そんなことしてません!」
オーランドめ……ちゃんと説明してなかったのか。
これでは、私がまるっきり悪者じゃないか。
「彼は元々死んでいました! コミュニケーションツールで確かめれば未入居に……いや、そもそもその人は私と入れ換えになったんで登録が――」
「黙れ、魔女め!! 貴様か! 貴様がハッカーの手先なんだな! きっとハッカーと結託して無理矢理アイツと入れ替わったんだ。誰にも邪魔出来ないようにチートまでしやがって!」
「違います!!」
「うるせえ! 敵討ちだ! コイツの首を持ち帰らねぇと気が済まねぇ!!」
男たちは声を張り上げて一斉に道具を振り上げた。
迫り来る「動きの遅い」攻撃を次々と躱し、或いはいなしながら後ろに下がる。
「くそ! ちょこまかと!」
「やめて下さい! 私の話を聞いてください!!」
道具では太刀打ちできないと思ったのか、今度は枝やら小石やらを投げつけてきた。
ご丁寧にも、インベントリにストックを用意してきたらしい。中にはナイフも混じっている。
……殺すつもりなんだ――。
「うっ!」
頬に鋭い痛みが走る。ナイフが掠ったらしい。
その瞬間、私とは別のところから激しい怒りの炎が燃えたぎった。
――もう、ゆるさない。
ゾーイが私を押し退けて身体の主導権を奪った。
――だめ! ゾーイ!!
「ウウウゥ……ッ!!」
牙を剥き出しにして低く唸り出すと、連中は一瞬ひるんだが、道具をしっかりと握って一層殺意を高めた。
「ほ、本性を現したな! 化物め!!」
――やめて! やめてゾーイ! 傷つけちゃだめよ!
このままでは、本当に引き返せなくなる。
必死に止めようとするが、抑えが利かないところまで表に出てしまっていた。半分ずつだった私達は今、八割方ゾーイの意識に乗っ取られている。
何という事だ。私の方が主人だと思っていたのに、雌であるゾーイは女である私を軽く抑えつけられる強さを持っていた。
このままではあらゆるものを支配される――そんな恐怖が意識の脳裏を過った。
連中が一斉に動き出したのを合図に、ゾーイは四本脚で駆けた。
斧を振り上げた男の胸ぐらを牙で掴み、放り投げる。その衝動で服が千切れ、木の幹に叩きつけられ、失神する。
振り下ろしてきた鍬は横に避け、身体を反転させて飛び掛かり、体重を利用して地面に叩き伏せる。
後方から飛んできたナイフは身を逸らして避ける。あっと言う間もなく投げてきた男に詰め寄り、その太股に噛み付く。
残った連中は攻撃する前に飛び掛かり、押し倒し、やはり腕や太股に噛み付いた。
これは、狩りだ。
ゾーイは猟犬の本分である狩りをしようとしている。
――やめなさい、ゾーイ!!
有らん限りの声で呼びかけると、私の想いが通じたのか、ゾーイはすっと立ち止まり、両膝を曲げてその場に座り込んだ。
それでも鋭い目つきだけは男たちの方を睨み付け、いつでも動き出せるようにしている。
連中はすっかり怯え、失神した男を抱えると、噛み付かれた脚を引きずりながら慌てて逃げ出した。
殺気が感じられなくなると、ゾーイは頭を伏せ、目を閉じた。肉体からゾーイの意識が遠のき、代わりに私が身体を取り戻す。
静寂が、戻った。
――エリカ、ごめん。
ゾーイは最後にそう謝ると、それっきり、何も言わなくなった。
眠るわけでもなく、私の顔色を伺うように、意識だけがそこにあった。
一応、ゾーイは手加減をしていた。首筋に噛み付いたりしなかっただけ、マシと言える。
皮一枚だけ理性を保っていたことに安堵したものの、人を襲ったという事実そのものは不変である。
「もう、引き返せないわね。ここにも居づらくなった……」
と言っても、昨日の地点でこうなることはあらかた決定付けられていた。
全てはオーランド・ビセットの責任だ。軍の司令官だか知らないが、あらかじめそのくらいの手回しをしとけばいいというのに。
――いや、待てよ。
それとも、あの友人と名乗る男は私――このパスの持ち主が来る以前にプルステラに来ていて、何らかの理由で連絡が取れなかった、ということなのか。
だとしたら……。
「プルステラと現世は……直接連絡が出来ない……?」
言葉にして、さあっと青ざめる。
今更現世に未練はないが、現世とこっちで連絡が取れないというのなら、これは大変なことである。先日のハッカーの件も外と連絡が取れないってことになるのだ。
いや、そんなはずはない。
現世から手紙を送ったりすることぐらい造作もないことだろう。三カ月も猶予はあったし、そもそも、工具とか送りつけることが出来たんだから。
――まぁ、考えていても仕方がない。
とにかく、今からどうするかを考えよう。
私は魔女か、或いは人を襲う狼だと認定されてしまった。……超現実的、且つ、残酷なおとぎ話である。
どちらにしろ、ここにいると、いずれ寝ている間に火あぶりにされるか、腹に石を詰め込まれて井戸に落とされるに違いない。
そうなる前に対策を考えよう。何か――何かあるはずなのだ。
2018/04/05 改訂




